山田勝己
山田 勝己(やまだ かつみ、 1965年10月22日 - )は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国大会準優勝。鉄工所アルバイト。
人物
兵庫県生まれ。家族の反対を押し切りSASUKE挑戦を続ける。職業は鉄工所アルバイト。野球場のビール売りのアルバイトでは、1日で2万円近く稼いでおり、サスケについての応援の声も多い。かつては小規模のプロダクションに所属し、講演会の活動もしていたという。また、ソフトボール経験がある。完全制覇者長野誠は、山田に憧れてサスケ出場を決めた。あだ名は、浪速のターミネーター、Mr.SASUKE、人生サスケ、完全制覇に最も近い(近かった)男 など。SASUKE第1回では、「山田勝巳」だった。
SASUKEでの戦歴
第1、第2回は共に第2ステージで脱落。その後、自宅に失敗したスパイダーウォークのセットを作ってしまう。(これがサスケセットを自宅に作った最初の出来事である。)見事に第2、第3ステージを突破した第3回は、ファイナルステージ残りわずか30cmでリタイア。完全制覇に最も近い男と呼ばれるようになる。初のゼッケン100番となった第4回は3rdに新設されたクリフハンガーで力尽きる。山田のサスケトレーニング量は日に日に増していき、それが災いしたためリストラにあってしまう。(1日のほとんどの時間をサスケトレーニングに費やし、命綱もつけずに、クレーン車を使ってのファイナルステージ再現などもした)それでも職を探さずに山田はサスケに人生をかけた。
第5回は大リニューアルした第1ステージをクリア(この大会1stをクリアしたのは山田を含め3人だけ 山本進悟、竹田敏浩)。しかし2ndスパイダーウォークでまさかのリタイア。第6回は第3ステージ最後の1人になり、パイプスライダーまで進出。しかし最後の着地でバランスを崩し、コース外へ転落のリタイア。第7回は万全の体調で絶対の自信を持って、初めて妻と子供を会場へ呼び寄せるも、まさかの第1ステージタイムアップ。初の第1ステージリタイアとなり、奥さんも泣き崩れてしまう。そして遂に山田は引退を決意する。第8回(詳しくはSASUKEの「SASUKEやKUNOICHIでのさまざまな事件・珍事など」の「山田勝己、引退(SA-第8回大会)」で。)
引退撤回して挑んだ第9回は、大会前に精神面を鍛えようと四国の山中を訪れ、滝に打たれた。そり立つ壁で一回ミスをするも、余裕を持って1stをクリア。第2ステージで山田は自分の挑戦前に無駄に神経質になってしまう。過去2回失敗しているスパイダーウォークが第7回にリニューアルし、初挑戦の山田は不安だったのである。靴の裏にゴミがつかないようにガムテープを貼って本番に挑んだ。しかし剥がすのに時間がかかってしまいタイムアップ。考えが裏目に出てしまう。第10回1st(詳しくはSASUKEの「SASUKEやKUNOICHIでのさまざまな事件・珍事など」の「SASUKEオールスターズ 最悪の連鎖反応(SA-第10回大会)」で。)2年ぶりの3rd進出をした山田は持ち前の肉体で次々と難関エリアを突破。パイプスライダーまで進む。第6回でミスをしているエリアだけに、慎重になった山田。ゴールにしがみ付くも、無念の転落。直後のインタビューで、悔し涙を流しながら「俺には…、SASUKEしかないんですよ。」との名言を残した。
第11回は2ndバランスタンクで落下。第12回2nd(詳しくはSASUKEの「SASUKEやKUNOICHIでのさまざまな事件・珍事など」の「手袋失格事件(SA-第12回大会)」で。)第13回は第12回のこともあって初の欠場。「今は家族との時間を大切にしたい」とも語っている。その後の大会では1stリタイアが続いてしまう。第16回終了時に引退宣言もしたが、ファンの声援で撤回。
既に年齢は40歳を越え、限界なのではという声も少なくない。しかし山田のサスケ挑戦は、まだ続いている。
SASUKEで出場した大会の結果
()の中はその時のゼッケン ★は今大会最優秀成績、もしくはファイナリスト 第13回大会は欠場
- 第1回大会 (92) 2nd、五連ハンマー
- 第2回大会 (91) 2nd、スパイダーウォーク
- 第3回大会 (89) Final、15m綱登り ★
- 第4回大会 (100) 3rd、クリフハンガー
- 第5回大会 (100) 2nd、スパイダーウォーク
- 第6回大会 (99) 3rd、パイプスライダー (コース外転落) ★
- 第7回大会 (100) 1st、ロープクライム
- 第8回大会 (100) 1st、そり立つ壁
- 第9回大会 (99) 2nd、ウォールリフティング
- 第10回大会 (1000) 3rd、パイプスライダー ★
- 第11回大会 (100) 2nd、バランスタンク
- 第12回大会 (98) 2nd、スパイダーウォーク改 (手袋取り忘れで失格)
- 第14回大会 (99) 1st、ジャンプハング
- 第15回大会 (99) 1nd、クロスブリッジ (コース外転落)
- 第16回大会 (99) 1st、ロープクライム
- 第17回大会 (100) 1st、そり立つ壁
本大会以外での出来事
- 筋肉番付内で開催されたクイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国大会で準優勝の実績を持つ。また、その大会の準決勝で、最高記録307回を記録していた秋山和彦と当たる。当時はセンサーが用意されてなく、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告をうける。結果はなんと両者298回。しかし秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。山田と秋山はこの大会がきっかけでサスケ出場をした。
- 2001年、筋肉番付内の1コーナー、筋肉行脚にて秋山和彦と三色筋肉(1分毎に腹筋、背筋、腕立て伏せをする)対決を行った。結果は山田202回。秋山200回で山田の勝利となった。両者200回越えというのは、相当なハイレベルである。後ろでNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのはスポーツマンNo.1決定戦時だと思われる。
- 第17回終了時に、お台場マッスルパークにて10年ぶりの腕立て勝負が行われた。(秋山は同じ回数なのに2度の警告で負けたことを根に持っていたらしい)10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。しかし、両者ともあまり記録には満足していない様子であった。この勝負はサスケマニアにて放送された。
- 第16回前に、大学で山田勝己のためのイベントが開催された。サスケのようなセットや、生徒達を乗せたトラック引きや、綱登りなど。生徒達から沢山の応援の声が届き、山田の心を熱くさせた。
- 第16回大会終了時には引退も考えたが、体感ゲーム「SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦」のイメージキャラクターとなり、参加したイベントで、多くのSASUKEファンからの励ましに触れ、引退を撤回した。
- フジテレビの海筋肉王にも出場している。家族大会には毎回参加しており、好成績を収めたこともある。またVIKINGの予選会では、1分間腕立て伏せ152回の記録を作っている。
- 2006年12月13日。お台場のマッスルパーク報道イベントに、秋山和彦、長野誠と共に参加。