小林源文
小林 源文(こばやし もとふみ、1951年1月28日 - )は、福島県生まれ東京都在住の日本の漫画家(本人曰く「劇画家」)、イラストレーター。海外のライターによるストーリーで劇画(Marvel, Manga Norvel)のPsychonautsシリーズを描いた日本人最初のアーチストとして海外で評価されている。
作風
- 戦争劇画ともいえる作風で、戦争を題材とした作品を描く漫画家としては第一人者と言える。代表作に『黒騎士物語』など。第二次世界大戦を題材とすることが多いが、近代戦や架空戦記的な世界観、あるいは遠未来の戦争や兵士のタイムスリップなどを題材としたミリタリーSF作品も描いている。
- スクリーントーンは使わず、薄墨による独特のタッチを用いている。
- その扱う題材から批判されることもあり、朝日新聞社に『ナチス劇画家』と紹介されたことがある。
- 小林源文の全作品における女性キャラクターの割合は非常に低く女性キャラクターはほとんど登場しないか、あるいは登場しても単なるモブであるが、例外的に主人公の恋人が登場する「装甲擲弾兵」、女性兵士が主人公の作品「士官候補生ハイト」がある。また、近年の「自衛隊特殊部隊オメガ」シリーズでは佐藤3佐に協力するモンゴルの女性将校が登場するなどこれまでの作品の傾向が多少変化しつつある。
- 小林源文作品は手塚治虫のとった「スターシステム」のように同一キャラが身分を変えて他作品にも登場することで有名。代表的なキャラクターとして佐藤大輔、中村正徳がいる。佐藤の現在の基本的な身分は陸上自衛隊3佐、中村は同3曹である。また、佐藤の初登場時の階級は2等陸尉、中村は陸士長であった。その他、『ハッピータイガー』などの原案を手掛けた戦記作家の梅本弘も「梅本」というキャラクターとして作品中に登場している。
- 「レイド・オン・トーキョー」ではアシスタントの中村正徳が描いたと思われる美少女イラストが殺伐とした戦闘シーンの合間に数コマ登場し読者を驚かせる。
経歴その他
川崎工業高校電気科卒業後、夜間専門学校卒。その後、弱電企業に6年、冷凍コンテナの保守点検会社でサービスマンとして10年勤務。その後、専業の劇画家となる。 父親は元憲兵で警察官、母親も日本赤十字の看護婦から福島県警察初代女性警察官という厳格な家庭に育つ。幼少期は「自分の母親が看護婦の白衣も警察官の制服も着ている写真があり、いったい、自分の母親の仕事はなんだろう?」と思ったこともあるという。
劇画家としての本格的な修業は1968年から開始。中西立太によれば小林が高校三年生の時に、中西のアトリエに「松尾君という漫画友達と一緒にあらわれた」とのこと。中西は当時、「ボーイズ・ライフ」という雑誌に矢野徹の小説『宇宙の特攻兵』の挿絵を描いており、小林は中西のような絵を描く方法を教えてもらいに来たという。小林自身は中西の「弟子にはなれなかったが、この出会いが運命を変えた」と語っており、小林は中西を師と仰ぎ、また中西のほうも小林を徒弟として拘束せず遇していた関係が伺える。
その後、中西立太との共著『壮烈!ドイツ機甲軍団』収録の「チタデレ」及び「クリストローゼ」でプロ劇画家デビューをする。「ホビージャパン」誌上で『ハリコフ攻防戦』を手始めに戦記物を月間連載、以後兼業劇画家として活動していたが、「カンプグルッペZbv」連載中にバイクで自損事故を起こして入院。会社を退職し(「いつの間にかクビになっていたが、もともと月に二週間しか出社しておらず、半年前から退職願いを出していた」とのこと)この日より正式に劇画家として活動をはじめた。このときに実質的な小林源文事務所である「スタジオゲルベ」が神奈川県内に創設された。後に義理の息子となる中村正徳も所属していたが現在は活動を停止。なお、中村正徳も一時、漫画家(劇画家)として活動しており小林源文・他著『バトルオーバー北海道』にはソ連軍の若い女性兵士と日本の若い自衛隊員が戦場となった北海道で双方の身分を乗り越えて愛し合うというストーリーの作品が掲載されている。ちなみに中村正徳と師匠である小林源文の画風はほとんど似ていない。
小林は現役の2ちゃんねらーであり、 作者公式サイトの掲示板でも2ちゃんねる内の用語である「w」や変則的な「w!」などを使う。「萌え不要論者」としての資質も顕著であり、関連スレッドにて信者が「萌え」関連の話題を出すと、すぐにそれを「萌えなどいらないと思ってる」と否定するが、最近では毛嫌いしていた「萌え」に理解を示したのか「まりたん集中ドリル」にイラストを提供している。
『キャットシットワン』の「コンバットコミック」での連載を日本出版社の上層部に打診したところ、「先生、こんなの描いたらマンガ家生命が終わりますよ」と言われ憤慨し、同社へ「絶縁宣言」した後、「コンバットマガジン」に移行し同誌で『キャットシットワン』を連載した。また、「2ちゃんねるぷらす」誌上において『キャットシットワン』の番外編を連載していた。(同誌は'04年12月22日発売のVol.11を以って休刊となっている)
小林劇画の台詞
- 登場人物の台詞にも印象的なものが多く、これも小林作品の特徴とされている。
有名なものとして、以下のものがある。
- 『俺のケツをなめろ!』( Leck mich am Arsch ! )- ゲーテの戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」の初稿にある台詞より。主に黒騎士のバウアー中隊長が使う。英語の"Kiss my ass"に相当する言葉。
- 『魔女のバアさん』シリーズ - バアさんとはロシアの言い伝えに登場する魔女・バーバ・ヤガーのこと。
- 『ボケ!』 - 各作品で佐藤大輔が中村正徳を鉄拳で殴りつける時に多用される
- 『ヒイッ!』 - 中村3等陸曹の刹那の叫び。
- 『いつか殺してやる』 - 同、中村の佐藤に対する殺意のこもった独り言。しかし佐藤が死ぬシーンがあるのは「ハッピータイガー」のみであり、しかも「ビルマで死んだはず」なのに「東亜総統特務隊」でちゃっかり復活している。(実際は時期が前後しているのだが)
- 『教育してやる』- いい気になっている敵を戒めるように叩きのめす前の言葉で、ドイツ戦車兵の台詞によく使われる。パウル・カレル著「彼らは来た」におけるミヒャエル・ヴィットマンとバルタザール・ヴォルの「やつら、もう勝ったつもりでいるようですね」「らしいな、では教育してやるか」が原点。
作品リスト
劇画
- 黒騎士物語(黒騎士)
- 黒騎士物語外伝
- パンツァーフォー!
- 街道上の怪物
- 装甲擲弾兵
- 狼の砲声
- 鋼鉄の死神
- カンプグルッペZbv
- 炎の騎士
- ハッピータイガー
- 東亜総統特務隊
- タイムトルーパー
- オメガシリーズ
- オメガ7―自衛隊特殊部隊、オメガJ―Omega force Japan など
- Cat Shit One
- 第2次朝鮮戦争 ユギオII
- RAID ON TOKYO(新装版ではTOKYO WARSと改名)
- バトルオーバー北海道
- 歴史群像シリーズ
他にも日本出版社のボムコミックスシリーズのアンソロジー集の中に作品が多数収録されている[1]
ゲーム関連
- 機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で…(キャラクターデザイン)
- Panzer Front bis. コンストラクション機能サンプルゲームの1943年秋 オクチャブリスキの監修
- 女神転生オンラインコミック
- 黒騎士物語Black Knights(1987年に雑誌「シミュレイター」の付録として発表されたシミュレーション・ゲーム。デザインは「シミュレイター」編集部=鈴木銀一郎)
その他の作品
- 防衛庁の依頼で「未来の自衛官(タクティカルベスト+暗視ゴーグル)」
予想イラスト
- 陸上自衛隊マスコットキャラデザイン
- 筋肉少女帯のアルバム「最後の聖戦」の表紙および中のイラスト
- メディコム「日本警察特殊急襲部隊SAT」付録コミック
- ホビージャパン「まりたん集中ドリル2ねんせい」イラスト
その他
- 作者の知人をモデルとしたキャラクターが作中に多数出演することで有名で、特に佐藤大輔(作家の佐藤大輔がモデルと言われている)と中村正徳(作者の元アシスタントがモデル。後に小林源文氏の娘と結婚し義理の息子になった)はファンの間で小林源文作品の顔とまで言われるほど有名。
- 匿名掲示板2ちゃんねるに一等自営業 ◆JYO8gZHKO.というハンドルネームで積極的な書込みを行っていることでも知られる。
- あるテレビゲームの製作発表直後に、極秘であったはずの仕事の受注を飼い猫が日記で、本人が軍事板で漏洩してしまい、話自体が流れた模様。本人によると関係者に対して資料用として貸し出したと思われる電動ガン二丁が返却されていない模様。
- 過去に自分で金を出して買って読んだマンガは高橋留美子の『うる星やつら』しかないとネットで告白した。掲示板2ちゃんねるの自身の関係スレではファンらが源文作品に関して「萌え」ネタを投稿すると小林源文はそれに対し「萌えなんかいらない」と激しく拒絶及び無視する「萌え」不要論者であることも知られる。
- 深夜に路上でエアガンで狙撃されたことがあり、「エアガン廃止署名ができたら真っ先に署名するぞ」と発言していたが現在では、自身でカスタムした電動ガンで御殿場で開催されるサバイバルゲームに多数参加するなどエアガン、サバゲーフリークでも知られる。
- 赤いセラに乗っていた。
- 「キャットシットワン」の元ネタは「幸福物語」であり小林が「勝手に使うな」と念押ししていたのにもかかわらずアシスタントの中村正徳が同人誌にそれを使ってしまい、怒った小林源文が「中村プロマンガ家育成計画」をストップさせた。なお、「キャットシットワン」は元は「ドッグシットワン(犬のクソ野郎)」でありウェストポイントの下級生の隠語であり、それが転じて「キャットシットワン」になった。
- 昨今、一部ネットコミュニティで話題になっている「自衛隊員が身分を隠してベトナム戦争に参加していたのではないか」という議論に関して小林源文はそれを裏付けるように「自衛隊員のナム戦参加は防衛庁関係者から実際に聞いた話」としてそれを真実づけている。
- 公式サイト名の「GENBUN-WORLD」の由来は、よく「源文」を「げんぶん」と読み間違えられる事から。
イラストレーターとしてのこだわり
師匠である中西立太に「漫画家も良いが、一枚絵も描けなくては駄目だ。これからは皆、どんどん絵が下手になっていく。今しっかり絵を勉強しておけば、将来それが希少価値になる」と言われて修行を開始したことから、一枚絵に対する強いこだわりを持つ。
1987年に「シミュレイター」誌に掲載された漫画「小林源文の「俺のケツをなめろ!」」では、以下のようなセリフを吐いている。
「エッ何!君がイラストレーターだって。笑わせるじゃないか。ただのマンガ。カットしか描けんでさ。イラストってのは一枚絵のことを言うんだ。マンガじゃない。絵だ! 線画とペン画は違うぞ。同じに見えるのは勉強が足りない。畠山君にもいっている。君はまだカットライターだとな。(中略)ちゃんとした絵が描けて始めてイラストレーターなんだ。マンガと絵は違うぞ。その区別もつかんでプロになろうなんて不道徳のきわみだ。ギャラを取る資格は無い。もしプロを目指すなら来たまえ。教育してやろう。」
本人のウェブサイトでも、一枚絵の描けるイラストレーター育成の重要性を熱心に訴えている。
偽小林源文事件
1980年代前半に発生した「小林源文」を名乗る人物が起こした事件。当時タミヤニュースの読書投稿欄「声」ではシェパード・ペイン派とフランソワ・バーリンデン派のモデラーの間で激しい論争が繰り返されていた。その投稿者に「小林源文」を名乗る者から仙台中央郵便局の消印がある脅迫状が次々と送りつけられるという事件が発生した。当時は投稿者の氏名と住所が番地まで掲載されており、タミヤ模型では事件を受けて投稿者の住所を市町村名までしか掲載しなくなった。しかし、偽「小林源文」は電話帳等で同じ市町村の同姓の家を調べ、脅迫状を送りつけてきために、投稿者の住所は都道府県名までしか掲載されなくなった。事件は飛び火し、小林源文が連載を担当していたホビージャパン誌、モデルグラフィックス誌などの投稿者、出版社、小林源文本人にも及んだ。さらに脅迫状だけでなく、投稿者や小林の名前で勝手に通信販売に申し込むなどの行為に及んだ。
偽手紙の筆跡などから犯人は以前より小林に対して抗議を繰り返していた人物と思われ、小林は彼の名前をあげて警察に相談したが「プライベートな事」として全く取り合ってもらえなかったという。事件は朝日新聞が赤報隊事件を契機に言論に対する暴力をテーマにした特集記事で紹介され、世間に広く知られるようになった。そしてその直後、脅迫文が宮内庁や首相官邸にも差し出された事で警察がやっと重い腰をあげ、偽「小林源文」が逮捕され、事件は収まった。犯人は予想通りの人物で彼は仙台市在住の軍事マニアで小林源文のファンでもあった。
事件の社会的影響は大きく、それまで雑誌読書投稿欄で、投稿者の住所が公開されるのは一般的だったが、以降非公開が原則となった。また、小林源文とホビー・ジャパン社との関係がギクシャクしたのもこの事件が原因だと言われているが、小林は「全然違うよ。HJの社長が交代したので話しましょう。HJで最初に『黒騎士物語』大判の本が出たんだ、印税は5%。これは完売した。その後に日本出版で単行本(他社での出版の連絡は当時のHJ編集長に二回伝えた)を出した。これは印税10%だった。出版界では同じタイトルでも版形が違えば出版出来るんだ。当時のHJ社長はこれが気に入らないので、俺に弁護士に訴状を作らせて送らせたんだよ。この社長は正当性に関係なく商売敵に訴状を送って黙らせる手法で、裁判闘争はかなりやってましたね。・・・ミニカーとHOゲージの薄い本から初めて、一代で会社を築いた経営者なんで大したもんだと俺は思うね。・・・俺は著作権専門の弁護士を同行して社長に、著作権は作家そのものにあると証明して頂いて一件落着したんだ。著作権は出版社にあると間違ってる出版社はまだまだあるよ。」と語っている。
関連サイト
- ^ 「小林源文 劇画作品リスト」、小林源文 劇画作品リスト