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ノート:項羽

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これはこのページの過去の版です。岡崎結依 (会話 | 投稿記録) による 2007年8月4日 (土) 08:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

垓下の戦い劉邦側の兵士数は、ひょっとして韓信の項目からのパクリですか?故意なのか、偶然なのか、「60万とも100万とも言われる」と書かれていますけど…。時期的には、韓信の項目の方が早くに書かれているのですが…。

初版を書いた者ですが、書かれてあるページを参考にした事はありません。そちらのページがWIKIから文章を持って行ったと思われます。ちなみに「60万とも100万とも言われる」というのは韓信から持ってきました。らりた 14:28 2004年3月15日 (UTC)

申し訳ありません。私も執筆者がらりたさんであることに気付いて、相手サイトの方が更新が後ではないかと更新履歴などを探していました。結局更新履歴などは見つからなかったのですが、あちらのページは他にも転載が散見されますので客観的に見てもあちらがウィキペディアの文章を持っていったように見えます。私の早とちりでした。すみません。Tsk 14:48 2004年3月15日 (UTC)
202.254.199.33さん、ウィキペディア内ページ間でパクリ等の表現をされるのは穏やかではありませんね(^^;
らりたさん、Tskさん、「書かれてあるページ」「相手サイト」とは、どこのことでしょうか? 参考までに教えていただけますと幸いです。
- Gombe 10:42 2004年3月31日 (UTC)
[1]の版に書かれているページです。らりた 12:59 2004年3月31日 (UTC)
なるほど、202.254.199.33さんが外部サイトを何かご指摘だったわけではないのですね。了解しました。
そのサイトを私も見てみましたが、「いろんな資料を集めてきてクイズの解説に使っている」という風に見受けられるので、情報の方向性は確かにウィキからこのサイトへと出ていったと見るのが普通だと思います。
あと、202.254.199.33さんは「相手サイト」とは韓信のことだと思ってしまわれたようですね。 - Gombe 17:56 2004年3月31日 (UTC)

文章中の「」部分の訳が気になります。

『史記』の記述と離れている点が少々あり、史料に近いように訳しました。

漢文はあった方が良いような気がするのですが・・・。

漢文は自分で訳したので、読み方が間違っている可能性があるので、 載せて欲しいのですが、もどしても構いませんか?

たとえば、載初の項羽の兵学についての所は読み手によって、二つの解釈ができますし、此処に都を構えましょうという所も、漢文と訳ではどうしてもギャップが生じます。

正確に伝える為には2カ国語でも仕方がないとおもうのですが、どうでしょう。

垓下での兵士数について

以下史記の記述です。 史記/本紀/卷八 高祖本紀第八 五年,高祖與諸侯兵共擊楚軍,與項羽決勝垓下.淮陰侯將三十萬自當之,孔將軍居左,費將軍居右,皇帝在後,絳侯、柴將軍在皇帝後.項羽之卒可十萬.淮陰先合,不利,卻.孔將軍、費將軍縱,楚兵不利,淮陰侯復乘之,大敗垓下.

垓下での兵士数で史記に記されるのは此のみですので、淮陰侯・韓信の兵士数が30万、対する項羽の軍が10万の情報のみ今に伝わっています。韓信が30万なら全体で60-100と推測するできますが、ここではなにも書かない方が良いかもしれません。2007/2/1

項羽と項籍

初めに項籍で記事を立てたのは私ですが、やはり記事名は項羽の方が良いですかね?ちょっと待って反対が無いなら実行しますね。らりた 2007年5月26日 (土) 13:37 (UTC)[返信]

相方の劉邦は姓名で書かれているので、項籍に一票を入れたいと思います。もしくは、今でも転送になっていますが、転送画面を作って「項籍の条をみよ」にしては如何でしょう? Hamyuhamyu 5/29

記事「蒋介石」は「蒋中正」ではなく「蒋介石」となっていますからね。--経済準学士 2007年5月28日 (月) 16:17 (UTC)[返信]

項籍に一票を入れたいと思います。記事中では項羽で統一されていますので十分に分かりやすいですし、最初読んだとき項籍が本当の名前だというのは新鮮な発見でした。Kuro-hato 2007年5月28日 (月) 17:41 (UTC)[返信]

Kuro-hatoさんに同意です。諸葛孔明も諸葛亮ですし。項籍の現在の冒頭の部分の説明はわかりやすくなっており現状のままでも十分わかりやすいと思います。--Tiyoringo 2007年5月28日 (月) 21:21 (UTC)[返信]

ちょっと調べてみました。正史(史記・三国志など)の中で本紀や列伝の題名として記されている人物は、なるべく題名の名前で記すのが百科事典のルールみたいです。 そうすると、項籍は項羽本紀になっているので「項羽」に改名したほうが良いかもしれません。よって、劉邦も他の辞典では「高祖(漢)」で記してあります=高祖本紀があるため。(参照・ブリタニカ百科事典、平凡社など) 諸葛亮は『三國志』に蜀書五/諸葛亮で記されているので、諸葛亮になっているみたいです。 ここらへんは伝統になる見たいですね・・・。 Hamyuhamyu 5/30 10:47

本家の中国語版ではzh:项羽zh:刘邦(=劉邦)ですね、検索をかけてくる人はほとんどが項羽だろうと考えると、移動したほうがちょっといいかな、という気はします。なお諸葛亮はHamyuhamyuさんご指摘のように史書では諸葛亮ですし、また漢文学について触れるときには諸葛亮と紹介されるように思います。--Aphaia 2007年5月30日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
ノート:李淵にて、開祖は本名を記事名にしようということになりました。もちろんこのノートだけで話し合われたことですので強制力がある訳ではないですが、「劉邦」と「高祖 (漢)」であればやはり劉邦の方がよく使われていると思うので、劉邦は劉邦で良いのではないでしょうか。諸葛亮も諸葛孔明も両方とも良く使われる表記ですので、どちらを選ぶかといえば姓+諱だろうと思います。ただ項羽と項籍の場合は項羽が圧倒的に使われる表記だろうなと思ったので、変えたほうが良いかなと思ったのですが。項籍で良いと言われる方もいるので無理に変えなくても良いかなとも思います。らりた 2007年5月30日 (水) 09:13 (UTC)[返信]

一般的に性、字(項羽)で良く聞きます。しかし性、名と表記するのが一般的な気がするのでこのままでいいのではないでしょうか。本文では性、字が使われている様なので知らない方も直ぐに理解できると思いますし。個人的には本文も項籍で統一したい位です。

項籍に一票。性名で表記するのが一般的ですし。ちなみに、コーエーの「三国志11」に登場した時は項籍と表記されていました。--おっとー 2007年6月20日 (水) 17:11 (UTC)[返信]

原則に従えば項籍なのでそちらの方が妥当とも思われますが、定義には「項羽」と呼ばれるのが一般的であることを明記すべきだと思われます。なお、コーエーの解説は(個人的意見としてですが)史料検証が相当甘いと思われる記載(基礎的な史料に当たらないで書かれた記述など)を「信長の野望」関係でいくつも見かけているので信憑性については余り重きを置かない方がいいと思います。--水野白楓 2007年6月25日 (月) 15:26 (UTC)[返信]

一般に知られている程度以上の知識を持たない者です。調べ物の過程で立ち寄りました。個人的な感想ですが、項目名が「項籍」なのに、本文中では「項羽」に統一というのは「百科事典としてちょっとまずいのでは?」と思いました。なぜそのようなダブルスタンダードが起きているのか、このノートを見るまで理解できず混乱してしまったからです。項目名を項籍とするのであれば、本文中も統一した上で「日本では項羽の名で広く知られる」等の但し書きを添える形にしたほうが良いのではないでしょうか?現状のままだと徒に混乱を誘っており、「調べ物の役に立つ」という百科事典の理念から、遠くなってしまっていると思います。 (記事名自体はどちらでも可と思いますので投票は行いません)--竹速 2007年7月8日 (日) 18:56 (UTC)[返信]

私は「項羽」の方がいいと思います。Hamyuhamyuさんと同じく、色々と百科事典を調べてみたのですが、 ほとんどのものが、「項羽、名は籍」となっています。 やっぱり、ここは皆が知っている方の「項羽」にした方がいい、と思います。 岡崎結依 2007年8月4日 5時55分

>本文中を羽に統一することに対して。 史記の本文では、籍と羽を逸話によって使い分けています。 このさい、エピソードによって使い分けるのは如何でしょう? 司馬遷が使い分けているのにはなにかしら意図があるんじゃないかなぁ? なんておもったりもします。