ナッシュビル・プレデターズ
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ナッシュビル・プレデターズ | |
カンファレンス | {{{カンファレンス}}} |
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創設年 | {{{創設年度}}} |
歴代チーム名 | {{{チーム名の遍歴}}} |
ホームアリーナ | ソメット・センター(Sommet Center) |
ホームタウン | テネシー州ナッシュビル |
チームカラー | 青、金 |
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GM | {{{ゼネラルマネージャー}}} |
ヘッドコーチ | {{{ヘッドコーチ}}} |
キャプテン | {{{キャプテン}}} |
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ナッシュビル・プレデターズ(Nashville Predators)はアメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルを本拠としている北米プロアイスホッケーリーグ (National Hockey League 略 NHL)チームである。
過去在籍した・現在在籍している主な選手
- セルゲイ・クリボクラソブ(Sergei Krivokrasov、以後Krivokrasov)…1年目の成功は彼あってのものだったが、翌年トレードされている。
- ドレイク・ベレハウスキー(Drake Berehowsky,以後Berehowsky)…ガタイのいいディフェンスマンだが、2000-2001年トレード締切間際にトレードされた。
- ロブ・バリセビック(Rob Valicevic, 以後Valicevic)…チーム史上初のハットトリックを成し遂げた。2000-2001年オフにフリーエージェントで移籍。
- クリフ・ロニング(Cliff Ronning, 以後Ronning)…チーム発足以降3年連続得点王。2001-2002年トレード締切間際に放出された。
- トム・フィッツジェラルド(キャプテン)(Tom Fitzgerald, 以後Fitzgerald)…チーム発足時のキャプテン。2002年3月のトレードまでキャプテンだった。
- マイク・ダンハム(Mike Dunham,以後Dunham)…初代守護神で、2000-2001年度の大躍進に貢献したが、2002-2003は大不振でトレードされた。
- ビル・ホウダー(Bill Houlder,以後Houlder)…1年目に自由契約で加入した経験豊富なディフェンスマンで、2002-2003年にプレデターズで引退した。
- カーリス・スクラスティンス(Karlis Skrastins, 以後Skrastins)…1年目ドラフト下位指名ながら這い上がってきた。2003-2004年前にトレードされたが、トレード先でものすごい記録(ディフェンスマンとしての連続試合出場記録更新)を成し遂げた。
- グレッグ・ジョンソン(Greg Johnson、以後Johnson)…2代目キャプテンで、2006年オフにフリーエージェントで移籍したがキャンプ前の診断に引っかかり引退した。
- スコット・ウォーカー(Scott Walker,以後Walker)…2003年1月にJohnson離脱時のキャプテン代行を務めた、人気者。2006年にトレードされた。
- トーマス・ヴォークーン(Tomas Vokoun,以後Vokoun)…Dunhamのバックアップとして、2003年以降は守護神として、チームを常勝チームにしたが2007年にトレードされた。
- キーモー・ティモネン(Kimmo Timonen,以後Timoen)…リーグ屈指のオフェンシブディフェンスマンとして鳴らしたて、2006-2007年はキャプテンも勤めたが、2007年にトレードされた。
- デイビッド・レグワンド(David Legwand,以後Legwand)…延長戦開始後6秒で決勝ゴールという最速記録を持つ。また、チーム発足時以来在籍していて、また彼はチーム初のドラフト指名選手でもある。
- ケイル・ハルス(Cale Hulse,以後Hulse)…ガタイのいいディフェンスマンで、ちょうどBerehowskyの穴埋めとなったが2003年に移籍した。
- マーティン・イーラット(Martin Erat,以後Erat)…1999年ドラフト下位指名から這い上がってきた選手。
歴史・チームについて
- チーム名は、ナッシュビルでアムサウス・センターの建設工事中、1万年前に絶滅したと言われるセイバーツースタイガーの牙(サーベルタイガー (Smilodon))と、脚の骨が発掘されたことにちなむ。
- 地元のファンは「Preds」(プレッズ)と呼んでいる。
- チームマスコットは「Gnash」「ングナッシュ」と「ング」のところにアクセントを付けるのが正しい発音方法。カタカナ読みなら「ガナッシュ」。
- パワー・プレイになると場内アナウンスで「ザ、プレデターズ アー、オ~ン・ザ・パワープレー!」とコールされ、プレデターズファンも一緒に「オ~ン・ザ・パワープレー!」を合唱する。
- ナッシュビルは Music city と呼ばれているように、各ピリオド間にはバンドの生演奏も行われる。
- 初試合は1998年10月10日にホームで行われた対フロリダ・パンサーズ戦で0対1で敗れた。
- チーム発足以降、弱かったチームの中でもゴールテンダー(サッカーで言うゴールキーパー)のレベルは高く、初代守護神:マイク・ダンハム(Mike Dunham、以後Dunham、2002年12月にトレード)、2代目守護神:トーマス・ヴォークーン(Tomas Vokoun、以後Vokoun、2007年6月にトレード)のコンビはリーグ屈指のものだった。
- また、チーム発足時から在籍している選手は、Timonen、Vokounの放出で、Legwandのみとなってしまった。また、ゼネラル・マネージャー(General Manager、GM)のデイビッド・ポイル(David Poile)や、ヘッドコーチのバリー・トロッツ(Barry Trotz、以後Trotz)などはチーム発足時からこの役職である。
かつてのキャプテンたち・次期キャプテン候補
- 初代キャプテンは、チームが発足した1998年にフリーエージェントで加入したトム・フィッツジェラルド(Tom Fitzgerald,以後Fitzgerald)で、2002年の3月にトレードされている。また彼は2006年に地元のボストン・ブルーインズの一員として引退した。任期は1998-2002年
- 2代目キャプテンは、チーム発足の1998年に、エキスパンション・ドラフト(新しい数チームを除く26チームから一人ずつ選手を指名して、チームを構成するドラフト)で指名されたグレッグ・ジョンソン(Greg Johnson,以後Johnson)で、2006年にデトロイト・レッドウィングスと契約したがシーズン前に体に異常が見つかり引退を余儀なくされた。任期は2002-2006年。
- 3代目キャプテンは、エキスパンション・ドラフトで、某選手指名回避のためにロサンゼルス・キングスからトレードされたキーモー・ティモネン(Kimmo Timoen,以後Timonen)であったが、2006-2007シーズン限りでフィラデルフィア・フライヤーズにトレードされた。
- 2007-2008シーズン以降の4代目キャプテンはまだ決まっておらず、昨年キャプテン補佐を勤めたスティーブ・サリバン(Steve Sullivan、以後Sullivan)と、Sullivan戦線離脱時のキャプテン補佐代行を務めたジェーソン・アーノット(Jason Arnott、以後Arnott)のどちらかが有力視されている。また、Sullivanは3ヶ月離脱するのが濃厚で、ひょっとしたらArnottかもしれない、という意見が多い。
- 9月10日のトレーニングキャンプ開始の少し前に、結局Arnottがキャプテンに就任するという発表がなされた。Sullivanと、2006-2007年に獲得したショーン・ピエール・ドゥーモント(Jean-Pierre Dumont、以後Dumont)の二人がキャプテン補佐となる。
プレデターズシーズンレキャップ
- 1998-1999 参戦一年目。新チームの1年目の成績としてはNHL歴代3位に入る28勝をあげる。また、Vokounが拡張ドラフトでの期待を覆して2番手ゴーリーに定着。このときは、数年後2代目キャプテンになるJohnsonや、一時的にJohnsonと同チームに所属していたセルゲイ・クリボクラソブ(Sergei Krivokrasov、以後Krivokrasov)の活躍なくしてはこの成績はなかったと思われる。また、ありがたかったのは10月にほぼ無償で、得点屋;クリフ・ロニング(Cliff Ronning、以後Ronning)をフェニックス・コヨーテズから、自由契約で経験豊富なディフェンスマン;ビル・ホウダー(Bill Houlder、以後Houlder)をタンパベイ・ライトニング獲得できた。
- 1999-2000 参戦二年目は、昨年度の28勝に貢献したベテランらを放出して、若手主体のチームとしてまたも28勝をあげた。また、トレードデッドライン(トレード締め切り)間際に、不振だったKrivokrasovを放出、当時チームに足りなかった「ガタイで守れる」ディフェンスマン、ケール・ハルス(Cale Hulse、以後Hulse)を獲得した。
- 2000-2001 この年は日本で開幕。さいたまスーパーアリーナでピッツバーグ・ペンギンスと2試合を行った。参戦三年目にして、スコット・ウォーカー(Scott Walker,以後Walker)が大ブレイク。彼がチームを引っ張る25ゴールを記録した。また、1998年以来正ゴーリーを務めていたDunhamが21勝21敗、ゴール阻止率リーグ2位の92.3%をマークし、絶対的な守護神となった。WalkerやDunhamの活躍でチームは34勝36敗と善戦、80ポイントを獲得、西部カンファレンス10位につけた。
- 2001-2002 シーズン中に3rd Jerseyをデビューさせる。黄色地のユニフォームに3Dのチームロゴが入る、といった感じのジャージーである。ちなみに現在も使用中。また、この年、チーム拡張以来スコアラーとしてチームを引っ張ってきた大ベテラン、Ronningをロサンゼルス・キングスに放出する(見返り:ディフェンスマン、ジャー・カハラティ(Jere Kaharati、以後Kaharati)・2002年度ドラフト4順目指名権)。しかし前述の見返りの選手、Kaharatiが薬物問題を起こしてしまう。また、キャプテンでもあったFitzgeraldをほぼ同時に放出した。 シーズンにおいては、Walkerが怪我で20試合台出場にとどまり、大不振。Dunhamは何とか23勝24敗と善戦したものの、Vokounが5勝14敗と大不振。そのせいで成績がまた28勝に戻る。しかし、マーティン・イーラット(Martin Erat、以後Erat)、デニス・アルキンポフ(Denis Arhkipov、以後Arhkipov)、(その年フリーエージェントで獲得した)ブラディミア・オスザー(Vladimir Orszagh、以後Orszagh)の「ヴォウェル・ライン(Vowel Line)」は翌年に向けての光明であり、特にArhkipovはチームを引っ張り20ゴールを決めた。
- 2002-2003 12月にDunhamが怪我などをきっかけにトレードされた(見返りは後述のZidlicky含む3人)。しかし、この中に将来レギュラーを獲得し、プレデターズを支えていくことになるディフェンスマン、マレク・ジドリツキー(Marek Zidlicky、以後Zidlicky)を獲得していた。ここから、正ゴーリーがVokounに変わる。ちなみにこの年、終盤までプレーオフ圏内にいたものの、3月前後に、ゴール+アシストのポイントにおいてチームを引っ張っていたLegwandが鎖骨を骨折、以後Vokounの奮闘もむなしく、プレーオフ進出を逃す。また28勝にとどまった。しかし、前述のVowel Lineが大不振。特にEratの不振は予想外であった。
- 2003年オフ・・・ブロックショットを武器に活躍していて、この後全国的に有名になる(ディフェンスマンとしての連続試合出場記録を更新した)選手、カーリス・スクラスティンス(Karlis Skrastins)をコロラド・アバランチに放出した。また、前述のHulseなどは、FAでフェニックス・コヨーテズへ移籍、Houlderは引退・・・とかなり選手、特にディフェンスマンの面子を入れ替えた。
- 2003-2004 このシーズンから、白ベースのジャージーがアウェー用、(プレデターズの場合は)青いジャージがホーム用になった。またシーズンではTrotzヘッドコーチのもと、当時チーム記録となる91ポイントを上げ西部カンファレンス第8シードでプレーオフ初参加。しかし、第1ラウンドで優勝候補の呼び声が高い第1シードのデトロイト・レッドウイングスといきなり対戦し、第6戦で敗退する。結果はともかく、ホームゲームの2試合に勝利を収めた。Vowel Lineはなんとかカムバック。
- 2004-2005 ロックアウトにより全試合中止
- 2005-2006 49勝25敗8延長負 ロックアウト後、ルールが変更されただけでなく、大スターのKariyaを獲得。彼は現在もチーム記録の31ゴール(Sullivanも同数をマーク)、54アシスト、85ポイントをマークした。この新ルールに恩恵を受けてか、プレデターズはホームアドバンテージを持つ第4シードに食い込む。また、当時チーム記録の106ポイントをあげた。しかしプレーオフで、サンノゼ・シャークスを相手に第1戦で勝利を収めるものの、その後4連敗。結局2003-2004年度以来2年連続で1回戦敗退となってしまった。前述のVowel Lineは完全崩壊。Orszaghはセントルイス・ブルースへ、Arhkipovはロックアウト中に契約したチームでプレイした。しかし残ったEratは3月にシュートアウトでゴールを決めてデトロイトでの2試合に全勝するそれに貢献した。これの数日前、いまだにチーム記録でもある「一夜で9ゴール」をきめた。さらに2000年代初のドラフト指名選手、スコット・ハートネル(Scott Hartnell、以後Hartnell)が自身初のハットトリックを達成するなど、ファンにとっては思い出深い1年となった。
- 2006年オフ 7月1日のFA解禁で、シーズン中にトレードで獲得した、マイク・シリンジャー(Mike Sillinger)、ブレンダン・ウィット(Brendan Witt)を失うだけでなく、21世紀に入って以降ディフェンス人の一角でがんばっていたマーク・イートン(Mark Eaton)まで失う。8月には(前述のFitzgeraldトレード以降)2代目キャプテンを務めていたJohnsonまで失う(ところが、Johnsonはデトロイト・レッドウィングスのキャンプ前のフィジカルチェックに引っかかり、引退を余儀なくされた)。Johnsonらセンターを失ったプレデターズは、2003-2004に復活したものの2005-2006シーズンに怪我をし、彼ぬきでもプレーオフに進出できたせいか、プレデターズのファンからも、かつて在籍していたバンクーバー・カナックスのファンからも人気のあるWalkerを放出し、カロライナ・ハリケーンズからジョセフ・ヴァシチェック(Josef Vacicek)を獲得した。
- 2006-2007 トレード期限寸前に、リーグを代表するセンターであるピーター・フォースバーグ(以後Forsberg)(Peter Forsberg)を大型トレード(過去のドラフト1順目獲得選手2名、2007年度のドラフトにおける1巡目・3巡目の指名権との交換)で獲得した。この年、正ゴーリーVokounが一時的に戦線離脱。しかしながらVokounは、戦線離脱した穴を埋めたクリス・メイソン(Chris Mason:以後Mason)とともにチームの個人記録では過去最高の5完封を決める。さらに、ルーキーとしてはチーム最高記録となるポイントをアレキサンダー・ラデュロブ(Alexander Radulov)が、ディフェンスとしては最高のポイントを当時キャプテンのTimonenがあげる。また、Forsberg効果などもあってか1ヶ月近い間、30チーム中1位の成績を維持し、その後もリーグ1位、プレジデンツトロフィー(大統領賞)も視野に入っていたのだが、終盤に失速。各ディビジョンの1位がシードされるせいで、NHL全体でも、カンファレンス全体でも3位だったところ、4位に。そのせいで、去年に引き続き、サンノゼ・シャークスと対戦することになってしまった。第1戦を落とし、第2戦を手にしたものの、その後3連敗して3年連続の1回戦敗退になってしまった。
- 2007年オフ Forsbergを獲得する際に放出した、ドラフト一巡目(全体23位)指名権を再度獲得するために、キャプテンであるTimonenとまだ25歳であったHartnellを放出してしまう。総合的にいえば、Forsbergとマット・エリソン(Matt Ellison)が来て、ドラフト3巡目指名権(全体83位)と、Timonen(参考:1993年度ドラフト全体220位指名)、Hartnell(2000年ドラフト全体6位指名)、スコッティー・アップシャル(Scottie Upshall/2001年度ドラフト全体7位指名)、ライアン・ペアレント(Ryan Parent/2005年度ドラフト全体18位指名)がいなくなったわけである。また、ドラフト当日(6月23日)に、2代目守護神として、チームを常勝チームにまで押し上げたVokounをドラフト指名権3つとトレード。来年からの守護神はMasonの可能性が高い。どちらのトレードも格安に近いと思われる。
- 2007年オフその2 また、前述のとおり7月1日のFA解禁でチームの主軸であったKariyaまで失ったが、翌日・7月2日にアトランタ・スラッシャーズから実績十分のディフェンスマン、グレッグ・デ・ヴリース(Greg de Vries)、モントリオール・カナディアンズから1994年の全体3位指名の選手、ラデック・ボンク(Radek Bonk)を獲得した。その後も着々と補強をして、8月にはマーティン・ゲッティアス(Martin Gettias)を獲得した。これでフィラデルフィアに移籍したTimonen,Hartnellの穴が埋められると思われる。
- 2007年度オフその3 10年間、主に変化したのは、メーカーと右肩のサブロゴだけだったジャージをとうとう変えてしまう。これはリーボック社の最新テクノロジーを駆使した新しいジャージを発表する。また、後述のファンラリーでこの新ジャージーを発表した。
2008年以降のプレデターズ移転説
- プレデターズの旧オーナーであるクレイグ・レポイド(Craig Lepoid)がカナダ人のビジネスマンにチームを譲渡することが決定した。また、この新オーナーがカナダのケベック州・ハミルトンへの移転を考えている。 しかし、本拠地である「ソメット・センター」との契約で、2009年まで本拠地移転はできないのだが、2007-2008年度の1試合平均入場者数が14000人を超えない場合、その契約を破棄することができ、その翌年以降にハミルトンへの移転の可能性が高いようだ。また、ハミルトン以外への移転説も考えられる。たとえば、カンザスシティなど。これの対策として、ナッシュビル周辺の企業家たちが名乗りを上げてプレデターズ買収に乗り出している。また、7月20日には移転反対の「ファンラリー」が開かれた。しかし、8月に入り、レポイド氏はカナダ人ビジネスマンではなく、移転反対のため、チーム買収に名乗りを上げたナッシュビル周辺の企業家集団にチームを売却することを決定し、チームの移転説は完全になくなった。
プレーオフ戦績
Stanley cup Chanpions(スタンレーカップ優勝)
Stanley cup Finals(決勝)敗退
Conference Finals(準決勝)敗退
Conference Semifinals(準々決勝)敗退
Conference quaterfinals(1回戦)敗退
- 2003-2004年度シーズン(vs.Red Wings)
- 2005-2006,2006-2007年度シーズン(vs.Sharks)
戦績
注: GP = 試合数, W = 勝, L = 敗, T = 引き分け(2005-2006年以降廃止), OTL = 延長敗, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点, PIM = 反則時間(分)
シーズン | GP | W | L | T | OTL | Pts | GF | GA | PIM | 順位 | Playoffs |
1998-99 | 82 | 28 | 47 | 7 | — | 63 | 190 | 261 | 1420 | 4位, Central | |
1999-00 | 82 | 28 | 40 | 7 | 7 | 70 | 199 | 240 | 946 | 4位, Central | |
2000-01 | 82 | 34 | 36 | 9 | 3 | 80 | 186 | 200 | 944 | 3位, Central | |
2001-02 | 82 | 28 | 41 | 13 | 0 | 69 | 196 | 230 | 1071 | 4位, Central | |
2002-03 | 82 | 27 | 35 | 13 | 7 | 74 | 183 | 206 | 969 | 4位, Central | |
2003-04 | 82 | 38 | 29 | 11 | 4 | 91 | 216 | 217 | 1360 | 3位, Central | 1回戦敗退 |
2004-051 | — | — | — | — | — | — | — | — | — | — | — |
2005-062 | 82 | 49 | 25 | — | 8 | 106 | 259 | 227 | 1489 | 2位, Central | 1回戦敗退 |
2006-07 | 82 | 51 | 23 | — | 8 | 110 | 272 | 212 | 2位, Central | 1回戦敗退 | |
Totals | 656 | 283 | 276 | 60 | 37 | 663 | 1701 | 1793 | 9346 | — | — |
- 1 ストにより全試合中止。
- 2 延長敗の勝ち点1を含む。