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大分麦焼酎

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大分麦焼酎(おおいたむぎじょうちゅう)は、大分県酒造組合の地域団体商標。原料がこうじを含めて麦100%で、大分県で瓶詰・出荷される麦焼酎に使用できる商標である。

歴史

戦前

大分県では、江戸時代に「粕取焼酎」が製造されていたが、これは清酒粕を発酵させたものにもみ殻を混ぜ、セイロで蒸してアルコール分を抽出したものであった。明治時代の中頃になると、製造技術の進歩にともない、白糠や穀物を原料とした焼酎が製造されるようになった。

麦焼酎の開発とブーム

1951年に麦の統制が撤廃されると、麦こうじの開発が始められた。そして、米こうじが一般的であったなか、1973年に主原料が大麦で、こうじも麦こうじの麦100%の焼酎が二階堂酒造から発売された。

当時は、甲類芋焼酎が主流であったが、二階堂酒造および三和酒類がイオン交換濾過法と減圧蒸留の技術を駆使して消費者に受け入れられやすい麦焼酎の開発に注力した結果、大分の麦焼酎は徐々に日本中で知られるようになり、平松守彦前大分県知事が提唱した一村一品運動とも連動して、日本全国でブームが巻き起った。大分県の単式蒸留焼酎(焼酎乙類)課税移出量は都道府県別で日本一となり、三和酒類は焼酎乙類の課税移出量で日本一のメーカーとなっている[1]

現状

2003年頃からの本格焼酎ブームにおいては、芋焼酎を中心に材料や製法にこだわった焼酎が人気を集めたが、イオン交換濾過法や減圧蒸留を用いた大手の製品が中心の大分麦焼酎が大きく注目を集めることはなかった。近年では、小規模な大分麦焼酎のメーカーには、常圧蒸留・無濾過の商品を出すところも増えてきており、大分麦焼酎と一口に言うもののさまざまな特徴を持った多様な商品群が登場し、幅が広がってきている。大分県の出荷量の多数を占める三和酒類・二階堂酒造の両社が本格焼酎ブームが起こる前と比較して出荷量を減らす一方で、他の小規模蔵が出荷量を増やしていることから、消費者のニーズも減圧・イオン交換濾過の麦焼酎から常圧・低濾過の麦焼酎へシフトしていることが判る。[2]

2007年1月には、大分県酒造組合が申請した「大分麦焼酎」が地域団体商標(地域ブランド)として登録された[3]

代表的な製造元とブランド

脚注

  1. ^ 大分県のメーカーを含む焼酎を生産する一部メーカーは、自社生産に加えて鹿児島県の一部の芋焼酎メーカーから未納税移出、いわゆる桶買いを実施している。このため、課税移出量には、他県で生産された焼酎が含まれる。
  2. ^ 日刊経済通信社 (2005-2008). “酒類食品統計月報”. 酒類食品統計月報 (各号). 
  3. ^ 2007年6月には「大分むぎ焼酎」も地域団体商標として登録されている。

外部リンク

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