コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

臨川公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。125.197.167.168 (会話) による 2008年3月1日 (土) 05:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

臨川公主(りんせんこうしゅ、624年 - 682年5月21日)は、中国の太宗李世民の十女[1]は孟姜。

経歴

李世民と韋貴妃の間に生まれた。貞観初年、臨川郡公主に封ぜられ、食邑2千戸を受けた。成人すると、周道務にとついだ。643年、洪州の実封350戸を加えられた。高宗が即位すると、「孝徳頌」をたてまつって高宗の賞賛を浴びた。永徽初年、長公主に進んだ。682年、幽州の公館で亡くなった。

公主は篆書隷書に巧みで、文章に優れていた。公主が幼少のころ、太宗が甘泉宮に避暑に出かけたとき、公主が手すさびに書いた詞文に太宗は驚き、「王羲之の娘が字を孟姜といい、書芸にすぐれたと朕は聞いている。その故事を慕って娘の字としたのだが、願わくはその後進となってほしいものだ」と舅の長孫無忌に語ったという。

伝記資料

  • 新唐書』巻八十三 列伝第八「諸帝公主伝」
  • 大唐故臨川郡長公主墓誌銘

脚注

  1. ^ 墓誌によると、十一女。
');