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葬式仏教

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葬式仏教(そうしきぶっきょう)とは、本来の仏教のあり方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の日本の形骸化した仏教の姿を揶揄して表現したものである。

元来の仏教は、葬送儀礼を重視する宗教ではなかったと言われている。 釈迦は弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、僧侶は遺骸の供養など考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる。 しかし、インドから中国へと伝播し民衆へと教化が行われるうちに、先祖供養の民間信仰と習合し、仏教は葬送儀礼をも司るようになった。例えば位牌は、儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ)が変化されたものだと考えられている。

仏教が日本に伝来したのは飛鳥時代のことである。仏教は豪族など上層階級の心を捉え、篤く信仰されるようになった。 平安時代の貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し墓に卒塔婆を立てるなど、大きく仏教的な影響を受けたものになっていた。 鎌倉時代には庶民層にも仏教が広まり、庶民のあいだにも仏式の葬儀が行われる例が見られるようになる。

日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸時代前期に幕府が定めた檀家制度である。 檀家制度は、民衆はいずれかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務づけるものであり、 キリスト教不受不施派を禁制として、信徒に対し改宗を強制した。 それまでの民衆の葬式は一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。 また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。 このことにより、各寺院は布教の機会と必要を同時に無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み定期的に収入を得るばかりの、 変化のない生活に安住するようになっていった。

近年、このような葬儀や法事に依存した日本仏教の状況を批判する意味で、葬式仏教という言葉が使われるようになった。 仏教界内部からもこの状況を反省し改めるべきだとする活動が様々に行われている。

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