バダ・ハリ
基本情報 | |
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本名 | バダ・ハリ |
通称 |
THE GOLDEN BOY 悪魔王子 悪童 BAD BOY |
階級 | ヘビー級(K-1) |
身長 | 197cm |
体重 | 95kg |
国籍 | オランダ、 モロッコ |
誕生日 | 1984年12月8日(39歳) |
出身地 | モロッコ |
スタイル | キックボクシング |
バダ・ハリ(Badr Hari、1984年12月8日 - )は、モロッコ出身のキックボクサー。身長197cm、体重94kg。オランダ国籍を持っていたが、出身地であるモロッコ国籍を取得した。
ピーター・アーツやレミー・ボンヤスキーを育てたアンドレ・マナートに弟子入りしたが、現在はマイクジムでメルヴィン・マヌーフと共に練習を積んでいる。
乱闘騒ぎを起こしたり歯に衣着せぬ発言から、悪童やアウトローといったイメージが強いが、試合運びは極めて正統派。打たれ弱い面もあるが、恵まれた体格、冷静な試合運び、キレのあるパンチやキックなど、アーネスト・ホーストやブランコ・シカティックも絶賛するほどの才能を持つ。
来歴
2003年6月8日、It's Showtimeでアレクセイ・イグナショフとキックボクシングルールで対戦、試合の4日前にオファーを受けたため、調整不足ながら善戦するも3RKO負け。
2004年5月20日、It's Showtimeでアジス・カトゥーとキックボクシングルールで対戦し、膝蹴りでTKO勝ち。カトゥーは腕を骨折した。
2005年6月12日、It's Showtimeでステファン"ブリッツ"レコとキックボクシングルールで対戦し、バックスピンキックで1RKO負け。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYOでK-1デビュー。リザーブファイトにおいて、K-1復帰戦となるステファン"ブリッツ"レコと再戦。見事な後ろ回し蹴りで失神KO勝ちしリベンジを果たす。
2006年3月5日、K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLANDに出場するも、ピーター・グラハムの胴回し回転蹴り(ローリングサンダー)をまともに喰らいアゴを2箇所も骨折、失神KO負け。病院送りにされ半年間の戦線離脱を余儀無くされた。この試合前の記者会見では、グラハムに因縁をつけ喧嘩騒動に発展してしまった。K-1に限らず、記者会見ではこのような場面は演出の意味合いもあるケースもあるが、グラハムに殴りかかったパンチは明らかにフルスイング、素手で顔面に殴りかかった「本気の乱闘」であった。しかしパンチはグラハムにかわされ、逆にタックルをまともにくらいテイクダウンをされている。上になられたところで周りの人が止めに入った。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 開幕戦に推薦選手として参戦し、ルスラン・カラエフと対戦。前日会見では居眠りをしたりビヨン・ブレギーのマイクのコードを引っ張ったりとやりたい放題だった。試合ではインローでバランスを崩したところで、カラエフの左右のフックで転倒し10カウント内に立ち上がるもKO負けを宣告される。試合後猛抗議し、暫くリングに留まっていたが結果は覆らなかった。なお、この時の映像を見てみると、カラエフが倒れたハリに蹴りを入れる反則行為を行っているが、レフェリーは止めず、カラエフも「膝がつく前に蹴っていたのだから反則にはならなかった」と話している。
2006年12月2日、スーパーファイトでポール・スロウィンスキーと対戦。ローキック一本で攻めるスロウィンスキーを手数で圧倒し、判定勝ちを収めた。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!でニコラス・ペタスの復帰戦の相手に選ばれ、TKO勝ちを収めた。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでルスラン・カラエフと再戦。2Rにダウンを奪われるも、その直後、カラエフの左に合わせた右カウンターでKO勝ち。
2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIで藤本祐介とK-1ヘビー級(100kg以下)初代王者決定戦を行い、圧倒的な差を見せ付けて1RKO勝ち。初代ヘビー級世界王者となった。
2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGでピーター・グラハムと再戦。アウトボクシングを展開し、3Rに左ミドルと右ストレートをボディーに喰らわせダウンを奪う。3-0の判定勝ちを収めリベンジを果たす。試合後二人はリングで肩を組み合い観衆はそれを讃えたが、その後のコメントで「憎んではいないが、友人として認めたわけでもない」と語っている。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16でGP1回戦をダグ・ヴィニーと対戦し、右ストレートで2RKO勝ち。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝で戦前から舌戦を繰り広げていたレミー・ボンヤスキーと対戦。フルラウンドに渡り好勝負となったが判定負け。試合後のコメントでは相手を認める発言をするも、あくまで「(レミーへの気持ちは)まったく変わってない」と述べた。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAでレイ・セフォーと対戦。1Rに3度のダウンを奪いKO勝ち。
戦績
キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
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66 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
60 勝 | 50 | 1 | 0 | |||
5 敗 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | レイ・セフォー | 1R 2:43 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA | 2008年4月13日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【準々決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | ダグ・ヴィニー | 2R 1:23 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【1回戦】 |
2007年9月29日 |
○ | ピーター・グラハム | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG | 2007年8月5日 |
○ | 藤本祐介 | 1R 0:56 KO(左ハイキック) | K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII 【K-1ヘビー級タイトルマッチ】 |
2007年4月28日 |
○ | ルスラン・カラエフ | 2R 2:46 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA 【ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦】 |
2007年3月4日 |
○ | ニコラス・ペタス | 2R 1:28 TKO(右回し蹴り) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | ポール・スロウィンスキー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦 【スーパーファイト】 |
2006年12月2日 |
× | ルスラン・カラエフ | 1R 0:52 KO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
× | ピーター・グラハム | 3R 2:54 KO(左後ろ回し蹴り) | K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLAND 【1回戦】 |
2006年3月5日 |
○ | ステファン"ブリッツ"レコ | 2R 1:30 KO(右後ろ回し蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2005年11月19日 |
× | ステファン"ブリッツ"レコ | 1R 1:44 KO(右後ろ回し蹴り) | It's Showtime | 2005年6月12日 |
○ | アジス・カトゥー | TKO(膝蹴り) | It's Showtime | 2004年5月20日 |
× | アレクセイ・イグナショフ | 3R TKO | It's Showtime | 2003年6月8日 |
総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
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1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | イゴール・キリシス | 1R 0:22 フロントチョーク | Shooto Holland - The Lords of the Ring | 2002年5月12日 |
人物
- K-1参戦当初はバド・ハリと表記されていた。
- 若くして風俗店経営や逮捕歴がある。
- 2006年2月、欧州のK-1プロモーターであるサイモン・ルッツの妻がストーカーの被害を受けており、ハリはルッツ達を助けるためにストーカー犯に暴行したため、逮捕された。その後、正当防衛が認められ、釈放されたが、その直後のグラハム戦の敗因は「留置所に入れられて調整不足だったから」とK-1公式サイトにて語っている。
- 最も嫌いなファイターとしてレミー・ボンヤスキーを挙げている。理由はボンヤスキーが優勝した2003年のWGPは、アーネスト・ホースト、ジェロム・レ・バンナ、マーク・ハント、ミルコ・クロコップといった主力選手がことごとく欠場したためレベルが低かった事と、2004年のWGPは物議を呼ぶ判定勝利によってボンヤスキーが優勝した事が原因である。そのため、ハリは「レミーはフェイク王者だ!」と強く批判している。
- 最も尊敬するK-1ファイターとしてアンディ・フグとジェロム・レ・バンナを挙げている。フグについては「人気・実力を兼ね備えた、全てが完璧な理想の王者だ。彼はファンを大切にし、誰からも愛されている」と語り、バンナについては「バンナの試合を見るのが大好きだ。バンナのように常に豪快なKO勝ちでファンを喜ばせる事を追求する姿勢こそが、今のK-1ファイターに求められているんだ。それにトーナメントよりもワンマッチで勝ち続けてこそ、最強と言える」と語っている。
- 悪童のイメージが強いが、強くなるための努力は惜しまないため、意外な事に酒や煙草はほとんど口にしない。
- モロッコ人である事に強いこだわりを持っており、試合に勝利した後、モロッコ国旗を掲げてアピールする事がある。また、藤本との初代世界ヘビー級王者決定戦を控えた時には「モロッコは世界的に自慢できるものがない国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に“モロッコ?ああ、バダ・ハリの母国だよね”と言ってもらえるようにしたい。“世界”王者という部分が重要なんだ」と語っている。
主な獲得タイトル
- 初代K-1ヘビー級(100kg以下)王座
関連項目
外部リンク
前王者 N/A |
初代K-1ヘビー級王者 2007年4月28日 - 現在 |
次王者 N/A |