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北杜市

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ほくとし ウィキデータを編集
北杜市
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
市町村コード 19209-1
法人番号 7000020192091 ウィキデータを編集
面積 602.48km2
総人口 43,057[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 71.5人/km2
隣接自治体 甲府市韮崎市南アルプス市甲斐市
茅野市伊那市川上村南牧村富士見町
市の木 アカマツ
市の花 ヒマワリ
他のシンボル 市の鳥 : フクロウ
市の昆虫 : オオムラサキ
市の小動物 : ヤマネ
北杜市役所
市長 上村英司
所在地 408-0188
山梨県北杜市須玉町大豆生田961番地1
外部リンク 北杜市

北杜市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

北杜市(ほくとし)は、2004年11月1日山梨県北巨摩郡市町村合併により成立したである。

概要

地理

北杜市のうち八ヶ岳南麓の高原地帯七里岩と呼ばれる台地状の地形を形成しており、旧長坂町高根町大泉村小淵沢町地区はその台地上に位置している。一方、台地の下には南部の釜無川流域に旧白州町武川村地区が、東部の須玉川塩川流域に旧須玉町明野村地区が位置している。

七里岩は釜無川流域地域と須玉川・塩川流域地域の間を遮るように細く突き出しており、また七里岩の上部と下部とは急峻な断崖によって阻まれている。それゆえ七里岩台上、釜無川流域、須玉川・塩川流域の三つの地域の境界には、改良が施された国道141号線を例外として、曲がりくねった道が多く存在している。そのため期においては積雪や凍結により、各地域間の移動に困難を伴うことが多い。

気候

気候標高差が非常に大きいので旧町村単位で大きく異なっている。国による「次世代省エネルギー基準」によると、旧小淵沢町が最も寒く北東北地方並の気候で、それに次いで旧長坂・高根・大泉・白州・武川の各町村が南東北地方並の気候、旧明野村は日本一の日照時間を誇ることもあり東京などと同様の気候に分類されている(小淵沢町#気候の項目より)。気象はさらに異なり、同一町村内においても天候の違いや降雨量降雪量の多寡が生じることもしばしば見られる。

隣接する自治体

行政地名(町名)

  • 北杜市 明野町 (旧明野村)
  • 北杜市 須玉町
  • 北杜市 高根町
  • 北杜市 長坂町
  • 北杜市 大泉町 (旧大泉村)
  • 北杜市 小淵沢町
  • 北杜市 白州町
  • 北杜市 武川町 (旧武川村)

町名以下の大字については下記の通り。

明野町 須玉町 高根町 長坂町 大泉町 小淵沢町 白州町 武川町
浅尾 小尾 川俣 長坂上条 西井出 上笹尾 花水 三吹
小笠原 比志 長澤 塚川 谷戸 下笹尾 台ヶ原 牧原
三之蔵 江草 村山北割 渋沢 松向 横手 宮脇
上手 小倉 東井出 富岡 小淵沢 大坊 新奥
浅尾新田 東向 長坂下条 白須 黒澤
下神取 穴平 箕輪新町 日野 鳥原 山高
上神取 若神子 箕輪 小荒間 下教来石 柳澤
大蔵 藏原 大井ヶ森 上教来石
藤田 小池 白井沢 大武川
大豆生田 下黒澤 大八田
境之澤 上黒澤 夏秋
若神子新町 五町田 中丸
上津金 村山西割 中島
下津金 村山東割
清里
浅川

当市は北巨摩郡8町村が合併し山梨県内最大の面積をもつ。そのため、住所の表記には、上記のように旧町村名からくる「町名」を付している。しかしながら、合併特例区地域自治区といった所定の住民自治機構はおかれていない。

歴史

  • 当市の大部分の区域はかつて、甲斐国巨摩郡逸見筋(へみすじ)に属していた。逸見の地は古代より良の産地として知られており、逸見牧(へみのまき)と呼ばれるが存在していた。この地に赴いた源清光は「逸見」の名を冠し、「逸見清光」を名乗った。
  • 戦国時代には武田氏の信濃国侵攻のための軍用道路となる棒道が整備された。今も長坂町小淵沢町にかけてその遺構を見ることができる。
  • 天文9年(1540年)に武田信玄の妹である禰々御料人が諏訪氏に嫁ぐ際、諏訪郡との境に位置する18村(現在は諏訪郡富士見町に属する、葛窪、先達、田端、蔦木など)が化粧料として持参され、それによって信濃国との国境が現在の甲六川に変更されたといわれている。(立場川の項目も参照されたし
  • 山梨県の発足及び巨摩郡の分割により、山梨県北巨摩郡に属することになった。逸見筋の名前は公式には使用されなくなり、「甲斐(峡)の北部」という意味の「峡北」という言葉が使われるようになる。峡北という名称は北杜市成立まで、北巨摩郡と韮崎市の総称として広く用いられた。逸見筋という呼称は明治初期にはまだ住民の間に残っていたようで、請願書などに「甲斐国山梨県北巨摩郡逸見筋○○村」といったような表記が用いられていた例が散見される。
  • 明治の終わりに中央本線が開通した。その際日本で初めての公害訴訟となる、信玄公旗掛松事件が起こった。
  • 終戦直後の食糧難、引揚者の生計確保といった目的で、大東豊・篠原・女取(小淵沢町)、小泉・蕪(長坂町)、大開・大泉帰農・泉原・石堂・油川(大泉村)、清里(高根町)などの八ヶ岳南麓をはじめとする高原地帯に入植が行われる。しかし開拓者の生活は厳しく、離農者が後を絶たなかった。その後国民生活が安定してくると、開拓地では酪農や高原野菜の栽培などが行われるようになり、さらにはペンションなど高原観光も進展し、今では当市の経済を支える重要な位置を占めるようになった。

市の沿革

白州町は合併時点では北巨摩郡内で唯一「町」を「まち」と読ませる自治体であったが、合併を機に「北杜市白州町」としての「町」の読みを他と同じ「ちょう」に揃えた。(ただし実際は、地域住民の間では「はくしゅうまち」の呼び方はほとんど使われることはなく、「はくしゅうちょう」として親しまれていたため、現実に使用されている呼び名の方に修正された形である。)
北杜市成立後、北巨摩郡に唯一所属していた自治体である小淵沢町が合併したため、これにより山梨県北巨摩郡は消滅した。

人口

北杜市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 47,356人
1975年(昭和50年) 45,242人
1980年(昭和55年) 44,320人
1985年(昭和60年) 45,035人
1990年(平成2年) 46,200人
1995年(平成7年) 47,318人
2000年(平成12年) 47,888人
2005年(平成17年) 48,144人
2010年(平成22年) 46,968人
2015年(平成27年) 45,111人
2020年(令和2年) 44,053人
総務省統計局 国勢調査より


行政

  • 市長
白倉政司(2004年11月28日から、旧高根町長)
  • 市議会
定数41名(長坂町8名、高根町7名、須玉町6名、小淵沢町5名、白州町4名、大泉町4名、明野町4名、武川町3名)
  • 市役所
県立須玉商業高校の校舎をほぼそのまま利用したものが暫定市庁舎として用いられている。正式な市庁舎の位置などは今後決定されることとなっているが、暫定市庁舎を恒久的に利用するということになし崩し的に決まりつつある。暫定市庁舎は韮崎市との境界に近い須玉町の南端にあるため、当市の中心地である八ヶ岳南麓地域からは、「市役所は市の中心部に設置すべきだ」として暫定市庁舎の恒久使用を既成事実化することに反発している。

財政

北杜市の財政力指数0.35である。ちなみに財政力指数は0.5が財政的自立の目安だと言われている。また、実質公債比率18パーセントを超えている赤字自治体であるため、新規公債の発行のためには、山梨県の許可が必要となる。

この赤字は、1986年(昭和61年度)から続いているとされ、合併以前の旧町村において作られた借金が合併後まで影響している。

なお、合併以前の各町村における財政力指数の値は以下の通りである。

明野村 須玉町 高根町 長坂町 大泉村 小淵沢町 白州町 武川村
財政力指数 0.22 0.31 0.34 0.38 0.48 0.56 0.35 0.25

(小淵沢町のみ2003年度。その他は2002年度の数値)

このように見ると、財政が比較的健全であったといえる自治体は、大泉村小淵沢町しかなく、残りの過半数の自治体は赤字であった。特に明野村と武川村はかなり財政的に不健全状態であったことが分かる。多くの赤字自治体が集まって合併が行われたため、合併後の財政の健全化が最重要課題である。

警察

  • 北杜警察署(2007年4月1日より韮崎署管内の区域が長坂署に移管され、その際名称も変更となった)

安全に関するデータ

  • 建物火災出火件数:19件(2003年
  • 交通事故発生件数:297件(2004年

現在の市域が成立したのは2006年であるため、データは当時の北杜市と小淵沢町の数値を合計したものである。(出典:総務省「統計でみる市区町村のすがた2006」)

経済

主な産業

観光スポットとして#一般見学が可能な工場がある。

産業に関するデータ

  • 第1次産業就業者数:4,865人(2000年
  • 第2次産業就業者数:8,143人(2000年
  • 第3次産業就業者数:13,051人(2000年
  • 農業産出額:75億4000万円(2003年
  • 製造品出荷額等:1687億4600万円(2003年
  • 商業年間商品販売額:439億9700万円(2001年

現在の市域が成立したのは2006年であるため、データは当時の北杜市と小淵沢町の数値を合計したものである。(出典:総務省「統計でみる市区町村のすがた2006」)

姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

当市の主要道路は、甲府より至る甲州街道韮崎を要に3つに分岐して、各々が並行する形で市内を貫いている。

それぞれの街道沿いの村々は七里岩の断崖によって遮られていたため、土木技術輸送技術が進歩を見る近現代まで、地域としての結び付きは同じ街道を抱く村同士のものに限定されていたと言ってよいものであった。

そのため当市は大きく3つの地域に分けられる。八ヶ岳山麓の長坂町大泉村小淵沢町高根町甲斐駒ヶ岳山麓・釜無川流域の白州町武川村、そして茅ヶ岳山麓・塩川流域の須玉町明野村(・高根町)である。高根町は佐久甲州街道が走り、八ヶ岳・塩川流域両地域との結びつきがある。実際、このように区分された3つの地域は、それぞれ内部において合併の行われる以前から結びつきが強く、町村組合を形成し病院学校などの共同運営にあたっていた。しかしながら、この3つの地域の枠を越えた交流や結びつきは、地形的な隔たりもあり合併まであまりなかった。

地域生活圏

小淵沢町の合併に伴い、八ヶ岳南麓で結びついていた4ヶ町村がひとつの市に合同した。同時に北巨摩郡下で相互に結びついていた地域が3つとも揃うこととなり、市内の地域区分において「地域生活圏」を設けることとなった。地域生活圏は、人口規模や面積バランスをとるために設定されたものであり、それぞれ施政のうえで地域の別が考慮される、とされている。これにより「八ヶ岳地域生活圏」と「塩川・釜無川地域生活圏」の二つがおかれることとなった。

八ヶ岳地域生活圏
塩川・釜無川地域生活圏

市街地

市街地は各町村役場(現在は北杜市役所の支所)周辺を中心に形成されているため、北杜市としての市街地の連続性は極めて低い。市内にはいくつか鉄道駅が存在しているが、駅前に市街地と呼べる状況が存在しているのは小淵沢駅長坂駅清里駅だけである。日野春駅七里岩の狭まった部分に位置しているため駅前の土地が不足しており、駅前を走る主要地方道17号茅野北杜韮崎線の拡幅にも困難をきたしている。また甲斐小泉駅甲斐大泉駅は周囲には中小規模の集落が存在しているのみである。

ただし市街地が点在している当市においても、長坂駅から中央自動車道長坂インターチェンジを経由し旧高根町役場に至るまでの地域は例外的で、比較的市街地が連続している。八ヶ岳等高線に沿って東西になだらかな地形を形成しているこの地域は、近年になって主要地方道32号長坂高根線を代表とする長坂インター周辺の道路整備が進んだことにより、同インター周辺に県内大手スーパーホームセンタードラッグストアなどの出店が相次いだ。現在では長坂インター周辺が北杜市としての実質的な市街中心部・中心商店街の役割を担っている。

地域相互の関係

北杜市成立以降、各地域生活圏相互の結びつきを深めようとする様々な試みが行われているが、北巨摩郡時代からの精神的距離感や移動時間などの物理的な距離感の短縮が図られたとは言い難い。また、インフラストラクチャーの整備や市の行事乳幼児健康診断など)の開催場所などに偏りが若干見受けられるため、旧町村に比べ行政サービスが低下したと感じる一部の住民の間には合併に対する不満感が燻っている。新市名への賛否など合併時の混乱も尾を引き、山梨県最大の面積もあって市としての一体感はほとんどないのが現実である。そのため地域生活圏の枠を越えた一体感の醸成は今後の課題でもある。

市としての一体感の無さは、市の政策にも影響を及ぼしている。東京など県外の人々にとっては清里高原に代表される八ヶ岳南麓の観光が当市のイメージの核であり、その他の南アルプス湧水ヒマワリなどはそれに付随したものとなっている。事実、「明野のヒマワリ茅ヶ岳の麓にあるのだから、八ヶ岳観光を紹介する観光雑誌に載せるのは間違っている」というような声が観光客から聞かれたことはない。しかし塩川・釜無川地域生活圏の中には、八ヶ岳地域ばかりが目立つのを快く思わない勢力がおり、市名選定の際に「八ヶ岳」が不自然な形で除外されたのもそれらの影響力があったからだといわれている。そのため現実的に八ヶ岳が県外で最も有名であったとしても、市としては八ヶ岳を敵視する声に配慮せざるを得ず、八ヶ岳を明確な観光政策の核として打ち出せずにいる。

反対に八ヶ岳南麓地域では、「市名を始めとして市役所の位置から観光政策に至るまで、観光名所人口も中心性も持たない、はっきり言ってしまえば過疎地である塩川・釜無川地域に対して何故ここまで配慮しなければならないのか」という不満が蓄積されつつある。観光政策では各地域の特色を簡単に列記するなどあいまいな対応でお茶を濁しているため、各町村が自らの特色を明確に打ち出していた合併前と比較して、かえって各地域の顔が見えにくくなってしまっている。

合併の際に最も重要視したのが(韮崎市と結び付きの強い市町村も合併に含めるという)「枠組みの維持」[1]であった。市名や市役所の位置が著しく不自然であるのも、合併の枠組みを守るためのものであった。これらの(主に須玉・明野・武川など韮崎寄りの町村に対する)配慮の結果、無事枠組みを守って合併を成立させることが出来たが、その結果、「八ヶ岳」という当市の観光を支える最大の核は一気に霞んでしまった。合併前よりも知名度が低下してしまい、合併は知名度向上や話題作りよる観光の振興にはプラスとならなかった。事実、「北杜」という地名が全く知名度に欠けるため、知名度向上に苦心する市の状況が何度か山梨日日新聞に取り上げられている。地域の中の活力のある自治体ではなく、産業の面でも求心力の面でも非常に弱い過疎の自治体を優遇した合併であるため、平成の大合併の目的の一つである「発展の見込みのない過疎地域への投資を減らし、その分を活力ある地域に集中する」という政策を執ることができないでいる。むしろ逆に八ヶ岳地域など発展している地域が負担ばかりを強いられ、塩川流域地域など過疎地域にインフラストラクチャー整備などの公共投資が集中するという事態が起きており、そのことが合併に対する不満を増長させてしまっている。人口規模をベースにした適正な社会資本の整備が今後の重要な課題である。

健康

健康に関するデータ

  • 一般病院数:2施設(2003年
  • 一般診療所数:19施設(2003年
  • 歯科診療所数:19施設(2003年
  • 医師数:32人(2002年
  • 歯科医師数:23人(2002年
  • 薬剤師数:38人(2002年
  • 65歳以上人口:12,477人(2000年

現在の市域が成立したのは2006年であるため、データは当時の北杜市と小淵沢町の数値を合計したものである。(出典:総務省「統計でみる市区町村のすがた2006」)

市立病院

北杜市の行政において特筆すべきことは、市立病院の数である。市内には市立山梨甲陽病院と市立塩川病院という2つの市立病院が、合併した旧町村の組合から引き継ぐ形で存在している(山梨甲陽病院は旧長坂町・高根町・大泉村・小淵沢町の4町村による組合立、塩川病院は旧須玉町・明野村による組合立)。市立病院が2ヶ所あるのは山梨県内では北杜市だけである。このことは医療サービスの向上につながる反面、人口規模が小さい自治体に2ヶ所も市立病院があることで市の財政を圧迫する一因ともなっている。

  • 甲陽病院 (長坂町内)
  • 塩川病院 (須玉町内)
  • 逸見診療所 (明野町内)
  • 白州診療所 (白州町内)

教育

小学校

  • 明野町
    • 北杜市立 明野小学校
  • 須玉町
    • 北杜市立 須玉小学校
    • 北杜市立 増富小学校
  • 大泉町
    • 北杜市立 泉小学校
  • 小淵沢町
    • 北杜市立 小淵沢小学校
  • 白州町
    • 北杜市立 白州小学校
  • 武川町
    • 北杜市立 武川小学校
  • 高根町
    • 北杜市立 高根北小学校
    • 北杜市立 高根清里小学校
    • 北杜市立 高根西小学校
    • 北杜市立 高根東小学校
  • 長坂町
    • 北杜市立 秋田小学校
    • 北杜市立 小泉小学校
    • 北杜市立 長坂小学校
    • 北杜市立 日野春小学校

中学校

  • 北杜市立 明野中学校
  • 北杜市立 須玉中学校
  • 北杜市立 高根中学校
  • 北杜市立 長坂中学校
  • 北杜市立 泉中学校
  • 北杜市立 小淵沢中学校

高等学校

短期大学

交通

鉄道路線

路線バス

道路

高速自動車国道
一般国道
主要地方道
一般県道

(韮崎市を含めた峡北地域では、一般県道は600番台の数字が用いられる。)

広域農道
道の駅

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

一般見学が可能な工場

マスメディア

  • 八ヶ岳ジャーナル
北杜市内をエリアとする地域新聞である。創刊は1982年12月と比較的古い。当初は小淵沢町長坂町高根町大泉村の4町村のみが発行エリアであり、その後白州町武川村の2町村が発行エリアに加わった。現在では、市町村合併により発行エリアが須玉町明野村地区にも拡大された。
2006年10月1日に開局したコミュニティFMである。北杜市と韮崎市の一部、長野県富士見町を放送対象エリアとしている。周波数82.2MHz、出力20W。

出身有名人

その他

  • 2007年(平成19年)の大河ドラマ、『風林火山』の放送にともない、長坂町小荒間地区の県営八ヶ岳牧場に、市が総工費約1億7000万円(内3000万円を山梨県が出資)をかけて、オープンセット「風林火山館」を建設した。
  • ドラマ『みんな昔は子供だった』では山村シーンの撮影提供を行う。
  • 1998年、当時の高根町は、清里の別荘地の水道料金について、一般家庭の3倍以上に値上げしたため、反発した別荘所有者が高根町を訴えた。第一審では別荘所有者側敗訴の判決が出されたが、2003年控訴審では別荘所有者側が勝訴。高根町側が上告したものの、2006年上告審でも別荘所有者側勝訴の判決が出され、1998年に改正された別荘所有者の値上げ分の料金については無効とされた。(ただし判決では、の一時期にしか水道を使用しない別荘の住民に対し、水道施設の維持管理等の理由により一般住民よりも割増した水道料金を課すことについては、自治体の裁量により認められるとしている。)

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 財団法人日本都市センター『合併要覧』