福王昭仁
読売ジャイアンツ #79 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都町田市 |
生年月日 | 1964年1月10日(60歳) |
身長 体重 |
174 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1985年 1位 |
初出場 | 1986年 |
最終出場 | 1999年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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福王 昭仁(ふくおう あきひと 1964年1月10日-)は東京都町田市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は読売ジャイアンツの1軍内野守備走塁コーチ。
来歴・人物
高校野球の名門日大三高では「三高野球部史上最高の遊撃手」と言われ2年生からレギュラーの座を勝取る。もの静かで温厚な性格、責任感は人一倍強く3年で主将を任される。
明治大学では1年先輩の広澤克実(現・阪神タイガース打撃コーチ)とクリーンナップを任せられ、4年次には六大学野球で首位打者を獲得するなど活躍した。1985年にドラフト5位で巨人に指名され入団。(同年1位は桑田真澄)
決して目立つ選手ではなかったが2年目の1987年に初めて一軍に昇格。入団当時の監督が王貞治監督であったため“王に福を与える男”として注目され、日本シリーズにも出場した。その当時のスポーツ新聞の見出しで王監督の下で活躍している福王の他、呂明賜、勝呂博憲らの選手を採り上げ「“王”に“福王”、“呂”に“勝呂”」という語呂合わせを載せていた。
翌1988年からは内外野の守備固めや代走として起用され一軍に定着。主に二塁手であったが、岡崎郁や川相昌弘といった内野手陣が不調の時には先発で三塁手や遊撃手として起用されたこともあった。守備には定評があり将来を嘱望されていたが、打撃面でやや伸び悩んだ。
1993年に長嶋茂雄が監督に復帰してからは吉村禎章に次ぐ貴重な左の代打として数多く起用され、勝負強さを発揮した。地道にフォアボールを狙い、出塁するというつなぎの野球に徹した。1999年を最後に現役を引退。
球団職員を経て2001年に2軍内野守備コーチに就任。2002年から2005年は2軍打撃、2006年、2007年は2軍内野守備走塁を担当。2008年からは1軍内野守備走塁コーチを務める。
略歴
ちなみに日大三高の同期生で片山右京(元F1ドライバー、現登山家)と立川志らく(落語家)がいる。
- 身長/体重;174cm/78㎏
タイトル
- 初出場; 1987年4月12日対中日ドラゴンズ 後楽園球場
- 初安打; 1988年6月7日対ヤクルトスワローズ 中本茂樹 郡山球場
- 初本塁打; 1988年9月29日対阪神タイガース マット・キーオ 東京ドーム
背番号
年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1986年 | 巨 人 | 0 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1987年 | 巨 人 | 16 | 12 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1988年 | 巨 人 | 34 | 52 | .173 | 9 | 1 | 5 | 0 |
1989年 | 巨 人 | 35 | 51 | .196 | 10 | 0 | 4 | 0 |
1990年 | 巨 人 | 32 | 47 | .213 | 10 | 0 | 0 | 0 |
1991年 | 巨 人 | 44 | 48 | .188 | 9 | 0 | 5 | 0 |
1992年 | 巨 人 | 30 | 43 | .186 | 8 | 0 | 1 | 0 |
1993年 | 巨 人 | 50 | 57 | .193 | 11 | 1 | 3 | 0 |
1994年 | 巨 人 | 32 | 33 | .242 | 8 | 1 | 3 | 0 |
1995年 | 巨 人 | 62 | 71 | .183 | 13 | 0 | 5 | 0 |
1996年 | 巨 人 | 56 | 75 | .333 | 25 | 3 | 13 | 0 |
1997年 | 巨 人 | 67 | 68 | .176 | 12 | 3 | 3 | 0 |
1998年 | 巨 人 | 32 | 29 | .172 | 5 | 0 | 2 | 0 |
1999年 | 巨 人 | 10 | 10 | .000 | 0 | 0 | 1 | 0 |
通 算 | 500 | 596 | .201 | 120 | 9 | 45 | 0 |
エピソード
- 福王の勝負強さを物語るエピソードとして思い出されるのが、1981年、日大三高3年の春の東京大会準決勝日大二高戦。2対4で迎えた9回裏2死満塁で打席には3番キャプテンの福王。彼の放った一打は神宮第2球場の右中間スタンドに弾丸ライナーで突き刺さる逆転サヨナラ満塁ホームラン。あまりに鋭い当たりであったために応援席に詰めかけた三高生たちの多くは打球の行方を眼で追えず、スタンドから跳ね返ってきた打球がグランドを点々とするのを見て「まだランナーが塁上を走っているのに、なぜ二高の選手がうなだれて戻ってくるのか?」と不思議に思ったほどである。今でこそ強力打線が売り物といわれる日大三高だが、当事は「三高野球=送って繋いで取った1点をしぶとく守りきる」であり、それを体現してる選手の代表のような福王が打ったホームランだけに、野球の応援慣れした三高生たちも度肝を抜かれる思いであった。
- 1996年9月14日のヤクルト戦で0対0の同点のまま試合が流れ、9回1アウト満塁の場面で代打として起用され、カウント2-3から四球を選びサヨナラ勝ちとなった。無理をせず四球でも塁に出るというプレースタイルを身上としていた福王らしいエピソードである。
- 現役時代の応援歌は秀逸の部類に入り、岡崎郁、鴻野淳基らの曲と共に人気が高かった。[1]
- 2007年シーズン現在で第2次長嶋監督から第1次原、堀内、第2次原監督時代を通じてコーチとして在籍しているのは、福王だけである。
- 2008年6月15日の楽天戦で、巨人は一、二塁の場面で、二塁走者は盗塁したが、一塁走者は走らなかった。これにより、一塁コーチだった福王は、原辰徳監督から「あれはコーチのボーンヘッドだ」と叱られた。