筒井信隆
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衆議院議員 筒井 信隆 | |
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生年月日 | 1944年11月10日 |
出身地 | 新潟県中頚城郡三和村 |
出身校 | 早稲田大学 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 |
弁護士 税理士 |
所属委員会 | 衆・厚生労働委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 新潟県第6区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派 | 民主党 |
党役職 | 国会対策副委員長 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館505号室 |
ウェブサイト | つつい信隆ウェブサイト |
筒井 信隆(つつい のぶたか、1944年11月10日 - )は日本の政治家、衆議院議員(4期)。
経歴
政界入りまで
新潟県中頸城郡三和村に生まれる。新潟県立柏崎工業高等学校機械科と早稲田大学法学部を卒業する。
- 司法試験に合格し、1968年司法研修所に入所する。1970年筒井法律事務所を開業。裁判を通じて、社会党衆議院議員の木島喜兵衛の後継者を打診され上越市に移る。
- 1986年第38回衆議院議員総選挙(第14回参議院議員通常選挙との同時選挙)に立候補し、57,560票を獲得するが次点となり、落選する。
- 1990年第39回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧新潟4区に立候補する。この総選挙では、社会党に追い風が吹き筒井は82,603票を獲得して、当選する。
政界入り以後
社会党時代
社会党を現実的な政権獲得可能な政党に脱皮することを念頭に社会党一年生議員を糾合した議員集団「ニューウェーブの会」を設立し、事務局長を務める。しかし、社会党は反対政党から脱皮することができず、筒井も平成5年(1993年)政治改革を争点とした第40回衆議院議員総選挙では、折からの新党ブームに埋没し、138票差で次点で落選する。
社会党離党から民主党へ
- 社会党を離党し無所属(新進党&旧民主党推薦)で臨んだ1996年の第41回衆議院議員総選挙では、103,307票を獲得するが、次点となり落選(全国最多得票落選者)。
- 2000年第42回衆議院議員総選挙で民主党から立候補し、交通違反もみ消し事件で苦境に立たされていた元国家公安委員長白川勝彦を破り当選、国政に復帰する。
- 2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
- 2003年第43回衆議院議員総選挙で三選。
- 2004年の年金未納問題の際に12年1か月間未納であったことが発覚した。
- 2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、民主党が苦戦する中、小選挙区勝利で四選を果たす(対立候補高鳥修一は比例復活)。
- 2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。
- 2008年6月12日、政局重視の小沢一郎代表に批判的なスタンスを取る民主党前原誠司副代表について、「前原誠司副代表の妄言を糾弾し、その『退場』を勧告する」と題したメールを篠原孝、山田正彦らとともに党所属議員に配信する。
著書
- 『家族の法律相談』(筑摩書房)
- 『バイオマス文明構想』(日本評論社)
- 『カオスの中の対立軸』(悠々社)