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浜松球場

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ファイル:Hamamatsu stadium.jpg

浜松球場
Hamamatsu Baseball Stadium
施設データ
所在地 静岡県浜松市中区上島6-19-1(四ツ池公園内)
開場 1979年
所有者 浜松市
管理・運用者 浜松市体育協会(指定管理者
グラウンド
内野:クレー舗装、外野:天然芝
照明 照明塔 - 6基
最大照度:投捕間2000Lx
     内 野1500Lx
     外 野1000Lx
 
収容人員
30,000人(公称)
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:-m²
両翼 - 99.1 m
中堅 - 122 m

浜松球場(はままつきゅうじょう)は、静岡県浜松市中区上島四ツ池公園内にある野球場。施設は浜松市が所有し、浜松市体育協会が指定管理者として運営管理を行っている。

歴史

1948年浜松市営球場(はままつしえいきゅうじょう)として開場。両翼91.5m、中堅106m。高校野球社会人野球などアマチュア公式戦の他、プロ野球公式戦も開催されたが、施設の老朽化に伴い全面改築されることとなり、改築工事は1979年に完工、同年6月に現球場が開場した。当時は両翼91m、中堅118m。2003年スコアボードを電光掲示板に改造。2004年3月に球場のリニューアル工事が完成し、耐震補強工事、グラウンド拡張、選手控室・ロッカー室・観客用トイレ(内野のみ)の改良が行われた。

プロ野球では中日ドラゴンズ(準本拠地だがナゴヤドームが本来のフランチャイズ)がオープン戦と公式戦を各1~2試合、主催で開催している。この他、1993年までは読売ジャイアンツ(巨人)がオープン戦を年1試合(不定期)、1990年から1992年には日本ハムファイターズ1995年には西武ライオンズが公式戦をそれぞれ年1試合開催した(但し1991年の日本ハム戦は雨天中止)。また、かつては中日が春季(1977年まで)及び秋季キャンプ(1986年まで)を開催していた。

バックスクリーンがフィールド側にせり出しており、またスクリーンのすぐ後方には旗を掲揚するポールが設けられている。このため左翼側の観客がスクリーン右翼側横にあるスコアボードを見づらくなっているなど、設備上の問題点がいくつかある。

2005年から、フェンス広告の掲出が開始された(稀に愛知県豊橋市に本社を置く企業も含む)。静岡県内で初めてフェンス広告を取り入れた野球場である。

主なエピソード

パウエルと浜松

中日にかつて所属していたアロンゾ・パウエルは、この浜松市営球場との相性が非常に悪かった。

1度目の災難は来日2年目の1993年4月18日、対ヤクルトスワローズ3回戦での出来事。2-0で勝利を飾り、自らも貴重な1打点を叩き出したパウエルは意気揚々とベンチへ引き揚げてきた。ところが、グラウンドからダッグアウトへのコンクリートむき出しの階段で足を滑らせて転倒し、左膝の半月板を損傷してしまった。やむなく戦線を離脱し途中帰国して手術することを余儀なくされ、結果的にこのシーズン、34試合を欠場するはめになってしまった。それ以来、コンクリートむき出しだったこの階段にはラバーシートが敷かれるようになった。

2度目は1996年5月14日、対阪神タイガース6回戦。10-3で快勝に終わったゲーム直後だった。この試合、パウエルはやはり自ら1安打1打点でチームの勝利に貢献。試合途中でベンチに下がって、最終回の守りから戻ってくるナインをダッグアウト前で出迎えていたその時、敗戦に怒り、興奮した阪神ファン数十人がグラウンドに雪崩れ込んできた。いち早く異変に気付いた星野仙一監督らが食い止めようとしたが、その中の1人が「この野郎、打ち過ぎだ!」と持っていたメガホンで背後からパウエルの頭をポカリと殴ってしまった(この日は1安打1打点だったが、阪神戦は特にカモにしていた)。中日ベンチ前はにわかに殺気立つ。激高して“復讐”を試みるパウエルをナインがなんとか抑えて最悪の事態こそ免れたが、後味の悪い出来事に「なんでオレばっかり…」とふさぎ込んでしまった。

パウエルは浜松で2度の災難にあったためか、「もう浜松へは行きたくないよ」が口癖となってしまった。

このようなトラブルが頻発した事もあって、翌1997年に外野フェンスが嵩上げされ、さらに主催者側が試合終了直後、フィールド上に警備員を配置するなど警備を強化して、観客の入り込みを防止するようになった。

その他のエピソード

  • 1986年4月の中日-大洋戦では、9回裏中日の攻撃中に、判定を巡って大洋近藤貞雄監督が猛烈に抗議。審判に暴言を吐き(「ヘボ」と怒鳴った)、退場処分となった。(試合は大洋が勝利。)当時60歳で、退場の最年長記録を作ったが、後年日本ハム監督時に自ら更新した。
  • 同年7月4日の中日-ヤクルト戦では、当時最下位のヤクルト相手に中日は大敗し、しかも試合終盤には変な選手変更をした結果、大島康徳が5年ぶりに三塁を守ることになる等中日ベンチが混乱。翌日、山内一弘監督の休養が発表されたため、この試合が山内にとって中日の指揮を執った最後の試合となってしまった。

施設概要

  • 両翼:99.1m、中堅:122m
  • 内野:クレー舗装、外野:天然芝
  • 照明設備:照明塔6基
  • 収容人員:30,000人(内野:座席11,340人、外野:芝生席18,680人)
    • 浜松市は公称30,000人収容としているが、実際の収容可能数(特に外野スタンド)はそれを大幅に下回っており、一説には20,000~25,000人程度といわれる。

フェンス広告

公園内その他の施設

四ツ池公園も併せて参照。

交通

  • 浜松駅前バスターミナル13番のりばより遠鉄バス旭ヶ丘線(52系統)または萩丘都田線(53・56系統)市営グランド下車、徒歩約3分。
  • 遠鉄電車上島駅下車、徒歩約15分

関連項目

外部リンク

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