北川正恭
北川正恭 きたがわ まさやす | |
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生年月日 | 1944年11月11日(80歳) |
出生地 | 三重県鈴鹿市 |
出身校 | 早稲田大学第一商学部 |
所属政党 |
無所属(1995 - ) 新進党(1994 - 1995) 新党みらい(1994) 自由民主党(1972 - 1994) |
公式サイト | 北川正恭オフィシャルウェブサイト |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年4月21日 - 2003年4月20日 |
選挙区 | 三重県第1区 |
当選回数 | 4回 |
選挙区 | 鈴鹿市選挙区 |
当選回数 | 3回 |
北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年11月11日 - )は、日本の元政治家。早稲田大学大学院公共経営研究科教授、および早稲田大学マニフェスト研究所所長。
三重県知事(第4代、2期)、衆議院議員(4期)、三重県議会議員(3期)を歴任。
家族は妻と2男。父は北川正雄(元三重県議会議長)[1]。伯母の夫に久保田藤麿(元衆議院議員、元参議院議員)がいる[2]。
概要
三重県鈴鹿市出身。三重県立神戸高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。学位は商学士(早稲田大学)。
1983年に自由民主党公認で衆議院議員に初当選。自民党時代は三塚派に所属していたが、1994年の細川内閣総辞職を機に、鹿野道彦ら自民党議員5名と共に離党し、鹿野を党首とする新党みらいを結党。その後、他の政党会派と合併し新進党に加わった。1995年、岡田克也に推され、議員辞職して三重県知事選挙に出馬。自民党公認等候補を破って当選を果たし、2期務めた。当初は新進党が支援母体であり、2期目は事実上は自社公民4党による相乗りのオール与党体制だったが、公式には政党・団体の推薦・支持を得なかったため「無党派知事」と持てはやされた。
財政再建には手をつけず、県職員労働組合の推薦を取り付けた。北川知事就任時に1040億円あった財政調整基金(いわゆる県の貯金)は2期8年して彼が去ったときは20億円が残るのみとなってしまった。 2008年現在、三重県の借金は1兆円である。彼の名を上げるためなどに費消された1000億円があれば、県職員の退職金を借入金でまかなう惨状にまで追い込まれなかったろう。
県職員の北川不出馬を聞いて詠める狂歌
「黒船は独り名を上げ三重を去る」
選挙における政党の政権公約としてのマニフェストを提唱し、世に広めた。21世紀臨調共同代表。せんたく発起人代表。現在、東京放送(TBS)系列で全国ネット放送している「ブロードキャスター」のレギュラーコメンテーターとして、週替わりではあるが出演をしている。
経歴
- 1972年:三重県議会議員選挙に鈴鹿市選挙区から立候補し当選(連続3期)
- 1983年:衆議院旧三重1区から衆議院選挙立候補し当選(連続4期)
- 1990年:文部政務次官に就任。
- 1995年:三重県知事選挙に立候補し当選(連続2期)
- 2003年:三重県知事を引退。早稲田大学大学院公共経営研究科教授に就任
知事在職中の業績
1995年に知事選挙で当選した後、岩手県の増田寛也、高知県の橋本大二郎、東京都の石原慎太郎らとともに「改革派知事」として注目された。新しい施策を次々と打ち出し、三重県自体も「革新自治体」と言われた。一方で、行き過ぎた改革が県民に受け入れられず、また後に弊害をもたらした事業もあった。 おもな業績を以下に記す。
- 県庁の組織を再編し、カタカナ表記の部署を多く設置した。(これについては、県民から分かりにくいとの苦情もあり、後任の野呂昭彦知事によってほとんどがもとの名前に戻された)
- 1997年に「三重のくにづくり宣言」を発表した。
- 中部電力が南島町と紀勢町の境界に建設を計画していた芦浜原発を、住民の賛同が得られているとはいえないとして、2000年に白紙撤回した。これを受けて中部電力は計画を断念した。
- 三重県下で人口10万人当たりの交通死亡事故発生率が全国ワースト1位となったことを受け、2000年11月13日、「交通死亡事故多発非常事態宣言」を発表した。
- 2001年、産業廃棄物税を導入した。これにより、事業者に対して産業廃棄物1トンあたり1000円の税金が課されることとなった。
- リサイクル製品の認定制度を充実させた。しかし、石原産業によるフェロシルト問題の誘引ともなった。
- 三重県知事時代にトップセールスによりシャープの工場建設を積極的に誘致した。亀山市とあわせて135億円の補助金を一社に提供し、2002年、シャープは亀山市に液晶テレビなどを製造する工場を建設すると発表した(参考、クリスタルバレー構想)。
- 2002年、「政策推進システム」を導入した。
- 廃棄物固形燃料によるごみの有効利用を推進した。しかし2003年に多度町の発電プラントで火災事故が起こり、作業員や消防士7人が死傷、サイロは解体に追い込まれた。県民の間では導入を急ぎすぎたとして非難の声も上がっている。
- 三重県によると、多度町の発電プラントは、平成28年度にすべて廃止される予定となっている。初期工事費650億円を投入し、累積では1000億円以上の血税を注ぎ込んでいる。壮大な無駄遣いであった。
- 北川知事の前任者のときから構想は進められていたから、北川だけの責任ではない。しかしゴーを出したのは北川正恭であった。
- 「結局、ナポレオンのやったことはフランスを小さくして次の世代に渡しただけだ」との歴史家シュテハン・ツバイクを援用すれば、北川正恭のやったことは、
- 「裕福な三重県を借金だらけにして、野呂知事に放りつけただけだ」ということに異論をはさむ三重県人はない。
文献
著書
- 『中部は一つ輝ける伊勢湾時代』徳間書店、1989年5月
- 『改革一直線 : 政治生活二十年の歩み』徳間書店、1992年11月
- 『生活者起点の「行政革命」』ぎょうせい、2004年9月、ISBN 4324075166
- 『マニフェスト革命―自立した地方政府をつくるために』ぎょうせい、2006年11月、ISBN 9784324080825
- 『マニフェスト進化論―地域から始まる第二の民権運動』生産性出版、2007年1月、ISBN 9784820118510
共著
- 『朝令暮改でいいじゃないか : 北川正恭の革命』岩見隆夫著、PHP研究所、2000年9月、ISBN 4569612520
- 『知事が日本を変える』浅野史郎、橋本大二郎著、文藝春秋、2002年4月、ISBN 4166602381
- 『自治体再生へ舵をとれ』福岡政行編著、学陽書房、2002年6月、ISBN 4313161031
- 『地方から日本を変える : 改革派知事が語る新しい民主主義の実践』浅野史郎、橋本大二郎著、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編、2004年3月、ISBN 4902066114
- 『政策研究のメソドロジー : 戦略と実践』縣公一郎、総合研究開発機構編、法律文化社、2005年9月、ISBN 4589028654
- 『行政経営改革入門 : 経営品質の活用と地域経営』岡本正耿編著、産性出版、2006年2月、ISBN 4820118234
- 『高塚猛と北川正恭の革命論』高塚猛著、致知出版社、2002年5月、ISBN 4-88474-622-8
関連文献
- 『芭蕉への手紙 : 三重県「旅の一句」公募句集』黛まどか編、学習研究社、1997年6月、ISBN 4054008127
- 『改革断行 : 三重県知事北川正恭の挑戦』ばばこういち著、ゼスト、1999年10月、ISBN 4883770893
- 『新生日本のシナリオ : 21世紀、この国のあるべき姿』島田晴雄著、経済界、2000年11月、ISBN 4766782127
- 『堀田力のさわやか改革 : 日本の行く末を見据える・対談集』インターメディア出版、2000年12月、ISBN 4901350056
- 『変革するは我にあり : 独立分権宣言!』月尾嘉男著、日本実業出版社、2001年11月、ISBN 4534033141
- 『JC発「教育改革」待ったなし』日本青年会議所編、ぱるす出版、2001年10月、ISBN 4827601879
- 『日本を救う9人の政治家とバカ1人』浜田幸一著、双葉社、2001年7月、ISBN 4575292524
- 『日本初の大統領にしたい男』ばばこういち著、インターメディア出版、2001年4月、ISBN 4901350110
- 『生活者主権社会による日本再生』一新塾編、プレジデント社、2001年10月、ISBN 4833417308
- 『労働組合が危ない : ある戦争遺児の労働運動への挑戦』北岡勝征著、八潮出版社、2001年2月、ISBN 4896502167
参考文献
- 『新訂 現代政治家人名事典』(日外アソシエーツ)
脚注
関連項目
外部リンク
3代 田川亮三 |
三重県知事 4代:1995年 - 2003年 |
5代 野呂昭彦 |