腕時計
腕時計(うでどけい)とは、バンド(帯)によって腕に装着することができる小型の携帯用時計である。
2003年 | 万本 | 割合 |
---|---|---|
日本 | 52,335 | 70.5 |
中国[1] | 18,137 | 24.4 |
スイス | 2,590 | 3.5 |
インド | 1,345 | 1.8 |
香港 | 1,152 | 1.6 |
ロシア | 515 | 0.7 |
韓国 | 437 | 0.6 |
ベラルーシ | 268 | 0.4 |
ドイツ | 98 | 0.1 |
イギリス | 10 | 0.0 |
世界合計 | 74,304 | 100.0 |
場所を選ばず時刻を知ることを可能とする基本的機能のほかに、さまざまな付加的機能を併せ持ったものが存在し、また、服飾コーディネートの一部、あるいは社会的ステータスをあらわす装身具としての性格も備えている。そのため、ごく低価格の実用品から、高級宝飾品級の超高額品に至るまで、広範な価格帯の製品が流通している。
駆動方式は1980年代以降水晶発振計時のクォーツ式が主流である。しかし一方で電気動力を用いずぜんまい動力のみによって作動する旧来の機械式時計は、高級価格帯を中心に根強い人気があるほか、世界的には電池入手が容易でないなどの理由から機械式の腕時計が専ら用いられている地域も存在する。
歴史
腕時計の誕生
腕時計自体は19世紀後半に誕生したが、当初は単に時計の付随したブレスレットであって女性用の装身具に過ぎず、実用上も精度は低かった。
現代の意味での実用腕時計が誕生した契機は、機動性・迅速性を要求される軍隊用の需要である。それまでの懐中時計はポケットからいちいち取り出して時間を確認する必要があり、特に砲撃間隔の測定に計時動作が必須な砲兵たちは、時計を片手に砲撃操作を行わねばならなかった。
このよう状況から、手首に懐中時計をくくりつけて使用する工夫が始まり、やがてドイツ軍がこのアイデアの製品化を時計メーカーに打診している。記録に残る最初の発注は1879年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍用としてジラール・ペルゴに腕時計を2,000個製作させたという記録がある。
その他の草創期の使用例としては1895年の日清戦争に従軍した日本兵の写真に腕時計(一説に、腕に巻いた懐中時計)が写っていた例、1899年のボーア戦争でイギリス軍将兵が懐中時計を手首に装着した例がある。
初期の腕時計
1902年にはオメガ社が腕時計を本格商品化し、軍人が腕に付けた腕時計を見ながら「これは欠かせない軍用装備だ」と言っている内容の広告を打っている。
しかし、当時の男性用腕時計は女性用懐中時計の竜頭位置を横に変えて革ベルトに固定したものであり、軍用としてはともかく、一般の男性民間層にはなかなか普及しなかった(後日、女性用懐中時計のムーブメント(時計内部の機械)のみの共用を経て、腕時計専用のケースとムーブメント開発が行われるようになった)。しかし依然として男性が携帯する時計は懐中時計が主流で、腕時計は正式な存在とは見なされていなかった。
紳士用腕時計として最初に大きな成功を収めたのはフランスのカルティエが開発した角形ケースのサントスで、1911年のことである。元々この腕時計はブラジル人の飛行家であるアルベルト・サントス・デュモンのために作られたものであった。サントス・デュモンは飛行船の操縦中、大きな動作を取らずに時間を確認できるよう、ルイ・カルティエに依頼して腕時計を制作させた。それまでの軍用時計と違い洗練された形態はパリの社交界で話題となり、市販されるように至った。「サントス」はスポーツ・ウォッチの古典となり、21世紀に入った現在でもカルティエの代表的な製品の一つとして市販されている。
第一次世界大戦は腕時計の普及を促す契機となり、男性の携帯する時計は懐中時計から腕時計へと完全に移行した。戦後には多くの懐中時計メーカーが腕時計の分野へ転身した。
第二次世界大戦以前からの主要な腕時計生産国としては、懐中時計の時代から大量生産技術が進展したアメリカ合衆国のほか、古くから時計産業が発達したスイス、イギリスなどがあげられる。後に英国のメーカーは市場から脱落した。アメリカのメーカーも1960年代以降に高級品メーカーが衰亡してブランド名のみの切り売りを行う事態となり、正確な意味で存続するメーカーは大衆向けブランドのタイメックスのみとなった。
自動巻腕時計
自動巻腕時計とは、時計内部に半円形のローターが組み込まれており、装着者が腕を振ることにより、ローターが回転しぜんまいを巻き上げることができるというものである。錘(ローター)を仕込んだ自動巻機構自体は1770年に発案されていたが、ポケットに収まった安定状態で持ち運ばれる懐中時計ではうまく働かず、装着時に手首で振られて慣性の働きやすい腕時計において、初めて効果を発揮することになった。
最初の自動巻腕時計となったのは英国のジョン・ハーウッドが開発した半回転ローター式で、1926年にスイスのフォルティスから発売された。続いてより効率に優れる全回転式ローター自動巻がスイスのロレックスで1931年に開発され、同社は「パーペチュアル」の名で市販、オイスターケースと呼ばれる防水機構と共にロレックスの名を売った。現在では全回転ローター自動巻が一般化している。
自動巻腕時計の多くは、竜頭を用いてぜんまいを手巻きすることもできるが、廉価型の腕時計には構造を簡素化する目的で自動巻専用としたものもある。自動巻は装着されている限りぜんまいの力が常に十分に蓄えられているため、手巻き式に比べて精度が高くなる傾向がある。身に付けていない場合にはワインディングマシーンにセットしておくことでぜんまいを巻き上げる事が可能であり、機械式腕時計のコレクターがこの種の装置を用いる例が見られる。
日本の腕時計
日本では1913年、服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売している。
第二次世界大戦後、日本の時計技術は着実に進歩していった。カメラと並ぶ輸出商品としての可能性を期待された面もあった。1955年には国産初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が発売され、その後も「グランドセイコー」、「シチズン クロノメーター」など、スイス製の腕時計と比肩しうる精度の国産時計が続々登場した。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。セイコーは電子計時を採用し、オリンピックで初めて計時に関してノートラブルを実現した。これを契機に日本製腕時計が世界的に認められるようになる。
日本の主要な腕時計メーカーは、電子計算機分野から参入したカシオ計算機を除くと、すべて懐中時計や柱時計の分野から参入した企業である。大手ブランドのセイコーとシチズン時計、カシオのほか、オリエント(吉田時計店)が業績不振から現在はセイコー傘下にて存続する。かつてはタカノ(腕時計生産は1957年から)が存在したが、中京圏に本拠があったため1959年の伊勢湾台風で大被害を受けて業績悪化、1962年にリコーに買収された。
精度向上と電気動力化
機械式の腕時計には振り子の代用をするテンプが仕込まれており、その振動数が高ければ高いほど時計の精度は上がる。並級腕時計のテンプは振動数が4~6回/秒のロービートだが、高精度型腕時計では8~10回/秒の多振動となっており、ハイビートとも呼ばれる。現代の機械式時計のうち、スイス製の多くはハイビートであり、また日本製でも上級品はハイビートが多い。ただし、ハイビート仕様とすると部材の疲労や摩耗が早まり、耐久性ではやや不利である。
電池エネルギーで作動する腕時計は、アメリカのハミルトンが開発し、1957年に発売したのが最初である。これは超小型モーターで駆動する方式で、調速の最終段階には機械式同様にテンプを使っていたが、電源をトランジスタで整流して駆動力の安定を図っていた。ボタン状の小型電池を使う手法は、以後の電池式腕時計に踏襲されている。
1960年にはやはりアメリカのブローバが音叉式腕時計「アキュトロン」を開発した。超小型の音叉2個を時計に装備して、電池動力で一定サイクルの振動を得る。この振動を直接の動力に、ラッチを介して分針時針を駆動するものである。振動サイクルは毎秒360回と、クォーツ腕時計以前では最高水準の精度であったが、ブローバが技術公開やムーブメント供給に積極的でなかったこともあり、クォーツショック以降は速やかに廃れた。
クォーツショック
1969年、セイコーは世界初のクォーツ腕時計(水晶発振式腕時計)「アストロン」を発売する。当時の定価は45万円と、大衆車よりも高価であった。
水晶は電圧をかけると一定サイクルで振動する(水晶振動子を参照)。水晶発振器の信号を15回分周して1秒間に1回の信号に変換し、この信号をステッピングモーターに与えることで、1秒ごとに秒針を回している。この原理自体は第二次世界大戦以前に着想され、大型置時計は天文台等で使用するために古くから存在していたが、腕時計に使えるサイズに超小型化したのはセイコー技術陣の努力によるものであった。
それ以前の機械式や電池式の腕時計は、秒針が連続して滑らかに動くスウィープ運針だったが、クォーツ時計では省電力のために、秒針が1秒刻みで動くステップ運針となり、容易に見分けられる。
クォーツ腕時計は通常、発振周波数を32.768kHz(=215)に調整された水晶を使用する(この周波数が計時設定上使いやすいためで、それ以外の数値に設定される例もある)。振動数の高さは圧倒的で、機械式はおろかブローバの音叉式「アキュトロン」をも遙かに凌ぐ高精度を実現した。
機械式やそれ以前の各種電池式に比べ圧倒的に誤差が少ないことからクォーツ腕時計は1970年代に市場を席巻した。その結果スイスなどの高級機械式腕時計ブランドは壊滅的な打撃を受け、20世紀半ばまで全盛を誇ったアメリカの時計メーカーはほぼ全滅した。これを「クォーツショック」と言う。
もっとも、スイスのメーカーもクォーツの開発には余念がなく、セイコーの「アストロン」はタッチの差で登場したものであった。むしろ、スイスの時計メーカーにとってさらに深刻だったのは、オイルショックとドルショックであった。1973年のオイルショックによる生産コストのアップと国際為替の変動相場制への移行によるスイス・フラン高が、スイス時計の国際競争力を奪っていった。そこへ、日本製クォーツ時計がスイスでは不可能なほどに低価格化を推し進めていったのである。日本製クォーツの登場のみならず、この複合的な要因こそがスイス時計没落の真因であろう。
その後、アラーム機能、ストップウォッチ機能など、腕時計の高機能化が進む一方、クォーツ腕時計の低価格化が進み、かつては高級品であった腕時計が、子供でも小遣い銭で買うことのできるような身近な商品へと変貌した。
同時期の1970年、アメリカのハミルトンより世界初のデジタル腕時計が発売される。この腕時計ではLEDを用いて時刻を表示した。デジタル腕時計は当初は極めて高価なものであったが、液晶表示の導入と可動部品皆無な構造で大量生産に適するようになり、低価格化が促進された。現代では一般にアナログ式より廉価な存在となっている。
機械式の復権と日本メーカーの凋落
1980年代に入ると、スイス製の高級機械式腕時計が徐々に人気を取り戻してきた。精度ではクォーツに劣るものの、熟練工によって作り上げられた、いわば血が通った技術とも言うべきものが再評価され始めたのである。
この時代、欧州での機械式ムーブメント製造の事情は大きく変わった。クォーツ時計登場以降、機械式時計のメーカーやムーブメント製造を行う専門メーカーの再編と淘汰が進み、現在ではスイスのETAが、ヨーロッパの機械式腕時計業界へのムーブメント供給で大きなシェアを占めるようになった。その過程ではコストカットのため、各パーツの生産・加工において大規模に自動化設備が導入されている。
このため、現状では高級品と並級品とが同型のETAムーブメントを用いているケースも珍しくなくなったが、自動化生産が進んだといえども機械式ムーブメントは最終的に人の手によって組立せざるを得ない。組立(ケーシング)技術・仕上げの技術にはメーカー間の姿勢、熱意、技術等に差があり、同じETAムーブメントでもブランドによっては精度・仕上げに差が出る事も多い。
無論ETAムーブメントに頼らず自社開発・製造を行っているメーカーも残っている。一部の特殊なパーツを除きムーブメントの製造から組み立て、仕上げまでを一貫して行うメーカーをマニュファクチュールと呼んで特別視する。
このようにして、手軽かつ高機能なクォーツ時計と、高級な工芸品・嗜好品の機械式時計という位置づけで棲み分けがなされるようになった。
スイス製の機械式腕時計が右肩上がりの成長を始めるのと同時に、日本製のクォーツ式腕時計の業績が急激に悪化した。安価な人件費を武器にしたアジア製のクォーツ時計との価格競争に敗れ、大幅にシェアを失ったのである。また、かつては世界的に認められていた機械式時計技術のノウハウも特に人的財産の面で1970年代以降失われてしまっていた。皮肉なことに日本メーカーは自らが生み出したクォーツ技術に足をすくわれたのである。
時計製造を専門としない無名のアッセンブリーメーカーが、アジア製の廉価なクォーツムーブメントをやはり廉価なケースに収め、実売1000円-3000円程度の格安価格で流通させる事例は、1980年代以降の日本でも一般化した。この種の無名な廉価時計は中国などで組み立てられるものが多く、外観こそ粗末だが実用上支障ない精度と必要十分な防水性を備えているため、世界的にも底辺の量販価格帯を席巻している。
新たな腕時計の模索
日本メーカーは復権をかけ、高級機械式腕時計として1960年代に名声を博した「グランドセイコー」、「キングセイコー」を復活させるなど、機械式腕時計の開発に再度力を入れるようになってきた。
また、日本メーカーは最新の技術を導入した新しいタイプの腕時計も投入している。セイコーの「キネティック」は自動巻き時計と同様にローターを内蔵し、腕の振りによって発電を行う、電池交換不要のクォーツ腕時計である。装着していない時には省電力のため針の動きが自動的に停止し、再び装着され振動が与えられるとそれを感知して自動的に現在時刻に復帰するオートリレー機能を組み込んだ「キネティックオートリレー」、小の月だけでなくうるう年においても正しい日付を示すパーペチュアルカレンダーの「キネティックパーペチュアル」、手巻き充電にも対応し、パワーリザーブ表示機能を持つ「キネティック・ダイレクトドライブ」もある。新コンセプトの腕時計「スペクトラム」の発売も注目されている。近年、セイコーは機械式ムーブメントに、テンプの代わりにクォーツの調速機構を組み込みクォーツ時計並みの高精度を実現した「スプリングドライブ」を開発している。
一方シチズンの「エコ・ドライブ」は光発電によって駆動する。また珍しいものに、外気温と装着者の体温の差を動力源にするものがある(Citizen Eco-Drive Thermo)。
標準電波を受信することにより、時刻を自動的に補正する電波式腕時計も発売され、2000年代に入ってから売れ行きを伸ばしている。電波時計は、基本的にはクォーツで時を刻むが、一日に数回、原子時計で管理された標準電波を送信局から受け取り、自動的に正しい時刻に修正するため、電波を受信できる環境にあれば誤差が蓄積せずいつまでも正しい時を刻むことができる。
またカシオは、腕時計は床に落とせばたやすく壊れる、という常識に反し、2~3階から落としても壊れないという耐衝撃性能を備えたタフな腕時計、G-SHOCK(Gショック)を1983年から発売した。このGショックは、その頑丈さを買われて、過酷な状況にある湾岸戦争やイラク戦争などの戦場で兵士たちに愛用されていたという。
スイスの機械式腕時計も技術革新を怠っていない。老舗メーカーであるユリスナルダンが2001年に発表した「フリーク」は新しい脱進機の導入により、潤滑油を不要としている。オメガはジョージ・ダニエルズ氏が発明した「コーアクシャル」と呼ばれる新機構を導入し、機械式時計の心臓部である調速機構との動力伝達を果たす、脱進機機構(アンクル爪、ガンギ歯)における摩擦の大幅な低減に成功している。
さらに、スイスメーカーも新たなコンセプトを模索している。例えばスウォッチは、安価なクォーツ時計に、鮮やかな色彩、有名アーティストによるデザイン、少数限定販売という付加価値を与えることでユーザーの支持を集めている。
だが、近年は電波時計機能付の携帯電話も登場しており、日本の若者にはあえて腕時計を使わない者も少なくない。手首を見るのでなく、携帯電話をおもむろに取り出して時間を確認するという、20世紀初頭の懐中時計時代へ逆行するような現象も一般化しつつある。21世紀の腕時計の展開に与える影響が注目されるだろう。
防水腕時計
腕時計は精密機械であり、内部に水分が侵入すると故障して作動しなくなる。人間の活動領域が広がり、時計が過酷な条件に晒されるようになると、内部の機械を保護できる耐水ケースの需要が生じてきた。現在では一般に市販されている腕時計の多くが、程度の差はあれ、何らかの防水仕様を備えている。
腕時計の防水機能は、「気圧」もしくは「水深(m/ft)」で表される。基本的には、小雨に打たれたり日常の水仕事で水がかかっても大丈夫というレベルの「日常生活防水」(3~5気圧防水)、水泳や潜水などで着用する10~20気圧防水、そして本格的なダイビングに使用される潜水用腕時計(数百メートルから極端なものでは一万メートル防水も)まで様々なレベルがある。
表示の見方については注意を要する。「3気圧防水」と言っても、これだけの水圧がかかる深度、つまり「水深20~30メートルまで潜っても大丈夫」というわけではない。この気圧は、静止した状態でこの水圧に耐えられるという意味であり、水中で勢いよく腕を動かせば、浅い水中でもこれ以上の水圧が腕時計にかかることになる。従って3気圧防水程度では水泳時に着用すると浸水する恐れがある。水深(メートルやフィート)で表される場合には実際に表記どおり潜ることも可能な性能を持つが、メンテナンスを怠ると性能を充分に発揮できずに浸水する場合があるので、注意が必要である。
ねじ込み式
この種の時計は第1次世界大戦前後に出現しており、初期の発想としては、ガラスののぞき窓と竜頭操作用のねじ込み蓋を備えた別体ケースに腕時計を入れ、ケースごとベルトで装着するものがあった。これは防水性は確保できるがかさばって使いにくく、体裁も悪かった。
早い時期に近代的な防水構造を採用した代表例は1926年のロレックス社である。オイスター社が開発した(ロレックス自身の開発ではない)削り出しによる一体構造の「オイスターケース」方式を導入したもので、腕時計本体のケースにねじ込み竜頭を備え、従来よりコンパクトでスマートな防水時計を実現した。1928年にはロレックスを装着した女性記者メルセデス・グライツがドーバー海峡横断遠泳に成功、ロレックスの防水性を広く喧伝した。
ねじ込み式竜頭や夜光塗料を塗布した文字盤を装備し、水深100m以上の水圧に耐えられる「ダイバーズ・ウォッチ」は、1930年代に軍用向けに出現していた。潜水時間を管理する安全上の理由からも夜光防水時計は必須だったのである。イタリア・パネライ社のダイバー用大型腕時計はその初期の例であるが、本格的な普及は第二次世界大戦後である。1943年にジャック・クストーが考案したアクアラング装置が戦後に広まり、スキューバダイビングが容易になったことが普及の契機と見られる。
Oリング防水
ねじ込み式竜頭は原理自体は理想の方法だが、ねじ巻きや時間合わせで頻繁に竜頭を使うと摩耗して気密性が下がる弱点がある。それに代わる簡易な手段として、裏蓋や竜頭部分のパッキンにOリングと呼ばれるゴムリングを使い防水性を確保する手法が広まった。リングの個数を増やせば気密性が高まり、またリングの老化で気密性が下がってもリングの交換で復旧できる。あわせてケース材質をさびにくいステンレス製とすることも一般化した。
Oリング方式は第二次世界大戦中には連合国側で通常型の軍用時計に広く使われ、戦後は大衆時計にまで普及した。ねじ込み式竜頭と併用してより厳重に防水する手法も行われており、現在ではもっとも一般的な防水法である。
だが初期のOリング式防水時計は現代で言う「日常生活防水」レベルの防水性能がほとんどであった。日本でも大衆向け価格帯の分野に防水時計が出現した1960年代中期に、ユーザーが防水性を過信して着用したまま入浴や水泳を行い、水の侵入で時計を故障させるトラブルが続出したことがある。
一部のメーカーは耐久性の要求される時計について一種の多重ケース構造に近い手法とOリングの併用で気密性を高める方法を採った。「オメガ・スピードマスター」はその代表例である。
宝飾腕時計
美術工芸品としての腕時計もある。材料に金や銀などの貴金属をふんだんに用い、ルビーやダイヤモンドといった宝石を散りばめた華美な装飾品としての腕時計である。こうした時計では、クオーツ式ではなく機械式であることが多い。
極端なものでは、風防に数カラットの大粒ダイヤモンドを用いるなど、考えうる限りの贅を尽した数億円の腕時計も存在する。
複雑時計
機械式腕時計は小さなケースの中に多くの高度な技術が込められている。中でも「トゥールビヨン」、「ミニッツリピータ」、「永久カレンダー」は超絶技術として名高い。これらの超絶技術は一握りの時計メーカー、時計職人にしか実現できず、これらを組み込んだ腕時計は、100万円以上、なかには1000万円を超す価格をつけることもある。
- クロノグラフ
- 時刻を表示する機能に加えストップウオッチの機能も組み込んだ時計のことをクロノグラフという。文字板上に複数の小ダイアルを配置した外観が特徴的である。この機能を初めて備えた腕時計は1915年ブライトリング社によって発表されたもので飛行機の操縦士用に開発された。ストップウォッチ用の針が2本ある場合、スプリットセコンドという。
- ムーンフェイズ
- 月が描かれた円盤で月齢を表す機構。18世紀の天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲが発明したとされる。よく「ムーンフェイス」と誤読されるが、「moon face(フェイス=顔)」ではなく「moon phase(フェイズ=段階)」である。なお、廉価な時計には一見ムーンフェイズと同じような外観の機能を積んだものもあるが、これらの多くは月齢を表しているのではなく、単に12時間毎に月と太陽が書かれたイラストが交互に表示されるだけのもの(すなわち昼夜の区別があるだけ)で、ムーンフェイズと区別して「サン&ムーン」機能と呼ばれている。
- トゥールビヨン
- アブラアン・ルイ・ブレゲが発明した技術で重力による誤差を補正するために主要な部品群を一定方向に常時回転させておく機構のことを指す。本来、時計本体に固定されているべき部品を回転させるため、非常に複雑な機構と高度な技術が要求される。
- ミニッツリピータ
- 時計の側面のレバーを引くことで、鐘の音色や回数で現在時刻を知らせてくれる機構。クォーツ時計のアラーム機能に似ているが、機械式でこれを実現するためには非常に高度な技術が必要とされる。
- 永久カレンダー
- 現在時刻のみならず、月、日、曜日、暦年が表示でき、4年に一度の閏年も補正の必要が無いカレンダー機構を永久カレンダーと呼ぶ。
デジタル化による付加機能
機械式時計と異なり、デジタル時計には精度が必要な時間計測、カレンダー、アラームといった機能が初期の段階から備わっていた。そのために、各種センサー類を取り付けることによって、従来の時計とは異なる機能(気温、気圧測定、電子コンパスなど)が付け加えられた。
性差・着用方法
腕時計は利き腕と反対側の腕に着用することが多い。また、女性の場合、盤面を腕の内側に向けて着用する例も比較的多いが、男性においては稀である。女性用腕時計は男性用腕時計に比べて小型に設計されている。中には必要以上に小型化されている例もあり、かつてはそのような婦人時計を「南京虫」と呼んだ。男性用サイズと女性用サイズの中間的なサイズの腕時計はボーイズサイズと呼ばれる。
なお腕時計成立の経緯から懐中時計に比べて腕時計は略式とみなされ、従来は燕尾服、モーニングコート、ディナージャケットその他の礼装時には腕時計は着用しないものとされてきたが、現在ではその規範は徐々にゆるくなってきている。
腕時計をめぐる逸話
- オメガの「スピードマスター」はNASAの公認クロノグラフである。NASAは各社の腕時計に対し、宇宙空間での使用に耐えられるかどうか、耐熱性、耐寒性、耐衝撃性など様々な試験を行った。この結果、「スピードマスター」のみが合格したという実績を持つ。この試験に使用された「スピードマスター」には特にそれ専用の改造をほどこしてあったわけではなく市販品とまったく同様のものであった。アポロ計画でも使用され、月面に降り立った唯一の腕時計という栄誉を誇っている。1970年、アポロ13号は月に向かう途中で酸素タンクが爆発するという大事故が発生した。航法用コンピュータが使用不能になったが、「スピードマスター」を用いてロケット噴射時間の制御を行い、乗組員は全員無事生還を果たしている。ちなみに「スピードマスター」の裏蓋には"FIRST WATCH WORN ON THE MOON"の文字が刻まれている。
- カシオの「Gショック」は米国での発売当初、アイスホッケーのパックの代わりにしても壊れないとの売り文句でコマーシャルを放映していた。これに対し消費者団体は誇大広告であるとの抗議を行ったが、再現実験をしてみると、コマーシャル通りの結果が得られたため、「Gショック」の評価が一気に高まったとの逸話がある。また本格的な防水ケースにも関わらず、パーツの大半が合成樹脂で作られているため、磁気を帯び難い(消磁しやすい)とされ、湾岸戦争当時には磁気に反応する機雷処理を行う軍関係者に好まれた。この逸話が日本に伝えられると、それまでは「ゴツいだけでファッショナブルではない」と一般にはあまり人気の無かった国内市場で愛好者が急増、これに気を良くしたカシオ側はさまざまなバリエーションを発売して、今日のコレクター市場成立に至っている。
参考文献
- 『腕時計雑学ノート』 笠木恵司、並木浩一 共著 ダイヤモンド社
- 『D&M 日経メカニカル』 2002年7月号p75~p101「こんな時代だからあえてメカ回帰」、日経BP社
- 『世界各国要覧と最新統計』 二宮健二、二宮書店
関連項目
脚注
- ^ 香港を含まず。