長崎県立国見高等学校
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長崎県立国見高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
設立年月日 | 1949年8月19日 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 42124D |
所在地 | 〒859-1321 |
長崎県雲仙市国見町多比良甲1020番地 北緯32度51分57秒 東経130度18分20.2秒 / 北緯32.86583度 東経130.305611度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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長崎県立国見高等学校(ながさきけんりつくにみこうとうがっこう)は、長崎県雲仙市にある公立の高等学校。
元総監督(同校教諭、教頭、校長を歴任)の小嶺忠敏が率いたサッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会の常連校であった。高木琢也・三浦淳宏・都築龍太・大久保嘉人・平山相太など多くのサッカー選手を輩出していた。
沿革
- 1949年8月19日 - 長崎県立島原高等学校定時制多比良分校として開校。
- 1956年11月1日 - 町村合併に伴い多比良分校を国見分校と改称。
- 1967年4月1日 - 島原高等学校より独立、国見高等学校として発足。
- 1987年 - 第66回全国高等学校サッカー選手権大会で初優勝。
設置学科
最寄駅
サッカー部
- サッカー部は2007年1月1日現在、全国高等学校サッカー選手権大会に21年連続で出場していた。大会史上、最多連続出場記録となっている。
- 選手権優勝回数6回(1987、1990、1992、2000、2001、2003年度)は戦後最多タイの優勝回数。
- インターハイの優勝回数5回(1986、1993、2000、2003、2004年度)も最多タイの記録である。
- 2000年度にインターハイ、国体(国見高単独チームで長崎県選抜として出場)、選手権の三冠を達成。
- 第85回選手権大会(2006年度)で同校の選手権史上初の初戦敗退を喫した。
- 部員は頭髪を坊主頭にしなくてはならない。
- 2007年1月9日、小嶺忠敏が総監督を辞任(夏の参院選長崎県選挙区で自民党公認で出馬するため。結果は落選)。
- 2007年4月、後任の監督として(「総監督」のポストは廃止)、小嶺忠敏の島原商業時代の教え子で元熊本国府高監督の瀧上知巳が就任。
- 2007年10月28日、選手権長崎県大会準々決勝において長崎南山にPK戦の末敗れ、全国大会連続出場記録がストップ。ちなみにこの大会を勝ち抜いたのは島原商業で、監督の宮崎伸一もまた小嶺の教え子であった。
卒業生
- 高木琢也(元横浜FC監督、元日本代表)
- 岩本文昭(V・ファーレン長崎監督)
- 小島光顕(元アビスパ福岡)
- 塚本秀樹(元アビスパ福岡)
- 路木龍次(元大分トリニータ 元日本代表)
- 永井秀樹(元東京ヴェルディ1969)
- 関憲太郎(ベガルタ仙台)
- 永井篤志(ベガルタ仙台)
- 三浦淳宏(横浜FC 元日本代表)
- 都築龍太(浦和レッズ 元日本代表)
- 船越優蔵(東京ヴェルディ)
- 木藤健太(モンテディオ山形)
- 小森田友明(ロアッソ熊本)
- 大久保嘉人(ヴィッセル神戸 日本代表)
- 松橋章太(ヴィッセル神戸 元日本代表)
- 徳重健太(ヴィッセル神戸)
- 徳永悠平(FC東京 日本代表)
- 片山奨典(名古屋グランパスエイト)
- 巻佑樹(名古屋グランパスエイト)
- 松橋優(大分トリニータ)
- 平山相太(FC東京)
- 蒲原達也(FC町田ゼルビア)
- 渡邉大剛(京都サンガF.C.)
- 中村北斗(アビスパ福岡)
- 兵藤慎剛(横浜F・マリノス)
- 城後寿(アビスパ福岡)
- 柴崎晃誠(東京ヴェルディ)
- 小田幸司(V・ファーレン長崎)
- 白谷建人(セレッソ大阪)
- 立花由貴(横河武蔵野フットボールクラブ)
- 百武義成(元セレッソ大阪)