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リカルド・クアレスマ

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リカルド・クアレスマ
名前
本名 リカルド・アンドラーデ・クアレスマ・ベルナルド
愛称 ハリー・ポッター、マスタング、スィガーノ
ラテン文字 Ricardo Quaresma
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1983-09-26) 1983年9月26日(41歳)
出身地 リスボン
身長 175cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテル
ポジション MFFW
背番号 77
利き足 右足
代表歴
2003-  

ポルトガルの旗 ポルトガル

 
24 (3)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リカルド・アンドラーデ・クアレスマ・ベルナルド(Ricardo Andrade Quaresma Bernardo, 1983年9月26日 - )はポルトガルリスボン出身のサッカー選手セリエAインテル所属。ポジションはMFで主に左右のウイングとしてプレーしている。

優れたウイングプレイヤーを輩出するスポルティング・リスボンのアカデミーの出身(先輩にルイス・フィーゴ、後輩にクリスチアーノ・ロナウドナニ)であり、切れのあるドリブル突破が持ち味のポルトガル期待のウインガーである。

ポルトガルでの発音はクァレズマかクァレジュマに近い。

プレースタイル

鋭いドリブル突破と右足の正確な技術は目に見張るものがある。同じポルトガル出身のテクニシャンと言えば、思い出されるのはクリスチアーノ・ロナウドであるが、彼が高速の跨ぎフェイントを特徴とするのに対し、クアレスマは人を食ったようなプレーを得意とする。ドリブルのクオリティだけを見るなら、ロナウド以上との意見も多い。ラボーナが非常に上手い選手で、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07アーセナル戦でラボーナによるループシュートからゴールを狙った。

得意技は右アウトサイドのキック。左サイドから右足で蹴り上げたボールは味方の頭にピタリと当たる。ハリー・ポッターのニックネームを持ち、名付け親は定かではないが、クアレスマの技術を称えて名付けられたものだと推測できる。足の裏を使ってボール捌きを行うケースが多く、そのプレースタイルはフットサルを彷彿とさせる。

175cmと小柄ではあるが、筋肉質でフィジカルコンタクトにも強くシュートもクロスも力強い。また瞬発力と敏捷性に長けており急激な加速とブレーキを可能とし、緩急をつけたテクニカルかつトリッキーなドリブルに応用されている。

気性が荒く他の選手や監督との衝突する場面、また得意のドリブルに執着しすぎる場面がしばしば見られる。が、年々プレーの選択肢が増え、選択の正確性も増してきており、2005-2006年シーズンのリーグアシスト王に輝く等技術的にも精神的にも成長が窺える。

経歴

スポルティング・リスボンのアカデミーの練習生を経て2000-2001年シーズンにBチームでデビューし15試合に出場。翌2001-2002年シーズンにはトップチームのメンバー入りを果たし、FCポルト戦でリーグデビューを飾ると中心選手として活躍(リーグで28試合出場3ゴール)、今シーズンのリーグとカップのダブル優勝に貢献。続く2002-2003年シーズンも31試合に出場し5ゴールで一躍脚光を浴び、シーズンオフにリーガ・エスパニョーラの名門・FCバルセロナに引き抜かれた。

2003-2004年シーズン、ACミランとのフレンドリーマッチでデビュー、1得点を挙げる上々のスタートを切り、序盤戦は4-2-3-1システムの右ウイングとして先発を任され、ロナウジーニョと共に大きな期待を寄せられたが、若さを露呈し満足のいくプレーは出来なかった。シーズン後半には4-3-3へシステムを変更し純粋なウイングではなくよりフォワード的な選手(ロナウジーニョとルイス・ガルシア)が起用される様になると先発出場の機会が激減した。フランク・ライカールト監督と起用法をめぐって対立し、シーズンオフにはデコとのトレードでFCポルトに移籍する事になった。リーグ戦では22試合に出場(内先発は11試合)し1ゴール。また、シーズン最終週で足の甲を骨折し、噂されていたEURO2004とU-21欧州選手権の両方に欠場することを余儀なくされた。

2004-2005年シーズンは32試合に出場し5得点(リーグ戦2位)、翌2005-2006年シーズンは29試合出場5ゴール。2005-2006年シーズンにはドリブルだけではなくクロスから多くの好機を演出しリーグのアシスト王となり、リーグとカップの二冠に大きく貢献した。活躍が代表監督・ルイス・フェリペ・スコラーリの目に止まり、2006 FIFAワールドカップの予選で招集を受け試合にも出場するものの、本大会のメンバー入りはならなかった。

2006-2007年シーズンにはリーグ2連覇を達成。自身も26試合に出場し6得点を記録し年間最優秀選手を受賞。技術的にも精神的にも成長を見せ、代表も継続的に呼ばれるようになり、左右のウイングとして先発出場も増えた。シーズンオフにはリーガ・エスパニョーラアトレティコ・マドリーや、プレミアリーグリヴァプールFCといったビッグクラブへの移籍も噂されたが残留し、リーグ3連覇とチャンピオンズ・リーグでの躍進を目指す事となった。

2008年8月に移籍期限ぎりぎりでイタリアの強豪インテルに1860万ユーロ(約29億3000万円)という高額な移籍金、加えてペレのトレードという事で加入した。「ビッググラブでプレーしたい」という本人の希望に加え、インテル監督に就任したモウリーニョが強く求めていた選手の1人であったことから大きな期待をかけられたものの、2008年度はポルト時代ほどの活躍は見せておらず、初めてのセリエAに大苦戦。そのため、ラジオ局のリスナーが選ぶイタリア年間最悪選手賞である「金のバケツ賞」を受賞してしまった。

備考

所属クラブ

個人成績

2008.12.21 現在 (2008-09シーズン セリエA第17節、欧州CL・グループリーグ第6節 終了時点)
クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン 2001–02 スーペル・リーガ - 28 3 - - - - 28 3
2002–03 スーペル・リーガ - 31 5 - - - - 31 5
合計 59 8 - - - - 59 8
スペインの旗 FCバルセロナ 2003–04 プリメーラ 20 22 1 - - - - 22 1
合計 22 1 - - - - 22 1
ポルトガルの旗 FCポルト 2004–05 スーペル・リーガ 10 32 5 - - - - 32 5
2005–06 スーペル・リーガ 7 29 5 - - 6 0 35 5
2008–07 スーペル・リーガ 7 22 3 - - 8 2 30 5
2007–08 スーペル・リーガ 7 25 9 - - 8 2 33 11
合計 108 22 - - 22 4 130 26
イタリアの旗 インテル・ミラノ 2008–09 セリエA 77 12 1 - - 6 0 18 1
合計 12 1 - - 6 0 18 1
合計 201 32 - - 28 4 229 36

獲得タイトル

チームタイトル

個人タイトル

  • ポルトガル最優秀選手賞:2 (2005, 2006)
  • ポルトガル・ゴールデンボール:1 (2007)
  • ビドーネ・ドーロ:1 (2008)

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