アンドリー・シェフチェンコ
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名前 | ||||||
本名 | アンドリー・ムィコラーヨヴィチュ・シェフチェンコ | |||||
愛称 | シェバ、シェヴァ、ウクライナの矢 | |||||
ラテン文字 | Andrij Shevchenko | |||||
ウクライナ語表記 | Андрій Миколайович Шевченко | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウクライナ | |||||
生年月日 | 1976年9月29日(48歳) | |||||
出身地 | キエフ州・ヤホティーン地区・ドヴィルキウシュチナ村 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ACミラン | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 76 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1995– | ウクライナ |
86 (40) 2009.4.1現在 | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドリー・ムィコラーヨヴィチ・シェフチェンコ(アンドレイ・シェフチェンコ[1];ウクライナ語:Андрій Миколайович Шевченкоアンドリーイ・ムィコラーヨヴィチュ・シェウチェーンコ;ラテン文字表記:Andrii Mykolaiovych Shevchenko;ロシア語:Андрей Николаевич Шевченкоアンドリェーイ・ニカラーイェヴィチュ・シフチェーンカ、1976年9月29日 -)は、ウクライナ・キエフ州・ドヴィルキウシュチナ村出身のサッカー選手である。
略歴
6歳でウクライナの名門、ディナモ・キエフのサッカースクールに入り、1992年にディナモ・キエフユースに昇格。1994年にトップチームでデビューを果たす。最初のクラブであるディナモ・キエフではチームを5年連続リーグタイトルに導いた。しかし、彼のキャリアの転機となったのは、国内で見せた素晴らしい活躍ではなかった。
彼の名とその才能が世界に知れ渡ったのは1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおいてである。中でもFCバルセロナをカンプ・ノウで0-4と言う記録的スコアで打ち破った衝撃は相当なものであった。バルセロナの圧倒的優位が報じられる中、当時無名だったシェフチェンコはこの試合でハットトリックを達成。世紀の番狂わせの立役者となった彼は次シーズンのチャンピオンズリーグでも大活躍し、10得点を挙げて1998-99シーズンのCL得点王を獲得。ディナモ・キエフをCLベスト4に押し上げる原動力となった。
ヨーロッパに強烈なインパクトを残したシェフチェンコの才能をビッグクラブが黙って見ているはずもなく、1999-00シーズンからは推定移籍金2600万ユーロでACミランに移籍を果たす。移籍初年度から高い順応性を見せた彼は、鋭い突破力と高い決定力で32試合で24得点を挙げていきなりセリエA得点王を獲得。2002-03シーズンは開幕前に負傷したこともあってか期待された活躍は見られなかったものの、ACミラン在籍時に「不振」と言われるような成績を残したのは僅かこのシーズンのみである。2003-04シーズンには再び24得点を挙げて得点王に輝き完全復活を果たし、ACミランのスクデット獲得に大きく貢献。この年、ポルトガルのデコとブラジルのロナウジーニョを抑えてヨーロッパ年間最優秀選手を受賞した。ウクライナ人でこの名誉を授かったのは、オレグ・ブロヒン(1975年)、イーゴル・ベラノフ(1986年)に次いで3人目である。
2005-06シーズン終了後、更なる高みを目指すためACミランからの退団とFAプレミアリーグへの移籍を表明。5月31日、4500万ユーロ(約63億円)の移籍金、年俸900万ユーロ(約13億円)の4年契約でチェルシーFCへ移籍したものの、プレミアリーグのサッカーやチェルシーの戦術に馴染めなかったためか、本来の実力を発揮したとは言えないパフォーマンスであった。
その後もなかなかチームに馴染めず出場機会が限られていたため何度も古巣ミラン復帰の噂がされていたが、2008年夏、得点力不足や前線のメンバーの負傷が相次ぐなど前線に問題をかかえていたミランがレンタル移籍のかたちで獲得を希望する。交渉は難航するが8月23日、レンタル移籍で両クラブ間の合意に達し、2シーズン振りの復帰となった。また、背番号は、すでにパトが背番号7を背負っていたため、自身が1976年生まれであること、且つ彼の好む「7」という数字が入っていることから「76」となった。
しかし一旦狂った歯車は中々好転せず、慣れ親しんだミランでも往時の輝きは取り戻せていない。
エピソード
- その直線的なドリブル突破は「ウクライナの槍」と形容される(ウクライナの矢はゲームから波及したもので一般的ではないので注意)(これは同じウクライナのFWであったオレグ・ブロヒンの愛称を受け継いだもの)、シェーヴァ(シェバ)。愛称のシェバはヘブライ語で数字の7を意味するため、本人も背番号は7番(もしくは7の入る数字)にこだわりがある。
- 2004年3月にペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出され、同年度のバロンドールを受賞するなど、ウクライナの英雄的存在。実際に2004年にはウクライナのレオニード・クチマ前大統領から「ウクライナの英雄」として表彰されている。
- 同じく2004年にアメリカ人モデルのクリステン・パツィクと結婚。長男はアメリカの元バスケットボール選手マイケル・ジョーダンにちなんでジョーダン君と名付けられた。彼がチェルシーへと移籍したのもこのチームが英語圏だったからという理由もあるよう。
- ACミランではデメトリオ・アルベルティーニ、アレッサンドロ・コスタクルタと仲が良かった。
- 2005-2006シーズン末に長年契約していたロットとの用具契約を終了し、日本のミズノと用具契約をしたが、シーズン終了後、チェルシーに移籍し、同チームがユニフォーム以外のシャツを着てのスパイク等の広告を禁止した為、クラブのスポンサーであるアディダスの子会社リーボックがミズノに金銭を支払うという形で契約を買い取り、現在はリーボックを使用している。
- 幼少時代キエフ郊外のクレシュチェチュクに住んでおりチェルノブイリ原発事故に遭遇している。事故発生後は疎開している。
プレースタイル
フィジカル能力の高さとスピードを生かしての豪快な突破が持ち味。しかしプレーから無骨な印象は受けず、足下の技術の高さにスペースへの嗅覚も兼ね備え、「点獲り屋」として完成されたプレーを実行出来るストライカー。ペナルティエリアに侵入してのプレーが相手にとって脅威なのはもちろん、僅かな隙を衝いて放つペナルティエリア外からのミドルシュートも精度が高い。ウクライナ代表やクラブではFKも蹴っており、直接決めた事も多々ある。また、代表では適したプレーヤーが他にいなかったため攻撃的MFを担っていたこともある。
経歴・タイトル
クラブ
- ディナモキエフ
- ウクライナ・プレミア・ディビジョン:1995, 1996, 1997, 1998, 1999
- ウクライナカップ:1996, 1998, 1999
- CISカップ:1996, 1997, 1998
- ACミラン
- UEFAチャンピオンズリーグ:2002-2003
- コッパ・イタリア:2002-2003
- セリエA:2003-2004
- チェルシー
- FAカップ: 2007
- フットボールリーグカップ: 2007
代表
ワールドカップ戦績
初出場 2006年 6月14日 対スペイン代表戦 0-4
初ゴール 2006年 6月18日 対サウジアラビア代表戦 4-0(三点目に決める)
個人
- ウクライナ・プレミア・ディビジョン得点王:1999
- CISカップ得点王: 1997
- セリエA得点王:2000, 2004
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王:1999, 2006
- バロンドール: 2004
- ウクライナ最優秀選手: 1997, 1999, 2000, 2001, 2004, 2005
- セリエA最優秀外国人選手: 2000
- UEFAチャンピオンズリーグ最優秀FW:1999
- ゴールデンフット賞: 2005
- FIFA 100
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人
- ウクライナ代表歴代最多得点記録
所属クラブ
個人成績
- 2009年4月11日現在
クラブ | シーズン | リーグ | カップ1 | 国際大会2 | 合計 | ||||
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Apps | Goals | Apps | Goals | Apps | Goals | Apps | Goals | ||
ディナモ・キエフ | 1994/95 | 17 | 1 | 4 | 1 | 2 | 1 | 23 | 3 |
1995/96 | 31 | 16 | 5 | 1 | 2 | 2 | 38 | 19 | |
1996/97 | 20 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 6 | |
1997/98 | 23 | 19 | 8 | 8 | 10 | 6 | 41 | 33 | |
1998/99 | 26 | 18 | 4 | 5 | 14 | 10 | 44 | 33 | |
Total | 117 | 60 | 21 | 15 | 28 | 19 | 166 | 94 | |
ACミラン | 1999/00 | 32 | 24 | 5a | 4 | 6 | 1 | 43 | 29 |
2000/01 | 34 | 24 | 3 | 1 | 14 | 9 | 51 | 34 | |
2001/02 | 29 | 14 | 3 | 0 | 6 | 3 | 38 | 17 | |
2002/03 | 24 | 5 | 4 | 1 | 11 | 4 | 39 | 10 | |
2003/04 | 32 | 24 | 2a | 0 | 11b | 5b | 45 | 29 | |
2004/05 | 29 | 17 | 1c | 3c | 10 | 6 | 40 | 26 | |
2005/06 | 28 | 19 | 0 | 0 | 12 | 9 | 40 | 28 | |
Total | 208 | 127 | 18 | 9 | 70 | 37 | 296 | 173 | |
チェルシーFC | 2006/07 | 30 | 4 | 11d | 7d | 10 | 3 | 51 | 14 |
2007/08 | 17 | 5 | 3e | 2e | 4 | 1 | 24 | 8 | |
Total | 47 | 9 | 14 | 9 | 14 | 4 | 75 | 22 | |
ACミラン | 2008/09 | 18 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | 23 | 2 |
Total | 15 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | 23 | 2 | |
Career Totals | 387 | 196 | 54 | 34 | 119 | 61 | 560 | 291 |
1 リーグカップ、スーパーカップ
2 UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAスーパーカップ
トヨタカップ、FIFAクラブワールドカップ
註釈
- ^ ウクライナ語名の日本語表記はアンドリイ・ムィコラーヨヴィチ・シェウチェンコ、ロシア語名の日本語表記はアンドレイ・ニコラーエヴィチ・シェフチェンコ。ウクライナの独立以後はウクライナ語のみが同国の公用語となっており、人名についてもウクライナ語名が公式。日本のメディアではロシア語名に準じた「アンドレイ・シェフチェンコ」が用いられることが多かった。最近では、ウクライナ語名のロシア語訛りに準じた表記「アンドリー・シェフチェンコ」が用いされることも多くなってきている。ウクライナ語の標準語に準じた表記では「アンドリイ・シェウチェンコ」(アンドリー、アンドリーイ、シェヴチェンコ、シェウチェーンコ、シェヴチェーンコなどのバリエーションあり)となる。「アンドリーイ・シェウチェーンコ」などとなるのは、発音上のアクセントを長音で表すという慣例に従った表記である。また、父称はスポーツ関係では無視されて書かれないことが多い。
外部リンク
- シェフチェンコ応援ページ
- Andriy Shevchenko tribute site (English and Spanish)
先代 パベル・ネドベド |
欧州年間最優秀選手 2004 |
次代 ロナウジーニョ |
先代 ルート・ファン・ニステルローイ |
UEFAチャンピオンズリーグ得点王 2005-2006 |
次代 カカ |
先代 クリスティアン・ヴィエリ |
セリエA得点王 2003-2004(24得点) |
次代 クリスティアーノ・ルカレッリ |
先代 マルシオ・アモローゾ |
セリエA得点王 1999-2000(24得点) |
次代 エルナン・クレスポ |