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ルイス・フィーゴ

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ルイス・フィーゴ
名前
本名 ルイス・フィリペ・マデイラ・カエイロ
愛称 フィーゴ、白豹
ラテン文字 Luís Filipe Madeira Caeiro "FIGO"
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1972-11-04) 1972年11月4日(52歳)
出身地 リスボン
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム インテル
ポジション MF(サイドアタッカー)
背番号 7
利き足 右足
代表歴
1991–2006 ポルトガルの旗 ポルトガル 127 (32)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フィーゴことルイス・フィリペ・マデイラ・カエイロ・フィーゴLuís Filipe Madeira Caeiro "FIGO"1972年11月4日 - )はポルトガルリスボン出身の元サッカー選手セリエAインテル所属。元同国代表。ポジションはウイング(主に右サイド)。

人物

ポルトガルでは年間最優秀選手賞を5年連続で受賞するなど、黄金世代の中心選手として長らく代表を支えてきた選手。キャップ数は歴代最多出場記録となる127試合。そのドリブル技術の高さから90年代最高のウイングと評される。

家族はスウェーデン人元モデルのヘレン夫人との間に3女。フィーゴという登録名はポルトガル語でイチジクという意味。またフィーゴの名は父親のあだ名を貰ったものである。

経歴

クラブ

ポルトガルの強豪スポルティング・リスボンでキャリアをスタート。1991年にはポルトガルU-20代表としてFIFAワールドユース選手権優勝に貢献。ルイ・コスタパウロ・ソウザフェルナンド・コウトジョアン・ピント等と共にポルトガルの将来を担う「ゴールデン・ジェネレーション黄金の世代)」と呼ばれた。

1995年スペインバルセロナへ移籍。その破壊力抜群の突破力とチャンスメイクで右サイドを支配、FWのクライファート、左サイドのリバウドと共に3トップを形成し、国内外の数々のタイトルを獲得する原動力となり、ドリーム・チーム以降のバルセロナのシンボルとして絶大な支持を得た。

2000年には欧州年間最優秀選手を受賞したフィーゴであったが、2000-01シーズンにバルセロナからライバルのレアル・マドリードへ電撃移籍。これに反発したバルセロナ・サポーターが、フィーゴ自身が経営するバルセロナ市内の日本料理店を破壊するという大変な騒動にまで発展した[1]。そのためマドリードを去った現在も尚、ペセテーロ(守銭奴)と呼び彼を許さないバルセロニスタが多い。

また、バルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウに初めて乗り込んだ試合ではフィーゴがボールに触れれば即ブーイングが起き、「守銭奴」フィーゴの顔を印刷した100億ペセタ(移籍金)のニセ札が作られ投げられ、フィーゴがコーナーキックを蹴ろうとすればスタンドからビンゴミペットボトル、さらにはの顔の皮まで投げ入れられるなどして、約10分間試合が中断されるなど荒れに荒れた[2]。結果は2-0でバルセロナが勝利し、試合後には宿敵レアル・マドリードと裏切り者のフィーゴを倒したという事もあり、ほとんどのバルセロナの選手がフィーゴに声をかけに行くシーンが印象的であった。またEURO2004、ポルトガルとギリシャの決勝戦でも、試合途中にFCバルセロナの旗を持ったバルサ・サポーターの男がピッチに走りこみ抗議を行い取り押さえられる場面もあり、うな垂れるフィーゴの映像も印象深く、未だに過去の確執を根にもたれている様子である。

このような騒動があったにもかかわらず、フィーゴにとってバルセロナ時代は思い出深いものらしく、「僕の経験上、(バルセロナでの)2年目(1996-97シーズン)は本当に素晴らしいシーズンだった」[3]とインタビューで語っており、その後もバルセロナを去りたくなかったとの発言も残している。

伝統的なライバル間の移籍という大きなプレッシャーの中、レアル・マドリードの黄金期の中心選手となり、自身も2001年にはFIFA最優秀選手賞を受賞した[4]。また、同クラブ在籍中にはリーガ通算100アシストという記録も成し遂げている。

2004-05シーズンは、レアル・マドリードで銀河系政策が進みポジション争いが激化したことやルシェンブルゴ監督との確執[5]により出場機会が減少し、2005-06シーズンからはインテルへ移籍した。レアル・マドリード時代は限界説が囁かれたがその能力は未だ健在で、セリエAでもUEFAチャンピオンズリーグでも中盤の右サイドで活躍している。

2006年12月にサウジ・プレミアリーグの強豪アル・イテハドへのレンタル移籍が取り沙汰され、シーズン終了後の移籍が正式に発表されたが、クラブ側の契約内容不履行(具体的にどのようなことであったかは不明)を理由に移籍は立ち消え。プレー続行を希望するインテル側の要望に応え、2007-08シーズンもインテルで戦う事が決定した。しかし、起用法などから徐々にロベルト・マンチーニ監督との確執が表面化し、「来シーズンもマンチーニが残るなら移籍する」という旨の発言をした。その後、2008-09シーズンからは同胞のジョゼ・モウリーニョがインテルの監督に就任、「経験を活かし、若手の指南役になって欲しい」との意見を聞き、フィーゴはインテルに残ることとなった。 2009年5月30日に、31日開催のアタランタ戦を最後に現役引退を自身の公式サイトで表明した。 そして、5月31日のアタランタ戦、フィーゴは前半45分出場し、後半はベンチに退いて、チームの逆転勝利を見守った。 引退後はインテルの幹部に就任することになった。

代表

ポルトガル代表時代のフィーゴ

1991年10月16日にルクセンブルクとの親善試合で代表デビューを飾る。当時18歳でプロデビューして間もない若手選手であったが、「ゴールデン・ジェネレーション」と呼ばれた仲間達と共に代表に定着し2度のワールドカップ(2002 FIFAワールドカップ2006 FIFAワールドカップ)、3度の欧州選手権(EURO1996EURO2000EURO2004)に出場した。

2000年EURO2000では初戦のイングランド戦で0-2のビハインドから見事なミドルシュートを決め逆転勝利の口火を切り、準々決勝のトルコ戦ではヌーノ・ゴメスへ2アシストの活躍でベスト4へ導いた。

2006 FIFAワールドカップ予選で一時引退していたポルトガル代表に復帰。ポルトガル代表は快進撃を続け、無敗で予選通過。本大会ではグループリーグ初戦のアンゴラ戦では得意のドリブルから絶妙なアシストを見せる等、40年ぶりのベスト4進出に貢献した。しかしドイツとの3位決定戦を最後に代表から引退した。

プレースタイル

ボールコントロールに優れ、高度なステップワークで相手を抜き去るウィングプレイヤー。

足腰の筋肉が強いため切り返しが異常に深く、「わかっていても止められない」と言われている。シザースの名手として知られ、横に大きく揺さぶるその動きは、ボールを跨ぐというよりも左右に大きくステップを踏んでいるようである。ドリブルのスピードは必ずしもトップレベルとは言い難いものの、一瞬の加速による緩急自在のドリブルを持ち、前述したシザースらの巧みなフェイントと絡ませて繰り出すドリブルは、相手がバランスを崩し、横転するほどである。それはまたフィーゴの足首を中心とした足腰全体が、異常に柔らかいが故に出来る事である。クライフターンも得意技の1つ。ドリブルからのクロスやシュートの精度も高い。

近年はスピードの衰えもあり積極的に縦に仕掛ける場面はあまり見せなくなったものの、ドリブルスタイルを相手の重心を崩す緩急をつけたものに変え、時折見せるフェイントからの突破は全盛期を彷彿とさせている。

2006-07シーズンにインテルのフォーメーションが、4-4-2から4-3-1-2になってからは主にトップ下としてプレーしている。

エピソード

  • バルセロナからレアルでプレーした数シーズンは、3人のゾーンマーカーを引き連れながらのプレーも度々あり、当時のフィーゴの存在感がうかがえる。
  • 寿司が好物であることでも知られ、バルセロナに日本食店を出店した。また、来日するたびに寿司店を訪れている。ナイキのコマーシャルのメイキングでも「名選手になるには?」と問われて、いくつか回答した後「ああ、あと寿司を食べることかなぁ」と冗談めかして発言したことがある。
  • スペインで寿司屋を経営していたが、スペインリーグでプレーしていた城彰二にレアル・マドリードでの試合終了後、チョイチョイと手招きをし「俺がやっている寿司屋に来てくれよ。」とさそった逸話がある。城が来店して食べてみたがあんまり美味くなかった、と雑誌で吐露。
  • かつてスペインでショットバー「7」を経営していた。名前の由来は自身の背番号。
  • 語学にも堪能で、母国語(ポルトガル語)、英語、スペイン語、スウェーデン語、イタリア語などが扱える。
  • 真面目そうだが、一度だけ浮気をしたことがある。
  • 少年時代から学業の成績が良く、将来の夢は医者だと言っても誰も反発しなかったという。学力のあまりの良さに、スポルティング・リスポンに入団する際の同意書には「サッカーに専念すること」というような内容が書かれていたようである。
  • インタビューで度々述べているように近々引退後に暴露本を出版する予定(本人曰く「ホラ、悪評を流す批評家、デタラメ、デマを流すマスコミ、いまに見てるがいい、いずれ名指しで暴露してやるさ……。」)。
  • 2005年-2006年シーズンのみロベルト・カルロスと共にモータースポーツであるA1グランプリのポルトガルチームのオーナーでもあった。
  • 妻のヘレンと知り合ったのは1996年で、バルセロナにてホアキン・コルテスのショーを観劇していた最中のことであったという。[6]
  • ミラノ・ダービーにてACミランのサポーターに「インテルの全てが嫌いだ。唯一フィーゴの妻を除いて」との横断幕が掲げられたことがある。
  • サッカー選手引退後は実業家の道へと進みホテル王を目指す夢がある。「俺を高く買ってくれる所なら....」とFCバルサからレアル・マドリードへ移籍したのも金銭に拘るプロ根性と言われる性格の所以。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1990-91 スポルティング-CP 24 スーペル 3 0
1991-92 スポルティング-CP 7 スーペル 34 1
1992-93 スポルティング-CP 7 スーペル 32 0
1993-94 スポルティング-CP 7 スーペル 31 8
1994-95 スポルティング-CP 7 スーペル 34 7
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1995-96 バルセロナ 7 プリメーラ 35 5
1996-97 バルセロナ 7 プリメーラ 36 4
1997-98 バルセロナ 7 プリメーラ 35 5
1998-99 バルセロナ 7 プリメーラ 34 7
1999-00 バルセロナ 7 プリメーラ 32 9
2000-01 R・マドリード 10 プリメーラ 34 9
2001-02 R・マドリード 10 プリメーラ 28 7
2002-03 R・マドリード 10 プリメーラ 33 10
2003-04 R・マドリード 10 プリメーラ 36 8
2004-05 R・マドリード 10 プリメーラ 33 3
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2005-06 インテル 7 セリエA 34 5
2006-07 インテル 7 セリエA 32 2
2007-08 インテル 7 セリエA 17 1
通算 ポルトガル スーペル 134 16
スペイン プリメーラ 336 67
イタリア セリエA 83 8
総通算 553 91

タイトル

クラブ

  • スポルティング・リスボン時代
    • ポルトガルカップ優勝 1回(1994/95)
  • FCバルセロナ時代
    • UEFAカップウィナーズカップ優勝 1回(1996/97)
    • UEFAスーパーカップ優勝 1回(1997)
    • スペインリーグ1部優勝 2回(1997/98、1998/99)
    • コパ・デル・レイ優勝 2回(1996/97、1997/98)
    • スペインスーパーカップ 2回(1995、1997)
  • レアル・マドリード時代
    • UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(2001/02)
    • UEFAスーパーカップ優勝 1回(2002)
    • トヨタカップ優勝 1回(2002)
    • スペインリーグ1部優勝 2回(2000/01、2002/03)
    • スペインスーパーカップ 2回(2001、2003)
  • インテル時代
    • セリエA優勝 4回(2005/2006、2006/2007、2007/2008 2008/2009)

個人

脚注

  1. ^ 過去にもミカエル・ラウドルップベルント・シュスターなどバルセロナからレアル・マドリードに移籍した選手はいた。しかしフィーゴは移籍の2日前に会見でファンに向けて「移籍は無い」と嘘の発言をし、また、移籍の理由が年俸が多いという理由のみであり、バルセロナのソシオの信頼を踏みにじった裏切り行為といえる移籍であった。
  2. ^ 無観客試合などの制裁は科されなかった。
  3. ^ フィーゴ思い出を語る「バルサでの2年目は最高に素晴らしかった」
  4. ^ フィーゴ以降のレアル・マドリードは、スター獲得でのクラブ強化に重点を置いている。
  5. ^ 「おはよう」や「さようなら」という挨拶すら交わさなかった。
  6. ^ ヘレン・スウェディン - 夢遊典
先代
リバウド
欧州年間最優秀選手
2000
次代
マイケル・オーウェン
先代
ジネディーヌ・ジダン
FIFA最優秀選手
2001
次代
ロナウド

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