湘南
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湘南(しょうなん)とは、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源はかつて中国大陸に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である[1]。
概要
国内文献における「湘南」の初出は倭名類聚抄で、かつて中国大陸に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石等により日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。
現在の日本では、「湘南」は各方面で曖昧に使われている言葉であるが、俗的にはおおむね鎌倉・江の島(藤沢市)周辺地域を指す地名として用いられることが多い。鎌倉、江の島などは観光資源も豊富で、夏を中心に多くの観光客を集め、昨今は「海・太陽・若者」など、主に映画、ドラマ、歌の題材等により造り上げられた良好なイメージなどから、その範囲が拡大される傾向にある。
「湘南」の由来
「湘南」とは、もともと中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる[2]。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代に中国大陸から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している[3]。
明治期の「湘南」
江戸期に大磯を発祥の地として命名されたといわれる「湘南」は、明治期には政治結社名や合併村名に用いられた。このころは、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東又は新湘南という認識であった。明治期の「湘南」のイメージは、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる[4]。
一方、明治維新によって当時の西欧の流行であった海水浴保養が日本にも流入し、逗子や葉山、鎌倉、藤沢などの相模湾沿岸が海水浴に適した保養地として注目され富裕層など特権階級者の別荘地となり、現代の湘南文化の礎となる風俗文化が生まれた。
1897年に赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介、翌年1898年の元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂し、随筆集『自然と人生』(1900年)を出版した[5]。これがきっかけとなり、当初は相模川西岸に限定された「湘南」は、いつしか相模湾に面した地域一帯を指すようになった。現在では相模川西岸(西湘地域)に限定して使用することはほとんどない。
湘南ブランド
近代から現代にかけて、「湘南」は一種の地域ブランド名として著名となった。高級感を醸す湘南ブランドの由来は、明治時代に大磯、鎌倉、葉山地区が東京近郊の海浜保養別荘地と目され、少数ではあるが文人や政財界の要人(特権階級の富裕層)によって別荘が建てられたこと、そしてこの別荘地が関東地方を中心に湘南として認知されていったことにある。この別荘はイギリス文化を代表とする西洋文化に基づくものである。別荘地・湘南の文化・地域は、関東大震災や太平洋戦争などを転機にその位置付けはより「カジュアルで日常的、庶民的」なものへと移行し、現在ではより広くの文化・地域を指すものとなっている。
明治期から戦前までの湘南ブランド
湘南ブランドは、明治維新に伴う日本の近代化の経緯で生じた富裕層の文化が起源となっており、誇大化されたイメージは、その発祥期においては一般庶民の高級志向の対象の一つにもなっていた。こうした「湘南」のイメージが醸成された背景には、以下のような歴史的経緯がある。
- 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問、片瀬が適地と答申する。
- 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団がロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察
- 1885年(明治18年)- 軍医総監の松本順の勧めにより大磯に海水浴場を設営由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告
- 1886年(明治19年)- 藤沢の鵠沼海岸に海水浴場を開設
- 1887年(明治20年)- 東海道線の横浜駅と国府津駅間が開業(保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置)
- 1888年(明治21年)- 大船駅が開業
- 1889年(明治22年)- 旧日本海軍の軍港となった横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通(鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置)
- 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の元、葉山に有栖川宮別邸が竣工
- 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸が竣工
- 1894年(明治27年)- 葉山御用邸が竣工
- 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が東京赤坂から逗子柳屋に転居
- 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。
- 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版される(逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介)。
- 1921年(大正10年)- 神奈川縣立湘南中學校を藤沢町鵠沼に開設
- 1922年(大正11年)- 歌誌『明星』2月号に荻野綾子の『湘南にて』掲載(鵠沼を詠む)。
- 1928年(昭和3年)- 高瀬弥一の江之島水道株式会社、玉川水道と提携、湘南水道株式会社として事業を拡張。
- 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道が営業開始、黄金町から浦賀駅までと、金沢八景駅から湘南逗子駅までの路線が開業。「湘南電車」と呼ばれる。
- 同年 - 神奈川県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手。(1936年全通)
- 1931年(昭和6年)- 湘南瓦斯株式会社、藤沢町鵠沼で創業。
- 同年 - 湘南養蚕実行組合、藤沢町で結成
- 1932年(昭和7年)- 植物学者久内清孝、『植物研究雑誌』に「滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う」を発表。
- 1933年(昭和8年)- 湘南学園(小学校・幼稚園)を藤沢町鵠沼に開設。
- 1935年(昭和10年)- 都市計画神奈川地方委員会、湘南海岸公園計画地域を可決、答申。
- 同年 - 松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行。
- 1936年(昭和11年)- 湘南氷業販売組合、藤沢町で結成。
- 同年 - 神奈川県道片瀬大磯線相模川「湘南大橋」完成。
- 1941年(昭和16年)- 藤沢市内外の文化人・宗教家が集まり、「湘南文化連盟」結成
1882年の使節団に参加した要人達や海浜保養による療養を目的とした特権階級の富裕層が、この地域に広大な庭園付きの別荘を建設したことを契機として、湘南ブランドが形成されていった。
戦後の湘南ブランド
明治時代に富裕層の海浜別荘地というイメージが現実よりも誇大化されて作られた湘南ブランドであったが、関東大震災や太平洋戦争に続く経済成長に伴って、その位置付けは大きく変貌した。湘南電気鉄道は1941年(昭和16年)に京浜電鉄との合併によりその名称が消滅し[6]、戦後の高度経済成長の下では緑豊かで広大な敷地に建てられた要人別荘は切り売りされて東京のベッドタウンとなり、海水浴場は市民の余暇の場として広く一般に開放された。現在、湘南ブランドはサーフィンやニューミュージックなどカジュアルで大衆向けの文化に変貌し、その指す地域も広く神奈川県中南部地域で用いられる傾向にある。
「湘南」の範囲
「湘南」の範囲はたびたび議論になるところだが、思い入れが強い言葉なのか、人により時代により様々な範囲が示され、統一された範囲は存在しない。ここでは参考までに行政等における範囲を示すが、これらはあくまで当該行政等における所管範囲であり、民間における範囲を強制しない。
行政
- ●県の行政区域としての「湘南」[7]
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町[8]
- ●圏域としての「湘南」[9][10]
- 湘南西圏域…平塚市、秦野市、伊勢原市、大磯町、二宮町、中井町及びその周辺地域[11]
- 湘南東圏域…鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町及びその周辺地域[12]
- ●気象区分としての「湘南」[13]
- 平塚市、 藤沢市、 茅ヶ崎市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、高座郡(寒川町)、中郡(大磯町、二宮町)[14]
- ●ナンバープレートとしての「湘南」[15]
- 平塚市、藤沢市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、南足柄市、高座郡(寒川町)、中郡(大磯町、二宮町)、足柄上郡(中井町、大井町、松田町、山北町、開成町)、足柄下郡(箱根町、湯河原町、真鶴町)[16]
その他
- ●湘南市構想[17]
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町
- ●旧鎌倉湘南学区[18]
- 藤沢市、茅ヶ崎市、鎌倉市、寒川町
- ●旧湘南村[19]
- 現在の相模原市のうち、城山町小倉[20]、城山町葉山島[21]の両地区
「湘南」を冠する主なもの
教育・スポーツ
- ●「湘南国際村」[22]所在地
- 横須賀市、葉山町[23]
- ●「湘南シーレックス」[24]本拠地
- 横須賀市(横須賀スタジアム)
- ●「湘南ベルマーレ」[25]ホームタウン
- 平塚市、藤沢市、厚木市、茅ヶ崎市、小田原市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町
交通・経済
- ●旧「湘南遊歩道路」沿線
- 藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町
- ●「湘南モノレール」沿線
- 鎌倉市、藤沢市
- ●「湘南電気鉄道」[26]沿線
- 横須賀市、逗子市[27]
- ●「湘南京急バス」[28]
- 鎌倉市、逗子市[29]、横須賀市[30]
- ●旧「湘南馬車鉄道」沿線
- 秦野市、中井町、二宮町
- ●「湘南電車」[31]
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、真鶴町、湯河原町[32]
- ●「湘南ライナー」[33]
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、二宮町、小田原市
- ●「湘南新宿ライン」
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、逗子市
- ●「湘南急行」[34]
- 大和市、藤沢市[35]
- ●「横浜湘南道路」
- 藤沢市[36]
- ●「新湘南バイパス」
- 藤沢市、茅ヶ崎市
- ●旧「湘南道路」
- 逗子市、鎌倉市、藤沢市
- ●「湘南信用金庫」本店所在地
- 横須賀市[37]
各地域の特色
- ●藤沢・茅ヶ崎・寒川
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、江の島を中心とした海岸風景は、現代の「湘南」の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園-高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼や片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。
- しかし、北部は海からも遠く、現代の「湘南」というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者のネーミング戦略的な理由により、かなり広い範囲で「湘南」が当てられている。
- 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。
- 藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。
- 現代の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。
- 太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が連合国軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた(コロネット作戦)。戦後海岸地区は一時アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された(在日米海軍辻堂演習場)が、1959年6月25日に返還された。
- 1940年(昭和15年)、藤沢町が片瀬町に合併を呼びかけた際、片瀬町が条件として市名を「湘南市」とする案が挙げられたが、実現せず、「藤沢市」となった経緯がある。(片瀬町が藤沢市に合併するのは1947年)
- 1956年(昭和31年)、寒川町が藤沢市と茅ケ崎市に合併の上「湘南市」とする話を持ち掛けるが実現に至らなかった。
- 明治期、相模川に接した東側の茅ヶ崎・寒川の一部地域は湘東と呼ばれていた。「湘東」は、湘江に見立てた相模川の東の意味である。[38]
- ●平塚
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」を始め、湘南ナンバーを発行する「湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域を管轄する行政機関が多く所在し、行政的には湘南地域の中心である。政治的にも「湘南市」として合併し政令指定都市を目指すという構想の中心的な役割を果たしたが、平塚と藤沢という2大都市の間で埋没してしまうのではという危機感[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。から茅ヶ崎市民の反発もあり、リーダーであった当時の平塚市長が2003年に落選したことにより、構想は挫折した。
- 湘南地域では初めて市となるなど早くから商工業都市として発展したため、リゾート地域としてのイメージは薄い[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。相模川の対岸に位置する藤沢市、茅ヶ崎市と同様、現代の「湘南」のイメージに合致するのは東海道本線以南の高級住宅地である沿岸地域だけといってよい。
- 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さなかったが、「湘南」のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望できる湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られている。夜景も美しく、湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの一つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした5日間に開催されている。サッカーJリーグの湘南ベルマーレの本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。
- ●大磯・二宮
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれる。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされている。現在は、城山公園内にその碑が保存されている。
- 二宮は海水浴場が狭いためか訪れる客は少ないが、温暖な気候から長寿の里として有名であり、交通の便も良く実業家の堤義明も在住する。明治期の「湘南」のイメージは「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には、湘南馬車鉄道[39]に代表されるように、「湘南」を冠する企業が多数あった[40]。また、大磯は明治以降、伊藤博文などの元勲を始めとする要人の高級別荘地として知られるようになり、吉田茂の別荘もあったことから、ある意味では「湘南」よりも「大磯」にステイタスがあった。
- ●秦野
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれるが、山に囲まれた秦野盆地にあり、湘南海岸方面とは地理的なつながりは寸断されている。経済的にも厚木市や小田原市や足柄上地域(松田町、山北町、中井町など)との関係が深い。1906年には湘南馬車鉄道も二宮-秦野間に開通しているが、一般に湘南と呼ばれることはない。
- ●伊勢原
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれており、江戸時代、伊勢原市にある大山は湘山・湘岳と呼ばれ、歴史的には湘南海岸方面とつながりがある。経済面でも、車でのアクセスに優れている平塚市とのつながりは深いが、近年、小田急小田原線や国道246号で結ばれた厚木市など県央地域との関係が深くなりつつある。
- ●鎌倉・逗子・葉山
- 県の行政区域上は「湘南地域」には含まれず、「横須賀三浦地域」と呼ばれているが、1897年(明治30年)、徳富蘆花が國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)を掲載し、さらに1900年(明治33年)、『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を紹介したことで、「湘南」が全国的に知られることとなった。
- 昭和、とりわけ第二次世界大戦後には映画、ドラマの舞台の湘南として脚光を浴び、湘南として位置付けられるようになった。
- 現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道[41]の沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した歴史を持つ。また「湘南」のイメージが強い石原裕次郎は逗子市で青年期を過ごした。
- 従来より「歴史の街」、「御用邸」といった高級感のあるイメージを有し、湘南ではなく単に「鎌倉」「逗子」「葉山」と呼ばれることが多い。
- ●横須賀・三浦
- 県の行政区域上は「湘南地域」には含まれず、「横須賀三浦地域」と呼ばれている。横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接しているため、湘南の基本的な定義である「相模湾沿岸」からも外れている。経済的なつながりも横浜横須賀道路や京浜急行で結ばれている横浜との方が強くなっている。しかし、相模湾に面する横須賀市と三浦市の西部については、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸など、湘南の一部と認識される地域もあり、また「湘南」のイメージを訴求する住宅地や避暑地、観光地も多い。なお、私立湘南学院高等学校は横須賀市の中心部にある。
- 湘南鷹取[42]、湘南国際村、湘南信用金庫など、地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。
- プロ野球・横浜ベイスターズの二軍チーム湘南シーレックスの本拠地は横須賀である。
- ●小田原・箱根・真鶴・湯河原
- 県の行政区域上は「湘南地域」には含まれず、「西湘地域」と呼ばれている(西湘バイパスは大磯~小田原を結ぶ道路である)。温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、保養地であり観光地という特色が強い。
- 明治期の「湘南」のイメージは「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、小田原には「湘南」を冠したものが多く存在した。[43]
- ●南足柄・足柄上郡
- 県の行政区域上は「湘南地域」には含まれず、「足柄上地域」と呼ばれている。丹沢や足柄山のふもとであり、単に自動車のナンバープレートにおける湘南ナンバーの適用エリアにすぎない。
- ●相模原市
- 県の行政区域上は「湘南地域」に含まれず、「県央地域」と呼ばれているが、市内の城山町小倉、城山町葉山島の両地区には、かつて湘南村という行政区が存在した。これは、1889年に旧小倉村と旧葉山島村が合併して生まれた村で、1955年に旧川尻村・旧三沢村と合併して旧城山町が成立したことにより、その村名は消えた。その後、旧城山町は、2007年に旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至っている。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」[44]。現在その名は、城山町小倉にある1906年創立の小学校の校名に残っている[45]。
- ●厚木
- 県の行政区域上は「湘南地域」に含まれず、「県央地域」と呼ばれており、一般的にも「湘南」に含まれることはないが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つとなっている。
国道134号
湘南を代表し海沿いを走る国道134号は、様々な映画やドラマ・曲の舞台となっている。134号付近には、葉山御用邸・逗子マリーナ・鎌倉高校前駅・江ノ島・烏帽子岩等がある 葉山・逗子・鎌倉・藤沢・茅ヶ崎は全国的に湘南として定着しているスポットが数多くあり、ドライブコースとしても特に有名である。
湘南・鎌倉地域による合併案
鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町及びその周辺地域による合併が神奈川県の推進する「期待されている合併の一つ」の湘南東圏域[46]として紹介されている[47][48]。
音楽
関連項目
- 鎌倉大仏
- 抹茶アイスクリーム
- 長谷寺
- 極楽寺
- 長谷観音
- 湘南町屋駅
- 湘南深沢駅
- 湘南江の島駅
- 湘南海岸公園
- 小動岬
- 七里ヶ浜
- 材木座海岸
- 逗子マリーナ
- 烏帽子岩
- 辻堂
- 湘南工科大学
- 湘南短期大学
- FM湘南ナパサ
- 湘南ビーチFM
- レディオ湘南
- FM・ブルー湘南
- 湘南ケーブルネットワーク
- ジェイコム湘南
- 湘南乃風
- 上原謙
- パシフィックパーク茅ヶ崎
- 扇愛奈
- SLAM DUNK
- タイヨウのうた
- 波の数だけ抱きしめて
- 湘南市構想
関連サイト
脚注
- ^ 倭名類聚抄に見える。
- ^ この地域が、景勝地でもある湘江の南部並みの絶景であったという説や、相模国の南部のため本来「相南」と略称するべきところ、佳字を当てる意味もあって中国の湘南にちなんだという説もある。
- ^ 語源は仏教語であるともいわれる。中国の湘南地方(洞庭湖湖南の地域)は禅仏教が発展した地方であることから、禅に関連した古典や事象に「湘南」の文字を見ることができる。碧巌録、湘南葛藤録、西芳寺湘南亭など
- ^ 「湘南社」(大磯を本拠地とする自由民権運動のための政治結社)、「湘南村」(現相模原市城山町小倉、城山町葉山島両地区)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 蘆花がこの随筆の中で描写した自然の一例として、「逗子から相模湾越しに望んだ富士山や相豆の山並み」が挙げられる。
- ^ 現在の京浜急行電鉄
- ^ 神奈川県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」の所管区域
- ^ 湘南地域県政総合センター
- ^ 神奈川県の市町村合併推進時における「圏域」
- ^ 「神奈川県における自主的な市町村の合併の推進に関する構想」
- ^ ただし、中井町は県西圏域と重複
- ^ ただし、鎌倉市は三浦半島圏域と重複
- ^ 横浜地方気象台の二次細分区域
- ^ 横浜地方気象台市町村別区域一覧
- ^ 関東運輸局神奈川運輸支局の出先機関である「湘南自動車検査登録事務所」の管轄区域
- ^ 湘南自動車検査登録事務所
- ^ 2005年までの合併を目標としていたが、参加自治体の首長交代などにより白紙化され、事実上消滅
- ^ 県立高校の学区。神奈川県立湘南高等学校も1980年まで属していた。この学区は1981年の学区細分化によって「鎌倉藤沢学区」と「茅ヶ崎学区」に分割され、2005年には県立高校学区自体が撤廃された。ただし、地区校長会や部活動の地区としては残っている。
- ^ 1889年から1955年まで存在した村の名前
- ^ 「しろやまちょうおぐら」。郵便番号は220-0115
- ^ 「しろやまちょうはやまじま」。郵便番号は220-0114
- ^ 神奈川県による国際研究拠点
- ^ 横須賀市と葉山町にまたがっているが、郵便番号は240-0107で横須賀市の一部として扱われている。
- ^ プロ野球横浜ベイスターズの二軍チーム
- ^ サッカーJリーグのチーム
- ^ 京浜急行電鉄の母体会社の一つ
- ^ 起点の横浜市を除く。
- ^ 京浜急行バスの子会社(一部横浜市)
- ^ 鎌倉営業所
- ^ 堀内営業所
- ^ 正式名ではないが、昭和初期には湘南電気鉄道の電車の愛称、戦後は東海道本線の中距離電車の愛称
- ^ なお、列車は静岡県まで直通する。
- ^ 湘南電車のホームライナー
- ^ 小田急江ノ島線で運行されていた列車種別
- ^ 小田原線沿線の自治体を除く。
- ^ 起点の横浜市を除く。
- ^ ただし、この名称は旧横須賀信用金庫が鎌倉信用金庫を併合したことによる。
- ^ 1883年、寒川・茅ヶ崎地域の資産家を出資者とする貸金会社「湘東社」が設立。1925年、「高座郡茅ヶ崎町湘東耕地整理組合」の名にも用いられ、現在は「湘東橋」という橋名に残っている。(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 後の湘南軽便鉄道
- ^ ほかに、湘南大磯病院(大磯町)、湘南馬車鉄道(二宮町)、湘南牛乳株式会社(二宮町)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)の子会社
- ^ 横須賀市の最北部に位置する地名。住宅街。郵便番号は237-0066
- ^ 湘南煙草合名会社(小田原市)、湘南度量衡器製作株式会社(小田原市)、湘南介立社(小田原市)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 出典「角川日本地名大辞典」
- ^ 湘南小学校「『湘南』とは?」
- ^ 「湘南東圏域」
- ^ 鎌倉市は他にも三浦半島圏域案にも上っている
- ^ 「神奈川県における自主的な市町村の合併の推進に関する構想」