大塚康生
大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - )は、島根県出身のアニメーター、キャラクターデザイナー。
概説
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。宮崎駿、高畑勲と組み『太陽の王子 ホルスの大冒険』『ルパン三世』『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『じゃりン子チエ』などを手がける。演出担当時に鈴木一というペンネームを用いたことがある。元麻薬取締官という異色の経歴を持つ。英語や中国語にも堪能であるらしい。東映動画では、直属の上司として新入社員・宮崎駿の指導育成に当った。
軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名で、それが高じて田宮模型のジープ型ラジコンカー『ワイルドウィリス』のデザインを手がけたり、一時はアニメーターを廃業する決意をして、プラモデルメーカーのMAX模型に勤務したこともあった。田宮模型のミリタリーミニチュアシリーズで、兵士フィギュアのポーズ監修も担当。
2008年現在は、一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導に当たっている。その一方、『無敵看板娘』で、(エンディングとはいえ)久々にTVアニメーションの原画を担当したりもしている。また、近年の『ルパン三世』作品について、「絵や内容が保守的。いっその事一から作り直した方が良い」と苦言を呈している。
「アニメーターは演技者である」とつねづね公言し、動かしてナンボのアニメであり最近の止め絵ばかりのアニメに苦言を呈することが多い。そのダイナミック&コミカルなアニメートは「大塚アクション」と呼ばれ、宮崎駿と組んだ「未来少年コナン」「ルパン三世 カリオストロの城」では、その能力を遺憾なく発揮している。
日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。
略歴
- 1931年 島根県鹿足郡津和野町で生まれる。
- 1939年 山口県山口市に転居。
- 1946年 山口県立山口工業学校土木科に入学。
- 1951年 山口県庁総務部統計課に就職。
- 1952年 上京し、厚生省麻薬取締官事務所に転職。
- 1956年 日本動画社(以下、日動)の練習生になる。8月に日動は東映に吸収され、新発足した東映動画に臨時採用として入社。
- 1961年 同僚の橋本文枝と結婚。
- 1962年 東映動画労働組合の書記長に就任。
- 1968年 Aプロダクションに移籍。シンエイ動画に改組された後も役員待遇で在籍するが、1977年に退社。
- 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍
- 1991年 代々木アニメーション学院アニメーター科講師を兼任。
- 1998年 第3回アニメーション神戸特別賞を受賞。
- 2002年 文化庁長官賞受賞。
- 2008年 東京国際アニメフェア2008 第4回功労賞表彰受賞。
主な作品
- 白蛇伝(1958年) 動画
- 少年猿飛佐助(1959年) 原画
- 西遊記(1960年) 原画
- 安寿と厨子王丸(1961年) 原画
- わんぱく王子の大蛇退治(1963年) 原画
- 太陽の王子 ホルスの大冒険(1968年) 作画監督
- 長靴をはいた猫(1969年) 原画
- ムーミン(1969年) 作画監督
- ルパン三世 パイロットフィルム(1969年) 原画・アクションシーン作画監督
- ルパン三世 (TV第1シリーズ)(1971年) 作画監督
- 元祖天才バカボン(1975年)原画
- ルパン三世 (TV第2シリーズ)(1977年) テレコム作画の回に一部参加(ただし表記なし)
- パンダコパンダ(1972年) 作画監督
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 (1973年) 作画監督、原画
- 侍ジャイアンツ(1973年) 作画監督
- おれは鉄兵(1977年) レイアウト
- 未来少年コナン(1978年) 作画監督
- ルパン三世 ルパンVS複製人間(1978年) スーパーバイザー
- ルパン三世 カリオストロの城(1979年) 作画監督
- じゃりン子チエ(1981年) 作画監督
- 花王名人劇場 東海道四谷怪談(1981年) 監督(名義:鈴木一)
- ルパン三世 風魔一族の陰謀(1987年)監修
- リトル・ニモ(1989年)ストーリーボード
- 緊急発進セイバーキッズ(1991年)メカニカルデザイン監修
- ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え (1991年) メカニック作画
- デジモンアドベンチャー02 デジモンハリケーン上陸!!/超絶進化!!黄金のデジメンタル(2000年)エンディングイラスト
- 無敵看板娘(2006年) エンディングアニメーション
- ルパン三世 霧のエリューシヴ(2007年) CMアイキャッチの作画監督・原画
エピソード
- 2006年8月16日から20日に入間市博物館で開催された「JEEPの機能美展」には、大塚所有のFIAT500が展示されていた。[1]
- 鉄道写真家の南正時はAプロダクション在籍時、大塚が描いた蒸気機関車のスケッチや写真を見たことが、鉄道写真家への転向のきっかけとなった。
- 著作や講演で、手塚治虫の製作したアニメーションに対して、否定的な評価を下している。
- 『ルパン三世 カリオストロの城』で有名なカーチェイスが生まれたのは、自家用車(実は中古だった)に乗った途端、運転をしている最中にものすごい勢いでタイヤごと車体が吹き飛んだから(ちなみに車は相当痛んでいた)。
- 高畑勲がAプロダクションから日本アニメーションに移籍する際に、ギャラ交渉を行なったのが大塚である。大塚本人は、「日本アニメーションに対し、最高の待遇を出してくれるならという条件で高畑に移籍を説得すると言った」と語っている。
- 押井守監督の実写映画『紅い眼鏡』にタクシー運転手役で出演している(台詞は永井一郎が担当)。
著書
- 作画汗まみれ アニメージュ文庫:徳間書店、1982年
- 作画汗まみれ 増補改訂版:徳間書店、2001年
- イラストレーターの仕事・アニメーターの仕事(わたせせいぞうと共著):ダイヤモンド社、1992年
- 大塚康生16歳の車の画帖:徳間書店、1987年
- JEEP JEEP JEEP
- ジープ太平洋の旅
- ジープが町にやってきた 平凡社ライブラリー、2002年
- リトル・ニモの野望:徳間書店、2004年
- 大塚康生のおもちゃ箱
- Disney Animation~The Illusion of Life~
- 大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽(森遊机と共著):実業之日本社、2006年
画集
- ミリタリー 4×4 グラフティ