城内実
衆議院議員 城内 実 | |
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生年月日 | 1965年4月19日(59歳) |
出身地 |
出生地:東京都 本籍地:静岡県浜松市 |
出身校 | 東京大学教養学部 卒業 |
学位・資格 | 教養学士 |
前職 |
国家公務員(外務省) 大学客員教授 |
所属委員会 |
法務委員会委員、 文部科学委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 静岡県第7区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 |
(自由民主党)→ 無所属(国益と国民の生活を守る会) |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館441号室 |
ウェブサイト | 城内 実(きうちみのる)オフィシャルサイト |
城内 実(きうち みのる、1965年4月19日 - )は、日本の政治家、外交官。衆議院議員(2期)。
概要
父が広島県警捜査二課長として広島抗争を担当したため、危険回避に「疎開」した東京新宿区生まれ[1][2]。その後は3歳まで広島市で育ち、4歳から東京都、西ドイツ、神戸市、横浜市で育ち、開成高等学校を経て1989年に東京大学教養学部国際関係論分科を卒業後、外務省に入省[2]。主としてドイツ畑を歩み、ドイツ語通訳官として首相や天皇の通訳官も務めた。2002年11月、欧州局西欧第一課首席事務官(筆頭課長補佐相当)を最後に退官。
2003年11月、第43回衆議院議員総選挙に父親の出身地である静岡7区から無所属で出馬した。自民党は、表向きは保守新党党首の熊谷弘を推薦したが、自民党静岡県連は城内を推薦し、安倍晋三自民党幹事長も城内の応援に入るなど、実質的に城内を公認したも同然だった。その結果、熊谷を約4万票の大差で破って初当選を果たし、自民党の追加公認を受けた。党では人権擁護法案について同僚議員であった古川禎久・古屋圭司、萩生田光一らとともに法案反対の論陣を張るなど保守的な言動で知られ、安倍晋三の側近として信頼を勝ち得ていた。
2005年の郵政国会で郵政民営化法案の採決で、安倍の再三の説得を振り切って反対票を投じたため、直後の第44回衆議院議員総選挙において公認を得られず、自民党公認候補である片山さつきと激戦を繰り広げ、748票の僅差で落選した。その後、党から離党勧告処分が出され、離党届が受理された。郵政法案をめぐっては、安倍や地元・浜松を拠点とするスズキ会長 鈴木修から再三にわたって賛成に転じるよう説得を受けていた。なお、城内が幼少時を過ごしたドイツにおいてはそれ以前に郵政民営化が実現されている。
落選後は浜松市内の通信制高等学校の道徳講師(非常勤)、2006年4月からは拓殖大学客員教授を務める。国家基本問題研究所理事兼企画委員を務めた。
2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙に静岡7区より再び無所属として出馬(ただし、今回は他の保守系無所属議員らとともに平沼赳夫元経産相を中心とする平沼グループを結成した後に出馬)し、斉木武志、片山らを退けて当選した。
2009年9月15日、平沼グループで当選した平沼赳夫元経産相と小泉龍司と共に「国益と国民の生活を守る会」を結成[3]し、独立の会派で活動することとなった。しかし、2010年4月10日に結党された、平沼を代表とする「たちあがれ日本」には地元後援会の調整を理由に参加を見送った[4]。同年9月12日には自民党静岡県第7選挙区支部が復党要請を行う方針を固めている[5]。
2010年3月2日、後述のフィギュアスケート、ならびに植物に対する意識の問題で自身のブログが炎上した。
政治的主張
反米保守論者であり、保護主義者、西郷隆盛・頭山満を「スケールの大きい国士」として尊敬する[7]アジア主義者である。
自らの立場を「真正保守主義」「革新的な保守主義者」であるとして[8]、「最近の規制緩和路線、市場原理主義、株式至上主義の行き着くところはアメリカ型の格差社会である。格差が広がりつつあることは、現場の声を聞けば明らかである」[9]と小泉・竹中構造改革路線を批判し、月刊『現代』(2006年7月号)で平沼赳夫、関岡英之との鼎談「アメリカ崇拝政治を排し、保守を再生せよ」と語っている[10]。そのため、反米という点では城内と思想を同じくする一部の左派・リベラル派とされる論者からも評価されている。
2008年6月の最高裁判所の判決を受けて12月に改正された国籍法について、「合法的な人身売買・児童売春が可能となり、本来日本国籍をもつべきでない者にも容易に国籍が付与される」と批判した[11]。後日、この文章に反発した他のブログを紹介し、反論・揶揄する文章を載せている[12]。
地球温暖化については、二酸化炭素の排出との因果関係は嘘だとして、懐疑的な立場を表明している[13]。
人物・エピソード
交友関係
無所属で自らの信念を貫く方針を表明し、平沼赳夫の強い支援を受けている。平沼は日本会議国会議員懇談会会長で、父・城内康光(第15代警察庁長官)も日本会議代表委員である。
南京大虐殺・慰安婦問題などで主張を同じくするすぎやまこういちは城内の応援歌を作曲している。
センター試験への韓国語導入
外務省アジア局の北東アジア課課員(韓国担当)時代に、大学入試センター試験の外国語試験に韓国語を新たに加えるよう、文部科学省に働きかけた。2002年には、センター試験への韓国語導入が実現した。なお城内は、学生時代に韓国語を習っていた[14]。
選挙ポスター騒動
第45回衆議院議員総選挙を控えた2009年7月に城内は、自身の選挙区内で眞鍋かをりの写真を載せたポスターを掲載。これに対して眞鍋側が「無断で使用された」と主張。また「事前に承諾を得た」と城内側が主張した。
城内は真鍋のポスターを選挙区内に掲載し、また眞鍋から「心願成就まで禁酒されているそうですが、早く祝杯を挙げられる日が来ることを祈っています」との応援メッセージも届いたと発表した。しかし、ポスターに使用された眞鍋の写真について、眞鍋自身の主張によると、かつて城内と対談した際に撮影されたもので、「何故その写真がポスターになってしまっているのかわからず困惑しています」[15]とのコメントを公表した。
また、眞鍋はこの件において特定の政党・政治家を応援することはありえないとした[15]。城内の選挙対策事務所側は眞鍋の所属事務所に許諾を得たと主張しているが[16]、所属事務所側は「全く聞いていないので、コメントできない」[16]と述べた。なお、ポスターには眞鍋が演説会に出席すると書かれているが、選挙対策事務所は眞鍋に出席要請をしていないことを認めた[16]。
また、眞鍋自身は否定しているが、特定政治家の支援者をテレビに出演させることは問題があると判断し、フジテレビジョンは自社の番組において眞鍋の出演を見送る事を決定した[16]。なお、城内のブログは炎上状態となっているとの報道がなされた[17]。城内は抗議を受けた後も「ポスターを撤去するつもりはない」としていた。
その後、城内と眞鍋との対談を仲立ちしたイベント会社オフィスプロペラ木村正明社長(城内の後援会幹部)が事情を説明、同年6月から城内の後援会と同社との間で城内と眞鍋の2人を起用したポスターの制作の話が持ち上がり、同社が眞鍋の所属事務所から写真の掲載許可を取った上でポスターが作られたが、眞鍋側には正確な意図が伝わっていなかったと謝罪した。また城内側も眞鍋のテレビ出演の見合わせを受け、芸能活動に支障を来すことは本意でないとして、ポスターの撤去と対談の動画の削除を行った[18][19]。これを受け眞鍋の所属事務所アヴィラは公式サイトにおいて、オフィスプロペラ側に対しポスター・インターネット上での眞鍋の写真掲載許可は出しておらず、また オフィスプロペラにポスター使用のために眞鍋の写真を貸与した事実は無いという公式な見解を示した[20]。
その後8月下旬、アヴィラの事実上のオーナー・牧野昌哉が脱税容疑で逮捕された際、牧野が事前にポスター掲載を了承していたものの、そのことが眞鍋に伝達されていなかったとする関係者のコメントが報道された[21]。
ブログ炎上騒動
2010年2月27日、バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子フィギュアの浅田真央とキム・ヨナの競技に関して、自身のブログで「韓国のキム・ヨナ選手がどうみてもだんとつであった。悔しいがとなりの韓国にわが日本は完敗した。僅差やどんぐりのせいくらべの金と銀ではない。大差の金と銀であった(抜粋)」とのコメントを記載した事から、ブログが炎上した[22]。
翌月2日、城内は炎上したことについてブログで「なんという言葉尻をとらえての罵詈雑言のオンパレード」「いつから日本人はこれほど礼儀知らずになったのだろうか」と述べ、炎上が拡大することとなった。ブログ炎上の原因について、「真実がどうか分かりませんがある方から連絡があり某極左レイシストなどが2ちゃんねるなどに城内実へのいやがらせで一般のネット右翼をはじめとするインターネットユーザーに対して工作をしたとのこと。(抜粋)」[23]と、「私が命がけで反対した左派勢力推進の人権擁護法案(インターネット規制法案)の是非について真剣に再考してみたいと思った次第です。私は今回のことで多少不快に感じたくらいですが、インターネットであることないこと誹謗中傷されて真剣に悩まれている方の人権は守るべきだと思いました。(抜粋)」とも述べた。
同月4日、「私のブログでのいくつかの発言が誤解を招くものであったこと、また、多くの方の気持ちを逆撫でするものであったことを認め、この場でお詫びするとともに、重ねて私の真意をお伝えしたいと思います(抜粋)」とブログに謝罪文を掲載した。またJ-CASTによれば、「4年後のオリンピックでは『ダントツの圧倒的勝利を掴む』ため、国を挙げてしっかりと選手を応援し、ルールも日本選手に不利にならないよう働きかけるべきであり、責任逃れをするような議論今回の結果を反省材料にしなければならない」と弁明した。その一方で発言の撤回はせず、「浅田選手の努力は認めるが銀メダルは銀メダル。『完敗』を認める事は重要で、『ルールのせいとか、置かれている環境のせい、など責任逃れをするような議論はよろしくない。全ては本人の努力と結果』」と語った[24]。
同月13日、ブログで自らの購入した花について述べるにあたり、「人のあら探しをしたり、罵詈雑言をして自分を高いところにおいて見下すようなマイナスの波動の人たちは、花や樹木と会話をしたことがない(抜粋)」と、炎上を拡大させた発言を繰り返し、前回より少数ながらコメントが殺到することになった[25]。
出演番組
- 報道ワイド日本(CS放送・日本文化チャンネル桜 月一回金曜日担当キャスター)
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ)不定期
主な所属議員連盟
脚注
- ^ 『◇ コ ラ ム ◇ 私の半生(その一)« 城内実のとことん信念ブログ』、2008年2月28日
- ^ a b プロフィール « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト
- ^ 平沼氏ら3人が衆院新会派を結成nikkansports.com(共同)2009年9月15日
- ^ 毎日新聞2010年4月11日配信記事
- ^ “自民支部、浜松の城内実議員に復党要請へ” (日本語). 読売新聞. (2010年9月14日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ http://www.seisa.ac.jp/teacher/index.html
- ^ 『西郷隆盛 « 城内実のとことん信念ブログ』、2006年8月9日。
- ^ 『真正保守主義とは « 城内実のとことん信念ブログ』、2006年4月20日。
- ^ 『ハゲタカ・ファンド « 城内実のとことん信念ブログ』、2006年4月30日。
- ^ 『月刊「現代」の鼎談 « 城内実のとことん信念ブログ』、2006年6月20日。
- ^ 『◎ 政 治 ◎ 「国籍法」の改悪に反対する! « 城内実のとことん信念ブログ』、2008年11月11日。
- ^ 『◎ 政 治 ◎ 「国籍法」改悪と日本の精神構造 « 城内実のとことん信念ブログ』、2008年11月21日。
- ^ ◇ コ ラ ム ◇ お茶摘み(写真付) « 城内実のとことん信念ブログ
- ^ 『在日外国人の地方参政権問題 « 城内実のとことん信念ブログ』、2010年1月13日。
- ^ a b 『眞鍋かをり、城内実氏の選挙援軍報道に困惑 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2009年7月29日。
- ^ a b c d 『眞鍋かをりさん激怒「応援してない!」のに選挙ポスター掲載:社会:スポーツ報知』報知新聞社、2009年7月30日。
- ^ 『城内実氏が眞鍋かをり写真の“勝手使用”に反論「無断使用ではない」。』ナリナリドットコム、2009年7月29日。
- ^ 「えっ」と思った…眞鍋&城内ポスター撤去で決着,夕刊フジ,2009年7月31日
- ^ 眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった,デイリースポーツ,2009年8月1日
- ^ 眞鍋かをりのポスター掲載許可に関して,アヴィラ,2009年8月1日
- ^ 逆上・眞鍋かをり 牧野容疑者を訴える!?,リアルスポーツ,2009年8月26日
- ^ 【女子フィギュア】議員が「僅差じゃない。大差の金と銀。韓国に日本は完敗」と発言し大炎上ガジェット通信 2010年3月1日付
- ^ ◎ 政 治 ◎ 文部科学委員会の質問、2010年3月2日
- ^ “城内議員が「浅田選手記事」で謝罪「多くの人の気持ち逆撫でした」”. J-CASTニュース. (2010年3月4日) 2010年3月11日閲覧。
- ^ ◇ コ ラ ム ◇ 花を愛(め)でる(写真付) 、2010年3月13日