日本国憲法第9条
日本国憲法 第9条(にっぽんこくけんぽうだい9じょう)は日本国憲法の条文の一つで、憲法前文とともに三大原則の1つである平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章(章名「戦争の放棄」)を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成される。日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは憲法前文の記述およびこの第9条の存在に由来している。
1928年に締結された戦争放棄に関する条約、いわゆるパリ不戦条約の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似しているが、これをどのように捉えるかは本条の解釈において問題となる。この条文の政府見解によれば、自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらない組織とされている[1]。
条文
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
立法の経緯
立法過程
本条の淵源については立法経緯が複雑であることもあって様々な議論がある[2]。
ハーグ平和会議の開催(1899年、1907年)など19世紀末から、国際法上において侵略戦争を実定法により規制し平和を確保するための努力が進められ、国際連盟規約(1919年)、ジュネーヴ議定書(1924年)、不戦条約(パリ不戦条約、戰爭抛棄に關する條約)などが締結された。このうち不戦条約は第一次世界大戦後の1928年(昭和3年)に多国間で締結された国際条約である。同条約では国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することなどを規定した。
;不戦条約
- 第一條
- 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
- 第二條
- 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
本条の立法の背景には、大西洋憲章(1941年)、ポツダム宣言(1945年)、SWNCC228文書(1946年)などが挙げられる。このうち1945年(昭和20年)7月26日に発表されたポツダム宣言では、日本軍の武装解除とともに、再軍備の防止を示唆する条項が盛り込まれた。
;ポツダム宣言
- 第七條
- 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
- 第九條
- 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
- 第十一條
- 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ
終戦後、憲法改正に着手した日本政府は大日本帝国憲法の一部条項を修正した、陸海軍をまとめて「軍」とする、軍事行動には議会の賛成を必要とする、という規定のみを盛り込んで済ませるつもりであった。
1946年(昭和21年)2月8日に憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)がGHQに提出した「憲法改正要綱」(松本案)では次の条文となっている。
;憲法改正要綱[3]
- 五
- 第十一条中ニ「陸海軍」トアルヲ「軍」ト改メ且第十二条ノ規定ヲ改メ軍ノ編制及常備兵額ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルモノトスルコト(要綱二十参照)
- 六
- 第十三条ノ規定ヲ改メ戦ヲ宣シ和ヲ講シ又ハ法律ヲ以テ定ムルヲ要スル事項ニ関ル条約若ハ国ニ重大ナル義務ヲ負ハシムル条約ヲ締結スルニハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要スルモノトスルコト但シ内外ノ情形ニ因リ帝国議会ノ召集ヲ待ツコト能ハサル緊急ノ必要アルトキハ帝国議会常置委員ノ諮詢ヲ経ルヲ以テ足ルモノトシ此ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ報告シ其ノ承諾ヲ求ムヘキモノトスルコト
これに対して、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)では戦争と軍備の放棄の継続が画策されていた。その意思は、憲法草案を起草するに際して守るべき三原則として、最高司令官ダグラス・マッカーサーがホイットニー民政局長(憲法草案起草の責任者)に示した「マッカーサー・ノート」に表れている[4]。その三原則のうちの第二原則は以下の通り。
;マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則(原文)
- War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(邦訳)
- 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
この指令を受けて作成された「マッカーサー草案」(GHQ原案)には次の条文が含まれていた[5]。
;GHQ原案(原文)
- Chapter II Renunciation of War
- Article VIII War as a sovereign right of the nation is abolished.The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army,navy,air force,or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.(外務省仮訳)
- 第二章 戦争ノ廃棄
- 第八条 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ
次のような点でGHQ原案はマッカーサー・ノートとは異なる。
- マッカーサー・ノート第2原則第2文「even for preserving its own security(自己の安全を保持するための手段としてさえも)」に該当する部分が削除された。
- 「The threat or use of force(武力による威嚇又は使用)」の文言が加えられた。
- 「forever(永久に)」の文言が加えられた。
- マッカーサー・ノート第2原則第3文に該当する部分については修正ののち前文第2項冒頭に回されることとなった。
- マッカーサー・ノート第2原則第4文に該当する部分については段落を分けないこととした。
- 「other war potential(その他の戦力)」の文言が加えられた。
- 「any japanese force(日本軍)」から「the state(国)」に文言がそれぞれ変更された。
なお、GHQ案の第一次案では二段落構成から一段落構成に改められていたが、最終案では二段落構成に戻されている。
これを受けて日本政府が起草した3月2日案では次の文章が含まれている。
;3月2日案
- 第二章 戦争ノ廃止
- 第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ廃止ス。
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。
次のような点で3月2日案はGHQ原案とは異なる。
- 第1章に条文が追加されたため、第2章の第8条であった本条は繰り下がって第9条となった。
- 第1項の第1文と第2文はつなげられ一つの文となった。
- 「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言が戦争にもかかるように解釈しうることとなった。
- 「廃棄」から「廃止」に改められた。
- 第2項の最後の部分が「之ヲ認メズ」に改められた。
さらに議論が重ねられ、3月5日案では次の文章が含まれている。
;3月5日案
- 第二章 戦争ノ抛棄
- 第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス
次のような点で3月5日案は3月2日案とは異なる。
- 「国家ノ主権ニ於テ行フ戦争」という表現に改められた。
- 「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言について、国家の主権において行う戦争と武力の威嚇・行使とが「及」で結ばれることとなったため、国家の主権において行う戦争にもかかることが明確になった。
- 「廃止」から「抛棄」に改められた。
- 第2項は「之ヲ許サズ」、「認メズ」と分けて書き改められた。
さらに1946年(昭和21年)3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」には次の文章が含まれている[12]。
;憲法改正草案要綱
- 第二 戦争ノ抛棄
- 第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト
- 陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト
そして、1946年(昭和21年)4月17日に政府案として発表され枢密院に諮詢された「憲法改正草案」では次の条文となっている[13]。
;憲法改正草案(政府原案)
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。
次のような点で憲法改正草案は要綱とは異なる。
- 条文が口語化された。
- 「戦争及」を「戦争と」に改めた。
- 「具」を「手段」に改めた。
- 第2項は二つの文に分離された。
- 「之ヲ」の文言を取り除き、第二項について「許されない」、「認められない」とした。
- 表題を「戦争の抛棄」とした。
枢密院での審議を受け、政府が若干の修正を行った上で1946年(昭和21年)5月25日に改めて枢密院に諮詢した案では次の条文となっている[14]。
;憲法改正草案(政府修正案)
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
この案文は枢密院で可決され、1946年(昭和21年)6月25日に衆議院に上程された。そして、芦田均が委員長を務める衆議院帝国憲法改正案委員小委員会において、第1項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言、第2項冒頭に「前項の目的を達するため」の文言を入れる修正(いわゆる芦田修正)が加えられ、次の条文となった。芦田修正については#芦田修正と文民条項を参照。
;日本国憲法
- 第二章 戦争の放棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
貴族院では本条については修正されず、この条文が最終的なものとなった。ただし、本条の芦田修正との関係で貴族院での審議において憲法66条2項に文民条項が挿入されることとなった。
発案者をめぐる議論
このような条文を憲法に盛り込むことがいったい誰の発案であったのかが議論になることがある。
マッカーサーの自伝では、時の首相、幣原喜重郎のたっての希望とされているが、米国の自治領であったころのフィリピン憲法(1935年)に、既に同様の条文があることから、米国主導に起案されたものであるとする見解もある。もちろん、日米双方の構想として存在した可能性も否定は出来ない。
芦田修正と文民条項
芦田修正とは第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会での審議過程において第9条に加えられた修正であり、第1項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言、第2項冒頭に「前項の目的を達するため」の文言を入れた修正を指す[15]。特に第2項冒頭の修正を指して用いられることもある[16]。
第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会は1946年(昭和21年)7月25日から8月20日にかけて13回にわたって開催された[17]。帝国議会に提出された際の憲法改正案の案文は次のようなものである。
;憲法改正草案
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
- 第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
この案文については、積極的な印象がなく自主性が乏しいとの意見が出されたため[18]、7月29日に芦田委員長は次のような試案を提示した。
;芦田試案
- 第二章 戦争の抛棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
- 第二項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。
このうち「声明す」の文言については文語体であり口語体の条文にはふさわしくないとして「宣言する」に改められた。7月30日の小委員会は金森国務大臣が出席して開かれたが、この段階での試案の案文は次のようなものとなっていた。
- 第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。
- 第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
この試案では原案(政府案)における第1項と第2項の順序が入れ替えられていたが、犬養健議員から第1項と第2項の順序をもとの原案(政府案)のままに戻し、その冒頭に「日本国民は・・・」の文言を入れてはとの提案がなされた[19]。このほか「宣言する」の部分についても取りやめとなったほか、「抛棄」の字句が漢字制限の関係で「放棄」に改められている [20]。その結果として次のような法文となった。
- 第二章 戦争の放棄
- 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
その後、この修正について芦田均は、自衛戦力を放棄しないための修正であり、このことは小委員会の会議録にも書かれていると発言している[21]。ところが、のちに公開された小委員会の速記録や『芦田均日記』からは修正の意図がこのような点にあったかは必ずしも実証的には確認できないといわれる[22][23]。ただし、国際法の専門家である芦田が自衛のための戦力保持の可能性を生じることとなった点について気付いていなかったとは思われないとみる見方もある[24]。このようなこともあって芦田の真意は未だに謎とされている[25]。
芦田の真意の問題は別として、総司令部や極東委員会は芦田修正の結果として「defence force」を保持することが解釈上可能になったと考えられるようになったといわれる[26][27]。
芦田修正について総司令部からの異議はなかったといわれる[28]。これに対して極東委員会の反応は異なっていた。芦田修正については、自衛(self-defence)を口実とした軍事力(armed forces)保有の可能性があるとした極東委員会の見解[29]が有名であり、この見解の下、芦田修正を受け入れる代わりにcivilian条項を入れるようGHQを通して日本政府に指示し、憲法第66条第2項が設けられることとなった。
当初、このような条項を挿入することについては、軍隊のない日本においては無用であるとの議論もあった[30]。金森国務大臣は「civilian」を「過去において職業軍人の経歴を有しない者」を意味するとの理解のもとに交渉にあたっていたが、新しい訳語をあてるべきと考えられたため、川村竹治委員の提案した「文民」の訳語をあてることとなった[31]。そして、文民条項(日本国憲法第66条第2項)については、1946年(昭和21年)9月に普通選挙制(日本国憲法第15条)とともに貴族院での審議を通して挿入されることとなった。
「文民」の意味については、軍人ではない者を意味するとする説[32]や職業軍人であった者を意味する説[33]などが唱えられている。これらの説に対しては、憲法9条により一切の軍が存在しないのであれば「軍人」というものはありえないので憲法66条第2項の文民条項は説明困難となり、仮に「文民」を職業軍人としての経歴を持たない者を指すとするならば憲法66条第2項の文民条項は経過規定として補則の章に置かれるべき規定だったということになると齟齬を指摘する見解もある[34]。なお、文民条項については、その後の実力部隊(自衛隊)の創設によって新たな要素が導入されるに至り、通説では現役自衛官は「文民」ではないとされている(ただし、自衛官であった者については学説により見解が分かれている)[35]。
第9条への反対
1946年の憲法改正審議で、日本共産党の野坂参三衆議院議員は自衛戦争と侵略戦争を分けた上で、「自衛権を放棄すれば民族の独立を危くする」と第9条に反対し、結局、共産党は議決にも賛成しなかった。
また、南原繁貴族院議員も共産党と同様の「国家自衛権の正統性」と、 将来、国連参加の際に「国際貢献」で問題が生ずるとの危惧感を表明している。それは「互に血と汗の犠牲を払うこと」なしで「世界恒久平和の確立」をする国際連合に参加できるのか?という論旨であった。これらの危惧感は東西冷戦終結後、現実問題として日本に生じた。
ハーバート・ジョージ・ウェルズと日本国憲法
『タイムマシン』を発表したSF小説家であり、思想家でもあるハーバート・ジョージ・ウェルズ(H.G.ウェルズ)は、日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされる。特に、日本国憲法9条の平和主義と戦力の不保持はウェルズの人権思想が色濃く反映されている。しかし、ウェルズの原案から日本国憲法の制定までに様々な改変が行われた為、現在における日本国憲法9条の改正議論が行われる一つの原因となっている。
また、この原案を世界全ての国に適用して初めて戦争放棄と戦力の不保持が出来るように記されていることが根幹にある。そして、ウェルズも世界全ての国に適用しようと考えたが、結果として、日本のみにしか実現しなかったことで日本国憲法9条の解釈に無理が生じたといわれている。
第9条の解釈上の問題
憲法9条の規定については、憲法9条の法的性格、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言の意味、第2項前段の「戦力」の定義、同じく第2項前段の「前項の目的を達するため」という文言の意味、第2項後段「交戦権」の定義などについて議論がある。この部分については、日本国憲法#平和主義(戦争放棄)も参照。
第9条の法的性格
憲法9条の法的性格については、次のような説がある。
- 法規範性はなく理想的規範にすぎないとみる説[36]
- 法規範性はあるが裁判規範性が極めて希薄であるとみる説[37]
- 法規範性も裁判規範性も認められるとする説[38]
- 法規範性も裁判規範性も認められるが、国際情勢等の著しい変化により憲法の変遷を生じているとする説[39]
「日本国民」の解釈
憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文で始まる。この「日本国民」とは個々の国民ではなく全体としての日本国民もしくは一体としての日本国民を指すとされる[40]。通例において個々の国民を指す場合には「すべて国民は」(例として日本国憲法第25条)あるいは「国民は」(例として日本国憲法第30条)の文言が用いられることが根拠とされる[41]。そして、「日本国民」というこの文言は日本国と同義であるとされる[42]。
この点については、日本国民と一体化した日本国政府と同義であるとみる説[43]がある一方で、主権者としての日本国民を指すのであって日本国政府と同義ではないとする説[44]もある。百里基地訴訟第一審判決では日本国政府を含むとしている。
なお、個々の国民が自由な意思で各自の判断の下に外国軍隊や国連軍に志願し参加することは直接本条の問題とするところではないとみるのが多数説であるが[45][46][47]、国連軍への参加の場合を除いてこのような行為は憲法の精神に反するとみる見解もある[48]。
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の解釈
憲法9条第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は戦争放棄の動機ないし目的について示したものと考えられている[49][50]。
「国権の発動たる戦争」等の定義
「国権の発動たる戦争」
憲法9条第1項の「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、宣戦布告又は最後通牒という形で明示的に、あるいは武力行使による国交断絶という形で黙示的に戦争の意思表示が表明されることを要件とし、戦時国際法規が適用される国の主権の発動として行われる武力(兵力)による国家間の闘争(形式的意味の戦争)をいう[51][52][53]。
「武力の行使」
憲法9条第1項の「武力の行使」とは、宣戦布告等の手続がとられず「戦争」の意思表示を示さないで行われる武力(兵力)による国家間の闘争(実質的意味の戦争)をいう[54][55][56]。
事実上の戦闘が継続的な敵対関係へと発展して戦争となった場合には「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」との区別は難しくなるが、「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」とは放棄の条件の点では同じ扱いとなるという解釈をとる限り厳密に区別することは実益に乏しいとされる[57]。
なお、日本国憲法では「国権の発動たる戦争」(形式的意味の戦争)と「武力の行使」(実質的意味の戦争)を分けているが、国連憲章2条4では「use of force(武力の行使)」として双方を区別せずに扱っている[58]。
「武力による威嚇」
憲法9条第1項の「武力による威嚇」とは、現実的な武力行使には至らないものの、武力を背景に自国の要求を容れなければ武力を行使するとの態度を示して相手国を強要することをいう[59][60][61]。
第1項の「武力」と第2項の「戦力」との関係であるが、多数説は武力の行使も実質においては戦争にかわりないことなどを根拠として第1項の「武力」と第2項の「戦力」は同義であるとみる[62]。これに対して、第1項では「武力」、第2項では「戦力」とあえて異なる文言が用いられていることから両者は異なる概念であるとする説もある。そのうちの一説として、第1項でいう「武力」は第2項でいう「戦力」よりも広い概念で「武力」には警察力が含まれ、外国から不法に侵入してきた軍隊を警察力で排除することは「武力の行使」にあたるとする説がある。しかし、この説に対しては「武力の行使」でいう「武力」に警察力を含むと解釈するならば、これと並列的に列挙されている「武力の威嚇」でいう「武力」にも警察力を含むこととなるが、警察力による外国への威嚇などというものは考えられないとの批判がある[63][64]。第1項の「武力」と第2項の「戦力」とは異なるとする説としては、上の説のほかに、後述されている「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかるとみる説があり、「戦力」を手段とするものが「(国権の発動たる)戦争」であり、外国軍隊の不法な侵入を排除するための「戦力」に至らない程度の「武力」による自衛権の行使が憲法上認められるとする解釈をとる構成上、「武力」と「戦力」は異なるという立場をとる[65](次節を参照)。
「国際紛争を解決する手段としては」の解釈
憲法9条第1項にある「国際紛争を解決する手段としては」の文言のかかる範囲とその意味については、次のような説がある[66][67][68]。
- 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は、「国権の発動たる戦争」、「武力の行使」、「武力による威嚇」のすべてにかかるとする説
- 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかると解釈するのが通説である[69]。
- そして、「国際紛争を解決する手段としては」の文言の意味をどう捉えるかという点をめぐって、さらに以下のように細分される。
- この見解は憲法9条第2項を待たずに第1項ですべての戦争が放棄されているとみる説である(本説で説かれる根拠や本説に対する批判については次節参照)。
- 不戦条約1条や国際連合憲章2条3項などでの国際法上の用例に従った解釈をすべきであるとして、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」とは侵略戦争の放棄を意味しているとする説(広義の限定放棄説=一項における限定放棄説)[72]
- この見解は第2項前段の「前項の目的を達するため」の解釈によって、さらに遂行不能説と限定放棄説(狭義の限定放棄説)に分かれる(各説で説かれる根拠や各説に対する批判については次節参照)。
- 制定時の英文の9条1項をもとに、「国際紛争を解決する手段としては」の条件の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分にのみかかると解釈し、自衛のための武力の行使は許容されているとみる説[73][74]
- この見解は、憲法9条2項で全面的に放棄されたのは「国権の発動たる戦争」を遂行するための「戦力」であり[75]、自衛戦争は否定されているが、外国軍隊の不法な侵入を排除するための武力による自衛権の行使は許容されており、そのための「武力」は保持しうると解釈する[76]
- この見解に対しては憲法制定過程(3月2日案)において二つの文が一つの文にまとめられた結果、最終的な正文では「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかる表現になっているとの批判がある[77][78]。
- なお、前述されているように、この見解は「戦力」と「武力」は同義であるとする多数説の立場と異なり、「戦力」と「武力」とは異なる性質のものであるという解釈をとるが、このような解釈をとるとき「戦力」ではない「武力」というものをどのように捉えるかという問題を生じるといわれる[79]。
「前項の目的を達するため」の解釈
憲法9条第2項前段にある「前項の目的を達するため」の文言の意味については、次のような説がある[80][81][82]。
- 峻別不能説(一項全面放棄説)[83]
- およそすべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるもの(侵略戦争と自衛戦争との峻別は困難)であり、憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言はなんらの留保たり得ず、憲法9条第1項の規定によって全ての戦争が禁じられており、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」とは憲法9条第1項全体の指導精神を受けて全ての戦争放棄という目的を実効化するためであるとみる説[84][85]。
- 峻別不能説は、国際紛争を解決する手段でない戦争はありえず、憲法に宣戦等に関する規定がないことなどを根拠とする[86]。
- 峻別不能説の法解釈に対しては、文言について国際法上の用例を尊重すべきであり、憲法9条の成立の経緯の点からみても妥当ではないとの批判がある[87]。また、峻別不能説では「国際紛争を解決する手段としては」の文言は何らの留保たり得ないと解釈するため、この文言の規範的意味を希薄化させるものであるとの批判[88]、あるいは、この文字が不必要ということになってしまうとの批判[89]がある。さらに自衛戦争は他国からの急迫不正の侵略行為(武力攻撃)に対して、これを排除するためにやむを得ずなされる性格のものであり、被侵略国にとっては国際紛争を解決する手段としての戦争とはいえないという指摘[90]があるほか、第1項ですべての戦争が放棄されているとするならば第2項は確認規定にしか過ぎなくなるという指摘[91]がある。
- なお、長沼ナイキ事件第一審判決は「憲法は第九条第一項で自衛戦争、制裁戦争をも含めたいかなる戦争をも放棄したものであるとする立場があるが、もしそうであれば、本項において、とくに「国際紛争を解決する手段として」などと断る必要はなく、また、この文言は、たとえば、一九二八年の不戦条約にもみられるところであり、同条約では、当然に、自衛戦争、制裁戦争を除いたその他の不法な戦争、すなわち、侵略戦争を意味するものと解されており(このことは同条約に関してアメリカの国務長官が各国に宛てた書簡に明記されている。)、以後、国際連盟規約、国際連合憲章の解釈においても、同様の考えを前提としているから、前記した趣旨に解するのが相当と思われる。したがって、本条項では、未だ自衛戦争、制裁戦争までは放棄していない」と本説のような解釈に否定的な立場をとった[92]。
- 遂行不能説(二項全面放棄説)[93]
- 憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は不戦条約など国際法上の用例に従って侵略戦争の放棄を意味すると解釈すべきであるが、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」は憲法9条第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するという文言あるいは憲法9条第1項全体の趣旨を戦力不保持の動機として示したものであり、憲法9条第2項の規定(戦力の不保持・交戦権の否認)によって「戦力」の遂行が困難となるために、結局、すべての戦争が放棄されているとみる説[94][95]
- 遂行不能説の根拠としては、平和という国際関係と密接な関連性を有する憲法9条の理解にとっては、「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても国際法上の用例に従って理解することが有益かつ実定法上望ましいことが挙げられている[96]。また、「前項の目的を達するため」の文言は立法過程において第1項冒頭への文言の追加に呼応して加えられたものであり、第2項の冒頭にも重ねて「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するためとすべきところを重複を避けるために「前項の目的を達するため」と受けたものであるから条件ではなく動機を示したものとみるべきであるという点も根拠として挙げられている[97]。
- 遂行不能説は憲法学上の多数説となっている[98][99]。
- 判例では長沼ナイキ事件第一審判決がこの説を採ったものといわれており[100]、「国際紛争を解決する手段として放棄される戦争とは、不法な戦争、つまり侵略戦争を意味する」とし、また、「「前項の目的」とは、第一項を規定するに至った基本精神、つまり同項を定めるに至った目的である「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求(する)」という目的を指す」とした上で、「本項(第二項)でいっさいの「戦力」を保持しないとされる以上、軍隊、その他の戦力による自衛戦争、制裁戦争も、事実上おこなうことが不可能となったものである」と判示した[101]。そして、憲法9条と自衛権の関係について後述の非武装自衛権説に立って、「自衛権を保有し、これを行使することは、ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない」とし、自衛権の行使方法として外交交渉、警察力による排除、群民蜂起等を挙げ、「自衛権の行使方法が数多くあり、そして、国家がその基本方針としてなにを選択するかは、まったく主権者の決定に委ねられているものであって、このなかにあって日本国民は前来記述のとおり、憲法において全世界に先駆けていっさいの軍事力を放棄して、永久平和主義を国の基本方針として定立したのである」と判示した[102]。
- 一方で、基本的には本説と同様の法解釈に立ちつつ、憲法9条と自衛権の関係について後述の自衛力論に立って、憲法第9条で放棄の対象となっている「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力(自衛力・防衛力)を保持することは憲法上否定されておらず、国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権に基づいてその自衛行動が認められるとする見解(後述の自衛力論)をとる立場もあり、政府見解も基本的に遂行不能説と同様の法解釈に立ちつつ自衛力論をとる立場をとっている[103][104][105]。政府見解は憲法制定時より憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする遂行不能説に立ちつつ[106][107]、その後の朝鮮戦争の勃発を契機とする安全保障政策の流れの中で、交戦権を伴う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとの立場をとり[108][109]、前者については憲法9条第2項(戦力の不保持及び交戦権の否認)により憲法上許容されないが、憲法9条第1項は自衛権を否定していないのであって自衛権行使の裏付けとなる外国からの急迫不正の武力攻撃を排除するための必要最小限度の実力は憲法9条第2項で保持しないとされる「戦力」にはあたらず後者については憲法上許容されていると解釈している[110][111]。これについて平成11年の参議院予算委員会において大森政輔内閣法制局長官(当時)は「個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います」[112]と述べている。また、平成11年の参議院外交防衛委員会において秋山收内閣法制局第一部長(当時)は「自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます」[113]と述べている。なお、政府見解は基本的には遂行不能説に立っているが[114]、「自衛権」と「戦力」の理解の点で学説の遂行不能説とは少なからず異なっていると言われており[115]、2項の解釈の方法などの点を除けば結論において実質的に後述の限定放棄説に接近しているという指摘もあるが[116]、政府見解は限定放棄説(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)を公式には採用しておらず[117]、あくまでも遂行不能説を基礎とする法解釈に立脚している[118][119](自衛力による自衛権説(自衛力論)に立つ場合の、自衛力と憲法9条第2項後段(交戦権の否認)の規定との関係については後述の「交戦権」の解釈を参照)。
- 遂行不能説の法解釈に対しては、すべての戦争の放棄という1つの目的のために2つの違った趣旨の規定を置いたことになり、憲法9条は立法技術的にみて拙劣な規定ということになってしまうとの批判がある[120][121]。
- 限定放棄説(狭義の限定放棄説・侵略戦争放棄説・自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)[122]
- 憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は侵略戦争を放棄したものと解すべきで、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」は憲法9条第1項の侵略戦争放棄という目的を達成するための戦力不保持の条件を示したものであるから自衛戦争は許容されているとみる説[123][124]。
- 本説は自衛戦争のための「戦力」を保持することは否定されていないとする自衛戦力肯定説(後述)と結びつく[125]。
- 限定放棄説の根拠としては、本条の立法上の経緯、特に既述の芦田修正や憲法9条の制定過程において極東委員会が、当時、このような解釈の可能性を認めており、そのために憲法66条2項に文民条項を入れることを強く要求したとされる点が挙げられている[29][126]。
- 判例では百里基地訴訟第一審判決がこの説を採ったものといわれており[127]、「わが国は、外部からの不法な侵害に対し、この侵害を阻止、排除する権限を有するものというべき」とし、また、「「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を受けて侵略戦争と侵略的な武力による威嚇ないしその行使に供しうる一切の戦力の保持を禁止したものと解するのが相当」とした上で、「わが国が、外部から武力攻撃を受けた場合に、自衛のため必要な限度においてこれを阻止し排除するため自衛権を行使することおよびこの自衛権行使のため有効適切な防衛措置を予め組織、整備することは、憲法前文、第九条に違反するものではない」と判示した[128]。
- また、これらとは別の観点から、国民主権の国家における国民は憲法やその前提となる国家の存立について責任を有するとともに、日本国憲法第13条の規定は基本的人権に加えられる国内外からの侵害を排除することを要請すると説く学説もある[129]。
- 限定放棄説の法解釈に対しては、戦力不保持を定めた9条2項の存在理由がなくなるもしくは極めて不明確になるとの批判があり[130]、また、自衛戦争のための「戦力」と侵略戦争のための「戦力」を区別しうるのか、あるいは自衛戦力の保持が可能であるとすれば軍隊の設置や戦争の遂行についての規定が憲法に規定されていて然るべきはずであるといった批判がある[131]。
- なお、本説に立った上で、憲法9条第2項前段により「戦力」は保持できないとして自衛戦力肯定説(後述)をとらずに、人員・装備の点で「戦力」に至らない程度の「自衛力」を保持することはできるとする自衛力論(後述)と結び付けて説く学説もあるが[132][133]、限定放棄説に対しては文理解釈や憲法の体系的解釈の点で難があるとの指摘があり、政府見解は前述のように本説ではなく遂行不能説を基礎とする法解釈に立ちつつ自衛力論(後述)をとる立場に立っている[134][135][136]。
自衛権の問題
自衛権の意義
自衛権(個別的自衛権)とは「外国からの違法な侵害に対して、自国を防衛するために緊急の必要がある場合、それに武力をもって反撃する国際法上の権利」と定義される[137]。
国際連合憲章51条に定められた自衛権は、(1)武力攻撃が発生した場合を要件とし(if an armed attack occurs against a Member of the United Nations)、(2)安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間の措置として認められ(until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security)、(3)自衛のための措置をとった場合には直ちに安全保障理事会に報告しなければならない義務を課されている(Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council)。なお、国連憲章上の個別的自衛権と従来から国際慣習法で認められてきた自衛権との関係については議論がある。
自衛権の行使
国際法上、自衛権の行使が正当化されるためには、違法性、必要性、均衡性の要件を満たすことが必要と考えられている[138][139]。
- 違法性
- 侵害が急迫または現実のものであって、その行為が違法(不正)なものであること。
- 必要性
- 侵害排除という目的を実現するために一定の実力を行使する以外に選択する手段がないこと。
- 均衡性
- 自衛のための実力行使は必要な限度で行使され、侵害行為に対して均衡を失わない程度のものであること。
憲法9条と自衛権
憲法9条と自衛権の関係については、次のような説がある[140][141]。
- 自衛権放棄説
- 憲法9条は自衛権を放棄しているとする説[142]。
- 本説では自衛権が武力の行使を伴うことは不可避であり、日本国憲法の下では自衛権は放棄されているとみる[143]。
- 本説に対しては、日本も主権国家である以上は自衛権そのものまで放棄しているとみることはできないのではないかとの指摘がある[144]。
- 自衛権留保説
- 自衛力なき自衛権説(非武装自衛権説)
- 憲法9条は自衛権を放棄してはいないが、軍事力を伴わない手段に限られるとする説[145]。
- 本説では国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権は放棄されてはいないが、憲法9条第2項により「戦力」や「武力」を用いた自衛権の行使は禁じられているとみる[146]。
- 判例では長沼ナイキ事件第一審判決がこの説を採ったものといわれる[147]。
- 本説では軍事力を伴わない手段として、具体的に外交交渉、警察力、群民蜂起などを挙げる[148]。
- 本説に対しては、外交交渉、警察力、群民蜂起による自衛権の行使という観念は、伝統的な「自衛権」の概念とは異なるものであり、一定の客観的な意味と役割を有しているはずの「自衛権」の固有の意味を失わせ異質化させるものであるとの指摘がある[149]。
- 自衛力による自衛権説(自衛力肯定説・自衛力論)
- 憲法9条は自衛権を放棄しておらず、「戦力」に至らない程度の実力(自衛力・防衛力)の範囲において自衛権が認められるとする説[150]。
- 本説では国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権は放棄されておらず、その自衛行動をとるために必要とされる「戦力」に至らない程度の実力を保持することは憲法上否定されていないとみる[151]。
- 判例では砂川事件上告審判決がこの説を採ったものといわれており[152]、政府見解(公定解釈)もこの立場をとっている[153]。
- 本説に対しては自衛権の存在をもって直ちに憲法上の自衛力の保持の容認に繋がるか疑問であるとの指摘[154]や、「自衛力」と「自衛の戦力」との相違が必ずしも明確ではないとの指摘がある[155]。
- 自衛戦力による自衛権説(自衛戦力肯定説)
- 憲法9条は自衛戦争のための「戦力」を保持することを否定していないとする説[156]。
- 本説は上の限定放棄説と結びつく説であり[157]、憲法上、自衛戦争は放棄されておらず、そのための「戦力」を保持することも許容されているとみる[158]。
- 本説に対しては憲法9条の理解が形式的に過ぎ、戦力不保持について定める第2項前段の解釈の点で問題があるとの指摘がある[159]。
- 判例において百里基地訴訟第一審判決や長沼ナイキ事件第二審判決ではこのような解釈がとられたが、一方、砂川事件第一審判決ではこのような解釈に否定的な判断がなされた[160][161]。
- なお、政府見解(公定解釈)は自衛力による自衛権説に立っており、「「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力」は保持できるが「戦力」は保持できないとしているので自衛戦力肯定説とは異なる[162]。
集団的自衛権
集団的自衛権とは「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」と定義される[163]。国際連合憲章51条に定められている。政府見解はわが国は集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されないという立場をとっている[164]。
「戦力」の解釈
「戦力」の内容
憲法9条により不保持の対象となる「戦力」については、次のような説がある[165][166]。
- 戦争に役立つ可能性のある潜在的能力をすべて含むとする説(潜在的戦力説)[167]
- 警察力を超える程度の実力をいうとする説(超警察力説)[168]
- 近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいうとする説[169]
- 自衛のための必要最小限度を超える実力をいうとする説(超自衛力説)[170]
「戦力」の判断基準
「戦力」にあたるか否かの判断基準については、その実力組織を利用する者の目的という主観的観点から判断すべきとする主観説もあるが、実力組織そのものの性質という客観的観点から判断すべきとする客観説が通説となっている[171]。
その他
海上保安庁法には「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」とする規定がある[172]。
「交戦権」の解釈
「交戦権」の内容
憲法9条第2項後段にある「交戦権」の内容については、次のような説がある[173]。
- ただし、この説でいう「交戦権」は結論的には広く国家が戦争を行う権利をいうとする説での「交戦権」と重なり合うとみられている[177]。
これらの説のうち「国際法において交戦国に認められている権利」をいうとする説が多数説となっている[178][179]。判例では「国際法上の概念として、交戦国が国家として持つ権利」をいうとし(長沼ナイキ事件第一審判決、百里基地訴訟第一審判決)、政府見解も「交戦者として戦時国際法上認められている権利」をいうとしている[180]。
峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説との関係
上のように「交戦権」については「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説がある[181]。
限定放棄説では憲法9条第2項前段の「前項の目的を達するため」を侵略戦争放棄という目的を達成するためとみるが、この文が句点によって区切られた憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文にまでかからないのではないかという問題を生じる[182]。この点については、そのまま「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかかり、交戦権の否認も侵略戦争放棄という目的を達成するための限定的なものとなるとする説もある[183]。しかし、学説の多くは「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかからないとみている[184]。そのため、限定放棄説からは「交戦権」の内容を「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈し、憲法9条2項後段の交戦権の否認については、あえて他の国家に対して国際法上の交戦権を主張しない趣旨であるとみる説がある[185]。なお、前述のように、政府見解は基本的には遂行不能説と同様の法解釈に立ちつつ「前項の目的を達するため」の文は憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文にまでかからないとした上で、交戦権は全面的に否認されているが交戦権とは区別される自衛行動権(自衛権の行使として自国に対する急迫不正の武力攻撃を排除するために行われる必要最小限度の実力を行使する権利)については憲法上否認されていないと解釈する[186]。
限定放棄説からは「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」と解釈すると結局のところ全面放棄となってしまうため、「交戦権」については「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈する説とのみ結びつくと考えられている[187]。これに対して、峻別不能説及び遂行不能説からは、「交戦権」について「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説のいずれの説とも結びつくといわれる[188]。遂行不能説に立って「交戦権」を「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説からは、憲法9条2項前段は物的な面から、憲法9条2項後段は法的な面から戦争を不可能にする趣旨であると説明される[189]。
自衛力・防衛力との関係
遂行不能説などに立った上で憲法9条2項前段によって不保持の対象となっている「戦力」を保持することはできないが、「戦力」に至らない程度の実力(自衛力・防衛力)については保持することが認められるとする「自衛力による自衛権説」に立つ場合、その自衛力の行使と憲法9条2項後段(交戦権の否認)との関係が問題となる。この点について、自衛のための必要最小限度の自衛力の行使の関係においてのみ例外的に交戦権が存在しているとみる見解[190]がある一方、政府見解のように憲法9条2項前段の「前項の目的を達するため」は憲法9条2項後段(交戦権の否認)にはかからないので交戦権は全面的に否認されているが、交戦権とは区別される自衛行動権(自衛権の行使として自国に対する急迫不正の武力攻撃を排除するために行われる必要最小限度の実力を行使する権利)については憲法上否認されていないとみる見解[191]もある。
この点について、昭和44年の参議院予算委員会において高辻正己内閣法制局長官(当時)は「あくまでも憲法の第九条二項が否認をしている交戦権、これは絶対に持てない。しかし、自衛権の行使に伴って生ずる自衛行動、これを有効適切に行なわれるそれぞれの現実具体的な根拠としての自衛行動権、これは交戦権と違って認められないわけではなかろうということを申し上げた趣旨でございますので、不明な点がありましたら、そのように御了解を願いたいと思います」[192]と述べている。
自衛行動の地理的範囲
政府見解では我が国が自衛権の行使として我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られるものではなく、自衛権の行使に必要な限度内で公海・公空に及ぶとする[193]。
また、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないが[194]、わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対して誘導弾等による攻撃が行われた場合に、その攻撃を防ぐのに必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくということは、法理的には自衛の範囲に含まれ可能であるとする[195]。
保有しうる兵器の範囲
政府見解では性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、いかなる場合においても、これを保持することが許されないとし、例えばICBM、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母については保有することが許されないとする[196]。
戦時国際法及び国際人道法の適用
交戦権の否認との関係で戦時国際法及び国際人道法の適用が議論されることがあるが、昭和53年の衆議院内閣委員会において真田秀夫内閣法制局長官(当時)は「憲法の制約内における実力行使はできるわけでございますから、その実力行使を行うに際して既述されている戦時国際法規は適用があります。たとえば、侵略軍の兵隊を捕虜にした場合にはその捕虜としての扱いをしなければならないというようなことは当然適用があるということでございます」[197]と述べている。また、同委員会において柳井俊二外務省条約局法規課長(当時)は「一九四九年のいわゆるジュネーブ諸条約その他条約がございまして、これはわが国も締約国になっておりますし、これらの条約に規定されましたところのもろもろのルールというものはわが国についても適用があるというふうに考えております」[198]と述べている。さらに、平成2年の国際連合平和協力に関する特別委員会において柳井俊二外務省条約局長(当時)は「我が国が紛争当事国にならない場合におきましては、自衛官もあるいは文民もいわゆる第四条約、これは戦時における文民の保護に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約でございますが、この文民の保護に関する条約のもとで保護を受けるということでございまして、この場合におきましては、自衛官の場合もあるいはそれ以外の文官の場合も特に変わりなく人道的な保護を受けるということでございます。(中略)このようなことは実際上は余り考えにくいわけでございますけれども、ある国が我が国をいわば紛争当事国とみなすというようなことを全く理論的に考えました場合におきましては、この自衛官は国際法上軍人とみなされますから捕虜の待遇を受けるわけでございます。この場合におきましては、ヘーグ条約あるいは捕虜の待遇に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約の保護を受けます。そして文民の方々は、先ほど挙げましたジュネーブ第四条約、文民の保護に関する条約の保護を受けることになります」と述べている[199]。
憲法改正権との関係
- 憲法改正無限界説
- 憲法改正に限界はないとする説からは憲法9条も当然に改正しうるとする[200]。
- 憲法改正限界説
第9条に関する有権解釈
政府における解釈
政府見解は憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする立場をとりつつ[204]、交戦権を伴う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとし、このうち個別的自衛権に基づく自衛行動について憲法上許容されているとの解釈をとるに至っている[205][206][207]。
;1946年9月、金森徳次郎国務大臣
- 「第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです」(1946年9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における高柳賢三議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)[208]
- 「第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります」(1946年9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における大河内輝耕議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)[209]
;1953年8月、下田武三外務省条約局長「国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行って爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であって、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入って敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。」(1953年8月5日、衆議院外務委員会における下田武三外務省条約局長の答弁)
「戦力」についての政府解釈の変遷
憲法学者からは「戦力」概念について政府見解の変遷が指摘されることがある。憲法制定当初、政府は、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛権の発動としての戦争をも放棄したものとしていた。しかし、朝鮮戦争に伴う日本再軍備とともに、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法上禁止されておらず、自衛隊は必要最小限度の「実力」であって、憲法で禁止された「戦力」には当たらないとするに至っている。
;1946年6月、吉田茂内閣総理大臣
;1950年7月、吉田茂内閣総理大臣「(警察予備隊の設置)の目的は何か、これは全然治安維持であります。秩序を維持するためであります。その目的以外には何ら出ないのであります。これが、あるいは国連加入の條件であるとか、用意であるとか、あるいは再軍備の目的であるとかいうようなことは、全然含んでおらないのであります。現在の状態において、いかにして現在の日本の治安を維持するかというところに、全然その主要な目的があるのであります。従つて、その性格は軍隊ではないのであります。また軍隊によつていわゆる国際紛争を解決するというのは軍隊の目的としての一つでありますが、この警察予備隊によつて国際紛争を解決する手段とは全然いたさない考であります」(1950年7月29日、衆議院本会議における佐瀬昌三議員に対する吉田茂首相の答弁)[212]
;1952年11月、吉田茂内閣の政府統一見解「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」(1952年11月、吉田茂内閣の政府統一見解)
;1954年4月、木村篤太郎保安庁長官「常々申し上げます通り、軍隊とは何であるか、引続いて戦力とは何であるかということについては、確たる一定の定義というものはないのであります。御承知の通り、わが憲法においては自衛力は否定されていないのであります。一国独立国家たる以上は、外部からの不当侵略に対してこれを守るだけの権利があります。その権利の関係であります力を持つことは当然の事理であります。安保条約においてもまた国連憲章五十一条においてもこれはひとしく認めるところであります。ただ憲法第九条第二項において戦力を持つことを否定されておるのであります。現段階においてはいわゆる戦力に至らざる程度においての自衛力を持とうというのがわれわれの念願とするところであります。しこうして今御審議を願つております自衛隊法による自衛隊にいたしましても、もちろん外部からの不当侵略に対して対処し得る実力部隊、これを軍隊といい、また軍隊といわなくとも一向さしつかいないのであります。要は戦力に至らない実力部隊、われわれはこう考えておる次第であります。」(1954年4月27日、衆議院内閣委員会における田中稔男議員に対する木村篤太郎保安庁長官の答弁)[214]
第9条をめぐる政府見解
自衛権とその発動
;1954年5月、佐藤達夫内閣法制局長官「いざこざが前にあろうとなかろうとこちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んで来た場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。」(1954年5月13日、参議院法務委員会における中山福藏議員に対する佐藤達夫内閣法制局長官の答弁)[216]
交戦権と自衛行動
;1955年7月、林修三内閣法制局長官「先ほどから申し上げます通りに、いわゆる交戦権という問題と、日本が他国あるいは外部から侵略された場合に、自衛のためにそれを排除するために抗争するということとは観点が別だと思います。しかしたまたまその形が、いわゆる戦争、国際法的に見た戦争と見られるような形をとるということは、これはもちろんあり得ることと思いますが、それは私は排除されておらない。つまり日本その自衛のために必要な限度における、の侵略を排除する範囲における自衛行動、これは認められておる。その形を国際法上何と見るか。これは国際法の関連において決する、かように考えます。」(1955年7月26日、参議院内閣委員会における堀眞琴議員に対する林修三内閣法制局長官の答弁)[217]
自衛力の法的限界
;1957年5月、岸信介内閣総理大臣「今日核兵器と言われておるところの原水爆やその他これに類似したようなものが、これはその性格から申しましても、もっぱら攻撃的なものでありまして、こんなものを日本が持つということは、これは憲法の自衛権というものの解釈からいってもこれは許せないことであろう。しかし核兵器と一言に言われておるけれども、この原子力のいろんな発達というものは非常に著しいものがあるからして、そういう場合において、憲法の議論としては、これはそういうものが、あらゆる、たとえもっぱら防禦的だと考えられるようなものであったとしても、いわゆる核兵器と名がついたら、これは憲法違反だ。―憲法に核兵器を禁止しておるという私は明文はないと思うのです。ただ自衛権の内容というもの、自衛というもののワクでもって、われわれが持ち得る一つの実力といいますか、力というものは、限定されなければならないというのが私の憲法の議論でございます」(1957年5月13日、参議院予算委員会における小林孝平議員に対する岸信介首相の答弁)[218]
;1967年3月、佐藤榮作内閣総理大臣「わが国が持ち得る自衛力、これは他国に対して侵略的脅威を与えない、侵略的脅威を与えるようなものであってはならないのであります。これは、いま自衛隊の自衛力の限度だ。かように私理解しておりますので、ただいま言われますように、だんだん強くなっております。これはまたいろいろ武器等におきましても、地域的な通常兵器による侵略と申しましても、いろいろそのほうの力が強くなっておりますから、それは、これに対応し得る抑止力、そのためには私のほうも整備していかなければならぬ。かように思っておりますが、その問題とは違って、憲法が許しておりますものは、他国に対し侵略的な脅威を与えない。こういうことで、はっきり限度がおわかりいただけるだろうと思います」(1967年3月31日、参議院予算委員会における鈴木強議員に対する佐藤榮作首相の答弁)[219]
;1978年4月、真田秀夫内閣法制局長官「政府が従来から憲法第九条に関してとっている解釈は、同条が我が国が独立国として固有の自衛権を有することを否定していないことは憲法の前文をはじめ全体の趣旨に照らしてみても明らかであり、その裏付けとしての自衛のための必要最小限度の範囲内の実力を保持することは同条第二項によっても禁止されておらず、右の限度を超えるものが同項によりその保持を禁止される「戦力」に当たるというものである。(中略)核兵器であっても仮に自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがあるとすれば、憲法上その保有を許されるとしている意味は、もともと、単にその保有を禁じていないというにとどまり、その保有を義務付けているというものでないことは当然であるから、これを保有しないこととする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていないのであって、現に我が国は、そうした政策的選択の下に、国是ともいうべき非核三原則を堅持し、更に原子力基本法及び核兵器不拡散条約の規定により一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。」(1978年4月3日、参議院予算委員会における矢追秀彦議員に対する真田秀夫内閣法制局長官の答弁)[220]
;1979年3月、大平正芳内閣総理大臣「自衛のために最小必要限度を超えない実力を保持することは憲法によって禁止されておらない、したがって、自衛のための必要最小限度の範囲を超えることになるものは、通常兵器でありましてもその保有は許されないと解されるのが憲法の精神だろうと思いますが、その精神は、一方、核兵器でございましても、仮に右の限度の範囲内にとどまるものであれば、憲法上はその保有を禁ずるものでないという解釈を政府はとっておりますことは御案内のとおりであります。憲法の解釈は右のとおりでございますけれども、わが国は、政策的な選択といたしまして、いわゆる非核三原則を国是とも言うべき政策として堅持しております。さらに、原子力基本法並びに核兵器不拡散条約の規定によりまして、一切の核兵器を保有し得ないとしていることは言うまでもないところでございます」(1979年3月16日、参議院本会議における吉田正雄議員に対する大平正芳首相の答弁)[221]
自衛官と国際法上の地位
判例における解釈
自衛隊の憲法9条に対する合憲性について直接判断した最高裁の判例は未だ存在しない。下級裁においては長沼ナイキ事件(札幌地裁)、航空自衛隊イラク派遣違憲訴訟(名古屋高裁)の2例がある。
時間的適用範囲
1951年11月28日、最高裁判所大法廷判決。遡及効の否定[223]。
- 憲法9条の規定は将来に対する宣言であり、制定前の戦時中の収賄行為について戦時刑事特別法を適用するかの判断には関係しない。
警察予備隊違憲訴訟
砂川事件
1959年12月16日、最高裁判所大法廷判決(この判決が示されるに当たり、アメリカの圧力があった事が判明している)
- 憲法9条はわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定していない。
- 憲法9条はわが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら否定していない
- 憲法9条2項にいう「戦力」とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使する戦力をいう
- 外国の軍隊は憲法9条2項にいう「戦力」に該当しない
- (旧)日米安全保障条約は憲法9条に一見極めて明白に違反するということはできない
恵庭事件
長沼ナイキ事件
百里基地訴訟
1989年6月20日、最高裁判所第三小法廷判決
- 憲法9条は私法上の行為に直接適用されるものではない
- 国が行政の主体としてでなく私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約がその成立の経緯及び内容において、実質的にみて公権力の行使の発動たる行為と何ら変わらないといえるような特段の事情のない限り、憲法9条の直接適用を受けない
沖縄代理署名訴訟
1996年8月28日、最高裁判所大法廷判決[224]
- 現行日米安全保障条約は憲法9条に一見極めて明白に違反するということはできない
- 駐留軍用地特措法は憲法9条に違反しない
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第9条をめぐる歴史
- 1946年(昭和21年)
- 11月3日 - 日本国憲法公布
- 1947年(昭和22年)
- 5月3日 - 日本国憲法施行
- 1950年(昭和25年)
- 6月25日 - 朝鮮戦争が勃発
- 1951年(昭和26年)
- 9月8日 - サンフランシスコ平和条約調印、日米安全保障条約調印
- 1952年(昭和27年)
- 1954年(昭和29年)
- 3月8日 - 日米相互防衛援助協定(MSA協定)締結
- 7年1日 - 防衛庁設置、保安隊を自衛隊に改組
- 1992年(平成4年)
- 6月15日 - PKO協力法成立
- 1999年(平成11年)
- 5月28日 - 周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)制定
- 2005年(平成17年)
- 10月28日 - 自民党の新憲法草案が発表される。自民党の新憲法草案第9条では、第1項は変えずに、第2項に自衛軍の規定を新設している[225]。
- 2007年(平成19年)
- 1月9日 - 防衛庁から防衛省に移行
自衛をめぐる議論
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法律的観点からの議論
憲法9条の法的有効性については次のような議論がある。
- 日本が被占領国で主権を失っていたときに半強制的に制定された歴史権益上の事実があったこと(当時の国際条約(成文国際法)は現在ほど発達しておらず、極東国際軍事裁判においても裁判官側はすべて連合国側の人物だったことなどもその証左である[226])、また、先述している通り、もともと、現行日本国憲法においては松本烝治を中心とした松本試案による憲法をGHQに提出しているが、GHQ側が拒否しダグラス・マッカーサーにより独自に作成されたマッカーサー草案が大本になっていること[227]。
- 戦勝国である連合国側の協定(国連憲章)での「敵国条項(53条、77条、107条)」がまだ有効であったとき制定された(この敵国条項は現在死文化しており、1995年の国連総会で削除が採決されたが、現在も憲章に残ったままである)うえ、日本の主権が回復するのはサンフランシスコ条約効力発生時、すなわち、1952年4月28日のことである。
- 第二次世界大戦にいたる経緯のなかで、戦勝国である連合国側の反省として、戦争拡大責任に関する歴史検証が確立される前に制定された[228]。
- 国内法といえども国の安全保障に関する条項は国際法と無関係ではありえないものであって、国際法が変化すれば当然にそれに関する国内法条項の存在意義が変化し、改正の必要性は増加する(簡単にいえば、時代に合わせた法律改正が行われるいわゆる法律は生き物という概念である)。
- 現憲法(第九条)の規定は国連憲章の「敵国条項」の国際法による法的拘束力が及ぶ背景で草案され制定されたから「交戦権」を否定しているが、すでに敵国条項が(国連総会で)無効化された以上、現在の国連憲章の1条、2条、51条、52条に明らかに違反する規定となっており(日本国憲法第98条において国際法と憲法の関係が記されており、憲法を上位とする判例はあるものの、国の存廃に関わる条約法規については国際条約を優位とするとしているため[229]、この憲法解釈も反することとなる)、日本国憲法第11条、日本国憲法第12条、日本国憲法第13条における国民の生命の安全及び、基本的人権の不可侵を無視し損なう法的効果を及ぼしている。
という理由から、憲法第九条の根本的な法的有効性、存在意義そのものにおいて疑問をもつ見解もある(改憲派としては慶應義塾大学法学部教授である小林節らが著名である)。
政策的観点からの議論
憲法9条の政策的妥当性について廃止の立場では次のような考え方がある。
- よく9条推進の根拠に、軍隊を保有していない国について語られることがあるが[230]、これらの国は周辺国との深刻な対立がないため、軍事的な脅威にさらされる危険性がないからであり、なおかつ先進国の保護国だったり、予算がないなどで先進国に防衛を依存している場合などでありうることであり、毎年多数の領海侵犯及び領空侵犯が発生している日本国においてこの論拠をあてはめるのは明らかな間違いである。更に言えば、コスタリカにおける軍隊廃止後の侵攻事件やハイチにおける軍隊廃止後の内戦対処不可能化事例など、先進国かつ首都圏と言った世界都市が複数ある日本にとっては、非常にリスクが高い(当然9条推進派からこのリスクの説明を出すことは先ず無い)。更に、市民団体や社会民主党・日本共産党を中心に、徴兵制の復活[231]及び軍国主義の復活と言う意見がよく唱えられるが、前者は現代の兵器のハイテク化による要求知識高度化により専門の教育を受けなければならない為、予備自衛官制度がある以上、徴兵されてから配属されたのでは意味を為さない(詳細は職業軍人の項目に詳しい)。後者に至っては、前者にも見られる事象であるが、戦争末期の人員不足に喘いでいた旧日本軍のような旧い事例と混同している節が見られる。無論現代の自衛隊は防衛特化の防衛ドクトリンが構築されており、爆撃機が1機も無い(強いて言えばF-2支援戦闘機に爆弾を搭載できるが、戦力的にも限定されている)事から侵攻能力は低い為、どちらの論にしても的外れな意見である。
上のような典型的な9条廃止論に対しては以下のような反論がある。
- 「周辺国との深刻な対立」…東日本大震災に際してロシアや中国からも援助が得られる2011年現在の日本と近隣国の摩擦など、諸外国と比べてとりたてて深刻な対立とまでは言えない。
- 「軍事的な脅威」…ソ連崩壊前と比べればアメリカの軍事的優位は圧倒的で、日本への脅威はむしろ低減している。
- 「予算がないなどで」…予算が「無かった」訳ではないが、戦後の高度成長は軍事費の抑制と不可分であり、防衛費1%枠の撤廃が日本経済の低迷を招いた。
- 「先進国に防衛を依存している場合」…日本も在日米軍に防衛を依存しているが、9条廃止論者の大半は在日米軍の存在に肯定的である。
- 「非常にリスクが高い」…そもそも戦前の国家総動員体制で日本を守りきれなかったから9条があるのであり、軍備を整えたからといって国家を守れる保証は無い。また9条廃止によってアメリカ同時多発テロ事件のような大規模テロの標的になるリスクは逆に高まる点が恣意的に無視されている。
- 「自衛隊は防衛特化の防衛ドクトリンが構築されており、爆撃機が1機も無い」…専守防衛は現行の9条の下での自衛隊だからであり、9条撤廃後の正規軍のありかたとは無関係なすり替えである。
比較憲法的考察
現在、同様に戦争放棄を憲法でうたっている国としてはフィリピンがある。また、侵略戦争のみを放棄した憲法を有する国は西修の調べでは124ヶ国にのぼる。
コスタリカ憲法は軍隊の常設を禁止しているが、自衛権を明示的に認め、非常時に徴兵制を敷く事も可能としている。アイスランドは軍を持たない。ただし、両国の軍隊不所持は米国による安全保障が前提となっている。アイスランドでは、2006年9月まではアメリカ軍を国内に受け入れていた。また、外務省管轄だが、アイスランド防衛庁(Varnarmálastofnun Íslands)という組織も保有している。国連の平和維持活動にも積極的に人員を派遣している。
脚注
- ^ 「戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましょうが、憲法第九条第二項が保持を禁じている戦力は、右のようなことばの意味どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます。」(昭和47年11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁)
- ^ 西修『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、234頁
- ^ “3-12 GHQに提出した「憲法改正要綱」”. 日本国憲法の誕生. 国立国会図書館. 2009年12月9日閲覧。
- ^ “3-10 マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日”. 日本国憲法の誕生. 国立国会図書館. 2009年12月9日閲覧。
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- ^ 塩田純『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』日本放送出版協会、2008年、104頁
- ^ 塩田純『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』日本放送出版協会、2008年、106頁
- ^ 山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、269頁
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- ^ “3-22 「憲法改正草案要綱」 の発表”. 日本国憲法の誕生. 国立国会図書館. 2009年12月9日閲覧。
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- ^ 西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年3月31日、ISBN 4792303702、267頁
- ^ 野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、150頁以下
- ^ 長谷部恭男『新法学ライブラリー(2)憲法 第3版』2004年、新世社、60頁
- ^ 西修『日本国憲法成立過程の研究』成文堂、2004年、279頁
- ^ 野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、150頁
- ^ 西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、281頁
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- ^ 憲法調査会事務局『憲法の制定経過に関する小委員会報告書』1961年、502-503頁
- ^ a b “Transcript of Twenty-Seventh Meeting of the Far Eastern Commission, Held in Main Conference Room, 2516 Massachusetts Avenue, N.W., Saturday, September 21, 1946”. 日本国憲法の誕生. 国立国会図書館. 2009年12月9日閲覧。
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- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.113)ISBN 978-4641018891
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- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.113)ISBN 978-4641018891
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- ^ 佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、124-127頁
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401以下)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.153-156)ISBN 978-4417009368 参照
- ^ 樋口陽一「憲法 改訂版」創文社、1998年(p.136)
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- ^ 浦部法穂「全訂憲法学教室2版」日本評論社、2000年(p.407)
- ^ 渋谷秀樹、赤坂正浩「有斐閣アルマ 憲法2統治 第4版」有斐閣、2010年(p.309)
- ^ 佐藤幸治「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.651)
- ^ なお、杉原泰雄編「体系憲法事典」青林書院、2008年(p.350)では本稿における狭義の限定放棄説を「限定放棄説(1)」とし、本説を「限定放棄説(2)」と分類する。
- ^ 佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、127頁
- ^ 佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、124-125頁
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.400)ISBN 978-4641016910
- ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.165)ISBN 978-4641129986
- ^ 佐藤幸治「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401以下)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 参照
- ^ なお、芦部信喜「憲法学(1)憲法総論」有斐閣、1992年 ISBN 978-4641031685 では、峻別不能説を「一項全面放棄説」、遂行不能説を「一項二項全面放棄説」として分類している。
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではA-X説と分類されている。
- ^ 小林直樹「憲法講義(上)新版」東京大学出版会、1980年(p.193、p.198)
- ^ 浦部法穂「全訂憲法学教室」日本評論社、2000年(p.407)
- ^ 清宮四郎「法律学全集 憲法Ⅰ第3版」有斐閣、1979年(p.112)
- ^ 佐藤幸治「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.409)ISBN 978-4641016910
- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.114)ISBN 978-4641018891
- ^ 佐藤功『ポケット注釈全書・憲法(上)新版』有斐閣、1983年、115頁
- ^ 辻村みよ子『憲法第3版』日本評論社、2008年、110頁
- ^ 札幌地判昭48・9・7判時712・249
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではB-X説と分類されている。
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)参照
- ^ 「前項の目的を達するため」を戦力不保持の動機を示すものとみる説は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の部分を指すとする一項前段動機説、一項全体の指導精神を指すとする一項全体動機説、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を侵略戦争の放棄のためと解釈してこの部分を指すとする一項後段動機説に分けられる(杉原泰雄「有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構」有斐閣、1989年(p.115以下)参照)。政府見解は「憲法第9条第2項の「前項の目的を達するため」という言葉は、同条第1項全体の趣旨、すなわち同項では国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄しているが、自衛権は否定しておらず、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められているということを受けている」との立場をとる(昭和55年12月5日、森清衆議院議員質問主意書に対する政府答弁書)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.408-409)
- ^ 佐藤功『ポケット注釈全書・憲法(上)新版』有斐閣、1983年、116頁
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)参照
- ^ 「現代法律大百科事典(7)」ぎょうせい、1995年(p.10)参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 札幌地判昭48・9・7判時712・249
- ^ 札幌地判昭48・9・7判時712・249
- ^ 芦部信喜『憲法学Ⅰ憲法総論』有斐閣、1992年、261-262頁
- ^ 「現代法律大百科事典(7)」ぎょうせい、1995年(p.10)参照
- ^ 吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫「概説日本国憲法」国書刊行会、1995年(p.138)参照
- ^ 佐藤達夫『憲法講話』(1960年)立花書房、16頁
- ^ 1946年(昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会、金森国務大臣
- ^ 1999年(平成11年)9月13日、参議院予算委員会、大森内閣法制局長官答弁
- ^ 1999年(平成11年)3月15日、参議院外交・防衛委員会、秋山收内閣法制局第一部長答弁
- ^ 1972年(昭和年)11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁
- ^ 1999年(平成11年)3月15日、参議院外交・防衛委員会、秋山收内閣法制局第一部長答弁
- ^ 1999年(平成11年)9月13日、参議院予算委員会における大森内閣法制局長官の答弁
- ^ 1999年(平成11年)3月15日、参議院外交・防衛委員会における秋山收内閣法制局第一部長の答弁
- ^ 芦部信喜『憲法学Ⅰ憲法総論』有斐閣、1992年、261-262頁
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910
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- ^ 山内敏弘「現代法双書 新現代憲法入門」法律文化社、2004年(p.257)
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.162-163)ISBN 978-4417009368 参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 佐藤幸治「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)
- ^ 宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、163頁
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではB-Y説と分類されている。
- ^ 佐々木惣一「改訂日本国憲法論」有斐閣、1952年(p.231-238)
- ^ 大石義雄「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 立法の経緯については長谷部恭男「新法学ライブラリー(2)憲法 第3版」新世社、2004年(p.63、p.60) 参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 水戸地判昭52・2・17判時842・22
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- ^ 田上穣治「公法学研究」良書普及会、1982年(p.78-79)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401-402)ISBN 978-4641016910 では、自衛戦力肯定説と結びつけて説かれる限定放棄説を「a説」とし、自衛力論と結び付けて説かれる限定放棄説を「a´説」として分類する。
- ^ 「現代法律大百科事典(7)」ぎょうせい、1995年(p.10)参照
- ^ 吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫「概説日本国憲法」国書刊行会、1995年(p.138)参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910 では、政府見解(自衛力論と結び付けて説かれる遂行不能説)を「b´説」として分類する。
- ^ 筒井若水編「国際法辞典」有斐閣、1998年(p.167)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.411)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ なお、野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.168)ISBN 978-4641129986
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415以下)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.169-170)ISBN 978-4641129986 では、自衛権放棄説をさらに実質放棄説と形式放棄説とに分けている。
- ^ 山内敏弘「平和憲法の理論」日本評論社、1992年(p.236-238)
- ^ 山内敏弘「平和憲法の理論」日本評論社、1992年(p.236-238)
- ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.170)ISBN 978-4641129986
- ^ 芦部信喜「憲法学Ⅰ憲法総論」有斐閣、1992年(p.266)ISBN 978-4335300028
- ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.170)ISBN 978-4641129986
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.420、p.422-423)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 芦部信喜、高橋和之補訂「憲法 第四版」岩波書店、2006年(p.61)ISBN 978-4000227643
- ^ 山内敏弘「平和憲法の理論」日本評論社、1992年(p.208-209、p.236-238) 参照
- ^ 伊藤正己「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.173)ISBN 978-4335300578
- ^ 伊藤正己「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.173)ISBN 978-4335300578 参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.419)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.417)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.158)ISBN 978-4417009368 参照
- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891
- ^ 大石義雄「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 大石義雄「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.416)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.416)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 遠藤浩編「法令解釈事典(上)」ぎょうせい、1986年(p.17) 参照
- ^ 浦部法穂「全訂憲法学教室2版」日本評論社、2000年(p.408、p414)参照
- ^ 筒井若水編「国際法辞典」有斐閣、1998年(p.176)
- ^ 政府見解について「現代法律大百科事典(3)」ぎょうせい、1995年(p.437)参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.424以下)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 辻村みよ子「憲法 第3版」日本評論社、2008年(p.110)参照
- ^ 鵜飼信成「憲法 新版」弘文堂、1968年(p.61-62)ISBN 978-4335300028
- ^ 芦部信喜「憲法学Ⅰ憲法総論」有斐閣、1992年(p.269)ISBN 978-4335300028
- ^ 1952年11月25日、吉田内閣政府統一見解
- ^ 1954年12月22日、鳩山一郎内閣政府統一見解
- ^ 田辺勝二『憲法大要 学説・判例付』高文堂出版、1983年、275頁
- ^ 海上保安庁法第25条
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.166-168)
- ^ 小林直樹「憲法講義(上)新版」東京大学出版会、1980年(p.197)
- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891
- ^ 鵜飼信成「憲法 新版」弘文堂、1968年(p.61-62)ISBN 978-4335300028
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.448)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 長谷部恭男「新法学ライブラリー(2)憲法 第3版」新世社、2004年(p.66) 参照
- ^ 1953年に出版された法学協会編「註解日本国憲法 上巻」有斐閣(p.213)では「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説が多数説であるとしている。
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- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.448)ISBN 978-4641016910 参照
- ^ 高橋和之「立憲主義と日本国憲法」有斐閣、2005年(p.49)ISBN 978-4641129825
- ^ 小林宏晨「交戦権」ジュリスト増刊 憲法の争点(新版)有斐閣、1985年
- ^ 樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.167)ISBN 978-4417009368 参照
- ^ 佐々木惣一「改訂日本国憲法論」有斐閣、1952年(p.198)
- ^ 「現代法律大百科事典(3)」ぎょうせい、1995年(p.23)参照
- ^ 芦部信喜監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.450)ISBN 978-4641016910 参照
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- ^ 佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891
- ^ 伊藤正己「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.178)ISBN 978-4335300578
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- ^ 1969年(昭和44年)2月22日、参議院予算委員会における高辻内閣法制局長官の答弁
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- ^ 昭和60年9月27日、森清衆議院議員提出憲法第9条の解釈に関する質問に対する政府答弁書
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参考文献
- 芦部信喜監修『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年。
- 西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年3月31日。ISBN 4792303702
- 西修 『日本国憲法を考える』 文藝春秋、1999年3月。ISBN 4166600354
- 小林宏晨 『日本国憲法の平和主義』 政光プリプラン。
- 安田寛・西岡朗・宮澤浩一・井田良・大場昭・小林宏晨 『自衛権再考』 知識社、1987年1月。ISBN 4795293058
- 青山武憲 『憲法九条関係判例集』 啓正社、1992年。ISBN 4875720955
- 大石義雄 『日本憲法論』 嵯峨野書院、1994年6月。ISBN 4782300018
- 秦郁彦『史録日本再軍備』(文藝春秋)
- 『解放された世界』浜野輝訳、岩波書店<文庫>、1997年、ISBN 4003227662 (著者紹介「ハーバート・ジョージ・ウェルズ」、リッチー・カルダーによる序説、ウェルズによる序文、訳者による「ウェルズと日本国憲法」、付録「人権宣言」「サンキー権利宣言」)
関連条文
- 日本国憲法前文第1項、第2項、第3項
- 日本国憲法第98条
- 大日本帝国憲法第11条
- 大日本帝国憲法第12条
- 大日本帝国憲法第13条
関連項目
- 法学
- 憲法
- 国際法
- 不戦条約
- 国際連合憲章
- 平和主義
- 平和的生存権
- 戦力
- 交戦権
- 自衛権
- 集団的自衛権
- 専守防衛
- 武装中立
- 非武装中立
- 九条の会
- 憲法改正論議
- 長沼ナイキ事件
- イラク特措法訴訟
- 恵庭事件
- 自衛隊
- 外山雄三 - 条文に曲を付けた合唱曲を発表。
- 軍隊を保有していない国家の一覧
- ヒロシマ・ナガサキ広場と日本国憲法9条の碑
外部リンク
- 日本国憲法の誕生 論点2 戦争放棄(国立国会図書館)
- 憲法9条の成立経緯 西 修(駒澤大学西修ゼミ)
- 憲法改悪反対共同センター