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論理実証主義

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論理実証主義(ろんりじっしょうしゅぎ、: Logical positivism)とは、20世紀前半の哲学史の中で、特に科学哲学言語哲学において重要な役割を果たした思想ないし運動。論理経験主義: Logical Empiricism)、科学経験主義とも言う。

歴史

解説

1920年代後半のウィーンエルンスト・マッハ経験主義哲学を受けたモーリッツ・シュリックを中心に結成したウィーン学団が提唱した。

経験論の手法を現代に適合させ、形而上学を否定し、諸科学の統一を目的に、オットー・ノイラートルドルフ・カルナップなどのメンバーで活動したウィーンを中心とした運動である。その特徴は、哲学を数学論理学を基礎とした確固たる方法論を基盤に実験や言語分析に科学的な厳正さを求める点にあり、その後の認識論及び科学論に重大な影響を与えた[1]

この思想ないし運動には、イギリスアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド及びバートランド・ラッセルの『数学原理』とオーストリア生まれのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の影響が大きい。論理哲学論考にあるように、形而上学は問題化できないもの(神、世界の限界、自由)を問題化していると規定する。なお、本書は、論理実証主義の聖書のような扱いを受けていた。その本の最後に掲げられた命題“Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen. : Whereof one cannot speak, thereof one must be silent.”「語りえぬものについては沈黙しなければならない」の言葉はあまりに有名である。

ナチスの抬頭で学団のメンバーがアメリカに亡命した影響でその主張は英米で発展した。カルナップのアメリカでの弟子ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは「経験主義の二つのドグマ」において、論理実証主義が念頭に置いていた分析命題と総合命題のはっきりとした区別を否定し、還元主義を攻撃し、ホーリズムを唱えた。

脚注

  1. ^ 中山、2008、pp26

参考文献

  • 中山康雄『科学哲学入門』勁草書房、2008年。 
  • 『科学論(岩波講座現代思想第10巻)』(岩波書店、1994年)

関連項目

外部リンク