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ノート:日本国債

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これはこのページの過去の版です。Tanahashisaru (会話 | 投稿記録) による 2011年6月23日 (木) 12:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (著作権侵害による削除依頼)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/日本国債」をご覧ください。


新党日本の田中康夫代表の主張について

新党日本の田中康夫代表が日本国債の日銀直接引受を主張されていたのは事実であり、そのソースも明示していたのですが削除されてしまいました。また民主党の金子洋一議員も、勝間和代さんを代表とするデフレ脱却国民会議のメンバーとして日銀による国債の直接買取を主張なさっています。 --Annihilation00 2011年5月12日 (木) 18:41 (UTC)[返信]

とりあえず田中氏のものを再掲しましたが、Wikipediaはあらゆる該当物を列挙していく場所ではありません[1]。当該記事としては古くからの提唱者が既に記載されているので、田中氏に関してはここでは必要なく、もし書きたければ田中氏の記事の方に書けば事足りると思われます。ある記事において書こうとしている内容に、特筆性があるかということを常に意識するべきだと思います。--Doorroom 2011年5月13日 (金) 03:00 (UTC)[返信]
ちなみに、中央銀行が自国の国債を買っていることと、中銀の直接引受は全くもってイコールではありません。単に”中央銀行が自国の国債を買うこと”ならば、日本でもずっと行われてきています。編集はこのようなことに対する正しい認識の元に、それが伝わるよう行うべきだと考えます。--Doorroom 2011年5月13日 (金) 08:35 (UTC)[返信]

IPユーザによる大幅削除の履歴

2007年3月23日 (金) 17:05の版 (編集)
その後の編集
-以上IP:203.138.156.229会話 / 投稿記録 UTC2007年5月28日 (月) 04:42

「国債」の正式名称について

「国債」の正式名称が「国庫債券」であるという根拠を示してほしい。--不法行為能力者(不法行為能力の制限を受けない者をいう。) 2009年2月14日 (土) 15:38 (UTC)

日本の国債の分割

日本の国債の話と、国を問わない一般的な国債の話とが混在しており、記事構成がわかりにくくなっています。先に一般的な国債の話をして、そのあとで各国の国債の1つとして日本の国債の話をするのが自然な流れで中立性(JPOV)も保てますが、現在の記述量の「日本の国債>>一般的な国債」からは非現実的です。また、米国債は別の記事になっており、個別の国の国債はそれぞれ別の記事にするのが妥当と思います。

記事名は、各国の国債が話題になるときは通常「日本国債」と呼ばれること、曖昧さ回避のためには別名等を使えること、「米国債」との対応から、日本国債としたいと思います。

実際は、履歴の保存のため、日本国債に移動してから、国債を分割する予定です。--DLAD 2009年7月29日 (水) 19:34 (UTC)[返信]

「現状」の編集方針についての会話を希望します

削除要請と差し戻し

Doorroom 様との会話を希望するものです。先日貴殿から私の古い版の削除要請への私からの返事にはまったくご意見せず、削除要請が撤回され、再度書き直しさせていただいた昨日の記事を半日たたないうちに早速に削除、お話し合いになるご意志が感じられないのは残念です。wikipediaの方針(Help:以前の版にページを戻す方法)の通り、いきなり他人の記事の差し戻しをするのではなく、ノートページで問題を提起してはいかがでしょうか。

なお、「博士」は敬称として付けたものではなく、専門家であるという証明のため(かっこ)でくくりつけました。不要でしたら省きます。もし他にwikipediaでの記述様式に添わない点がございましたら、まだ初心者ですのでご教示いただければ幸いでございます。

敬称として付けたものではない、などのような身勝手な言い訳は無意味です。WikipediadeはWikipediaのスタイル(Wikipedia:表記ガイド#.E4.BA.BA.E5.90.8Dなど)に従って書くべきです。一つや二つなら訂正も行いますが、あまりにスタイル無視が多いので書き直しを希望しました。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 19:27 (UTC)[返信]
ちなみに、削除依頼の件は、リフレ派云々といった決めつけや、編集履歴を追うこともなく『国債でも同じく中央銀行による国債直接引き受けのトピックスを新設し、経済学ではなく政策研究博士の説を記載している』のように述べる様子に、相手するのも阿呆らしく感じたので放置したものです(この時点Annihilation00氏が作ったトピックの内容の訂正と、それに合うよう項目名を変更したのみ。Annihilation00氏は中銀の市中買入と直接引受の区別がついていなかったのか、混在していた。そういえば、「中央銀行による国債購入」の項目名が「中央銀行による国債直接引き受け」に感じたあなたも同水準ですね。ちなみに高橋洋一について書いたのもAnnihilation00氏。)。東洋経済のデフレ完全解明からの引用の体をなしていない引用(引用はきちっとしたフォーマット以外では著作権侵害にあたります)があったので削除を提案しました。今後も似たようなことがあれば当然再提出します。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:36 (UTC)[返信]
訂正すれば良いのにスタイルにあっていないとう理由で削除するのはいささか横暴ではないでしょうか?今回は多すぎたのでそうは思いませんが。しからば工学博士の意見の日刊工業新聞についての参照もスタイルを満たしていません。削除なさいますか?しないとすればその根拠はなんでしょうか。「中央銀行による国債購入」のトピックスの高橋氏の意見を受けた政治家は直接引き受けと市中買い入れの区別を故意か故意てないかつけていません。このトピックスの内容にもそういうニュアンスはある。だからこそ、その後ろに、その区別についての説明を書き添えたのです。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
はい、まさしく数が多すぎました。他人が全てを訂正するより、書いた本人に書き直してもらう方が見落としなく早くすむと考えました。ちなみに、Wikipediaでは「他はどうなのだ」「他にも同じようなことをやっている」などは、何ら行為の言い訳とはなりません。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]
なお、>政治家は直接引き受けと市中買い入れの区別を故意か故意てないかつけていません
とありますが、引受と明記されているように見えます。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]
出典が無いので検証できません。出典をお願いします。--Nastasia 2011年6月12日 (日) 05:39 (UTC)
「引受と明記」というのはWikipediaでの話です。当該部分は私の書いたものではないので責任を持てませんが、[3][4]あたりのことを言っているのではないですかね。復興国債は国債ではない、などのトンデモなことを言わない限り、国債を日銀に引受させろと明言されています。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

政策反対派の氏名を削除した件について

中央銀行の国債引受という極めてリスクが高い「禁じ手」といわれる政策について賛成する国会議員の名前を列挙していたので反対する内閣閣僚の名前を出典を添えて記載しましたが削除されました。その理由を教えてください。

これも人物のスタイルに合わないためまとめて全体を差し戻した結果です。ただし、あれこれ列挙するよりは、代表的な人に絞るなりして、反対する背景と合わせて書くような形にすべきです。背景も書かれている賛成意見との間でバランスが取れません。なお、基本的に、Wikipediaは何でもあれこれ列挙を行う場ではありませんから。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:29 (UTC)[返信]
背景は必要でしょうか?ではそのようにさせていただきます。野田、与謝野、岡田の背景は検証可能なソースをつけて記載しています。ですので、山本氏等日銀引き受け賛成の方の意見も検証可能なソースを明記の上ご記載ください。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
クルーグマンないしスティグリッツのところで賛成派の背景はすでに書かれていると思います。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:49 (UTC)[返信]
そもそもここは国債に関してのトピックスで特定の意見を持つ国会議員の意見を記載するところではありません。
(もしどうしても記載するのであれば、中立的な観点から反対意見も記載されるべきです。)
>>クルーグマンないしスティグリッツのところで賛成派の背景はすでに書かれていると思います。
【未出典】国会議員がそのような背景を持ってそう結論している出典をご提示ください。なければ【独自研究】です。ウィキペディアの記載基準は真実であるかどうかではなく検証可能かどうかです。
A:財政法第5条でJGBを日銀が直接購入することを禁止しているが、「特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内、この限りでない。」との但し書きがある。
B:【元財務官僚1人の見解(財政学的には少数派)】高橋洋一は日銀による日本国債の直接引き受けは毎年行われていると述べた。
C:【単一出典(クルーグマン)】クルーグマンやスティグリッツはデフレ脱却のために貨幣発行量を増やす事を提案している。(スティグリッツは政府紙幣によって)
D:【未出典】政府紙幣の発行と日本国債の日銀引き受けは実質等価である。
E:数名の国会議員が日本銀行の日銀による引受を提唱している。
【独自研究】AでありBである。ゆえにCである、というような「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」は禁止されています。未出典の彼らの動機の推測は貴殿の独自研究です。A+B+C+D「この結果」Eは独自研究です。
>>クルーグマンないしスティグリッツのところで賛成派の背景はすでに書かれていると思います。
という貴殿の説明はまさに、A+B+C+D「この結果」Eであることを証明しています。つまりこの文章には「この結果」という単語が隠れています。
また、ABとCを結びつけているのはDですが、Dは出典さえありません。
このページの「ポール・クルーグマンの主張」で貴殿は
>>もっとも、後述されているようにこのどちらが増やすかは経済学的にはほぼ同義([5]など)。
と記載されています。
出典をお持ちなのですから本文に記載されるべきです。しかし白川総裁はABとCは等価であるからそれを是としていません。ABとC等価であるから否、です。中立的な観点からそれも記載されるべきだと思います。
根本的に勘違いされているようです。「山本氏らは、クルーグマンやスティグリッツの意見を背景に、日銀に引受させるべきと主張している」、と書かれていればこのような出典が必要となるでしょうが、記事はそのようなものではありません。日銀引受をすべきという主張があり、それを言っている人(賛成派)としてクルーグマンやスティグリッツといった経済学者、および金子氏ら政治家が挙げられており、さらにクルーグマンらの発言には背景が加筆されているだけです。なので、上記のAだのBだのといったことは全て無意味です。この場合に必要となる出典とは、各々の人が書かれた内容について言っている証拠が個々に示せれば良いだけであり、それぞれの賛成者の間の関係については何も示す必要がないからです。そして、賛成派として「経済学者+その背景」と「政治家」が挙げられている以上、反対派の記載についても単にXXと△△が反対している、のような列挙ではなく、背景なども書かなければバランスが取れない可能性があるので、その旨指摘しました。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]
ここは主張を書く場所ではありません。
百科事典の「中央銀行による国債の直接引受」についての記事ですから、日銀引き受けについて記載するのではなく日本国の中央銀行である日本銀行の直接引受とは何かについて百科事典らしくかくべきです。
ですから、その政策とは何かという百科事典の機能をすっ飛ばしその政策に賛成している人達だけを羅列するのはその政策の宣伝であり演説です。
中立的な観点からも問題です。どうしてもその政策についての現状を記載しなければならないのであれば、賛成反対両方を記載するべきでしょう。
反対している人の記載がないのですから、宣伝、演説であり、中立性に書いた記事です。
「中央銀行による国債の直接引受」とはなにかの説明をお願いします。--Nastasia 2011年6月13日 (月) 01:10 (UTC)
ここは日本国債という記事の中の「中央銀行による国債の直接引受」という一項目です。なので、書くべきは日本国債と「中央銀行による国債の直接引受」の関係です。また、「中央銀行による国債の直接引受」とは何かということを加えるべきだと思えば、そう思った人が加えればいいだけです。私は「中央銀行による国債の直接引受」は中央銀行が国債を直接引受ること、としか書けないと考えるので、日本銀行の直接引受とは何かについて定義や概要が必要とは思わず、そのようなものを書かないだけです。日本国債を巡る議論として「中央銀行による国債の直接引受」があること、そしてその議論がどのような状況であるか示せれば問題ないと思いますので。同様に、反対している人の記載がないのが問題というならば、問題だと思った人がそれを書けばいいだけです。実際、その方が望ましいと私も考えます(が、それを書く義務は当然ながら私にはありません。賛成意見だけを書いたのは私ではありませんので。)。ただし、書く以上はWikipediaのスタイルに従い書くべきであり、また賛成意見との対比で書くのであれば、中立性のために賛成意見とのバランスも考える必要があるだろう、というだけです。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 02:10 (UTC)[返信]
そして、当該項目について問題となると私が考える部分について一部手を加えはしましたが、賛成意見しか書いていないのは私が手を加えてそうしたわけではなく、元からそのような記述です。なので、そのことについて私に何かを言われても、私は知りません。少なくとも、賛成意見しか載っていないことに対して私には何ら説明責任はありません。(Wikipediaの人物スタイルを無視した大量の記載を差し戻した時に消えた部分について、スタイルやバランスを考えて問題が無いように再編集されることを何ら否定や妨害していません。もちろん、また問題があると考えれば訂正や差し戻しを行うことはあるでしょうが。)--Doorroom 2011年6月13日 (月) 02:03 (UTC)[返信]
そうは言うものの、さきほど記載したものを削除されました。
なお、政府紙幣の発行と日本国債の日銀による引受は実質等価である
↓↓↓↓↓
なお、政府紙幣の発行と無利息の永久国債の日銀による引受は実質等価であり大きな弊害が生じる
[6]
より出典に正確に記載したものを流れがおかしくなるからという理由で削除すれましたね。
流れって、どんな流れですか?教えてください。--Nastasia 2011年6月13日 (月) 04:16 (UTC)
ここは議論中の部分ですが、途中で編集を行うということは会話意思無しということでしょうか。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 04:35 (UTC)[返信]
また、当該部分は前後の流れがおかしくなる編集だったので訂正を行いました。あくまでWikipediaの記事の内容が主体です。そして、その記事の内容が検証できるように出典が付けられるのです。出典が主体ではありません。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 04:35 (UTC)[返信]

日銀白川総裁の政府紙幣についての発言

ちなみに、白川氏の発言は、政府紙幣と日銀引受が等価であることの出典として挙げたものであるので、その出典で白川氏が何を言っているかは関係ありません。記事の該当部分を検証できる形で述べられていれば出典として十分ですから。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]
日本銀行総裁白川芳明氏の出典の趣旨は、政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しいので危険であるしするべきではないです。
つまり、日本における「中央銀行による国債の直接引受」には反対の立場です。賛成の立場だけを羅列しかつ反対の人の出典から意図的に部分を切り出し反対の意見の論拠とするのは極めて恣意的な編集であり独自研究です。
反対する人の出典から政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しいという部分だけを切り出して記事にするのは独自研究です。--Nastasia 2011年6月13日 (月) 01:10 (UTC)
あくまで政府紙幣と国債引受が本質的に等しいということを専門家が述べているという出典であり、実際に白川氏は「政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しい」ことを述べています。これで出典としては何ら問題ありません。「政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しい」から危険と言っていようが、「政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しい」けどやるべきだ、と言っていようが、「政府紙幣と日銀国債直接引受は本質的に等しい」と言っていることは全く変わりませんから。これは独自研究でも何でもありません。これを独自研究というのは、「独自研究」という言葉に対する独自研究です。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 01:48 (UTC)[返信]
出典によると、[7]
白川総裁は、政府紙幣は、
1国債の発行または
2無利息の永久国債を日銀に引き受けさせること
に等しいと述べているだけです。
無利息の永久国債を日銀に引き受けさせることは日銀引き受けの一種類ですが、日銀引き受け全てが政府紙幣と等しいとはまったく述べていません。
出典にAの【一部は】Bに等しいと書いてあるのに
AはBと等しいと書くのは独自研究です
出典にないことを書くのは独自研究です。--Nastasia 2011年6月13日 (月) 04:00 (UTC)
出典には『政府紙幣が市中から日銀に還流して来たとき、仮に政府がこれを回収せず、日銀に保有され続けるという形で政府紙幣が発行されるケースを考えると、政府は回収のための財源を必要としないことになるが、この仕組みは日銀に無利息で償還期間のない政府の債務を保有させるという点で、無利息の永久国債を日銀に引き受けさせることに等しく、大きな弊害が生じる』と書いてあります。無利息の永久国債を日銀に引き受けさせることに等しいのは、政府紙幣が市中から日銀に還流して来たとき、仮に政府がこれを回収せず、日銀に保有され続けるという形で発行されるケースという、限定的な場合の話です。これこそまさに、出典にAの【一部は】Bに等しいと書いてあるのにAはBと等しいと書く行為でしょう。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 04:40 (UTC)[返信]
また、政府紙幣と日銀引受が完全に同じものであるわけではない以上(主体も違うので完全に同じわけがない)、日銀引き受け全てが政府紙幣と等しいなどありえない。「犬は動物だ」と言っている時に、「いや動物全ては犬ではない」と言っているような失笑ものの難癖です。日本語で「AはB」だと言ったとき、抱合関係も含みます。通常の日本語が理解出来る人なら読んで問題ないと考えますが、それでも問題があると考えるならば、[8]のように、政府紙幣と直接引受では理論的には経済に与える効果は同じ、と、政府紙幣と直接引受が同じと書くのではなく政府紙幣の効果と直接引受の効果が同じとニュアンスに変えた方がいいでしょうか。私はそんなものは不要だと考えますが。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 04:54 (UTC)[返信]
それは貴殿がとても高度な専門知識があるからそう感じるだけでは無いでしょうか。
A国債日銀引き受けに
 B無利息の永久国債の日銀による引き受け
 C利息がある国債の引き受け
 D償還期限のある国債は含まれます。
 しかし
B無利息の永久国債の日銀による引き受けには
 C利息がある国債の引き受け
 D償還期限のある国債は含まれません。
出典先の白川氏は【2択】
政府紙幣は条件Z以外の場合はM:国債発行と、条件Zの場合はB:無利息の永久国債の日銀による引き受け、その【いずれか】になると述べています。
貴殿は
政府紙幣は条件Z以外の場合はA(BCD)と、条件Zの場合もA(BCD)と等しいと述べています。
白川さんの意図と違います。
出典の意図通り、書き直します。時間がとれず超スローペースです。--Nastasia 2011年6月13日 (月) 06:08 (UTC)
どう編集される意図なのかは分かりませんが、Wikipediaの記事では「中央銀行による国債の直接引受」の中にあり、政府紙幣の発行と日本国債の日銀による引受は実質等価というのは、スティグリッツの述べている政府紙幣は直接引受の一形態であることを補完するために書かれた文章(なぜ政府紙幣の話がいきなり出てくるのか分からない人向けに書かれた文章)です。そういった点で、政府紙幣と直接引受が関連のあるものだと示せればよいものに過ぎません。本来、スティグリッツの出典を読めば不要と言ってもいいものです。
Wikipediaの記事の流れを重視して下さい。当該記事で政府紙幣の発行が国債の市中発行を記載する必要性がありません。流れがおかしくなります。せめて書くなら、「政府紙幣はある条件のもとで国債引受と同義である」のような形にすべきです。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 06:42 (UTC)[返信]
記事を検証可能にするために出典があるのであって、出典の内容を全て盛り込むために記事の流れをぶった切るようになっては本末転倒です。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 06:42 (UTC)[返信]
流れに合わせて出典の意図を曲げるなら、それは出典ではなく独自研究です。
まだ、出典の意図と異なっています。
A国債日銀引き受けに
 B無利息の永久国債の日銀による引き受け
 C利息がある国債の引き受け
 D償還期限のある国債は含まれます。
 しかし
B無利息の永久国債の日銀による引き受けには
 C利息がある国債の引き受け
 D償還期限のある国債は含まれません。
白川総裁は
政府紙幣は条件Zの場合はBになると述べています。
つまり
 政府紙幣は条件Zの場合はCにはなりません。
 政府紙幣は条件Zの場合はDにはなりません。
貴殿は
政府紙幣は条件Zの場合はA(BCD)になると述べています。
貴殿は専門家とお見受けしますので、よくご存じかと思いますがBCDの違いは大変大きい問題です。
ここは素人の方も読まれる百科事典ですから、ほんの少数の単語で間違った記載から正確な記載へ訂正できます。
一国の中央銀行総裁の言葉は重いです。
それか、日本銀行に「政府紙幣は条件Zの場合はA(BCD)になる」という意味で白川総裁の発言をインターネットの百科事典で使用しますが白川さんの著作人格権放棄していただけるかどうか聞いたほうが良いでしょうか?--Nastasia 2011年6月13日 (月) 09:49 (UTC)
聞いて頂けるのなら、どうぞご自由に聞いて頂ければよろしいかと思います。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 10:31 (UTC)[返信]
なお、「政府紙幣の発行と日本国債の日銀による引受は、ある条件の下で実質等価である」ことを示すだけならば、白川氏の発言で十分出典となり得ると考えるので、Wikipediaの記事としては何ら問題ないと思います。政府紙幣の発行と日本国債の日銀による引受は、ある条件の下で実質等価であることを述べていることが大切なのであって、白川氏が政府紙幣の発行に否定的かどうかはまた全く別問題です。何度も繰り返しますが、記事があって、その内容を検証可能なように出典を付けているのであって、出典の内容で記事の前後の流れをおかしくしてしまうのは本末転倒です。(私には一切問題がない出典だと思われますが)これが出典として問題であると考えるなら、記事の流れを無視して出典の中身を盛り込み、記事の内容をぶつ切りにするのではなく、別の出典を付ける乃至は求める形で対処するべきです。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 10:31 (UTC)[返信]
出典には「政府紙幣が市中から日銀に還流して来たとき、仮に政府がこれを回収せず、日銀に保有され続けるという形で政府紙幣が発行されるケースを考えると、政府は回収のための財源を必要としないことになるが、この仕組みは日銀に無利息で償還期間のない政府の債務を保有させるという点で、無利息の永久国債を日銀に引き受けさせることに等しく、大きな弊害が生じる」とあり、永久国債と等しくなる理由は「政府がこれを回収せず、日銀に保有され続ける」という前提に拠っています。ならば、無理にこのことを書くよりも、”ある条件”という言葉に含めてしまった方がより正確になります。(永久国債ではなく一覧払いの債券に近いとした方が正確、また、無利子でなくとも利子分が結局国に入るので帳簿上はともかく経済への影響は等しくなる、などの問題もあります。無利子永久国債に限定して書かなければ、これらの問題も起きません。)--Doorroom 2011年6月13日 (月) 10:50 (UTC)[返信]
ある条件にならない場合、白川さんは【国債の発行】と同じだとされています。
【国債の発行】にならない場合は【無利息の永久国債の日銀による引き受け】になると言っています。
【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】です。そこに「利息のある国債」も「償還期限のある国債」も「利息があって償還期限が無いコンソール債」も「利息が無く償還期限がある国債」も含まれていません。
白川さんはどうしてわざわざ区別したか、そこにこそ大変重大に意味があるのです。
出典を曲げないといけない記事は独自研究です。
かものはしは玉子を産みますと白川さんが言ったという出典を
ほ乳類は玉子を産みます
と述べるのは間違いです。たとえ
ほ乳類はある条件では玉子を産みます
と言い換えても意味がわかりません。
ほ乳類のある種類はある条件の下では玉子を産みます、であれば正しいです。
条件は時間で変化します。しかし、主体の種類は変化しない。
利子がある償還期限がある国債は、発行してしまえば、ある条件の下に行っても無子息無期限国債に変化できません。
白川さんの発言はそういうことです。
流れに合わない出典を流れに合うように書き換えるより、きちんと流れに合う出典を探しましょう。
出典が無いのであれば独自研究です--Nastasia 2011年6月13日 (月) 11:10 (UTC)
「その仕組みいかんによって、実質的には将来の返済が必要な国債の市中発行と同じことになるか、あるいは、通貨の信認を損なうほど大きな弊害を伴う無利息の永久国債の日銀による引き受けか、そのいずれかになる」です。常に【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】になるとは述べられていません。こちらにも、「その仕組みいかんによって」という前提が入っています。また、後段についついても、政府紙幣が日銀に還流して来たその時に政府がこれを回収するか、回収を行わないという2通りしか述べていない(その時は回収しないが、後に回収する、というものがない)点からも、「その仕組みいかんによって」という言葉が、ある限定的な場合を述べるためのものであったと考えられます。よって、【国債の発行】でない場合は【無利息の永久国債の日銀による引き受け】になる、というロジックは成立しません。これは白川氏の発言から読み取れるものです。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 11:53 (UTC)[返信]
>>常に【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】になるとは述べられていません。
書いていることを今度は書いていないですか?どうしてそんなにこだわるのでしょうか。
政府紙幣【については】「そのいずれかになる」と書いています。いずれかになると書いているのに他のケースになる????
わざと「白川総裁は政府紙幣については」という冒頭を切り捨てるのはやめましょう。
『白川総裁は政府紙幣については「その仕組みいかんによって、実質的には将来の返済が必要な国債の市中発行と同じことになるか、あるいは、通貨の信認を損なうほど大きな弊害を伴う無利息の永久国債の日銀による引き受けか、そのいずれかになる」と述べた。』
白川日銀総裁:株式の買い入れは年度末に向け「一種の安全弁」(3)2月3日(ブルームバーグ)日高正裕 Masahiro Hidaka記者
 
仕組-物の構造、構成(三省堂 大辞林)
いかん-事の成り行き。その状態。次第。(三省堂 大辞林)
その=政府紙幣
 
その仕組みいかんによって=政府紙幣の構成の成り行きによっては
 
そのいずれかになる=国債の市中発行か無利息の永久国債かどちらかになる
 
政府紙幣の構成の成り行き=政府紙幣が市中から日銀に還流して来たとき、
●A:仮に政府がこれを回収せず、日銀に保有され続けるという形で政府紙幣が発行されるケースを考えると
 ○A=無利息の永久国債を日銀に引き受けさせることに等しく大きな弊害が生じる
●B:
 ○B=国債の市中発行と同じことになる
「そのいずれかになる」--Nastasia 2011年6月13日 (月) 12:35 (UTC)
「その仕組みいかんによって、」の以下に書かれていることを無視してはなりません。ある条件Cの下ではAかBのいずれかになるということしか白川氏は述べていません。なので、Aでなければ必ずBとは言えません。C→(A∨B)が成り立つとき、¬A→Bが真とは限りません。あくまで、ある特定の仕組みの下で政府紙幣が発行された時には【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】と等しくなる、と言っているのであり、常に【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】に等しくなるとは述べていません。勝手な解釈はすべきではありません。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
そもそも、「日銀に還流して来たその時に政府がこれを回収するパターン」(通常の国債発行と同義)と「日銀に還流して来た時に政府がこれを回収せず、日銀に保有され続けるパターン」(永久国債と同義)だけでは、「一定期間は回収せず後で回収するパターン」が入りません。このようなMECEになっていない状態で背反律を使うような過ちを白川氏が犯したとは思えませんので、「その仕組みいかんによって、」という言葉は、(その時によく議論されていた形など)政府紙幣の形式を限定したものであると解釈すべきです。単に、ある時はA、ある時はBということの枕詞ではないはずです。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 13:26 (UTC)[返信]
こだわる理由は、常に【無利息の永久国債の日銀による引き受け】か【国債の発行】に等しくなると解釈すれば誤りを含むことになるからです。たとえば同じ日銀関係者も[9]のように、その両者ではない【無利子永久国債を日銀に買いオペで買わせるのと同じ】になるという発言をしています。買いオペならば持ち切りに限定されませんからこれは正しい表現です。そして、「その仕組みいかんによって、」という言葉は政府紙幣の形式を限定したものであると解釈すれば、白川氏の発言もどこにも問題も無くなりますし、そのように読むことは普通に出来ます。そして、ある条件下では政府紙幣は国債引受と同義、という書き方ならば自然で、どこにも間違いを含まず、かつ出典によって検証可能な形になるので、それが最も望ましいと考えます。むしろ、オッカムの剃刀ではありませんが、わざわざ言葉を付け加えることで間違いの可能性を高めることにこだわる理由の方が理解できません(「政府紙幣と永久国債引受はある条件下で等しい」が成り立つなら、「政府紙幣と国債引受はある条件下で等しい」ことは必ず言えるのだから(ある条件に、国債が永久国債の時というのが加わる)。また、前者を真だと検証可能な出典があれば、同じ出典で後者も必ず真になる。)。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 13:49 (UTC)[返信]
クルーグマンは単一の出典でこのページの「ポール・クルーグマンの主張」で貴殿が示した資料
>>あるいは、これを受けた部分である[10](Many people apparently read my previous note as saying simply that Japan should print money like crazyから see no harm in such a policy.まで)にもっと直接的に書いている。
の続き部分にある「But I now believe, based on the analysis in AJapan's trap@, that even a very large current monetary expansion will probably be ineffective. What is needed is a credible commitment to future monetary expansion, so as to generate expectations of inflation.(しかし私は今でも非常に大きな電撃金融緩和はおそらく効果がないだろうと日本に関する分析に基づき信じています。必要なのはインフレ期待を生成する為の将来の金融緩和へ期待と信頼性のコミットメントです)」という記載を無視して解釈している独自研究です。インフレターゲット政策のキーはインフレ期待というのが一般的な解釈です。彼は信用緩和を完全に否定していませんが、否定していないと推奨しているを混同するひ百科事典としてはよろしくありません。クルーグマンが提唱するインフレターゲット政策のキーであるインフレ期待を生成する手段の1つとして信用緩和も挙げているとされるべきだと思います。--Nastasia 2011年6月12日 (日) 05:39 (UTC)
出典として[11]を挙げていればそのような解釈も可能ですが、記事にて挙げられているのは[12]です。そして、それは直接的に貨幣量増大を訴えており、かつ、自分の書いた文章に対する解説[13]の中で、[14]がプリンティングマネーを訴えたものとクルーグマン自身が述べております。当該記事に書かれた内容と、それを示す出典があればWikipediaの記事としては問題がありません。クルーグマンは別のところでXXと言っている、などと言い出したらキリがありませんから。あくまで、クルーグマンがそのようなことを言っていたと他人が検証できる出典がついているかどうかが大切なのであって、クルーグマンの真意はこうなのだ、などと推測して何かをする必要はありませんし、またそのようにするのはWikipediaの場であるべきではありません。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

中立性の問題-他の分野の専門家からの少数意見

教科書的な理解では、貴殿の記載は出典不明ですが、お気持ちを考えできるだけご記載内容を消さない方針で経済学の博士号をお持ちの方の教科書的な意見を中心に書き足しました。

経済学の博士号を持っている人の意見でも、当該分野の論文について査読付きジャーナルに載せている人(当該分野の専門家)とそうでない人とでは扱いを変えるべきです。[15]の偽の権威に近いというべきでしょうか。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
同ページの「自己公表された情報源」に「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。」とあります。経済学は医学と同じく実学の面があり応用経済学は深く現実の政策実務に関与する学者もいるため論文だけが業績として加味されるわけでは日本ではありません。論文ではなく意図して一般書籍を選択した学者もいます。この例外にさえ該当しない高橋博士、藤井博士のご意見は削除した方がよろしいですか?経済学のトピックスてすから、経済学の専門家としての資格の問題です。化学博士のノーベル化学賞の○○教授の経済学の記事は百科事典には不適切です。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
経済学のようなそれなりに歴史のある分野においては査読付き論文だけが専門家として認められるか否かのバロメータです。査読付き論文をだしつつ、政策実務に関わったり、コラムを書いたり、一般向け書籍を出したりする人はいるでしょうが。経済学者であることを以てして、専門家の意見として掲載する場合には、当該分野における論文を査読付きジャーナルに載せる程度の専門性を示すことは必要でしょう。でなければ偽の権威のようなものです。ただし、日本国債という記事において、経済学者だけが専門家なわけではありません。高橋氏のような財務省関係者の方が専門家であるということも出来ます。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]
経済学博士を持っていても査読付きジャーナルに掲載がない人が偽の権威に【近い】というのは貴殿独自のご判断です。近いと該当するとは論理的に同じとはなりません。
経済学博士を持っていても査読付きジャーナルに掲載がない人がウィキペディアでいうところの偽の権威と等しくはないけれど【近い】と判断するのは貴殿独自のこの文章の解釈です。
Wikipediaの信頼できる情報源の「偽の権威に注意」では、【議論している分野】の専門性の有無を問題としています。
『まず自問すべきなのは「ウェブサイトに責任を持つ人々の資格証明や専門知識はどのようなものか」ということです。』
『彼らが議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使ってください。』
と記載されています。
実学分野以外の学問では査読付論文数が博士個人の評価につながるという意見にはとても賛成です。(しかし査読付き論文を作成する目的で学会が創設される状況ですので、数よりもジャーナルの評価の方がより重要です。)しかし実学である医学や応用経済学ではそれは評価の一面でしかありません。
では、高橋博士(政策研究)は、専門外でかつ査読付き論文も少ないので、削除して良いでしょうか。それとも実務家であるからOKでしょうか。
実務家だからOKであるという意見は、ウィキペディアの「偽の権威に注意」と衝突してしまいます。削除して良いでしょうか?
では、藤井博士(工学)は理系博士で経済学、財政学の専門外ですから、この分野をはじめ専門外の分野に関してだけはウィキペディアの「偽の権威に注意」に該当してしまいます。削除して良いでしょうか?--Nastasia 2011年6月12日 (日) 08:42 (UTC)
まず、日本国債を経済学や財政学の分野だけだとする認識に誤りがあると思われます。前述したように、財務省関係者は日本国債の専門家であるし、債券トレーダーのような市場関係者も専門家であると言えるでしょう。逆に、経済学博士号保有者でも、ロシア経済史(だけ)の専門家であれば偽の権威にあたるでしょう。その点で、高橋氏を専門家ではないとするのは無理がありますし(財務省出身というだけではなく、政策研究が日本国債と無縁というのも無理がある)、藤井氏はよく知りませんが都市工学の中には経済学や財政と非常に関わりが深い分野もあります(実際、都市工学で学位をとって経済学部で経済学を教えている人はいる)。学者であるならば、当該分野の専門家と言えるか否かは、「議論している分野において」学位を取っているか、あるいは査読付きジャーナルへの論文掲載といった実証可能な形で、その分野の専門家であることが公表されているかによって判断すべきだと思います。おそらく問題となるのは「議論している分野において」という言葉の曖昧さでしょう。特に、経済学や社会学は幅が広いので、応用ゲーム理論家とマクロ経済学者と計量経済学理論家と数理ファイナンス家と経済史家と金融論とミクロ理論家と…では、やっている内容が全然違いますので、経済学博士号の有無だけで判断するのは偽の権威に頼る可能性が非常に高いと考えられ、あくまでどのような論文を出してきたかで分野を判断する方が望ましいと考えます。とはいえ、これは程度問題でもありますので、ある人が専門家だとして考えればそれに基づいて編集を加えればよいし、違うと考えればさらに再編集をしていくという形しかやりようがないと思いますが。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:40 (UTC)[返信]
なお、>高橋博士(政策研究)は、専門外でかつ査読付き論文も少ないので、削除して良いでしょうか。それとも実務家であるからOKでしょうか。実務家だからOKであるという意見は、ウィキペディアの「偽の権威に注意」と衝突してしまいます。
の部分についは意味不明です。一切衝突を起こしているとは考えられません。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:39 (UTC)[返信]

しかし、経済学のトピックスであるのに、なぜ一人の都市社会工学の工学の博士の意見をなぜ百科事典であるウィキペディアの各経済学についてのコーナーに記載してまわる行為をされるのでしょうか。彼は経済学のあらゆる学説に対して反論が多いようですが、ここは学術論争の場ではありません。他分野の専門家個人の意見は百科事典に掲載するべき問題ではありません(Wikipedia:独自研究は載せない)。貴殿は経済学のトピックスに彼の経済学の学説への反論を記載してまわっていますが、中立性をとても欠いていると思われます。(Wikipedia:中立的な観点)

意味が不明です。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
中立命題についても、マンデル・フレミングの法則についてのページでも他のページでも、ある1人の京都大学の工学博士の経済学の一般的な理論に対する反論が記載されています。経済学のトピックスであるのに異様な状態です。査読論文以前に専門家ではないです。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
なぜ私に言うのか意味が不明です。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]

要出典のタグを外された件について

日本国債の現状以下は「検証可能な出典がない」「独自研究」との指摘があるとおり不適切な記載があると思われ、要出典の指摘をいたしましたがそれが差し戻しと共に剥がされました。貴殿はやはり支持する思想に反する経済学の教科書的な記載を削除したに過ぎないのではないかと私が推測する理由です。指摘させていただいた箇所の出典が明示されればこのトピックスがとてもよい記事になると考えております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

これは、全体を差し戻した結果です。加えて、要出典タグを付ける時に文章がおかしくなっている場所(同じ文章が二度書かれている)があるなど、あまりに訂正すべきことが多いので、いったん全て差し戻しました。(ただし、項目全体に要出典が付けられているので、個別個別につけるのは可読性を損ねるだけだと思いますが。)--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
できるだけセンテンスの最後に付けることにします、可読性を損なわないように。単一出典も好ましくないというのがウィキペディアの方針のようですので、複数を盛り込みました。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)


ご指摘の期待インフレ率と足元のインフレ率

『期待インフレ率と、足元のインフレ率は全く別の概念。』とのご返信を履歴ページでいただきましたがwikiの方針通り、ノートでお話し合いを希望します。私は同じ概念と思って要出典を書いたのではありません。ただ単に出典を求めています。デフレの継続が期待インフレ率を低下させている説の出典を求めます。

私は要出典云々ではなく、CPI伸び率のデータを記載すること自体が不要と考えて件の文章を書きました。「デフレの継続が期待インフレ率を低下させている説の出典」が必要という意味であるのならば、静学的期待形成(あるいは適応的期待形成)について書いている教科書(中谷の入門マクロにもあったはず)を書きましょうか。何にせよ、データを出すのであればBEIのような期待インフレ率のデータにすべきです。(ただし、刻々と変わりうるインフレ率データのようなものは、載せるべきではない[16]と思いますが。)--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
是非検証可能な出典をご明記ください。2005年末でいったんデフレは逃れているという意見は多く、「長期デフレ」というコンセンサスが形成されているとは言え無い記載がされていて、それとは異なる意見を中立的にするために検証可能なデータ元を記載しました。刻々と変化する事態について「継続している」と書かれるので刻々と変化する状態を検証できる形で対象的な意見として掲載しました。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
1997年から現在まで、ごく僅かな期間を除きデフレが継続している(ヘッドラインCPIで見ても、2,3年程度しか前年比プラスはなく、それもエネルギー価格によるもので、さらに現在もマイナス)こと、さらに仮に2005年で一度デフレ脱却していたとしても、15年近くのうち2,3年だけ僅かなプラスがあるだけに過ぎないなら十分に長期間デフレが継続とは言える。一瞬抜けたら長期ではない、など、ためにする議論。実際、デフレ脱却宣言も出されず仕舞いであった(コアコアやCPIの上方バイアス、GDPデフレータの動きを見れば、デフレからは脱却していないと考える方が妥当だから当然のことだが)。ちなみに、日銀も別にCPIだけを見ているわけではない(インフレターゲットを採用しているわけではないからある意味当然)。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]
もっとも、当該文章の肝は現在の期待インフレ率が低いこと、およびそれによって長期金利が低いこと(フィッシャー式)なので、何をこだわるのか意味不明だが長期間デフレが継続していることを認めたくないのならば、単純にその2点だけを繋げてもよいかもしれない。名目の長期金利が低いことがリスクプレミアムが小さいことを表すという勘違いをした人向けに手を加えただけだから。もっとも、個人的には今の文章で何ら問題はないと考えるが。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:44 (UTC)[返信]


ご指摘の流動性の罠、固定金利とGDP比、小国・大国開放経済

「ちなみに、流動性の罠(ゼロ制約とは異なる)や、固定金利とGDP比の関係、小国・大国開放経済などの基本的な認識に誤りがあります。また可読性にも注意して下さい。)」とのご返信も履歴ページでいただきましたがwikiの方針通り、ノートでお話し合いを希望します。

ご指摘の流動性の罠

流動性の罠についての記載ですが、どこが間違っているかご説明ください。 経済学の博士の意見を参照とさせていただいて書いたのですが、彼らのどこが間違っているでしょうか。 例えば、野口悠紀雄博士のご著書より引用します。「ところが、日本の場合は、ケインズのいう「流動性の罠」に陥っており、金利水準が非常に低いため、貨幣への需要が無限大で、供給量を増やしても吸い込まれてしまう。リアル・バランス・エフェクトが働かず、物価の下落のみが起きた。」P.50『デフレ完全解明』東洋経済新報社(2010) 流動性の罠と自然利子率と潜在成長率の関係は常識です。経済学専門家の意見です。貴殿も引用したクルーグマン(例えば『恐慌の罠』中央公論新社(2002)Ⅳ罠から抜け出せない日本1.実質金利と流動性の罠2.開放経済3.日本の現在の状況)も同じです。

もちろん、クルーグマンの書いていることに間違いはありません。貨幣と完全に代替的になってしまった状態が流動性の罠です。これはゼロ制約そのものや、それにより自然利子率以下に金利を調整できないということとは異なります。代替性の問題であるからこそ、クルーグマンの言うように流動性の罠は信用の問題と関わってきたり、あるいはクルーグマンに新種のマネタリストと呼ばれる人たちの(あるいは古くからメルツァーが言っている)主張のように、非代替的な金融商品のある限り流動性の罠は起きないという主張が出てきたりします。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 19:38 (UTC)[返信]
さらに付け加えるなら、流動性の罠も均衡です。あなたの書いている文章を読む限り、均衡というものについても誤解をしているように見受けられます。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 18:11 (UTC)[返信]
>これはゼロ制約そのものや、それにより自然利子率以下に金利を調整できないということとは異なります
私は「【名目利子率は】ゼロ以下にできないため均衡とならない流動性の罠の状態にあり」と名目利子率について記載しています。短期国債等ではなく長期国債等となら流動性の罠の下でも代替性はあり、信用緩和政策支持の理由の1つになっているのは存じていますが私はそこまで記載していませんし否定もしてもいません。(ここは日本国債のページであり、そこまで記載するべきは本来非伝統的金融政策や流動性の罠のページだと思います。日銀国債引き受けについての記載も国債は使用しているものの、本質は金融財政政策で、そちらに移すべきです)
誤解があるのであれば、いきなり削除ではなく、どこの部分かを明示いただきノートでご指摘いただければ幸いです。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
まず、流動性の罠の状態も均衡であるので、『均衡とならない流動性の罠』という表現が誤りです。ここが誤っているので他の部分は正確に言えば意味不明なのですが、善意で解釈すると、流動性の罠の原因ないしは流動性の罠を引き起こす環境(ゼロ制約や自然利子率云々)を流動性の罠そのもののように書いてあり、その点でも間違っています。信用やモダンマネタリストを出したのも、「完全代替」あるいは「利子弾力性が無限」という流動性の罠の状態と、ゼロ制約などは別の事項であること(強いて金利を使っていうなら短期名目金利がゼロであること)を強調するために引き合いに出したのであって、そのことを書くべきと言っているわけではありません。それ以前に間違っています。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 01:10 (UTC)[返信]


ご指摘の固定金利とGDP比

私はそれについて記載しておりません。なにかのお間違えではないでしょうか。

>国債の大半は固定金利であるため、デフレにより名目経済成長率が伸び悩むことでGDP比の債務が増大しやすくなっている。
の文章を記載していないとすると、私の勘違いです。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]


ご指摘の小国・大国開放経済

どこが間違っているかご説明ください。性質が異なるものは単純に比較できません。開放小国経済と開放大国経済がとるべき金融財政政策は単純には比較できないのは常識で、それ以上の事は述べていません。

小国=他国に影響を与えない、大国=他国に影響を与える、というのが経済学における用語の定義であって、昔の日本は経済規模が小さかったから小国、今の日本は経済成長を遂げたので大国、というわけではありません。通常、(経済学上の)小国と大国の区別は何にフォーカスを当てて分析するかの違いによってモデルを使い分けることから生まれます。現実の世界には、今も昔も、世界中のどこにも小国なんて存在しないし、それでいて、現在のアメリカに小国モデルを当てはめて分析することが可能なのです。もし仮に、日本は昔は小国モデルの仮定に非常に近い状態であり、現在はそうではなくなったということを表したいのであれば、日本が他国に与える影響力がどのように変わっていったのかという分析が必要となり、現実的にはかなり困難です。少なくとも出典なしに記載するようなものではありません。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
その意見に検証可能なソースはありますか?高橋財政期の日本が小国であったというソースはこちらです。
世界恐慌と経済政策-『開放小国』日本の経験と現代-鎮目雅人
世界恐慌と経済政策-『開放小国』日本の経験と現代-鎮目雅人
「大国開放経済 自国利子率を左右できるほど大きな開放経済。規模が大きいために世界市場(とくに世界利子率)への影響を持つような経済」p458
「小国開放経済 開放経済の中で、世界金融市場で決定された利子率を所与とみなすことができるような経済。小国であるから、その対外的な賃借は世界の金融市場へ有意な影響を与えるにはいたらず、とくに利子率を変動させることはないと想定している」『マンキューマクロ経済学Ⅰ入門編【第3版】』マンキュー著東洋経済新報社(2011)
高梁財政の本質は金融政策ですから、この区分は本質的です。大変興味深く拝読しましたが、「現在のアメリカに小国モデルを当てはめて分析することが可能」とはどういうモデルですか?
そのマンキューの教科書自体がソースだと思いますが。ところで、鎮目氏のペーパーと、マンキューの教科書を並べて書いて、違和感はありませんでしたか?明らかに、両者で小国の定義が異なっています。鎮目氏は他国からの影響を受けやすい(翻弄されやすい)という意味で小国という言葉を使っています。経済学の文脈で一般に小国と言った場合は、(マンキューの)教科書的な意味合いです。また、鎮目氏のペーパーにおいては、開放(実質的に)固定相場経済である点が現在と異なることを強調しています。決して小国-大国の違いに基づいては書かれていません。大国モデル、あるいは多国モデルなどはそもそも出てきていない。なお、「現在のアメリカに小国モデルを当てはめて分析することが可能」なのはどんなモデルでもです。たとえばマンデルフレミングモデルなども。アメリカの財政政策が為替レートにどのように影響するか(通貨高に働くか影響がないか)の分析には、小国モデルだろうが二国モデルであろうが結論は変わりません。程度の違いが表れるだけです。経済学におけるモデルの使い方を根本的に理解してないのでしょうか?--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:43 (UTC)[返信]


参照文献が検証不可能です

ポール・クルーグマン氏の文章だとされているURLには、彼の著名もなにもありません。これが本当に彼の文章であるとどう検証すればよいでしょうか。また、「日刊建設工業新聞コラム。ここでも読める」という脚注のリンク先が読めるはずの著者藤井聡氏に関係ない人物の個人のブログ&優良メルマガ案内ページであり、日刊建設工業新聞コラムからの出典であるのならば、その日付を記載されるべきです。

これはクルーグマンの勤めていたMITの公式なウェブサイト上にあるクルーグマンのOfficial Pageです。また、署名は上のページ[17]に書いてあります。これで、これが彼の文章であることが検証できないとする意味が不明です。(もっとも、運良く、彼の文章は書籍になっているので、そちらで検証も可能でしょうが、当該本を持っていない上に、そんな検証は不要だと考えます。)--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:24 (UTC)[返信]
了解です。しかし後で記載すようにこは彼の研究過程の思考の記録的内容にすぎなかったようです。やはり対外的に発表するという意図が持たれた記述でないと、ただのメモかもしれないものなので注意が必要なのではないでしょうか。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
大学の公式サイトにある自身のオフィシャルページに載せた文章が対外的に発表する意図がない、と考えることが理解できません。また、勝手にクルーグマンの心中を読んで、それを元に記事編集を行うべきではないと思います。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]


wikipediakのスタイルを守っていないと思われる点

現状についての導入部は「第1文の主題(主語)を項目名とし、定義を記載する。」とされているWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)とは違いデフレの記載になっています。日本国債についての現状またはその定義を記載ください。

スタイルは基本的に人物の表記の仕方についてのものです。なお、現状の項目でデフレが最初に出てきているのは複数人が手を加えていった結果です。国債金利についての話なので記載そのものは適切ですが、二行目に変更した方がいいかも知れません。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]


ポール・クルーグマンの主張

クルーグマンが「長期デフレに苦しむ日本がデフレから脱却するために日銀あるいは政府が貨幣発行量を増やすことを提案している」とありますが、彼はインフレターゲット論者です。もし彼がそのように主張しているなら、その出典をお願いします。

出典はつけてあると思いますが。[18]にある、The simple fact is thatからputting more cash in circulation will stimulate spending directlyあたりまで。あるいは、これを受けた部分である[19](Many people apparently read my previous note as saying simply that Japan should print money like crazyから see no harm in such a policy.まで)にもっと直接的に書いている。政府が増やせ(政府紙幣)がスティグリッツ、日銀が増やせ(国債引受)がクルーグマン。もっとも、後述されているようにこのどちらが増やすかは経済学的にはほぼ同義([20]など)。そもそも、インフレターゲットとプリンティングマネーは別に背反する内容ではないので、「彼はインフレターゲット論者です」などと言い出す理由がわからない。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:28 (UTC)[返信]
>>(Many people apparently read my previous note as saying simply that Japan should print money like crazyからsee no harm in such a policy.まで)にもっと直接的に書いている。
どうして貴殿はその文章の直ぐ後の「But I now believe, based on the analysis in AJapan's trap@, that even a very large current monetary expansion will probably be ineffective. What is needed is a credible commitment to future monetary expansion, so as to generate expectations of inflation.(しかし私は今でも非常に大きな電撃金融緩和はおそらく効果がないだろうと日本に関する分析に基づき信じています。必要なのはインフレ期待を生成する為の将来の金融緩和へ期待と信頼性のコミットメントです)」という記載があるのに無視されるのですか?このニュアンスは本質にかかわるだけに無視できません。
彼は長期国債の買い取りがインフレを発生させる「可能性」は否定しませんでしたが、同時にその量は覚悟がいるほど大量で大きなリスクが存在している事も認識していました。彼が日本に推奨したのは「インフレ期待」によるインフレーターゲット政策です。「マクロ経済政策の課題と争点」吉川洋、クルーグマン他 東洋経済新報社 (2000/04)
また、流動性の罠の下では中銀がマネタリーベースを拡大してもマネーストックは拡大しないと最近のブログで記載しマネタリストに批判的です。
friedman-on-japan
paleomonetarism
このニュアンス無しにクルーグマンが「日本がデフレから脱却するために日銀あるいは政府が貨幣発行量を増やすことを提案している。」と記載すると、その当たりの細やかなニュアンスを知らない読者はまったくの勘違いをすることになるでしょう。まだ超有名では無い科学者がホームページにアップている文章はブログのように他人の目をあまり意識していない研究途上のメモ的なものもあり注意が必要です。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
まず、日本はさておき経済学者の中では当時すでにクルーグマンは超がつく程の有名人です(クラーク賞受賞者)。また、オフィシャルページを作ってそこに発表している以上、他人の目をあまり意識していないなどとは言えません。クルーグマンがプリンティングマネーを述べていたことは上記のように事実であり、勝手な解釈でそれは途上のアイデアだとみなすべきではない。インフレターゲティングをより重視(というより、足元の金融緩和ではなく将来の金融緩和へのコミットを重視)していることは、追記すればよいだけの話です。もっとも、そのような追記が当該項目に必要か否かは判断しなければなりませんが。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]


デフレ不況

デフレと不況が同時進行した時期はあったものの2002年2月から2006年は景気拡大期(いざなみ景気)であり、両者に因果関係はありません。デフレ不況という学術用語はありません。

--Nastasia 2011年6月11日 (土) 15:26 (UTC)

その部分については何も私は書いていないので知りませんが、デフレ不況というのは既に一般用語として通じるものであり、またデフレが不況を生み出すというのは学術的に分析されてきた(大恐慌に関する分析など)ものと思いますが。ちなみに、コアコアCPIあるいはGDPデフレータを見る限り、97年以降、ごく数ヶ月を除いてインフレ率マイナスは継続しています。(需給逼迫や不況と密接に関係するのはヘッドラインCPIやコアCPIではなく、GDPデフレータやコアコアCPI。そのコアコアにさえ、上方バイアスがあってやっと前年比0.2%となったのが2回あるのみ。)--Doorroom 2011年6月11日 (土) 18:07 (UTC)[返信]
>>デフレが不況を生み出すというのは学術的に分析されてきた(大恐慌に関する分析など)ものと思いますが。
19世紀の英国の長期継続する大デフレも不況だったのでしょうか。見たことがありません。もし出典ご存じでしたら是非。
ライトな経済学ものの本ではデフレ不況という用語があるよですが、学術用語ではなく両者を混同する原因になると思います。
主にリフレ派と言われる方々中心にコアコアCPIやGDPデフレーターに注目する立場があるのは存じていますが、日本銀行が目標値としているのはCPI総合でそのマイナス値がデフレであるというのが一般的な意見だと思います。(その妥当性に議論があるのは知っています)--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
理論モデルとしてのデフレ→不況と、その実証の一つとしての大恐慌という話に、なぜヴィクトリア期のデフレの話が出てくるのか理解できません。また、それは置いておいても、デフレであった当時、初代の大恐慌(the Great Depression)といえる不況が1873-1896に起きています[21]。もちろん、古い統計となるとデータの精度の問題や、あるいは当時はDebt Deflationが起きるほど資産市場が成長していなかった点、その他覇権国の地位など現代と単純な比較は出来ませんが。それでも、デフレ期間はその前後と比較して経済成長率が落ち込んでいます。だからこそ、当時の彼らはthe Great Depressionと呼んだのでしょう。それでもデフレが終了した後の1900年代には設備投資が増え経済成長率は高まった。また、人々の期待が静態的に形成されるという研究、デフレ期待が実質金利を高め景気を悪化させるという研究は沢山ありますが。たとえばNK(や適応的学習を組み込んだモデル)はたいてい期待インフレ率の低下が産出Yの下落を示すかたちになっています。なお、コアコアCPIやGDPデフレーターに着目するのはリフレ派云々だけではありません。少なくとも、コアコアやGDPデフレータがマイナスの中で、ヘッドラインCPIだけ見てデフレから脱却したなどと言うまともな研究者は知りませんし、日銀がかつてのヘッドラインのプラスを見てデフレ脱却を謳っていたなんてことも寡聞にして知りません。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 00:07 (UTC)[返信]


一言言わせてもらいますと、これだけ長々と回答が必要となることを書いて、さあ答えろ、とするのは会話とは言えないのではないでしょうか。また、記事についても常に可読性に注意を払って書くべきです。あなたの書かれた「上記、デフレと需給ギャップの需要面に原因を求めた批判に対し、日本経済は長期的に…」の部分は、用語が羅列され非常に読みづらく、著しく可読性に乏しいです。加えて特筆性にも欠くと考えるので個人的には編集するなら削除でしか対処しようがありません。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
この部分がなければ、この独自研究の疑いがある上記部分に対してこの記事は中立性が保てません。きちんと出典が明記してある記事を1人か読みにくい特筆性がないという理由で削除が可能であるならば、ウィキペディアの望む中立性は確保できません。誠に恐れいのますが削除する前にウィキペディアの方針通り具体的にどこが読みにくいかの話し合いを希望します。この百科事典はたくさんの人の共通の財産てす
専門用語か重なるのは経済学についての記述ですからいたしかたありません。数学や物理学のページでも同じです。どこが読みにくいかご明示いただければ幸いです。内容はとてもポピュラーな学説だと思います。--Nastasia 2011年6月11日 (土) 21:02 (UTC)
専門用語を使っているから読みにくいのではなく、用語だけを羅列しているから読みにくいのです。専門用語を多数使いながら非常に可読性の高い文章は多くあります。専門的内容だから可読性が低いのは仕方がない、とは言えません。Wikipedia:秀逸な記事や良質な記事にある、専門的なものを読んでみてください。--Doorroom 2011年6月11日 (土) 23:29 (UTC)[返信]


インデントおよび改行など変更を行いました。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

あと、全般に言えることですが、私が編集した部分以外について何かを言われても知りません。「何故この部分は放置するんだ」とあなたが思われたとしても、私は、私がそれで構わないor私が気付かなかった部分については手を加えられませんので。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

「日本国の命運にかかわる重大かつ大変専門性の高い問題のため、ノートでみなさんでお話し合いができたらと思います。」とお書きですが、Wikipediaの役割を完全に勘違いしていると思われます。--Doorroom 2011年6月12日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

ノートでの会話途上の部分について議論中に編集を行うとは、会話意思無しということでしょうか。--Doorroom 2011年6月13日 (月) 02:57 (UTC)[返信]