東北楽天ゴールデンイーグルス
太字文
東北楽天ゴールデンイーグルス | |
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会社名 | 株式会社楽天野球団 |
創設 | 2005年 |
今シーズン | |
2024年の東北楽天ゴールデンイーグルス | |
所属リーグ | |
パシフィック・リーグ | |
歴代チーム名 | |
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本拠地 | |
収容人員 |
23,026人 (日本製紙クリネックススタジアム宮城) |
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永久欠番 | |
10:ファンナンバー | |
獲得タイトル | |
アジアチャンピオン(0回) | |
なし | |
日本一(0回) | |
なし | |
リーグ優勝(0回) | |
なし | |
セ・パ交流戦優勝・最高勝率(0回) (2015年から2018年までは最高勝率) | |
なし | |
成績(タイトル以外) | |
クライマックスシリーズ出場(1回) (太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退) | |
0勝1敗 | |
球団組織 | |
オーナー | 島田亨 |
運営母体 | 楽天 |
監督 | 星野仙一 |
東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。通称「楽天イーグルス」。
宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある日本製紙クリネックススタジアム宮城を専用球場(本拠地)としている。
また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は山形県東村山郡中山町にある荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた、宮城県宮城郡利府町にある利府町中央公園野球場である。この他、仙台市泉区には練習場と合宿所(東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンドほか)が設けられている。
2005年シーズンから新規参入した、NPB加盟12球団の中で最も新しい球団。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」(らくてんやきゅうだん)である。
球団の歴史
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒983-0045 仙台市宮城野区宮城野2-11-6 |
本店所在地 |
〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡5-12-55 |
設立 | 2004年10月29日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 4370001013415 |
事業内容 | プロ野球球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の運営および関連商品の企画・販売 |
代表者 | 島田亨(代表取締役社長) |
資本金 | 4億円(2010年12月31日時点) |
純利益 | △1166万2000円(2010年12月期) |
純資産 |
4億2971万5000円 (2010年12月31日時点) |
総資産 | 101億585万円(2010年12月31日時点) |
従業員数 | 200人(2009年1月時点) |
決算期 | 12月末日 |
主要株主 | 楽天 100% |
関係する人物 | 三木谷浩史(会長) |
外部リンク | http://www.rakuteneagles.jp/ |
球団設立
2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けてプロ野球チームの設立を提案。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。同年10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)とすることと、初代監督に田尾安志が就任することを発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、近鉄とオリックスの選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定。
11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議参加。明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で、その他、即戦力選手6名を獲得。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)がいた。その後、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。
チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権はファーム(二軍)のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化、仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(但し二軍本拠地は変更しない)。
チーム名が「東北楽天」でありながら、球団発足の2004年当時、東北地方の高校出身選手の獲得を見送っている。当時、「東北新球団への期待を裏切られた」との声もあがったが、「栄養費問題」で行き場を失っていた一場靖弘の獲得を優先させたためでもあるが、獲得資金の問題や新規参入球団ゆえの練習場や二軍施設における不十分さが大きかった。そのため、喉から手が出る程ほしい存在の地元出身選手ではあったが、高校を卒業したばかりの選手を育て上げられる環境にないという事情により、大学・社会人出身といった即戦力新人、または他球団からの移籍選手による補強がチーム編成の柱として進められた。
新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。
田尾監督時代(2005年)
2005年2月1日、沖縄県・久米島での春季キャンプで本格的に始動。オープン戦は本拠地・宮城球場の全面改修工事実施の関係上、ホームゲームは行われず、全17試合全て相手球団主催で開催された。オープン戦の初戦は新大分球場で行われた2月26日の読売ジャイアンツ戦で、4-3で勝利している。
3月26日、パ・リーグ公式戦開幕。千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発岩隈久志が完投し3-1で勝利する。新規参入球団が既存球団を相手に初戦を勝利したのは、この時の楽天が日本プロ野球史上初めてであった。翌27日の第2戦は、楽天投手陣が初回からロッテ打線に捕まり大炎上、打線もロッテ先発渡辺俊介の前にわずか1安打と抑え込まれ、全イニング3人で攻撃終了。2塁すら踏めなかった。2リーグ制開始以降としては最大得点差での完封負けとなる0-26の大敗。その後、チームは4連敗してしまう。4月1日、本拠地初試合となる西武ライオンズ戦では初回礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の公式戦本塁打を放つ。この一発を皮切りに、楽天の打線が大爆発し16-5で大勝、チームはリーグ開幕戦以来のシーズン2勝目。しかし4月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)を皮切りに、29日の対西武戦(フルキャストスタジアム宮城)で勝つまで11連敗を喫する。このため、4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを二軍にそれぞれ降格(替わって松井優典二軍監督と橋上秀樹二軍外野守備・走塁コーチが昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
5月6日、この年からセントラル・リーグのチームと公式戦として戦うセ・パ交流戦がスタート。この年の交流戦の成績は11勝25敗で12球団中最下位であった。
7月は10勝9敗1分けと初の月間勝ち越しを果たしたものの、8月から再び失速。シーズン2度目の11連敗を喫するなどして、29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決定した。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年、8月20日に決まった近鉄パールズ以来53年ぶり。この時点での成績は33勝84敗1分で、8月の月間成績は3勝21敗だった。9月25日のホーム最終戦(対ロッテ)終了後、田尾監督のシーズン終了を以っての解任が発表される。その後の2試合(ヤフードームでの対福岡ソフトバンクホークス2連戦)もともに落とし、最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)。開幕前から囁かれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位・日本ハムと25ゲーム差、31年ぶりのリーグ優勝を果たしたロッテとは47ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差も付けられる散々たる初シーズンであった。
シーズン終了後、田尾の後任監督に社会人チームシダックス監督で、これまで南海、ヤクルト、阪神の監督を歴任した野村克也の就任が決定。背番号は自身が現役時代に付けていた「19」。
野村監督時代(2006年-2009年)
2006年、田尾安志の後任として、野村克也を新監督に迎え入れる。弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った(無形の力とは、目に見える技術を有形の力とし、それに対して目に見えない力、すなわち判断力や観察力等の頭脳面を指す)。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜を自由契約となったセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、米国からは2003年にロッテでプレーしたリック・ショートを獲得。
オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム・香川県営野球場・静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合(静岡で2試合)が組まれた。
リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(デンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。
3月25日、札幌ドームでの対日本ハム戦で公式戦開幕。岩隈久志やバワーズがともに故障のため、前年2勝止まりだった一場靖弘が開幕投手を務めるが敗戦。その後、開幕5連敗を喫する。31日のフルスタ宮城での対ソフトバンク戦でシーズン初勝利。セ・パ交流戦では5月25日の対ヤクルト戦(神宮)で先発リック・ガトームソンから交流戦初のノーヒットノーランを喫したが、最終成績は17勝19敗で12球団中7位とまずまずの健闘を見せた。後半に入ると、8月20日の対オリックス戦(スカイマーク)でリーグ戦初の同一カード3連勝。最終成績は47勝85敗4分で2年連続最下位に終わったものの、5位オリックスとは4.5ゲーム差と健闘した。
シーズン終了後、フェルナンデスがベストナイン(三塁手)受賞。球団初のタイトル獲得選手となった。
9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大投手を1巡目指名。日本ハム、横浜、オリックスとの競合の末、抽選で交渉権を獲得。
2007年。気候上の都合でフルスタ宮城でのオープン戦開催はなし。3月24日、グッドウィルドームの対西武戦で公式戦開幕。岩隈久志が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日、対オリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にホセ・フェルナンデスと山﨑武司がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日〜19日の対ソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝を記録した(この3連戦で新人の永井怜、田中将大がそれぞれプロ初勝利を挙げる)。5月には、山﨑武司が球団初となる月間MVPを受賞。7月2日、オールスター戦で8選手がファン投票で選出される(後述)。8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で初の最下位脱出を決め、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で4位。優勝した日本ハムと13.5ゲーム差、3位・ソフトバンクとは7.5ゲーム差。クライマックスシリーズ出場争いには加われなかったものの、過去2年間に比べ飛躍的に成績が上がったシーズンとなった。またソフトバンク、オリックスにシーズン勝ち越し。同リーグで対戦成績勝ち越しは3年目で初。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑武司が43本塁打・108打点で本塁打・打点の二冠王に輝く(打撃部門タイトル獲得は球団初)。田中将大が球団初の新人王に輝く。
10月5日(楽天のホーム最終戦翌日)、本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻る(フルキャストとの命名権契約解消)。11月22日、球団オーナーの三木谷浩史が楽天本社の業務に専心する為、1月1日を以てオーナー職を球団社長の島田亨に禅譲することが発表された。島田はオーナーと球団社長を兼任する。また、三木谷自身は球団代表取締役会長に就き、大所高所から球団経営をサポートすることを表明している。
2008年。日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。オープン戦は長崎県営野球場(ビッグN)2試合のみ主催。
3月20日、ヤフードームでのソフトバンク戦で公式戦開幕。岩隈久志が2年連続の開幕投手を務め、7回1失点の好投を見せるも、2点リードで迎えた最終回、4番手で登板したドミンゴ・グスマンが柴原洋に逆転サヨナラ3ランHRを許し敗戦。これで3年連続開幕戦黒星となった。その後、チームは開幕から4連敗するが、その後7連勝し4月3日の対ロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)を果たすなど6月までは好調を維持したが、7月は24試合でわずか5勝(2分あり)という大不振に陥る。8月も北京オリンピック出場の為、田中将大が抜け、岩隈が奮闘するものの負けが込む。9月中旬以降になりようやく復調し、10月7日の最終戦でソフトバンク(Kスタ宮城)に延長12回サヨナラ勝ちし、ようやく最下位脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は3位・日本ハム、4位・ロッテより高い+20で、球団創設以来初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈久志が21勝を挙げ最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手タイトル三冠を達成。シーズン終了後には沢村賞、ベストナイン(投手)、球団初のパ・リーグMVPにも輝いた。また、リック・ショートも首位打者とベストナイン(外野手)を獲得。
シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村克也監督の契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。小坂は球団初の地元(宮城県)出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。
2009年。1月にメジャーリーグ、オークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、5年目にして初めて本拠地クリネックススタジアム宮城でオープン戦を開催(3月23日の対オリックス戦と翌24日の対西武戦)。
4月3日、札幌ドームでの対日本ハム戦で公式戦開幕。これに勝利すると、その後は開幕4連勝。4月を首位で終えるが、セ・パ交流戦では最大6連敗を喫し、最終的には9勝15敗の10位に終わった。リーグ戦が再開された7月も8連敗するなど低迷は続くが、オールスターが明けた8月は最大6連勝するなど17勝7敗と大きく勝ち越す。9月も好調を維持し、12日の対ソフトバンク戦では球団初となるクライマックスシリーズ(以下「CS」)進出のマジックナンバー「19」が点灯した。 その後、2度の消滅を経験するが、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)でCS進出(球団史上初のAクラス入り)が決定。同9日の対オリックス戦ではリーグ2位が確定し、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と球団史上初のリーグ戦勝ち越しを果たした。鉄平が首位打者を獲得し、投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井)が2ケタ勝利を挙げた。
10月16日から行われたCS第1ステージはホーム・Kスタ宮城でソフトバンクと対戦。第1戦を岩隈、第2戦を田中でともに勝利し、第2ステージ進出。同21日から行われた第2ステージは敵地・札幌ドームで日本ハムと対戦。第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け。続く第2戦も岩隈で落とす。第3戦こそ田中で勝利したが、第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退となり、初の日本シリーズ出場はならなかった(試合の詳細)。
CS終了後、野村克也監督は契約期間満了に伴い退任。この他、松井優典二軍監督や橋上秀樹ヘッドコーチら計8コーチも退団した。後任監督はこの年まで広島の監督を務めたマーティ・ブラウン。野村はその後、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)[1]。
ブラウン監督時代(2010年)
2010年。スローガンは『Smart & Spirit 2010 Eagle Fire!』(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。
3月20日、京セラドーム大阪での対オリックス戦で開幕。4年連続開幕投手となった岩隈久志が8回1失点の好投を見せたが、打線の援護がなく結局0-1で敗れた。これを皮切りにチームは4連敗。序盤から苦しい展開を強いられる。交流戦では一時は首位に立つなど、復調の兆しを見せた。最終的には同率3位(前年度の順位が考慮され5位)となったが、この年は交流戦の上位6チームをパリーグ勢が占める結果となり、そのため順位が浮上することはなかった。交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位に後退して以降は1度も最下位脱出を果たすことができず、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定。最終的には62勝79敗3分。優勝したソフトバンクとは15ゲーム差。5位オリックスとも7.5ゲーム差をつけられる惨憺たる成績で、パ・リーグで唯一、開幕から最終戦まで一度も勝率5割に到達することはなかった。また、ホームゲームの平均観客数が前年より1000人近く減少。こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウン監督の解任を発表。同監督は2年契約ながら1年でチームを去った。
外国人打者の不振が目立ったものの、投手のダレル・ラズナーは前年を上回る活躍を見せた。聖澤諒ら成績を上げた若手もおり、主力選手の長期離脱も昨年や一昨年より少なかった。ただし岩隈久志が二年ぶりに投球回数200回を超えるなど、前年よりも先発投手の球数は多い傾向にあり、田中将大は怪我で短期的に離脱した。
投手陣は前年にそう劣らない成績を残し、総得点576点(リーグ最下位)は低いものの前年の598点(5位)とそこまで大差があるわけではなかった。しかし野村時代全てを通して、一点差試合の勝率が総合勝率を上回り(前年は22勝17敗)勝負強い野球を展開していたのに対し、この年は18勝24敗と大きく劣った。盗塁数も足の速い若手が成長してスタメンを張った試合が増えたにも関わらず、企画数が25も減った上、成功率も下がった(7割1分5厘→6割8分4厘)。この年の主要個人タイトル受賞者は1人もいなかったが、それとは別に嶋基宏が捕手部門でゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。
10月、ブラウンの後任監督として、阪神オーナー付シニアディレクターで、中日・阪神で監督を務めた星野仙一の就任が決まり、27日に仙台市内で就任会見を行った。背番号は中日・阪神監督時代と同じ「77」[2]。
星野監督時代(2011年)
2011年。選手の補強もこれまでにないぐらい積極的に進め、元メジャーリーガーの岩村明憲や松井稼頭央を獲得。また、ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍を表明していた岩隈久志も入札で独占交渉権を獲得したアスレチックスとの交渉が決裂し、楽天に残留。チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。当初、3月25日のKスタ宮城でのロッテ戦で創設7年目にして初の本拠地での開幕戦を迎える予定であった。
東北地方太平洋沖地震による影響
3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震の際、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中だったが、選手は全員無事であった[3][4]。13日に練習再開、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い、関西などを中心に開幕までの練習を行い[5]、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている[6][7][8]。4月2日、3日には12球団によるチャリティ-試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野監督は「遅くなってすみませんでした。ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している[9]が、球団は3月20日に予定していた中日とのオープン戦を中止し、希望する選手を被災地でもあり本拠地である仙台に帰れるように調整していたが、希望者がいなかったと報道されている[10]。しかし、楽天の選手の田中将大は4月12日、Twitterでこの報道を否定した[11]。4月11日にはフアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された[12]。
一方で、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ[13]、修復工事が必要となったことから、一時的に関西で主催試合を行うことになった。この年のセ・パ両リーグの開幕日は4月12日に延期。同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦、主催試合初戦は同15日からの阪神甲子園球場での対オリックス戦[14]。そして、本拠地・Kスタ宮城での初戦は同29日の対オリックス戦となり[15]、いずれも勝利した。
チームの特徴
- 「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の深山に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。
- 当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で「ゴールデンイーグルス」となった。この時商標を先に取ったのは、参入時のライバルであったライブドアであった。
- 戦前の球団「イーグルス」とは無関係。
- 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズならびに西武ドームでの埼玉西武ライオンズ同様、クリネックススタジアム宮城開催の主催試合では3塁側ベンチに座っている(福島、盛岡等の地方球場での主催試合では1塁側)。そのため、1塁側ベンチに座る機会は他球団と比べ、非常に少ない(2010年のペナントレースにおいて1塁側ベンチに座ったのは26試合)。
- 東北ゴールデンエンジェルス(オフィシャルチアリーディングチーム)に地元仙台市在住の主婦(当時44歳)が合格して話題になった。
- 楽天野球団公認の漫画「ルーキー野球団・東北楽天ゴールデンイーグルス物語」が1話完結の形で週刊ヤングジャンプで連載された。主人公は毎回変わる(主人公となったのは最終回を除いて連載順に、礒部公一・田尾安志・岩隈久志・松井優典・山﨑武司・吉田豊彦・中村武志・沖原佳典の8人)。
- 毎年5月19日を「ゴールデンイーグルスの日」に制定。これは「ゴ(5)ールデンイ(1)ーグ(9)ルス」の語呂合わせに由来する。2005年も来場者にこの日限りの記念グッズが進呈された。
- ホームである宮城球場は野外球場である上、やませの影響もあり雨や濃霧による中断、コールドになる試合が多く、その中断分も含めて試合が長丁場になる事が他球団に比べ多い。
- 2010年現在までのドラフト自由枠・一位では、全て投手を獲得している。岩隈久志を除けば、ここ5年間の日本人先発の勝ち星の8割以上を占めているのはこれら新戦力ドライチたちであり、ドラフト新戦力投手たちはチームの生命線となっている。
- 2011年現在、大阪近鉄バファローズに在籍経験のあった楽天の選手は5名(山村、岩隈、有銘、牧田、高須。このうち岩隈はオリックスからの金銭トレードを経ての楽天入り)。一方、旧オリックス・ブルーウェーブに在籍経験のあった楽天の選手は2名(山﨑、中島。このうち山﨑は自由契約を経て楽天入り)。
- 中日ドラゴンズに在籍していた選手の加入が創設時から多い。球団初年度の2005年は中村武志、山﨑武司、紀藤真琴、酒井忠晴、関川浩一、小山伸一郎、小池秀郎、益田大介の8人(但し、中村は横浜、山﨑はオリックス、小池・益田は近鉄からの加入)、2006年は鉄平(本名:土谷鉄平)、2007年は川岸強とドミンゴ(ドミンゴはシーズン途中での加入)、2008年は石川賢、2009年は中村紀洋が加入している。2010年はなし。2011年は中日元監督の星野仙一が監督就任、岡本真或(前LGツインズ)、育成枠で佐藤充が加入。同年現在、現役選手は山﨑、小山、鉄平、川岸、岡本、佐藤の6人。
- 現存する12球団の中で唯一、リーグ優勝及び日本シリーズ出場を一度も経験していないチームである。
- 野村元監督就任以降は規律を重んじる傾向で、染髪、長髪、モヒカン等の髪型、髭は禁止されている。
ユニフォーム
楽天株式会社のイメージ・カラーであるクリムゾン・レッド(えんじ色)を基調としている。肩・脇腹に2本の細ライン、パンツに1本の細ラインが入っている
- ホーム用
- 白地で細いシャドー・ストライプが広めの等間隔に入っている。胸ロゴは「EAGLES」、左右両端の文字は鷲の翼をイメージしたもの。その上に小さく「RAKUTEN」の文字があり、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークには黄色の縁取りが施されている。
- 2011年からは胸番号・背番号・背ネームの字体が前年からビジター用(後述)のユニフォームで採用されているものと同じとなった。さらに3月11日に発生した東日本大震災の犠牲者を悼み、左腕に「がんばろう東北」のワッペン[16] と袖を一周するリング状の喪章を追加。
- この他、期間限定での「3rd(または4th)ユニフォーム」が下記のとおり採用されている。
- 2006年~2009年 :交流戦期間のみ着用するホーム用が登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
- 2007年 :「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2008年7月11日-13日の千葉ロッテマリーンズとの3連戦には、2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2011年は「球団創設7年目特別企画ユニフォーム」として「イーグル・レインボー」を採用。「虹=夢の架け橋」をコンセプトに胸下・両袖をクリムゾンレッドを含む7色の帯で構成しており、胸部は通常デザインとは異なる紺色の「Eagles」ロゴに加え左胸下に鷲のイラストが入る。パンツはクリムゾンレッド(後側のみ紺の縁取り)のラインが入り、腰部に背番号が入る。アンダーシャツは紺色。キャップも通常デザインではなく白抜きの紺色・ゴシック体の「E」となる。5月28・29日の対阪神2連戦ならびに6月11・12日の対中日2連戦(いずれもKスタ宮城)の交流戦計4試合で着用予定。[17]
- 同じく2011年7月1日からの対千葉ロッテ3連戦では2011年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸には「E」のロゴが入り(それ以外の文字はなし)、肩と脇下には4色のラインが入る。また左袖には東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレムが入る(「がんばろう東北」ワッペン及び喪章は右肩に移動)。
- ビジター用
- 上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラーを採用。
- 2005年~2009年 :胸ロゴは「RAKUTEN」。立体的に見えるよう、胸ロゴに黄色のシャドーが入っていた。
- 2010年~ :胸ロゴのデザインが「Rakuten」に変更され、黄色のシャドーは廃止。さらに、胸番号・背番号・背ネームの字体も変更した。コンセプトは、「シンプル&スマート」。[18]
- 3rdユニフォーム
地域密着を謳う球団として発足したものの、ユニフォームには地域名を示す「TOHOKU(東北)」「SENDAI(仙台)」「MIYAGI(宮城)」等のロゴが入っておらず、疑問の声も少なくない(ユニフォーム決定の際、田尾監督は地域名ネームが全く入っていないことに落胆したという)。楽天の場合、袖部分、胸の中央部、球団旗にはすべて楽天もしくは、楽天のグループ会社のロゴや名前を付られており、逆にファンたちが着ているレプリカユニフォームの方に「東北魂」という文字が躍っているという状況である。
- 宮城球場以外の東北各地での公式戦については、「(協賛スポンサー名)みちのくシリーズ」と題して行われている。
- 2009年の左袖に、「5th Anniversary」のペットマークが付いた。
- 2011年の左袖に、東北地方太平洋沖地震犠牲者追悼の意を込め、黒の1ラインが入る。
球団マスコット
- クラッチ
- クラッチーナ
- 「クラッチを元に女の子らしい名前を」ということで球団側が名づけた。
- Mr.カラスコ
- 非公認マスコット。当該項目を参照。
- 超特大ゴーヤ
- Baby-brown
- どう見ても超特大ゴーヤにマーティ・ブラウンの顔を貼り付けただけのようにしか見えないデザインのマスコット。但し球団は「超特大ゴーヤとは何の関係もない」とコメントしている。
- ピーマン ボン ジョルノ .カンパニー
- 未公認マスコット。当該項目を参照。
-
クラッチ
-
クラッチーナ
-
Baby-brown
主な球団歌
公式応援歌
- THE マンパワー!!!(作詞・作曲:つんく♂(シャ乱Q)、歌:モーニング娘。)
- 2005年4月1日のホーム開幕戦(対西武戦)と5月8日の対巨人戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A「サテライトスタジアム」の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット「黄金鷲団」のオープニング・エンディングでも使用されている。しかし歌詞の中に球団に関係したものが入っていない点(発表当初は野球に関するフレーズが全く入っていなかった)、東北地方のチームの応援歌であるにもかかわらず歌詞に大阪弁(「ものごっつい」)が含まれている点を批判するファンもいる。
- 三木谷浩史の個人資産管理会社が所有する(楽天グループでは無い)ヴィッセル神戸(Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。
- LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- 前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
- ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第3弾。CDは2007年3月24日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、4月1日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。この曲もスカイ・A sports+「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」のエンディングテーマソングとして使われている。
- 越えろ!楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:℃-ute)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第4弾。2008年3月20日発売。仙台駅構内・楽天イーグルスオフィシャルストア、Hello!Projectオフィシャルショップのみで発売。PVに、岩隈久志・山崎武司ら楽天所属選手が出演。
- なお、PVは前述の選手登場のバージョンのほか、℃-uteメンバーのみ出演のバージョンのものも存在する。
- 球場での披露に関しては3月29日のホーム開幕戦のみ。
- 紅の翼(歌:堀内孝雄)
- つんく♂と同じアップフロントエージェンシーの堀内孝雄が歌う公式応援歌第5弾。
公式球団歌
- 羽ばたけ楽天イーグルス(作詞:藤巻浩・勝山聡・井岡美里、作曲:藤巻浩、歌:狗鷲合唱団)
- 行進曲調。
- Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
- 合体ロボットアニメ系ロック調。子門真人をリスペクトしている。
公認応援歌
- 楽天イーグルスGO!GO!GO!GO!(作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山)
- 毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。
公認イメージソング
- 後述するように田尾安志監督解任に対して抗議する意味も込め、さとう自らが歌唱を封印したが、2010年2月24日に自身が司会を努めるミヤギテレビ「OH!バンデス」にて封印を解き、毎月1回番組内で歌っている。
その他
- 楽天サンバ
- 大空へ(作詞・作曲・歌:清貴)
- エフエム東京の番組企画で製作された。
場内アナウンス
- クリネックススタジアム宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンス(「スタジアムDJ」と呼ばれる)は球団創設1年目の2005年から古田優児(フリーアナウンサー)が担当している。
- 男性の場内アナウンスといえば京セラドーム、ほっともっとフィールドのオリックス主催ゲームが先駆けであるが、選手の紹介方法については神戸がメジャーリーグを手本としてポジションや打順を英語でアナウンスするのに対し、宮城球場は男性の場内アナウンスを使用しているのにかかわらずポジションや打順は日本語のままである。
応援スタイル
- 本拠地・日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)ではトランペットや笛の使用は禁止されており、NPBから許可を受けた私設応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない。楽天のみならず、他球団の応援団に対しても同様)。なお、Kスタ宮城以外の球場ではトランペットや笛を使用した応援を行っている。
- 楽天攻撃時の選手の打席では「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がる様に語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」(東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団である「全国荒鷲連合会(総本部・北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されている。
- 2008年より初回撃開始時に"オープニングテーマ"が歌われるようになる。原曲はさとう宗幸の「青葉城恋唄」(サビ部分を使用)。
- 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も少なくなく、その選手には共通の汎用テーマを使用している。なお、汎用テーマは4種類(30歳未満選手用、30歳以上選手用、投手用、外国人選手用)用意されている。
- 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。前奏として「青葉城恋唄」サビ部分を使用。この前奏は2007年まではビジター限定で使用されていたが、2008年からはホームでも使用されるようになった。ちなみに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。2008年には"チャンステーマ2"(原曲:山形のローカルヒーロー「大鍋宣隊イモニレンジャー」のテーマ)と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されている。この他、九州地区、北海道地区、ならびに東北地区専用のチャンステーマも存在する。
- 7回の攻撃開始前には球団歌「羽ばたけ楽天イーグルス」の演奏終了に合わせ赤のジェット風船を飛ばしている。ちなみに、創立当初は赤・黄の2色を採用しており、その名残りからか現在も黄色い風船を飛ばしているファンもごく少数ながら存在している。また、楽天が勝利した際は白い風船を飛ばしている(「白星」の意味)。
- 楽天勝利時、監督・コーチ・選手一同が3塁側ベンチ前に整列し挨拶を行っているが、その挨拶終了後、引き続き選手数名が(大勢の楽天ファンが声援を送っている)レフトスタンド前に走り、スタンドのファンと一緒に「万歳三唱」を行っている(どの選手が参加するかは日によって異なる)。
チーム成績・記録
年度 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 勝差※ | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 田尾安志 | 6 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | 51.5 | .255 | 5.67 | 88 |
2006 | 野村克也 | 6 | 136 | 47 | 85 | 4 | .356 | 33.0 | .258 | 4.30 | 67 |
2007 | 4 | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | 13.5 | .262 | 4.31 | 111 | |
2008 | 5 | 144 | 65 | 76 | 3 | .461 | 11.5 | .272 | 3.89 | 94 | |
2009 | 2 | 144 | 77 | 66 | 1 | .538 | 5.5 | .267 | 4.01 | 108 | |
2010 | マーティー・ブラウン | 6 | 144 | 62 | 79 | 3 | .440 | 15.0 | .265 | 3.98 | 95 |
2011 | 星野仙一 | 5 | 144 | 66 | 71 | 7 | .482 | 28.5 | .245 | 2.85 | 53 |
※シーズン1位チームとのゲーム差
- Aクラス 1回
- (2009年)
- Bクラス 6回
- (2005年 - 2008年、2010年 - )
- 最多勝 77勝(2009年)
- 最多敗 97敗(2005年)
- 最多引分 4分(2006年)
- 最高勝率 .538(2009年)
- 最低勝率 .281(2005年)
- 最多本塁打 111本 (2007年)
- 最少本塁打 53本 (2011年)
- 初試合・初勝利 2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(ロッテに3-1)
- 初敗戦 2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(ロッテに0-26)
- 初引分 2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(ロッテに4-4)
- 最速10勝到達 17試合目(2009年)
- 最速20勝到達 33試合目(2009年)
- 最速30勝到達 56試合目(2008年)
- 最速40勝到達 85試合目(2008年)
- 最速50勝到達 101試合目(2009年)
- 最速60勝到達 117試合目(2009年)
- 最速70勝到達 132試合目(2009年)
- 最大開幕連勝 4(2009年)
- 最大開幕連敗 5(2006年)
- 最大連勝 7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ、2011年8月20日・対ソフトバンク - 8月27日・対ソフトバンク)
- 最大連敗 11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
- 最大連続延長戦 2(2005年6月25日・対西武 - 6月26日・対西武、2006年6月13日・対阪神 - 6月14日・対阪神)
- ゲーム最多得点 18(2005年9月2日・対オリックス)
- ゲーム最多失点 26(2005年3月27日・対ロッテ)
- ゲーム最多安打 20(2008年6月29日・対ソフトバンク、2008年9月30日・対ソフトバンク)
- イニング最多得点 10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏)
- イニング最多失点 11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
- 最多貯金 13(2009年10月9日・対オリックス)
- 最多借金 59(2005年9月28日・対ソフトバンク)
- 1試合最多ホームラン数 6本(2010年6月6日・対読売ジャイアンツ戦 中村紀洋8号、9号、山崎武司13号、高須洋介2号、嶋基宏3号、ランディ・ルイーズ2号)
永久欠番
- 10:ファン
- ベンチ入りする控え選手の一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。日本プロ野球界では初。
- この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、一軍登録25人に次ぐ26番目、支配下選手の一人という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
歴代本拠地
- 2005年 - 現在 宮城球場
- 2005年-2007年の呼称は「フルキャストスタジアム宮城」(略称:フルスタ宮城)
- 2008年-2010年の呼称は「クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)
- 2011年からの呼称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)
スポンサー
- 左袖
- ベンチシート、応援用ビッグユニフォームなど
- 北電子(2007年 - 2008年)
放送
楽天では初代球団オーナー・三木谷浩史の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは制作著作の権利までを球団側が所持。 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。
- 楽天イーグルスTV(2006-2007年、宮城球場で行われるホームゲーム全69試合を動画生中継した。2005年は人数限定の有料放送)
- ヤフー動画(2007年から導入。ただし制約あり)
- ニコニコ動画(2009年8月11日に楽天イーグルスチャンネルを開設。ホームゲームのハイライト・試合後の野村監督の会見・勝利試合のヒーローインタビューなどを動画配信。また2009年はクライマックスシリーズを含めたホーム・ビジター18試合を生放送した。)
従来型放送
- 地上波テレビ
- NHK、在仙民放各局がホームゲームを放送。地上波デジタル放送に関しては、サブチャンネルにて試合終了まで放送。大半は東北地方[22] で放送される。ただし、楽天球団制作映像優先の方針により、自局での映像制作には一定の制限があり、中継権を持たない試合の資料映像については、原則として楽天野球団制作からの配信を受ける形となる。
- 2009年のクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦を放送(BS1でも放送されたが、実況・解説者は異なる)。番組編成は以下の通り
- TBCテレビ、在仙のなかでは一番放送の数が多く創設当初は日曜のデーゲーム、現在は木曜のナイトゲームが中心。毎年1試合以上は巨人戦を差し替えて放送している、解説は2005年が対戦相手地域やJNN所属の相手OB解説者が、2006年は衣笠祥雄・川口和久・盛田幸妃・仙台出身の佐々木主浩が担当。2007年はラジオ解説が主の佐々木信行・秦真司が行い、2008年は駒田徳広・松本匡史も加わり2009年からは高橋雅裕が2010年は杉山賢人が新加入。(衣笠、川口、盛田、佐々木(主)、駒田、秦、高橋は現在TBCで担当していない) アナウンサー陣は佐藤修(2011年度よりスポーツ部所属)・松尾武・守屋周・飯野雅人。2010年からは木曜日にローカル枠が出現したおかげでゴールデンタイムの中継が増え過去最多の11試合を中継。過去には実況で三橋泰介(フリー)・大井健郎(現・報道記者)、リポーターで猪井操子(フリー)・根本宣彦・山本義幸も担当した。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年5月の交流試合・巨人戦2試合(TBS製作、TBCアナウンサーは楽天ベンチリポーターのみ)
- 2009年のクライマックスパ第1ステージ第2戦(自社製作、RKBにもネットされた)
- 2011年4月のKスタ開幕・オリックス戦(TBCは宮城ローカル、全国中継は横浜×巨人との二元中継でTBSのスタッフで放送された)
TBC製作分・・・解説:杉山賢人 実況:松尾武 ベンチリポーター:飯野雅人 スタンドリポーター:高以亜希子
TBS製作分・・・解説:佐々木主浩 ゲスト:松山英樹 実況:林正浩 ベンチリポーター:伊藤隆佑
- 仙台放送、土曜デーゲームが多いが2005年・2006年・2009年は巨人戦を差し替えていた。解説は斉藤明雄・高木豊・達川光男・田尾安志・江本孟紀のフジテレビ系列解説者が担当。2010年のオリックス戦では2009年まで楽天打撃コーチを担当した池山隆寛がベンチサイド解説を務めた。実況アナの変貌が目まぐるしく2005年は下田恒幸(現フリー)が3試合、佐藤拓雄が1試合実況を務め、2006年は浅見博幸が2試合を実況。金澤聡がリポーターを務めた後2007年から実況、板垣龍佑(現テレビ東京)がリポーターを務めた後2009年からは広瀬修一が担当。2006年の実況を務めた浅見がインタビュアーとして同局中継3年ぶりの登場を果たした(中継終了後にインタビューが行われた)。在仙局の中では中継製作に一番消極的である反面ビジター試合を積極的に中継。アナウンサー(主に金澤)をベンチリポーターとして派遣している。2007年からは毎年1試合のみの中継となっていたが2011年は4月と5月さらには7月に1試合ずつ中継される。
ポストシーズンの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ・第3戦(北海道文化放送製作)
- ミヤギテレビ、レギュラーシーズンは週末デーゲームのみ未だに差し替え中継の実施はない。解説者は2005年が中畑清・水野雄仁が担当、2006年から2008年までは楽天OB初の解説者となった川尻哲郎とキー局の池谷公二郎。2009年4月の西武戦と9月の日本ハム戦を阿波野秀幸が務め10月のクライマックスシリーズを若菜嘉晴が務めた2010年は初代打撃コーチの駒田徳広と苫篠賢治、2011年は佐野慈紀が担当。実況は伊藤拓とリポーターを担当している外賀幸一が2009年7月のオリックス戦を実況する予定(解説は前述の若菜)だったが試合開始直前に中止となり幻となったが2010年7月の日本ハム戦で野球実況デビューを果たした。さらには2010年4月の中継では加藤智也がリポーターを担当。伊藤・外賀・加藤の先輩・上司にあたる三雲茂晴も裏方(制作)として中継に参加している。2009年4月3日に札幌ドームで行われた日本ハム戦の中継を系列のSTVが行ったものの同局は巨人戦を優先し、4年間続いていた開幕中継をストップさせた。
ポストシーズンでの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ・第1戦、第2戦(札幌テレビ製作の映像+仙台のスタジオで伊藤が実況)
音声差し替え中継
- 2008年3月のソフトバンク戦(福岡放送製作映像&仙台のスタジオ 解説:川尻哲郎、実況:伊藤拓)
その他
- 2005年5月の阪神戦(ホーム開催であったが系列のよみうりテレビが製作、MMTは伊藤を『派遣』する形で中継を行った)
解説:川藤幸三、実況:小澤昭博、リポーター:伊藤拓・尾山憲一、他球場情報:山本純也
- 東日本放送、夏の高校野球県大会中継をしていることもあり実況アナは豊富で中継数も仙台放送やミヤギテレビよりも多い、土曜デーゲーム中心だが2005年・2006年・2010年は巨人戦を、2011年はゴールデンタイムの編成を差し替えた。ホームでの巨人戦中継では2008年(詳細後述)を除きテレビ朝日製作のため協力(2011年現在も続いている)にまわり同局のアナウンサーは楽天リポーターとして登場する(2009年まで)。解説はほとんどの試合、東北福祉大OBの大塚光二が務めている(巨人戦の場合はグランド解説にまわる)が2008年は元ABCプロ野球解説者の村上隆行が、2010年からはデニー友利が新加入した。2008年まではファン代表としてローカルタレントの本間秋彦がゲスト出演。(本間が諸事情で来られない場合もゲストを配し、野崎靖博や戸叶尚も中継に加わったこともある)。実況は熊谷博之・岩崎心平・松本龍が担当。ベガルタ中継がメインの加川潤も2005年1試合を担当した。リポーターは各実況アナに加え2007年のみ吉岡伸悟も担当、2008年までは相手チームにもリポーターを配し系列局のアナウンサーが担当していた。2007年はCS放送sky・A sports+中継の実況も担当。2008年は6月の交流試合・巨人戦を自社製作で行う予定だったが当日、朝に起きた岩手・宮城内陸地震の影響で中止。中継を行った4試合全てが4時間超になり終了まで中継ができない現象が続いた、2011年は在仙局では史上初となるKスタ以外でのホームゲーム中継を甲子園で実施、系列ABCの協力を全面に受け阪神戦同様の放送ブースで中継を行った。2006年から3年続けて開幕戦のネット受けを行いすべての試合で熊谷がベンチリポーターで派遣されている。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年と2006年5月の交流試合・巨人戦1試合ずつ(テレビ朝日製作、熊谷が楽天リポーターで出演)
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ第4戦(現地乗り込み、北海道テレビ製作の映像+熊谷の楽天応援実況)
- 2011年のオールスターゲーム第3戦
音声差し替え中継
- 2010年6月の阪神戦(ABC製作映像+仙台のスタジオ 解説:大塚光二 実況:岩崎心平 リポート:松本龍)
- 2011年6月の阪神戦(2010年同様の対応 解説:大塚光二 実況:松本龍)
2005年シーズンのデーゲーム中継は隣県(特に2軍本拠の山形県や福島県、岩手県)、ソフトバンク戦においてはTBC製作をRKBで仙台放送製作をテレビ西日本で日本ハム戦においてはミヤギテレビ製作をSTVで放送されたこともある。 2010年以降のTBC木曜ナイターは全試合ではないものの青森、秋田を除く3県にもネットされた試合がある。
- 在仙局以外では、東京地区のTOKYO MXが2011年に「「がんばろう東北」東北楽天ゴールデンイーグルス野球中継」のタイトルで、4月30日と5月1日の対オリックス戦、および5月7日の対西武戦を中継(映像は球団制作のものを使用)。
- 2008年6月、交流戦2試合をBS朝日で放送。(当初は1日の広島戦を球団製作=スカイ・エーと同時、14日の巨人戦は東日本放送制作で宮城県向けローカル中継との同時放送を予定していたが、巨人戦中継予定当日が岩手・宮城内陸地震のため開催中止となり、予備日の16日の試合はKHBの放送枠の都合が付かなかったためこの試合も球団製作のものに変更された)
- 同8月から日本BS放送(BS11デジタル)にて「BS11プロ野球・全国生中継」として中継に本格参入。同年度は終盤10試合を放送した。sky・A sports+と同様の球団制作中継。2009年からはタイトルを「プロ野球まるごと中継 熱闘!BS11ナイター」として20試合程度を放送した。
- 2010年はタイトルを「熱闘!! 楽天戦 フル中継」と改題、中継数も30試合に増加。Kスタ宮城以外にも東京ドーム、岩手県営野球場、秋田こまちスタジアム、郡山市営開成山野球場で行われる試合も放送されるようになった。なお2011年よりタイトルを「断然 パ・リーグ主義!!」と改題(QVCマリンフィールドのロッテ戦も中継されるため)。
- AMラジオ
- 東北放送(県域放送)「TBCパワフルベースボール」[23]
- ※ 「プロ野球三都物語」は開幕前に1年に1度放送。
- NHK仙台放送局(東北地域向け):NHKプロ野球の枠での放送と、「NHKラジオ夕刊」など通常の番組を休止しての放送がある(7時のニュースは放送される)。
- FM放送
- NHK仙台放送局(東北地方全域) : 開幕戦のみ放送。NHKラジオ第1放送が高校野球優先のうえ、実施期間のために放送ができず、FM放送を行っている。2005年〜2007年の3年間はいずれも東北ブロックでの放送。2006年は対戦カードが日本ハムだったため、北海道でも放送された。
キーワード
フレックス・プライス
2009年よりKスタ宮城で行われる楽天の主催試合において、対戦相手や曜日などに応じてチケットの価格を変える「フレックス・プライス」が導入されている。「フレックス・プライス」のようなチケットの価格変動制は、メジャーリーグでは複数の球団が採用しており、日本では東京ヤクルトスワローズが神宮球場での巨人戦、阪神戦に限り一部席種を割高にしている例があるが、本格的な導入は楽天が初めてになる。
チケットの価格は5段階で設定されており、高い順からプラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ、バリューとなっている。2011年は交流戦の中日戦、巨人戦、阪神戦各2試合の計6試合がプラチナとされ、一番安いバリューは主に平日のナイター試合に設定された。
席によっては、プラチナの価格がバリューの2倍になる事もある。 フレックスプライスについて
カラーユニフォーム対決
- 2005年9月10日、フルキャストスタジアム宮城のソフトバンク戦での企画。この日を「クリムゾンレッドデー」と銘打ち球場をチームカラーであるクリムゾンレッド一色にしようという企画で、ホームゲームではあるが、クリムゾンレッドのビジターユニフォームを着て試合を行った。このカードでは7月18日にも「鷹の祭典 in ヤフードーム ブラックホーク降臨!」と題して、ホームチームのソフトバンクが黒のビジターユニフォームで試合を行っている。7月18日は7-5で楽天、9月10日は6-3でソフトバンクが勝っており、どちらもホームチームが負けるという結果が残っている。
- 2006年は阪神が、交流戦用ユニフォームとしてホームゲームでは岡田彰布が入団した1980年当時のビジター用、ビジターゲームでは同時期のホーム用を着用して試合に臨むことを決定したため、楽天とは5月30日からの甲子園3連戦ではビジターvsビジターで対戦した。8月22日には、西武ライオンズが球団の要望でビジターvsビジターをする等、この試みは各球団に広まっている。
平日デーゲーム開催
2007年4月3日(火) - 5日(木)、フルキャストスタジアム宮城で日本ハムとの3連戦をいずれもデーゲームで開催した。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラスと東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況ぶり。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中将大の本拠地初登板もあって、約18000人ものファンが球場に詰め掛けた。翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火) - 3日(木)の対ロッテ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。
2009年と2010年は平日デーゲーム開催は行われていない。2009年はWBCのため開幕が遅く4月7日(火)がホーム開幕戦で、2010年はホーム開幕戦が土曜日に設定されたためである(他球場では前日の金曜にホーム開幕戦となるナイターが行われている)。2011年は、3月29日(火)~3月31日(木)の対ソフトバンク3連戦をデーゲームで開催予定になっていたが、東日本大地震による影響の開幕戦延期のため中止となった。
- 本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代-1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合やプレーオフ(パ・リーグ)、日本シリーズでも行われた。
2007年度オールスターファン投票
2007年オールスターファン投票の結果が発表されたが、フルスタでの開催という要素などが相まって、12枠のうち8枠を、田中将大、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部公一、山崎武司と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務める日本ハムトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。
10人のヒーローインタビュー
2009年10月3日の対埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)で、球団初のCS進出を決め、先発の青山浩二と野手9人(中村真人、渡辺直人、鉄平、山崎武司、草野大輔、トッド・リンデン、フェルナンド・セギノール、小坂誠、中谷仁)の計10人がヒーローインタビューを受けた。
試合は、序盤から通算0勝9敗と苦手にしている西武先発の帆足和幸を攻め、1回裏に鉄平が3ランホームラン、草野もソロホームランを打ち、4点を先制。5回裏にも山崎が帆足から3ランホームランを打つなど4点を取り、帆足をKOした。そして6回裏に鉄平がこの試合2本目の3ランホームラン、8回裏にもリンデンがダメ押しの2ランホームランを打ち、試合を決定付けた。投げては先発の青山が11安打を浴びながらも、打線の援護に助けられ、5失点完投勝利を収め、14-5で大勝した。インタビューでは10人全員が1人ずつコメントしていた。なお、10人のヒーローインタビューは、2008年4月8日の北海道日本ハムファイターズの9人を上回る、プロ野球史上最多の人数である。
ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員
東北楽天では以下の24人が「ファンクラブ名誉会員」となっている(職名は名誉会員認定当時)。
- 大友康平(宮城県塩竈市出身):HOUND DOGのボーカル
- 涼風真世(宮城県石巻市出身):女優
- 生島ヒロシ(宮城県気仙沼市出身):フリーアナウンサー
- 大泉逸郎(山形県西村山郡河北町出身):演歌歌手
- ザ・グレート・サスケ(岩手県盛岡市出身):みちのくプロレス所属のプロレスラー・元岩手県議会議員
- 千昌夫(岩手県陸前高田市出身):演歌歌手
- 山寺宏一(宮城県多賀城市出身):声優
- 舞の海秀平(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身):スポーツキャスター
- ウド鈴木(山形県鶴岡市出身):お笑いコンビキャイ〜ンのメンバー
- 稲垣潤一(宮城県仙台市出身):歌手 2007年3月31日フルスタ開幕戦(日本ハム戦)で国歌斉唱。
- 畑山隆則(青森県青森市出身):プロボクシング元世界王者
- 西田敏行(福島県郡山市出身):俳優
- 中村雅俊(宮城県牡鹿郡女川町出身):俳優・歌手
- 三瓶(福島県本宮市出身):お笑いタレント
- 浅野史郎:宮城県知事
- 寺田典城:秋田県知事
- 佐藤栄佐久:福島県知事
- 増田寛也:岩手県知事、前総務大臣
- 三村申吾:青森県知事
- 斎藤弘:山形県知事
- 藤井黎:仙台市長
- 田中義剛(青森県八戸市出身):タレント
- 遠藤登:山形県天童市長
- 宇津井弘治:山形県東村山郡中山町長
なお、「青葉城恋唄」で知られる歌手・さとう宗幸(宮城県仙台市在住)も名誉会員であったが、後述のように田尾監督の解任に激怒し、ファンクラブを脱退している(2009年10月16日パリーグクライマックスシリーズ第1ステージ・第1戦の国歌斉唱にて独唱)。
田尾監督の解任
- チーム再建の方向性に相違があったため、2005年9月25日の本拠地最終戦で楽天は田尾安志の解任を発表。田尾は9月28日のシーズン最終戦まで指揮を執った。
- 田尾の解任に関しては、エンドランを多用し、バントをあまり利用しない采配や不可解な継投、球速が低下するなど怪我の兆候のあった岩隈を使い続けたことなど、監督はもとよりコーチの経験もない田尾の手腕を疑問視し、解任やむなしの意見も少なからずあったが、「1年で何が分かるのか」といった批判や「他チームと比べても戦力の差が歴然で、誰が監督でも同じような成績になったはずだ」という解任反対意見の方が圧倒的に多く、そんな田尾に同情的なファンも多かった。
- 本拠地最終戦では試合終了後20分間に渡ってファンが涙ながらに「田尾コール」を行った。その試合では対戦相手の千葉ロッテのファンもこれに加わった(実際は「田尾コール」はライトスタンドのロッテファンから始まった後に球場全体へ広がった)。シーズン最終戦のソフトバンク戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でもイーグルスファンばかりかホークスファンからも「田尾コール」が起こる中、ゴールデンイーグルスナインがベンチ裏に下がる田尾を呼び止め、グラウンドで胴上げを行った。この光景はニュースや雑誌でも取り上げられ、田尾への同情を一層深めることとなる。
- この件に対してある球団職員は「監督がやめたらファンをやめる人がいますか。10日もたったら忘れますよ」と発言し、物議を醸した。その後、解任反対を訴える団体「東北若鷲会」が発足。フルスタ宮城内で田尾監督解任反対署名活動を開始。名誉会員だったさとう宗幸もファンクラブを脱退し「夢のつばさ」の歌唱を封印、「フルスタへは二度と来ない」と語った(しかし2006年3月28日の本拠地開幕戦には球場を訪れ試合前の国歌斉唱を行っている)。だがブラウン新体制となった2010年の2月24日にさとうがチームの躍進を期待して、自身が司会を努めるミヤギテレビ「OH!バンデス」にて封印を解き、毎月1回番組内で歌っている。(2010年4月28には2010年のファンクラブジャケットを着用して「夢のつばさ」を歌う姿が見られた。)
- 球団は田尾退団時に功労金を提示したが「球団批判発言をしないこと」などの条件付きだったため、田尾は受け取りを断った。このことは田尾が同志社大学での講演で明らかにしている。後任監督となった野村克也も契約をするとき、「著作物や公演の利益3割を球団に還元すること」という条件を提示された事に激怒したという。
- 9月27日、かねてから監督候補として名前の挙がっていた野村克也(社会人野球・シダックス監督:当時)に非公式の監督要請を打診したものの、契約条件が厳しく(単年契約を提示)難航。しかし3年契約で合意し、次期監督に就任することが決定した。これに関し、ソフトバンク監督の王貞治は「監督より選手に費用をかけるべき」と苦言を呈している。
球団人気
- 球団当初、宮城県以外の他県での球団に対する馴染み薄さや田尾解任の騒動もあり、2005年のシーズン終了後に東北6県で開催されたファン感謝祭では軒並みファンの入りは2〜3割と低調だった。なお、プロ野球におけるファン感謝祭は一般的に無料であることが多く、それを有料開催で行ったことが上記の批判に拍車をかけることになった。
- これを受けてある幹部からは「ここまで入りが悪いとは。対策を考えなければならない」というコメントが発せられたが、その後には「1年目は地域密着の形がしっかりとできたと思う」と矛盾したコメントを発表している。
- この件に関して球団社長の島田亨は「地域密着の成功度は宮城90%、他県10%以下」とコメントしている。
- 観客動員数は2007年を除き12球団中12位と最下位である[24]。しかしながら、これは本拠地として使用しているKスタ宮城の収容人数が全本拠地中で最も少ない(2番目に少ない千葉マリンスタジアムの74%)ことも影響しているため、これを以って一概に人気がないと断言することはできない(2009年でいえば、6位以上の球団の平均観客動員数はKスタ宮城の収容人数よりも多いため、毎試合満員となっても上回ることは不可能)。
本拠地以外で最多動員数
- 上述の通り、楽天の本拠地Kスタ宮城の収容人数は低い。Kスタ宮城での楽天主催試合の過去最多動員数は、2009年10月17日に行われたクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦の21,388人である。その為、楽天が行う地方主催試合では、Kスタ宮城の収容人数を超える球場で行う事も多々あり、下述の2試合のうちのいずれかの本拠地以外の球場で最多動員数を記録した。
- 2010年4月20日に行われた対千葉ロッテ戦では、お客様感謝祭として主催試合を東京ドームで行い、40,421人の動員数を集めた。ただ、この試合では事前に大量のチケット(招待券)を発行し、楽天本社の社員にばら撒いており、かつ実際には観戦に訪れなかった社員も多々いた。さらに動員数は実際の観客数ではなく、チケットの売り上げ枚数によって計算されており、実際の動員数とは大きくかけ離れていた為[25]、実際の動員数は最多とは言えない可能性も含んでいた。
- 2011年には東日本大震災の影響を受け、Kスタ宮城も被害を被り、主催6試合を代替球場にて行う事となった。その6試合のうち、4月17日に阪神甲子園球場で行われた対オリックス戦では、急遽の決定であるにも関わらず26,569人の動員数を記録した[26]。こちらは前述の東京ドームの試合とは異なり、純粋にチケットの売り上げが動員数に反映されており、Kスタ宮城の最多動員数も超えた。
- 東京ドームと甲子園のいずれの試合が実際の動員数の最多なのかは不明であるが、最多動員数がKスタ以外で記録している事は確定している。
年間シーズンシートの有効利用法
- 球場では年間シーズンシート「Seat Owners Club(シートオーナーズクラブ)」を諸事情により利用できないファンの座席を活用し、「SOCチャリティー」を開催している。
- これは幼稚園・小学生・中学生とそれを持つ親御さんの親子各試合につき400組800人を事前のはがき応募で募集し、野球の面白さ、楽しさを多くの少年少女らに伝えようとして実施しているもので、年間に4-5試合程度開催している。
地方球場の命名権
地域密着を目指すという観点で、イーグルスでは2軍の主本拠である利府町中央公園野球場(イーグルス利府球場)のほか、地方遠征(主に2軍)を開催する岩泉球場・しらさわグリーンパーク・湯沢市稲川野球場の3球場の命名権を持っており、それぞれ「イーグルス岩泉球場」「イーグルスグリーンパーク本宮」「イーグルス稲川スタジアム」として運用している。
主なキャンプ地
脚注
- ^ “野村克也氏 球団名誉監督就任について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年3月16日). 2011年6月5日閲覧。
- ^ “「東北を熱くする!」星野仙一監督就任会見”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年10月27日). 2011年6月5日閲覧。
- ^ 産経新聞 2011年3月12日
- ^ 球場に被害はなかったが、試合は関係者の安否確認のため8回で打ち切りとなっている。“「家族の安否確認のため」楽天OP戦は試合途中で終了”. スポーツニッポン. (2011年3月12日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ “星野楽天、関西開幕準備…復興まで拠点”. デイリ-スポーツ. (2011年3月17日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ “楽天が試合後に募金活動、岩隈「ありがたい」”. サンケイスポーツ. (2011年4月6日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ “楽天選手会の募金活動にファンもエール”. デイリ-スポーツ. (2011年3月19日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ 楽天イーグルスの支援活動 楽天イーグルス公式HP
- ^ “星野楽天、仙台に帰ってきた夜に大地震”. デイリ-スポーツ. (2011年4月8日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ 楽天、希望選手を仙台に帰るように調整 サンスポ 2011年3月24日
- ^ この報道は誤報です[https://x.com/t_masahiro18 田中将大 (@t_masahiro18) - X(旧Twitter) 2011年4月14日閲覧。]
- ^ “楽天、モリーヨが震災理由に退団へ”. デイリ-スポーツ. (2011年4月12日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ “Kスタ宮城の復旧工事開始。完了まで約5週間”. スポーツニッポン. (2011年3月22日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ 甲子園でのパリーグの主催試合は史上初。
- ^ “2011年度 パシフィック・リーグ選手権試合日程”. 日本野球機構. 2011年6月5日閲覧。
- ^ 楽天市場で同一のものがネット販売されており、自分のユニフォームに付けているファンもいる
- ^ “球団創設7年目特別企画ユニフォーム「イーグル・レインボー」を発表”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年5月2日). 2011年6月5日閲覧。
- ^ “ビジターユニフォーム デザイン変更のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2009年12月28日). 2011年6月5日閲覧。
- ^ “今年の3rdユニフォームはデザイン一新!テーマは“TOHOKU”バージョン!”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2010年3月25日). 2011年6月5日閲覧。
- ^ 強打者は「スラッガー」で異なる。
- ^ ベガルタ仙台の胸スポンサーにもなっている。ベガルタ仙台のものに比べて広告の大きさは小さいが、広告料は2倍になっている。
- ^ 必ずしも放送される全ての試合が東北6県で放送されるとは限らず、試合日によっては宮城県だけ、あるいはブロックネットでありながら編成の都合で一部県で放送されない(デジタルマルチ編成も)という試合もある。
- ^ ビジターの試合を放送するときは、その地域の放送局と同時に放送される
- ^ 最下位ではなかった2007年も11位。最下位は西武ライオンズ。
- ^ “三木谷ニヤニヤも…非常識?楽天お客様感謝祭の衝撃裏側”. ZAKZAK. (2011年4月21日) 2011年6月5日閲覧。
- ^ “仙さん「ありがとう」甲子園で歴代2位観客動員”. デイリースポーツ. (2011年4月17日) 2011年6月5日閲覧。
関連項目
- 東北楽天ゴールデンイーグルス (ファーム)
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの年度別成績一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合の地方球場一覧
- Template:東北楽天ゴールデンイーグルスドラフト指名選手
- 楽天イーグルスTV
- ベガルタ仙台 - 宮城球場にベガルタ仙台が広告を出し、ベガルタ仙台のホームゲームに楽天イーグルスが看板を出している。
- ヴィッセル神戸 - 三木谷浩史の個人資産管理会社クリムゾングループが所有するJリーグチーム(ユニフォームに広告は出しているが、楽天グループではない)。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団
外部リンク
- 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト
- 楽天イーグルス (@rakuten__eagles) - X(旧Twitter)公式アカウント
- パ・リーグ ライブTV
- 全国荒鷲連合会
- 全国荒鷲連合会日記