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前田長義

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前田 長義(まえだ ながよし、享和3年9月4日1803年10月18日) - 安政3年2月18日1856年3月24日))は、江戸幕府高家旗本前田繁之助長皓の長男。母は、松平図書頭忠命の女。幼名・未左丸(ひさまる)、通称は式部、織部。官位は従五位下侍従出雲守。高家・前田家六代の当主。

文政3年(1820年)2月15日将軍徳川家斉御目見し、表高家となる。文政8年(1825年)3月6日、亡父・長皓の家督を相続し、文政9年(1826年)12月15日、高家役となり、従五位下侍従出雲守に叙任された。天保6年(1835年)11月26日病気を理由に御役御免となり、雁之間高家末席となる。天保13年(1842年)12月6日、願により隠居し、養子・貞之丞長徳に家督を譲る。安政3年(1856年)2月18日病死、52歳。市ヶ谷・自證院に葬。法号・瑞雲院拾遺補闕常樂大居士。

正妻は松平周防守康任の養女・増。後妻は牧野越中守貞幹の妹・澄(すみ)、後に紀(とし)、また、松(まつ)。養子貞之丞長徳(実父は諏訪因幡守忠粛)らの子女あり。

参考文献