光GENJI
光GENJI | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル | J-POP |
活動期間 |
GENJI (1987年3月 - 1987年6月25日) 光GENJI (1987年6月25日 - 1994年8月31日) 光GENJI SUPER 5 (1994年8月31日 - 1995年9月3日) |
レーベル | ポニーキャニオン |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
メンバー |
GENJI 諸星和己 (1987年 - 1995年) 佐藤寛之 (1987年 - 1994年) 山本淳一 (1987年 - 2002年) 赤坂晃 (1987年 - 2007年) 佐藤敦啓 |
旧メンバー |
GENJI 田代秀高 (1987年) |
光GENJI(ヒカルゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していたローラースケートを履いて歌い踊る男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所所属。1987年6月25日に、「GENJI」と「光」の2つのグループが合体されて結成。1995年9月3日解散。グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。おニャン子クラブが解散した1987年にデビューし、1980年代末期を代表する男性7人組。テレビ等では伝説のアイドル・最後のスーパーアイドル・などと称される。
メンバー
光
GENJI
- 諸星和己(もろほし かずみ、1970年8月12日 - )
- 佐藤寛之(さとう ひろゆき、1970年11月2日 - )
- 山本淳一(やまもと じゅんいち、1972年2月28日 - )
- 赤坂晃(あかさか あきら、1973年5月8日 - )
- 佐藤敦啓(さとう あつひろ、1973年8月30日 - )
光GENJI SUPER 5
- 内海光司
- 諸星和己
- 山本淳一
- 赤坂晃
- 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)
SAY・S (内部ユニット)
- 佐藤寛之
- 山本淳一
- 赤坂晃
- 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)
AKIRA & KOHJI (内部ユニット、別名「とんがりーず」、1994年結成。)
- 赤坂晃
- 内海光司
「GENJI」元メンバー
- 田代秀高
- (GENJIの結成メンバー。10月12日生まれ。長崎県出身。血液型:O型。愛称は「たっちゃん」。MBS『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にレギュラー出演し、「今、君と歌いたい」という曲を毎週歌っていた。 まもなくして赤坂晃と交替で脱退。 元々は、1986年5月にジャニーズ事務所に入り、「桜隊」のメンバーとして活動していた。ジャニーズ退所後は、太平サブロー・シローと同じ事務所へ移籍した。)
来歴
- 1987年3月に、諸星・寛之・敦啓・田代の4名で「GENJI」を結成。同年4月5日より、MBSの視聴者参加の歌合戦番組『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のレギュラーになる。 この番組のオープニングで、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回披露していた。まもなく山本が参加して5名に。その後、田代が脱退して再び4名に。さらにその後、赤坂が参加して再び5名に。
- 結成当初には「ライト・イン・シャドウ」というグループ名でも呼ばれていた。
- 同年の来日ミュージカル『スターライト・エクスプレス』のキャンペーンに合わせ、同年6月25日に、既存グループだった5人組の「GENJI」と、元・イーグルスの2人による「光」の2つのグループを合体して、「光GENJI」が結成された。同年6月25日(木曜)に、後楽園ローラースケートリンクにてデビュー会見&公開レッスンを行った。
- 1987年8月19日にポニーキャニオンから「STAR LIGHT」でレコードデビュー。その時のキャッチコピーは、“超新星からのメッセージ”だった。
- デビューしてすぐに80年代のアイドルブームの波に乗り、人気は爆発的なもので社会現象として一般紙にも取り上げるほどであった。特に「パラダイス銀河」の頃はその人気の絶頂で、歌番組に出演した際はファンの大歓声により、司会キャスターの声が掻き消されるほどまでになっていた(特にそれが顕著だったのが公開生放送の歌のトップテン。MCで会場の音を測定した際に約100ホンを記録した。これは電車が走行中のガード下の騒音に匹敵するレベルである。)
- 1988年6月、フジテレビ開局30周年&ニッポン放送開局35周年記念として、非売品のビデオ「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」が制作される。同ビデオは、10万本限定の抽選プレゼントだったが、応募総数は250万通にも達した。
- 1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。
- 光GENJIの瞬間的人気は現在までのところアイドル至上最大と言われる。
- 1980年代末には上記のような大ブームを巻き起こしたが、1989年下半期〜1990年にかけてアイドル向け番組や音楽番組が減少し、第二次バンドブームが到来した1990年頃からブームは沈静化してゆく。但し、一定多数の固定ファンは依然として存在し、1990年代に入っても光GENJIは安定した人気を誇った。
- 人気と売り上げのピークはデビュー直後からの2年程度だったが、後輩のSMAPやV6、KinKi Kidsが着実に成長して人気を得て台頭するまでの期間、1989年 - 1990年代前半のアイドル冬の時代において苦難の時代を過ごしていた当時のジャニーズ事務所の稼ぎ頭となり、近藤真彦以来の人気を博し、SMAPがブレイクする90年代後半まで活躍した。(なおデビューから解散までの8年間で総額1000億円を稼いだと言われている。)
- 1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
- 1993年頃からメンバーの個人活動も徐々に増え、それと同時にメンバーそれぞれに方向性の違いが生じてきた。諸星がCDソロデビューをした頃はファンやマスコミの間で光GENJI解散説も流れた。
- 1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。
- 1994年7月22日、『ミュージックステーション』にて大沢樹生・佐藤寛之の脱退を発表。
- 1994年8月31日、大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する。
- 1995年9月1日、解散コンサートの2日前、かつてレギュラー出演していた『ミュージックステーション』に出演する(光GENJI SUPER 5として最後のTV出演となる)。スタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露し、最後に「Graduation」を熱唱(この「Graduation」は「ガラスの十代」のc/w曲で、卒業を意味する)。曲の終わりに、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いた。
- 1995年9月3日、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に解散する(なお、公の場では“解散”ではなく“卒業”と表現・表記している。また、この名古屋のライブは、当時展開していた全国ツアーの最終日にもともと組まれていたもので、最初から「解散コンサート」と設定されていたわけではない)。
- 現在は内海光司と佐藤アツヒロのみジャニーズ事務所に留まっている(退所者のうち赤坂は不祥事により解雇)。
概要
記録
- 1988年1月に発売したビデオ「太陽がいっぱい 光GENJI」は約30万本を販売。 当時の日本のビデオソフトとしては最大の売り上げを記録した。
- 1988年のオリコン年間シングルチャートで「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」が1・2・3位を独占するという、1978年のピンク・レディー以来の快挙を成し遂げた。また、1stアルバムの「光GENJI」も同年のオリコン年間アルバムチャートの第1位に輝いている。
- 「STAR LIGHT」〜「荒野のメガロポリス」までデビュー曲から8作連続でオリコンシングルチャート1位を獲得し、当時の新記録となった(後に同事務所の後輩KinKi Kidsがこの記録を抜く)。
- デビューから解散までのCD売上は、シングル総売上29タイトル計755万枚(オリコン調べ)、アルバム総売上29タイトル計467.3万枚(オリコン調べ)、ビデオ総売上は、15タイトル計320万本、コンサート動員数は、539公演計333万6594人動員である[要出典]。
- ファンクラブの会員数は50万人にも及んだ[要出典]。
- 「明星(現Myojo)」の歴史の中で最高の売上部数を記録したのは、光GENJIの絶頂期だった。光GENJIの人気がピークを過ぎて、SMAPが人気を獲得するまでの数年間、「明星」は苦難の時代だった。[1]
- 前述に続き、「ジャニーズ事務所史上最大の経済的な所得を得ていた」言われ、日本テレビ系列「ザ・大年表」(2011年12月30日放送)で司会である中居正広が「ピーク時はSMAPよりもすざましかった」と証言している。
エピソード
- ローラースケートを履いて縦横無尽にステージを利用したパフォーマンスや数々のアクロバットが話題となり、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた。ヒットはしなかったが、ファミコンソフトにもなっている(ディスクシステム『光GENJI ローラーパニック』)。
- メンバーのイメージカラーは、内海光司=青、大沢樹生=紫、諸星和己=ピンク、佐藤寛之=水色、山本淳一=赤、赤坂晃=緑、佐藤敦啓=黄色[2][3]。
- 先のジャニーズアイドル同様、ファンたちによる「応援グループ(親衛隊)」が日本全国で作られた。大阪のグループ「紫式部」が最大と言われ、他にも「ピンクシャンパン」、「敦啓宗教」、「ZOO」、「めるしぃぼく」など、数多くのグループが存在した。
- 初期のジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。
- 振り付け、特に初期の楽曲は大変に激しかったため発汗の量が尋常ではなく、下着を日に二回は取り替えねばならなかったということが『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子によって番組中で語られている(1987年ないし1988年前半放送回)。
- メンバー全員バク転が出来る。初期の頃は生番組で披露する際に失敗することも多かった。
- 毎年バレンタインデーになると大型トラックで数十台分ものチョコレートが送られた。事務所にトラックが到着する映像はこの時代の歌番組の風物詩になっていた。後に『たかじん胸いっぱい』で諸星が4tトラックに38台分だと語っている。それは武道館の1Fを埋め尽くし2Fから取れるほどだった。
- その後、2011年に諸星が『クイズ☆タレント名鑑』出演時には「あれは4tなんてもんじゃなく、10tはあるトラック。40台くらいあった。そのうち9割8分僕ので他のメンバーが2割。」(計10割にならないが、本人発言)
- ちなみに、2011年のバレンタインデーに諸星に届いた贈り物は37個であった。
- その後、ジャニーズ側が「本人達はそんなに食べられませんので」と発表したことにより、ジャニーズ事務所所属タレントへのバレンタインプレゼントは減少傾向にある。
- 現在、CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」など、全盛期の曲は、後輩に歌い継がれているのみならず、ブラスバンドの定番楽曲となり、高校野球の応援や官公署の祝い事などで演奏されることも多い。また「パラダイス銀河」は1989年、第61回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも使われた。
- 内部グループ、”SAY・S(セイズ)”の名前の由来は佐藤(敦)のS・赤坂のA・山本のY・佐藤(寛)のSで、メンバーの若い順から4人のそれぞれの頭文字をとってつけている。
- 1995年の解散コンサートは前述の通り名古屋市南区の名古屋レインボーホール(最寄り駅はJR東海笠寺駅)で行われたが、その時のJR東海道本線の人気列車「大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら」号)は彼らとの別れを惜しむファンが大量に乗り込み列車内がパニック状態となった程である。
- 解散コンサートのチケットには、最高で100万円もの値が付き、またそれが実際に売れたという逸話がある。
- グループ解散については、諸星とジャニーズ事務所との間に、マネージメントにおける確執(特にギャランティ問題)があった事が、解散の要因の一つであったと、諸星の自著『くそ長〜いプロフィール』にて明かしている。
- 通常アルバムは年間に1枚~2枚が多いが光GENJIの場合は1990年~94年まで年間3枚と非常に数が多く(ミニアルバム含む)尚且つ初回版と通常版は別作品扱いだったため総アルバム数は29タイトルとシングルと同じである。
- 2002年に発売されたファン投票による上位30曲を収めた(30位が同一票だったため31曲収録になった)「光GENJI ALL SONGS REQUEST」では、諸星作詞作曲プロデュースによる「2.5.7」が1位になった。メンバー全員の自己紹介を歌にしたもので、この楽曲を最初に収めたアルバム「WELCOME」が発売されて以来、ファンから最も高く支持されている。
ミュージックステーションレギュラー出演の経緯
1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。
『ミュージックステーション』は、『夜のヒットスタジオ』・『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』など他局の音楽番組に比べ後発であり、非常に苦労していた。その頃の音楽番組の1つ『ザ・ベストテン』が成功した理由の一つに、キャンディーズの解散を追って毎週放送したらそれとともに数字が上がっていった。そこで『ミュージックステーション』は、光GENJIを毎週出そうということになり、レギュラーになった。[4]
ジャニーズ事務所タレントとの関係
- メンバーにイメージカラーを付ける構成は後輩のSMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Kis-My-Ft2に引き継がれている。
- 年長の2人(元イーグルス)を「光」、残りの5人を「GENJI」と分けるグループ内ユニットの存在が特徴的で、このスタイルは後輩のV6(20th Century・Coming Century)、Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST・Hey! Say! 7)に引き継がれた。
- 後にSMAPとして活躍するメンバーを含む「スケートボーイズ」というグループが、初期のバックダンス、およびスケボーのパフォーマンスを担当していた。 1988年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』で、光GENJIが「メドレー〜ガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞〜」を披露した際にも、SMAPはバックダンス、スケボーパフォーマンスで登場している。 更に翌1989年の紅白歌合戦には、コーラスとして参加している。
- 「剣の舞」や「地球をさがして」に登場したバックダンサーグループ「平家派」には、野口隆史(後の反町隆史)、坂本昌行、長野博、城島茂、山口達也、国分太一、井ノ原快彦らが在籍していた。
- 「勇気100%」はNHK教育テレビのアニメ『忍たま乱太郎』の初代オープニングテーマソングに選ばれ、1993年から2002年まで使用された。同曲を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。またこの楽曲は2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%」として受け継がれている(同時に『忍たま乱太郎』の主題歌も交代)[5]。また、2010年4月にはNYCがこの曲をデビュー曲としてカバーし、デビューを飾った。
- ローラースケートを用いたパフォーマンスは、K.K.Kity(2003年に解散)、Kis-My-Ft2が受け継いでいる。
追っかけ
- ジャニーズ系タレントの例に漏れず、彼らにも「追っかけ」は存在したが、それらファンの熱狂振りは驚異的なものであった。人気の凄まじさゆえに、メンバーたちはプライベートの確保や行動がほとんどできなくなり、メンバーやその家族などの関係者には苦悩した者もいたという。メンバーのある者は、実家がツアー旅行の観光ルートに組み込まれ、観光客に自ら「そういうことはやめてくれ」と苦情を言うという体験をしたことを自伝で語っている。
- ブーム真っ只中の1988年当時、最年少のメンバー2名は中学3年生で、プライベートで学校の修学旅行にも参加したが、行き先である京都には大量の追っかけの他、特ダネ狙いのカメラマンまでもが出没する有り様で、行き帰りの京都駅や東京駅の構内でも一目見ようと数百人からそれ以上のファンが待ち構えており、それを警備の為に多くの駅職員や鉄道警察隊が動員され、必死に制止するという状況であった。この模様は、『ザ・ベストテン』でも両名の帰還時に一部放映された。投宿時には外出機会とメンバーの安全の確保のために、本人は伊達眼鏡や帽子で変装し(変装姿を撮った写真も存在、自伝本に掲載されている)、さらに影武者や外出先についての偽情報まで使用されたほどである。帰路の東京駅でも、押し寄せたファンの為に新幹線ホームからの移動すらままならず、時には郵便物の搬送などに使われる業務用通路を通って駅から「脱出」するという有様であった。この模様の一部は歌番組でも放映された。他にも写真週刊誌などでも報道があった。さらに後年、2007年に赤坂が逮捕された後、2008年にコンビニコミックにおいてこの一連の騒動が漫画化されている。
- 『ザ・ベストテン』などの歌番組に出演する際には諸星より僕たちからのお願いとして『学校を休んでまでもコンサートに行ったりしないこと。コンサートなどの会場では係員の指示に従うこと』などを全国のファンに呼びかけていた。
労働基準法
デビュー当初、赤坂と佐藤敦啓は労働基準法により、基本的に夜8時以降〜翌朝5時までの生出演が出来ないとされていて、当初は「歌の部分のみ事前収録する」「メンバー5人が歌っている生映像に出演できない2人のVTRを合成する」「当時バックで踊っていたSMAPの中居・木村が代わりに入る」等の工夫をしていたが、当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に時々メンバー全員で出演したときもあり、夜8時以降に出演したり出演しなかったりという状況が続いていた(労働基準法に関しては、伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演出来なかったというエピソードがある)。
この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が1988年6月に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した[6]。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という結論になり、1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」昭和63年7月30日、基収355号)[7]が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。
この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検(当時15歳の女性タレントを当時の所属事務所と放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、当局では「労働者に該当する」と判断したため、ラジオの深夜生放送出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が書類送検[6])が発生し、それについて2000年4月13日に行われた特別委員会で取り上げられたこと[6]などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている[8]。
ディスコグラフィ
光GENJI
シングル
タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧#解散あるいは退社したアーティストを参照。
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1987年8月19日 | STAR LIGHT | ROLLING STOCK | 1位 |
2 | 1987年11月26日 | ガラスの十代 | Graduation | 1位 |
3 | 1988年3月9日 | パラダイス銀河 | LONG RUN | 1位 |
4 | 1988年6月21日 | Diamondハリケーン | Welcome | 1位 |
5 | 1988年10月10日 | 剣の舞 | 涙の輝き | 1位 |
6 | 1989年3月6日 | 地球をさがして | NEW! 青春にはまだ早い | 1位 |
7 | 1989年7月20日 | 太陽がいっぱい | 時をこえたフェスティバル | 1位 |
8 | 1990年2月7日 | 荒野のメガロポリス | PLEASE | 1位 |
9 | 1990年5月17日 | Little Birthday | なななのなの時間割 | 2位 |
10 | 1990年8月18日 | CO CO RO | みつめていたい | 1位 |
11 | 1990年11月3日 | 笑ってよ | 水彩画 | 1位 |
12 | 1991年2月7日 | 風の中の少年 | TVの中のHERO | 2位 |
13 | 1991年4月26日 | 奇跡の女神 | もっと近づきたい | 2位 |
14 | 1991年8月30日 | WINNING RUN | 熱帯夜 | 3位 |
15 | 1991年11月7日 | GROWING UP | 若さのゆくえ | 5位 |
16 | 1992年2月20日 | TAKE OFF | 君にCheer Up! | 5位 |
17 | 1992年4月29日 | リラの咲くころバルセロナへ | I'LL BE BACK | 2位 |
18 | 1992年8月8日 | Meet Me | クレヨンで描いたタイムマシン | 6位 |
19 | 1992年11月6日 | 愛してもいいですか | 夢で逢えるから | 6位 |
20 | 1993年2月19日 | 君とすばやくSLOWLY | サヨナラと言えなくて | 9位 |
21 | 1993年5月13日 | 勇気100% | 微笑みをあずけて | 7位 |
22 | 1993年8月4日 | BOYS in August | 恋する気持ち | 5位 |
23 | 1993年10月27日 | この秋…ひとりじゃない | きっと愛しあえる | 5位 |
24 | 1994年1月20日 | BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 | 君は世界を夢見て | 7位 |
25 | 1994年4月28日 | ヨーソロー! 未来へよろしく | 僕らのREASON | 10位 |
26 | 1994年7月21日 | TRY TO REMEMBER | LUNAR PARK-GO-ROUND | 9位 |
アルバム
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1988年1月21日 | 光GENJI | 「STAR LIGHT」、「ガラスの十代」のLPバージョンを収録。 |
2 | 1988年7月28日 | Hi! | 「パラダイス銀河」がアルバムで初めて収録される。「パラダイス銀河」以外は全てアルバムオリジナル曲。 |
3 | 1989年2月20日 | Hey! Say! | デビュー以来3作連続で、オリコンアルバムチャート1位を獲得。彼らの初主演映画「… これから物語〜少年たちのブルース〜(光)/ふ・し・ぎ・なBABY(GENJI)」の主題歌「いつかきっと…」収録。 |
4 | 1989年10月25日 | Hello…I Love You | |
5 | 1990年1月31日 | ふりかえって…Tomorrow | 「STAR LIGHT」から「太陽がいっぱい」まで全シングルを新たに録り直して収録。テレビでのみ披露されたアレンジ、歌詞、ソロパート割りなどを曲に取り入れている。その他新曲を3曲収録。 |
6 | 1990年7月25日 | Cool Summer | 「荒野のメガロポリス〜PLEASE」をアレンジと歌詞を変えて収録。 |
7 | 1990年11月21日 | White Dreaming with 光GENJI | |
8 | 1991年3月20日 | (333) Thank You | |
9 | 1991年7月7日 | ひと夏ひと夜 | 「ドキドキSummer Days」が、当時『ひらけ!ポンキッキ』で使用された。 |
10 | 1991年10月2日 | VICTORY | |
11 | 1992年3月4日 | BEST FRIENDS | 「STAR LIGHT」から「GROWING UP」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した2枚組。「荒野のメガロポリス」はシングルではカットされた2番が挿入されフルサイズで収録。Disk2にはカラオケ音源を収録。 |
12 | 1992年7月1日 | Pocket Album〜7つの星 | メンバー7人のソロを1人2曲ずつ収録した8cmシングル7枚組 |
13 | 1992年12月3日 | DREAM PASSPORT | |
14 | 1993年3月3日 | SPEEDY AGE | |
15 | 1993年9月15日 | WELCOME | |
16 | 1993年12月8日 | 宇宙遊詠 | |
17 | 1994年3月2日 | HEART'N HEARTS(限定版) | 初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。Disk1にメンバーソロ曲、Disk2に「TAKE OFF」から「この秋・・ひとりじゃない」までの全シングルA面と新曲3曲を収録。 |
1994年3月17日 | HEART'N HEARTS(通常版) | 収録曲は初回版と同様 | |
18 | 1994年7月21日 | FOREVER YOURS | |
19 | 1994年8月2日 | SUPER BEST TRY to REMEMBER | 「STAR LIGHT」から「TRY TO REMEMBER」までの全シングルA面と「PLEA SE」を収録した3枚組。「剣の舞」はシングルとはアレンジが大きく異なる。また 「荒野のメガロポリス」「リラの咲くころバルセロナへ」はシングルではカットされ た2番が入ったフルサイズで収録されている。その他「風の中の少年」のアウト ロ、「WINNING RUN」「Meet Me」のイントロなどにもわずかながら編集が施さ れている |
20 | 1995年8月19日 | See You Again | Disk1・2 オリジナル・アルバム Disk3 ベストセレクション 事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージ、なつかしの写真 ディスコグラフィー、メンバーによる曲の解説が掲載されているラストアルバム |
解散後にリリース
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2001年12月5日 | MY これ!クション 光GENJI BEST |
2 | 2002年10月17日 | 光GENJI All Songs Request |
ビデオ
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1988年8月16日 | 太陽がいっぱい |
2 | 年月日 | 少年武道館Ⅰ |
3 | 1988年4月21日 | 光GENJI ファーストライブ |
4 | 年月日 | 少年武道館II |
5 | 1989年3月20日 | 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Sey! |
6 | 年月日 | あ・き・す・と・ぜ・ね・こ(非売品) |
7 | 1990年5月5日 | …これから物語〜少年たちのブルース〜(光)/ふ・し・ぎ・なBABY(GENJI) |
8 | 1990年9月21日 | 虹色夏物語 |
9 | 1991年1月1日 | ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅 |
10 | 1991年6月21日 | コンサートであおう! |
11 | 1992年7月17日 | 独逸旅情-素顔になって- |
12 | 1993年11月2日 | 7番目の夏 |
13 | 1994年4月6日 | '93 WINTER CONCERT BRAVO!Nippon |
14 | 1994年11月18日 | '94 SUMMER CONCERT FOREVER YOURS |
15 | 1995年8月19日 | P/S I LOVE YOU |
GENJI
ビデオ(GENJI)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1990年6月21日 | な・な・なのなの時間割 |
光GENJI SUPER 5
シングル(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1994年10月7日 | Melody Five | JOYFUL RHAPSODY | 6位 |
2 | 1994年10月21日 | DON'T MIND涙 | SHAKING NIGHT | 7位 |
3 | 1995年8月2日 | Bye-Bye | レディーはそよかぜ | 13位 |
アルバム(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 1995年3月1日 | Someone Special |
|
ビデオ(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 年月日 | Bye-Bye for Tomorrow See You Again P/S I LOVE YOU |
SAY・S
シングル(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年4月22日 | 曇りのち晴れ | STARDUSTに乗って | 11位 |
2 | 1993年7月14日 | WE ARE THE CHAMP (SAY'S and J.World名義) |
- | 8位 |
3 | 1994年3月25日 | HAPPY ROAD | - | 10位 |
アルバム(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 2002年8月21日 | Myこれ! クションSAY'S BEST |
|
ビデオ(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 年月日 | HAPPY ROAD SHOW! |
AKIRA & KOHJI
シングル(AKIRA & KOHJI)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 |
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1 | 1994年12月8日 | MR.MIRACLE | - | 15位 |
CD化されていない楽曲
- 今、君と歌いたい (結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲)
- どうもありがとう (初期のコンサートでエンディングに歌われていた)
- 7th Door - 7つ目の扉 - (結成7周年を記念して制作された楽曲)
- Shake Again (1994年春コンで披露)
その他
- 光GENJI オリジナル カラオケ(1988年6月5日)
- アルバム「光GENJI」収録曲全8曲と、「STAR LIGHT」から「パラダイス銀河」までのシングルA面3曲および「LONG RUN」の計12曲のカラオケを収録。ジャケットはアニメ仕様。
- 光GENJI オリジナル・カラオケ・コレクション(1989年3月21日)
- 「STAR LIGHT」から「地球をさがして」までのシングル6枚のA・B面全12曲のカラオケを収録。
- お祭り忍者(水雲SINGLE)/忍者(1990年8月22日)
- M-2 See You Again…!
- 少年隊、光GENJI、SMAPからのデビューに際しての応援コメントが、2コーラス後の間奏に挿入されている。
- 光GENJI マーチ・コレクション リラの咲くころバルセロナへ/ビクトリー・マーチング・バンド(1992年6月19日)
- 光GENJIの楽曲をマーチにアレンジ。
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1993年7月20日)
- 電光超人グリッドマン オリジナル・サウンド・トラック(1993年9月22日)
- M-12 ふたつの勇気(コンポイドスリー名義)※TVSテレビ系特撮ドラマ「電光超人グリッドマン」の挿入歌(発売元:ビクターエンタテインメント)
- 2001CLASSICS 光GENJI ORCHESTRA VERSION/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1994年8月21日)
- 光GENJIの楽曲をオーケストラにアレンジ。マリオ・クレメンツ指揮、千住明編曲。
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1994年12月8日)
- M-1 勇気100%(オープニング・サイズ)(光GENJI SUPER 5)※
- M-4 SHAKING NIGHT(光GENJI SUPER 5)
- M-6 正直になろうよ(佐藤敦啓)※
- M-9 冬の贈り物(光GENJI SUPER 5)※
- M-10 DON'T MIND 涙(光GENJI SUPER 5)
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック其の参(1996年1月19日)
- M-3 終わらないSCHOOL DAYS(Junichi&JJr)※
- M-4 春は・・・るんるん(Junichi&忍術学園合唱隊)※
- M-10 0点チャンピオン(Junichi&JJr)※
- M-11 あの夏が聞こえる(Junichi)※
- 忍たま乱太郎 忍たま大運動会(1996年6月5日)
- 忍たまテーマソングコレクション(1996年6月5日)
- M-1 こうしちゃいられない(Junichi&JJr)※
- M-2 勇気100%
- M-3 SHAKING NIGHT
- M-4 終わらないSCHOOL DAYS
- M-5 DON'T MIND 涙
- M-6 微笑をあずけて
- M-7 0点チャンピオン
- M-8 にんにん忍たま音頭
- M-9 SING!!(Junichi&JJr)※
- 忍たまスーパーベストテーマ集(1999年3月3日)
- M-1 勇気100%
- M-2 DON'T MIND 涙
- M-3 0点チャンピオン
- M-4 こうしちゃいられない
- M-5 SHAKING NIGHT
- M-6 終わらないSCHOO DAYS
- M-7 SING!!
- M-8 にんにん忍たま音頭
- M-9 微笑をあずけて
※=忍たま関連の作品にのみ収録。光GENJI関連の作品には未収録
主な出演作品
バラエティ番組
- サブロー・シローの歌え!ヤング大放送 (1987年4月5日 - 9月、TBS)
- 番組開始当初はGENJIの5名のみのレギュラー出演だったが、途中から7人全員で出演するようになった。
- あぶない少年番外編 (1987年、テレビ東京)
- あぶない少年周年 (1988年、テレビ東京)
- スーパージョッキー (日本テレビ)
- 歌のトップテン (日本テレビ)
- ザ・ベストテン (TBS)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ)
- 歌謡びんびんハウス(テレビ朝日)
- ミュージックステーション (テレビ朝日)
- アイドル共和国 (テレビ朝日)
- 歌え!アイドルどーむ (テレビ東京)
- ダンス!ダンス!ダンス! (フジテレビ)- 大沢
- ハウスエナジー (フジテレビ) - 大沢
- 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ (フジテレビ) - 大沢
- 桜っ子クラブ (テレビ朝日) - 内海
- 晴れたらイイねッ! (フジテレビ) - 内海、山本
- アイドルオンステージ (NHKBS2) - 内海
- 笑っていいとも!テレフォンショッキング
- 1989年12月11日 大沢
- 1991年4月22日 大沢
- 1991年5月15日 諸星
- 1993年3月15日 大沢
- 1993年3月17日 SAY'S
- 1993年11月16日 諸星
- 1994年1月25日 山本
- 1994年6月14日 佐藤敦
- 1994年10月5日 赤坂
- 1995年8月17日 佐藤敦
テレビドラマ
- 連続ドラマ
- 桃色学園都市宣言!!・St.月桂寺HighSchool(フジテレビ) - 内海・大沢
- あぶない少年I(1987年10月7日〜12月30日、テレビ東京)
- あぶない少年II(1988年1月6日〜9月28日)
- あぶない少年III(1988年10月12日〜1989年3月29日) - 赤坂晃・佐藤敦啓
- ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD (1988年10月17日〜1989年3 月20日、フジテレビ) - 内海・大沢
- HOTEL(TBS) - 赤坂
- 想い出にかわるまで(TBS) - 大沢
- 若さま侍捕物帖(テレビ朝日) - 内海・佐藤敦啓
- 名奉行 遠山の金さん(テレビ朝日) - 内海
- 素敵な人! (テレビ朝日) - 佐藤寛之
- アンバランス(テレビ朝日) - 大沢
- 単発ドラマ
- 「火曜ロードショー特別企画 光GENJIドラマスペシャル」スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(1988年10月11日、TBS) - メンバー主演
- 源義経 (1990年1月1日、TBS) - 内海・大沢・諸星
- 天と地と〜黎明編 (1990年4月20日、日本テレビ) - 大沢
- 評論! 家族 (1990年7月22日、TBS) - 赤坂
- ダンナ様は18歳 (1990年8月4日、TBS) - 諸星
- 世にも奇妙な物語 時間よ止まれ(1991年1月17日、フジテレビ) - 山本
愛車物語 (1991年4月18日、フジテレビ) - 佐藤寛之
- 非行少年たち (1992年10月15日、日本テレビ)
- 映画みたいな恋したい トップガン (1992年12月19日、テレビ東京) - 佐藤敦啓、佐藤寛之
メリークリスマスを君に (1992年12月26日、テレビ東京) - 山本
- 清水次郎長物語 (1995年3月3日、フジテレビ) - 諸星
映画
- ロックよ、静かに流れよ(1988年2月20日公開、東宝、【主演:男闘呼組】)※友情出演
- 少年武道館(1988年2月20日公開、東宝、【主演:少年御三家】)
- ふ・し・ぎ・なBABY(1988年12月18日公開、東宝、【主演:GENJI、出演:光】)
- …これから物語 〜少年たちのブルース〜(1988年12月18日公開、東宝、【主演:光】)
- 新極道の妻たち 惚れたら地獄 - 赤坂
- 極道の妻たち 赫い絆 - 赤坂
ラジオ
- 光のスターライトキッス(1987年 - 、ニッポン放送) - 光
- GENJI GENKI爆発!! (当初の仮タイトルは『GENJI爆発百点満点』)(1987年 - 、ニッポン放送) - GENJI
- All about 光GENJI (ニッポン放送)- 光GENJI
紅白歌合戦
- 第39回 (1988年) 「光GENJI '88メドレーガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞」
- 第40回 (1989年) 「太陽がいっぱい」
- 第41回 (1990年) 「COCORO」
- 第42回 (1991年) 「WINNING RUN」
- 第43回 (1992年) 「リラの咲くころバルセロナへ」
- 第44回 (1993年) 「勇気100%」
受賞歴
- 1987年 第25回ゴールデン・アロー賞・最優秀新人賞
- 1988年 第26回ゴールデンアロー賞・話題賞
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix Single of the Year「ガラスの十代」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Single of the Year「ガラスの十代」「STAR Light」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「光GENJI」
- 1988年 日本レコードセールス大賞(オリコン年間ランキング)
- 1988年 第30回日本レコード大賞・大賞
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best 5 Artist of the Year
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・Grand Prix Single of the Year「パラダイス銀河」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「Hi!」
- 1989年 第15回日本テレビ音楽祭・グランプリ
- 1989年 第15回全日本歌謡音楽祭・ゴールデングランプリ
- 1989年 第18回FNS歌謡祭・グランプリ
- 1989年 第20回日本歌謡大賞・大賞
- 1989年 第31回日本レコード大賞・金賞
- 1990年 第4回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「太陽がいっぱい」
- 1991年 第5回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「ふりかえって・・・Tomorrow」
- 1992年 第6回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「(333) Thank you」
- 1993年 第7回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「BEST FRIENDS」
関連項目
脚注
- ^ 明星編集部編/橋本治解題『「明星」50年 601枚の表紙』集英社新書 2002年。
- ^ エンタメ芸能新聞 【赤坂晃 光GENJI 元メンバー覚せい剤所持で逮捕】(記事内にメンバーのイメージカラーの記述がある。)
- ^ 山本淳一のブログ【milliondollar happy】の「光GENJI衣装の変遷?」記事(光GENJI時代の自分のイメージカラーについての記述がある。)
- ^ 2007年度 JASRAC寄附講座 音楽・文化産業論Ⅱ
- ^ さらに『忍たま乱太郎』の主題歌としての「勇気100%」は、2009年4月からはHey! Say! JUMPが受け継いでいる。
- ^ a b c 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
- ^ 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
- ^ 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題(インターネット・アーカイブ) asahi.com・週刊朝日 2003年9月19日号