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マドリード

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Madrid

ファイル:Bandera de Madrid.svg  


 マドリード州
 マドリード県
面積 607km²
標高 655m
人口 3,255,944人(2009年)
人口密度 5,374.88人/km²
住民の呼称 madrileño/-a


北緯40度24分55秒 西経03度42分38秒 / 北緯40.41528度 西経3.71056度 / 40.41528; -3.71056

マドリードMadrid)は、スペイン首都。スペインの行政の中心地(首都)であり、イベリア半島の経済の中心地の1つである。また、マドリード州の州都でもあり、マドリード県(マドリード州の唯一の県)の県都でもある。

人口は約325万人。2011年の近郊を含む都市圏人口は541万人であり、世界第57位、欧州では第5位である[1]。欧州の首都の中では最も標高が高い。

スペイン中央部のメセタ地帯のマンサナーレス川沿いに広がる。近郊にはモストレスアルカラ・デ・エナーレスヘタフェなどの都市があり、マドリード首都圏を形成している。

2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、マドリードは第17位の世界都市に選ばれている[2]。欧州ではロンドンパリブリュッセルベルリンに次ぐ第5位である。

名称

スペイン語では、Madrid の語末の「d」はほとんど発音されず、「マドリー[maˈðɾi] (太字はアクセント)となるのが通常である。また、マドリード首都圏の発音では、語末の「d」を無声の[θ]で発音するので、「マドリース」 [maˈðɾiθ]となる。その他、「マドリーズ」[maˈðɾið]と発音する人もいる。なお、スペイン語に長母音はなく、カナ表記の長音符はアクセントのある母音がやや長くなっていることを示しているにすぎない。

一方、英語等の発音から「マドリッド」ともいう。漢字による当て字は馬徳里

歴史

マドリード王宮
レティーロ公園の外にあるアルカラ門。商人が日曜の市のためにマドリードに入るのに使われた。
シベーレス広場にそびえるマドリード市庁舎

中世

マドリードの地には先史時代から人間が住んでいた。古代ローマ時代にはコンプルトゥム(現在のアルカラ・デ・エナレス)の司教管区に属していた。マドリードが最初に歴史の記録に残されたのは、9世紀後ウマイヤ朝ムハンマド1世が現在の王宮の位置に、小さな宮殿の建設を命じたときである。この宮殿のそばには小さな要塞が建てられた。近くのマンサナーレス川はアラビア語で「アル・マジュリート」(المجريط、「水の源」の意)と呼ばれ、そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となった。

1085年に要塞はトレドに向かう途上のアルフォンソ6世に征服され、モスクは教会に建て替えられた。1329年フェルナンド4世に助言するための最初の議会(コルテス)がこの都市で開かれた。セファルディム(ユダヤ教徒)やイスラム教徒もここに住み続けたが、15世紀の終わりに追放された。エンリケ3世の時代には、都市は大火のあとに再建され、王は城壁外のエル・パルドに住んだ。

ルネッサンス期

カスティーリャ王国(首都トレド)とアラゴン王国(首都サラゴサ)が連合したのち、16世紀にカルロス1世の元でスペイン王国としての融合が進んだ。1561年フェリペ2世が宮廷をマドリードに移した。王の公式な宣言はなかったものの、宮廷の位置が事実上の首都となった。1601年から1606年の短期間、フェリペ3世が宮廷をバリャドリッドに移したが、スペインの黄金時代にマドリードは新大陸から流入する富によって栄えた。

近代

18世紀にフェリペ5世は、ヨーロッパの首都としてふさわしいようにマドリード王宮を含む新しい宮殿の建設を行ったが、マドリードが近代的な都市となったのは、カルロス3世の代であった。マドリードの歴史の中でもっとも人気のあるカルロス3世は「最良の市長であり王」と呼ばれた。

カルロス4世が即位すると、マドリードは反乱を起こした。1808年、息子のフェルナンド7世に率いられたアランフエスの蜂起のあと、カルロス4世は退位し、5月にナポレオンの部隊がマドリードに入城した。5月2日、マドリード市民はフランス軍に対して反乱を起こしたが、鎮圧された。1814年にフェルナンド7世が王位に復帰したが、19世紀の間は自由主義派と保守派の争いが続いた(カルリスタ戦争)。

20世紀

スペイン内戦(1936年 - 1939年)では、マドリード市内は戦場となった。マドリードは人民戦線政府の拠点だったが、1936年11月、西の郊外でマドリードを奪取しようとするフランコ軍によって戦闘が繰り広げられた。マドリードは3年の間包囲されたのち降伏した。マドリードは初めて民間人を標的とした航空爆撃を受けた都市となった(Siege of Madrid (1936-39)を参照)。

フランコの独裁時代の間、マドリードの南は工業化され、多くの移民が地方から流れ込んだ。マドリードの南東沿いにスラムが形成されたが、文化的・政治的な活動の舞台ともなった。フランコの死後、フアン・カルロス1世の下で民主化が進み、マドリードはイベリア半島の経済的な中心としての地位を固めた。

21世紀

2004年3月11日、マドリード市内の3つの駅で列車爆破テロが発生し、200人以上が死亡した。この事件は3日後の総選挙に大きな影響を与えた。

マドリードは2012年のオリンピックの開催地として立候補したが敗れた。2016年のオリンピックの開催地にも立候補していた。

観光

マヨール広場
プエルタ・デル・ソル

マドリード市はスペインで最も人気のある観光地の一つであり、名所が多い。

観光地
繁華街・歓楽街
  • プエルタ・デル・ソル : 中心部
  • グラン・ビア(Gran Vía): ショッピング街
  • セラーノ通り : 高級ブティック街
  • プラサ・デル・アンヘル(Plaza del Angel)~ プラサ・デ・サンタ・アナ(Plaza de Santa Ana): 飲み屋街

気候

ケッペンの気候区分では、地中海性気候のCsaとなる。

マドリードの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 10
(50)
12
(54)
16
(61)
18
(64)
21
(70)
27
(81)
31
(88)
31
(88)
26
(79)
19
(66)
13
(55)
10
(50)
20
(68)
日平均気温 °C°F 7
(45)
7
(45)
11
(52)
12
(54)
15
(59)
22
(72)
25
(77)
24
(75)
21
(70)
15
(59)
9
(48)
7
(45)
13
(55)
平均最低気温 °C°F 3
(37)
4
(39)
6
(43)
7
(45)
11
(52)
15
(59)
18
(64)
18
(64)
15
(59)
10
(50)
6
(43)
4
(39)
9
(48)
降水量 cm (inch) 4
(1.6)
4
(1.6)
3
(1.2)
5
(2)
5
(2)
3
(1.2)
2
(0.8)
1
(0.4)
3
(1.2)
5
(2)
6
(2.4)
6
(2.4)
47
(18.5)
出典:WMO

経済

ファイル:Torres Madrid.jpg
CTBA

マドリードの2008年における都市GDPは2300億ドルであり、世界第26位である[3]。欧州ではロンドンパリモスクワに次ぐ第4位。2011年9月、英国のシンクタンクにより、世界第48位の金融センターと評価されており、スペインでは第1位である。

AZCA(アスカ)
高層ビルが立ち並ぶビジネス街。サッカースタジアムと新しい政府庁舎(ヌエボス・ミニステリオス)の近く。空港からは地下鉄が直結している。トーレ・ピカソ(157m)、トーレ・エウロパ(121m)、トーレ・BBVA(107m)などのビルがある。トーレ・ウィンドソル(106m)は、2005年に火事に合い取り壊された。
CTBA(クアトロ・トーレス・ビジネス・エリア
Cuatro Torres Business Area(4つのタワーのビジネスエリア)の略。2008年に工事が全て完了し、現在は再開発によって高層ビルが立ち並ぶビジネス街である。チャマルティン駅の西に位置し、以前この場所にはレアル・マドリードの施設があった。トーレ・エスパシオ(236m)、トーレ・デ・クリスタル(249.5m)、トーレ・カハ・マドリッド(250m)、トーレ・サシヤ・バリェエルモソ(236m)の4つの高層ビルがそびえ立つ。

政治

マドリードの行政区

マドリード市議会は57人で構成され、そのうちの一人が現市長、アルベルト・ルイス=ガリャルドン・ヒメネス(en)である。市長は市議会を主宰する。2007年の地方選挙で、保守の国民党が34議席、スペイン社会労働党が18議席、統一左翼が5議席を獲得した。マドリードは国民党の牙城とみなされており、1989年以降の市長は国民党所属である。

マドリード市内は21の行政区に分けられている。この行政区は古くからある区との同一性はない。

交通

航空

マドリード・バラハス国際空港が市内の北東12kmの位置にあり、地下鉄で結ばれている。ヨーロッパや南北アメリカ各国からの便が就航しているが、現在日本からの直行便はない。

ターミナルは4つ(T1, T2, T3, T4)あり、行先によって使い分けられている。地下鉄にはT2(第二ターミナル)とT4(第四ターミナル)で乗ることができる。2006年12月30日には、テロによる爆破でT4の駐車場の一部が破壊された。

鉄道

マドリード地下鉄

レンフェ(スペイン国鉄)の主な駅としては、南部にアトーチャ駅、北部にチャマルティン駅がある。全部で9路線あり、通勤通学のための近郊列車セルカニアスのほか、アンダルシア州セビリアマラガカタルーニャ州バルセロナカスティーリャ・イ・レオン州バリャドリッドカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都でマドリード遷都以前の首都であったトレドを結ぶ高速鉄道AVEが通じている。長距離路線が多く、駅のターミナルは、さながら空港のようである。荷物検査もあり、鉄道を利用する場合は、余裕を持って行動しなければならない(といっても空港とは違い、15分~20分ほど前に到着すれば問題ないが)。

市内と郊外にはマドリード地下鉄が縦横に走っている。マドリード地下鉄には13の路線と295の駅があり、総延長は280km以上に及ぶ。[4]市内をほぼ網羅しており、市民、また観光客の足として活躍している。地下鉄当局によれば、一日に250万人、2009年には延べ約6.5億人が利用している。[5]乗車券は2012年現在で、マドリード市内は一律1.5ユーロ、一日乗り放題券は6ユーロ。市バスと共通で利用出来る10回分の回数券は9.3ユーロである。また、空港を出入りする際には、別途1ユーロの空港使用券が必要。[6]

地下鉄網の発展は目覚しく、2007年春には、南北の新市街地を中心に大規模な拡張工事が行われた。新設されたライトレールの3路線を含め、新しく敷設される約81kmに79個もの駅が開業した。またこの一環で、バラハス空港第4ターミナルへの地下鉄乗り入れが実現している。

教育

マドリード・コンプルテンセ大学はスペインでもっとも大きく、伝統のある国立大学である。1499年にアルカラ・デ・エナーレスで創立されたが、その起源は1293年にさかのぼる。1836年にマドリードに移設され、1927年に現在の位置に移された。スペイン内戦でこの大学の地区は戦場となった。

スポーツ

サッカー

レアル・マドリードの本拠地、サンティアゴ・ベルナベウ

レアル・マドリード、およびアトレティコ・マドリードは、FCバルセロナと共に屈指の名門クラブである。

バスケットボール

その他

姉妹都市

マドリードは37の都市と姉妹都市関係を結んでいる。

脚注

外部リンク

公式
日本政府
観光

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その他
  • Madrid 2016 - 2016年オリンピック招致委員会 (スペイン語)

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