分倍河原駅
分倍河原駅 | |
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駅入口(2008年6月4日撮影) | |
ぶばいがわら Bubaigawara | |
所在地 | 東京都府中市片町二丁目21-18 |
所属事業者 |
京王電鉄 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | フイ |
駅構造 |
地上駅(京王線府中側・南武線) 高架駅(京王線中河原側) |
ホーム | 各2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東日本)37,640人/日(降車客含まず) -2009年- |
乗降人員 -統計年度- |
(京王)86,329人/日 -2009年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)3月24日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■京王線(京王電鉄) |
キロ程 | 23.1 km(新宿起点) |
◄府中 (1.2 km) (1.6 km) 中河原► | |
所属路線 | ■南武線(JR東日本) |
キロ程 | 28.8 km(川崎起点) |
◄府中本町 (0.9 km) (1.2 km) 西府► | |
備考 | 共同使用駅(京王の管轄駅) |
分倍河原駅(ぶばいがわらえき)は、東京都府中市片町二丁目にある、京王電鉄・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。
京王電鉄の京王線とJR東日本の南武線が乗り入れる接続駅。京王電鉄の管轄駅である。
駅構造
出札・改札ともに京王電鉄が管理し、JR東日本の駅員は配置されていない。
2007年6月までは、南武線川崎 - 立川間で唯一みどりの窓口が設置されていない駅だったが、それ以降、南武線の他駅でもみどりの窓口が廃止された。代替として定期券・指定席券売機が設置されている駅が多いが、当駅には設置されていない。マルス端末・POS端末の設備がないため、特急券・指定券・特別企画乗車券などの発売はしないが、当駅発着の遠距離乗車券(片道・往復)に限り補充券で発売している(ただし前売りは不可)。
JRの自動券売機、京王側のPASMO対応券売機を用いてチャージが可能である。
当駅は自動改札機の導入が京王の他駅に比べて大幅に遅れたため、イオカードは入・出場も自動券売機での使用もできない時期が長く続いた。
東西方向に延びる立川崖線に沿った崖下に南武線のホームがあり、南武線ホームの西端を京王線ホームが南南西・北北東方向に直交し、その交点の北東側の崖上に駅舎がある。コンコースが狭く、乗り換え対応の自動改札機で仕切られているため、ラッシュ時はかなり混雑する。コンコースは南武線ホームを1階、京王線ホームを2階にたとえると1.7階といった高さにある。
コンコースから南武線上りホームは直接階段を下る。下りホームへは京王線ホームと同レベルの跨線橋へ少し上がり、線路をまたいでからホームに下りる。コンコースの混雑を緩和するために、この跨線橋の南武線下りホームの階段を上がったところに京王線下りホームに直結する連絡改札がある。また、主に東芝・日本電気 (NEC) への通勤客のために朝ラッシュ時に限り南武線下りホームから直接隣接する道路に出られる臨時改札が開く。この臨時改札に限り隣駅である府中本町駅の駅員が出向いて改札業務を実施し、簡易Suica改札機が2台設置されている。
コンコースから京王線下りホームには階段を少し上がる。上りホームに行くには地下道を使う必要がある。
トイレはJR側は立川方面ホームに、京王側は改札口内に設置されている。京王側にはユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」が併設されている。エレベーターは南武線・京王線両方に設置されている。 自動改札機が導入されるまでの間、京王線コンコース・南武線コンコースとの間に連絡改札はなかった。
京王電鉄
府中側が地上、中河原側が盛土高架の相対式ホーム2面2線を有する。
のりば
1 | ■京王線 | 高幡不動・京王八王子・高尾山口・多摩動物公園方面 |
2 | ■京王線 | 調布・明大前・笹塚・新宿・都営新宿線方面 |
JR東日本
相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。
のりば
1 | ■南武線 | 府中本町・登戸・川崎方面 |
2 | ■南武線 | 谷保・立川方面 |
利用状況
京王電鉄の2009年度1日平均乗降人員は86,262人である[1]。JR東日本の2010年度の1日平均乗車人員は37,739人で、JR東日本管内では109位である。近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。
年度 | 京王電鉄 | JR東日本 | 出典 | |
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1日平均 乗降人員 |
1日平均 乗車人員 | |||
1955年 | 9,193 | |||
1960年 | 16,082 | |||
1965年 | 30,346 | |||
1970年 | 31,531 | |||
1975年 | 32,870 | |||
1980年 | 42,844 | |||
1985年 | 52,946 | |||
1990年 | 67,698 | 31,378 | [2] | |
1991年 | 33,883 | [3] | ||
1992年 | 34,855 | 32,584 | [4] | |
1993年 | 35,627 | 34,589 | [5] | |
1994年 | 35,962 | 35,436 | [6] | |
1995年 | 77,586 | 35,995 | 35,653 | [7] |
1996年 | 35,975 | 35,732 | [8] | |
1997年 | 35,384 | 35,594 | [9] | |
1998年 | 35,241 | 35,430 | [10] | |
1999年 | 33,880 | 34,874 | [11] | |
2000年 | 73,025 | 35,230 | 34,338[1] | [12] |
2001年 | 35,266 | 34,176[2] | [13] | |
2002年 | 35,310 | 33,701[3] | [14] | |
2003年 | 36,030 | 33,985[4] | [15] | |
2004年 | 36,830 | 34,702[5] | [16] | |
2005年 | 77,556 | 37,896 | 35,970[6] | [17] |
2006年 | 78,963 | 38,567 | 36,779[7] | [18] |
2007年 | 83,803 | 40,951 | 39,352[8] | [19] |
2008年 | 86,329 | 42,364 | 40,377[9] | [20] |
2009年 | 86,262 | 37,640[10] | ||
2010年 | 37,739[11] |
駅周辺
改札を出て左に向う道が分倍河原商店街。商店街を北進すると東京都道229号府中調布線(旧甲州街道)にぶつかる。商店と小規模事業所、住宅の混在した地域である。
右は歩道橋で南武線とその横の道路を渡り駅前ロータリーに出る。改札口側はそのまま歩道橋につながっているが、ロータリー側は段丘の下になるため、階段、スロープになっている。事業所等のビルが目立つが少し離れると住宅地である。
ロータリーにはタクシー、路線バス、数社の送迎バスそれぞれの乗り場がある。サントリー府中工場の見学者用バス(通称「モルツバス」)もここから出ている。南武線の踏切道を南進すると交差点の先に武蔵府中税務署がある。
バス路線
北口
分倍河原駅 - 商店街を抜け、旧甲州街道街道に出て左へ踏切を渡った先にあり、徒歩で3 - 4分。
片町文化センター - 上記分倍河原駅の1つ府中駅側の停留所。街道に出て右へ。距離は同程度だが、踏切を通らない。
南口
分倍河原駅 - 南口ロータリー内
歴史
京王電鉄
- 1925年(大正14年)3月24日 - 玉南電気鉄道の屋敷分(やしきぶん)駅が開業。
- 1926年(大正15年)12月1日 - 京王電気軌道の駅となる。
- 1928年(昭和3年)12月11日 - 分倍河原駅に改称[21]。
- 1929年(昭和4年)3月12日 - 南武鉄道との連絡のため移転。
- 1944年(昭和19年)5月31日 - 東京急行電鉄(大東急)の駅となる。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の駅となる。
- 2001年(平成13年)3月27日 - ダイヤ改定により準特急が新設され、準特急停車駅となる。
- 2007年(平成19年)3月18日 - ICカードPASMO供用開始。
JR東日本
- 1928年(昭和3年)12月11日 - 南武鉄道線(現・南武線)が大丸停留場(現・南多摩駅)から延伸開業、その終着駅として屋敷分駅が開業。
- 1929年(昭和4年)
- 12月11日 - 南武鉄道線が立川駅まで開通。
- 12月下旬 - 分倍河原駅に改称(正確な日付は不明)。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 南武鉄道線が改正陸運統制令に基づく戦時買収により国有化され、国有鉄道南武線の駅となる。貨物取扱廃止。
- 1966年(昭和41年)9月30日 - 稲城長沼 - 谷保間複線化完成。現下りホーム新設(使用開始の日付は不明)。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
駅名の由来
最初の駅名となった「屋敷分」とは、当時の地名(屋敷分村)から名付けられたもの。
改名された分倍河原は「分倍」と「河原」の複合地名で過去の歴史に基づく。1333年(元弘3年)5月に鎌倉幕府を倒すために挙兵した新田義貞と、幕府側の北条泰家が戦った「分梅古戦場」(分倍河原古戦場)という古戦場跡があり、駅前ロータリーには新田義貞の像がある。なお、1454年(享徳4年)にもこの地で鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉氏を破った合戦が行われている。
なお、地名表記は「分倍」と「分梅」があり、由来は「この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説から分倍」、「梅にまつわる土地が多い事から分梅」などと諸説あるが、なぜこの地名になったかは資料が無く未だに不明である。かつては分配(ぶんばい)とも読まれていた。
もう一つの地名である「河原」は、江戸時代以前に多摩川が現在より北寄りの、この付近を流れていたことによる。住所表記上の地名は、駅舎を含む京王線の東側は府中市片町、西側は南武線の北側が美好町、南側が分梅町である。南武線の北側はかつての屋敷分村で、上記の通り旧駅名の由来となった。
隣の駅
脚注
- ^ 京王グループ 1日の駅別乗降人員
- ^ 東京都統計年鑑(平成2年)227ページ
- ^ 東京都統計年鑑(平成3年)233ページ
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 4号 関東2』新潮社、2008年、p.45 では1928年12月11日とある。同書では南武線の駅の改称は1929年12月としている(京王の改称が先)。