コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中川隆 (スポーツトレーナー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Feroux (会話 | 投稿記録) による 2014年9月22日 (月) 02:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

なかがわ たかし

中川 隆
中川隆(2014年9月16日)
生誕 (1971-06-09) 1971年6月9日(53歳)
国籍 日本の旗 日本
職業 スポーツトレーナー
活動拠点 大阪府高槻市
身長 175 cm (5 ft 9 in)
体重 81 kg (179 lb)
配偶者
テンプレートを表示

中川 隆(なかがわ たかし、1971年6月9日 - )は、日本のトレーナー柔道家(参段)。大阪府出身。自身の経営するスポーツクラブトライにて、独自に開発したトライ体幹理論を利用し、アスリートをはじめ声楽家など、様々なジャンルの人へパーソナルトレーニングを提供している。

来歴

小学校時代

開業医の父と薬剤師の母との間に1男2女の末っ子の長男として生まれる。母の方針で幼い頃から積極的にスポーツに取り組んだ。 6歳から12歳まで地元で水泳を習い、10歳からは選手育成コースに所属。自由形とバタラフライを得意種目とした。 10歳から12歳まで少年野球チームにも所属し、キャッチャーで4番バッター、キャプテンを務める少年だった。

中学高校時代

中学校柔道部に所属。 母が父の病院である中川整形外科の柔道整復師を集め、院内に柔道部を設立。部長には格闘家である秋山成勲の父、秋山啓ニが就任。秋山成勲と共に指導を受けた。 高校でも柔道部に所属し部長を務め、数々の大会で優勝した。この頃から理論的に柔道を分析するようになり、トライ体幹理論の原型となる理論を構築していった。

大学時代

引き続き柔道部に所属しながら、トライアスロン・水泳・バイアスロン・フルマラソンなどにも挑戦。スプリント種目やパワー系種目が得意だったが、自身の身体の動きを究める為に持久系種目にも積極的に挑戦していった。

大学卒業後

大学卒業後、土木建設業のゼネコンに就職。1級土木施工管理技士の国家資格を持ち、現場監督や所属長などを任され10年間務めた。

スポーツトレーナーへ

2003年 学生時代に描いたスポーツトレーナーになるという夢を諦めきれず、日本一のスポーツトレーナーになる事を決意。母が平成元年に開業し、経営をしていたスポーツクラブトライを引き継ぎ、代表取締役に就任した。 学生時代の経験を活かして独自の理論で体幹トレーニングを構築し、トライ体幹理論と名づけた。

2005年 フィギュアスケートテニスなどの競技選手の指導を開始。

2006年 様々なジャンルの人へトライ体幹理論を応用したパーソナルトレーニングを開始。スポーツ分野だけではなく、交通事故で左半身麻痺を患った人への機能回復リハビリなども受け持ち、小走り出来る程に回復させている。

2007年 この頃より、ローカルテレビなどのメディア媒体で体幹理論を語っていた。

2013年 より、ロンドンオリンピック陸上十種競技の選手として出場した右代啓祐や同じくロンドンオリンピック競歩の選手である鈴木雄介へのパーソナルトレーニングを担当。

パーソナルトレーニング実績

中川がトライ体幹理論を利用し、パーソナルトレーニングを施した事のあるジャンル。

フィギュアスケート/サッカー/野球/バレーボール/バスケットボール/陸上競技/水泳/新体操/ウェイクボード/クラシックバレエ/総合格闘技/プロレス/競技エアロ/チアリーディング/スノーボード/マラソン/テニス/器械体操/タヒチアンフラ/ボディビル/イントラ/トレーナー/声楽/ミュージカル劇団員/ピアニスト/ボイストレーナー

対応出来る分野は多種多様で国内だけではなく海外からも支持を得ている。

柔道戦績

2012年 第9回マスターズ柔道大会 M3 81kg以下級 準優勝

2014年 日本ベテランズ国際柔道大会(第11回マスターズ柔道大会) M3 81kg以下級 準優勝

メディア出演

テレビ

  • 2007年3月 わが街ねっとわーく(高槻ケーブルテレビ)
  • 2012年3月 わっしょい5up(ABC朝日放送) -柔道技を全滅させろ
  • 2013年12月9日 ZIP!(日本テレビ系列) -「アレナニ?」「浅田真央選手 今シーズンの好調のワケ!? それは体幹トレーニング!」

CM

  • 2011年ノーベル製菓株式会社の男梅「柔道寒稽古篇」に柔道師範として出演。

雑誌・新聞

外部リンク

');