鉄道ファン
鉄道ファン(てつどうファン)とは、鉄道、またはこれに関する事象を対象とする趣味(鉄道趣味)を持っている人のことである。
鉄道趣味の分野
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
以下は鉄道趣味とされる趣味の例である。それぞれの分野に熱中するファンは、〔 〕内に示すような愛称・俗称で呼ばれることがある。
車両研究
- 車両研究(〔車両鉄〕) - 最もコアなファン層を形成しており、鉄道趣味誌にもこの層をターゲットにした記事が多い。
鉄道写真
録音・音響研究
鉄道模型
コレクション
旅行・乗車
時刻表・駅研究
運転・施設設備・歴史・業務研究
- 鉄道業務・設備の研究
- 鉄道の歴史・鉄道経営などの学術的研究
- 鉄道要覧の研究
- 鉄道会社の発行する有価証券報告書の研究
- 保存鉄道
- 鉄道業務の研究
- 運転業務の調査研究
- 鉄道に関する規則の研究
- 旅客営業規則・旅客営業取扱基準規程研究
- 鉄道事業会計規則研究
- 鉄道無線の受信や研究
- 鉄道工学の調査研究
- 保安装置、鉄道の安全にかかわる研究
- 鉄道に関わる法規の研究
その他
- 鉄道ソフトウェア
- 運転シミュレーションゲーム(例:電車でGO!、Train Simulator、BVE Trainsim)
- 経営シミュレーションゲーム(例:A列車で行こう、Simutrans)
- 鉄道同人誌 - 鉄道研究会の会誌に端を発する。各カテゴリにおける成果発表という面のほかに、鉄道を題材とした漫画・小説・随筆等の制作がある。
- 架空鉄道(想像上の鉄道路線を作る)
- 鉄道会社への株式投資 - 株主優待券入手やグッズ入手が主目的
鉄道趣味サークル
鉄道趣味に関するサークルが数多く存在する。
日本の学校鉄道研究部・研究会
鉄道趣味サークルの代表的なものが、学校のサークル活動・部活動の一つである鉄道研究部・研究会である[要出典]。元部員・会員を中心に略して「鉄研」とも呼ぶ。活動中・休部中問わず全国の大学・高等学校・中学校にある鉄道研究部・研究会の数は数えるのが困難なほど多い。
全国的な学校・サークルの連合組織といったものは日本には少ないが、神奈川県には、神奈川県高等学校文化連盟の一組織として、神奈川県高等学校鉄道研究部連盟(神奈川県高鉄連)があり[1]、神奈川県内の高校の鉄道研究部等が加盟している。また、毎年行われる神奈川県高等学校総合文化祭において鉄道研究発表会を実施している。
大学生においては、「関西学生鉄道研究会連盟(関西学鉄連)」が存在している。この種の組織はかつて日本各地にあったが、そもそも各サークル自体の人数が非常に少なかったためにサークル自体が廃部になり、必然的に連盟も解散へと追い込まれた。2010年12月には、千葉県にある5大学が加盟する「ちば学生鉄道研究会連合」が新たに発足し、今後の活動が注目されるほか、2013年に関東学生鉄道研究会連盟(関東学鉄連)が再起した[2]。
鉄道研究部の活動は各校異なるが、おおむね以下のようなものがある。
- 例会
- 部誌制作およびそのための取材活動
- 合宿・旅行(この旅行記を部誌の中心に置いている場合もある)
- 学園祭・文化祭における出展・研究発表
学校レベルでの部誌の中には、一般書店の鉄道コーナーで販売されるものもある。部誌は白黒の単色刷りのものが多いが、一部にカラー刷りのものもある。研究発表活動は、取材の成果(写真・データなど)や鉄道模型の展示などが基本である。
特に長い歴史と多大な活動実績を持つ鉄道研究部の中には、5大鉄道趣味雑誌(鉄道ファン、鉄道ジャーナル、鉄道ピクトリアル、レイルマガジン、鉄道ダイヤ情報)から執筆を依頼されたり、鉄道会社からイベントへの参画が来たりすることもある。
鉄道ファンが悪いイメージに思われている中、乗客への態度・人当たりを大幅に改善し、乗客と旅の思い出に残るような交流を行い、 好評を博していることがある。さらには、乗客が複数人の一行で乗車した時に、一行の中で誰かがその一行の写真を撮っている時には一言声をかけて、その一行全員 で写る形の、写真撮影代行サービスも展開している会がある。しかしながら、全国的には滅多に例が少なく、このような取り組みは広まっていない[要出典]。
一般鉄道サークル
ある一つの学校の学生・生徒だけで構成される学校鉄道研究会だけではなく、一般に入会希望者を募り、活動している鉄道サークルもある。代表的なもので鉄道友の会や鉄道資料交換会(RSEC)、Rail-On(東日本旅客鉄道(JR東日本)公認のファンクラブ・2008年に解散)など。
これらは貸切列車を仕立てた大規模な懇親イベントや鉄道模型の運転会、あるいは貴重な歴史的鉄道車両の保存・維持管理など、個人では不可能な活動を実現することを活動の目的としていることが多い。
鉄道高校(鉄道学校)
鉄道について学ぶ学校(鉄道学校)がある。東京都には昭和鉄道高等学校、岩倉高等学校という鉄道関係の学科を持つ高等学校が存在する。高校の授業として鉄道が学べることや、在学中にJR・私鉄駅での実習やアルバイト(私鉄のみ)までできること、鉄道関係各社局への就職率が高い等の理由で鉄道ファンの生徒も多い。東京近郊から遠く離れた地方から受験し入学する生徒もいる。ただし、これらの学校に入学できたからといって必ずしも鉄道事業者等へ就職するわけでなく(希望が叶わなかったり、もしくは逆に本人希望で)、卒業後に鉄道以外の分野の職業に就いたり、大学・短期大学・専門学校に進学する者も多い。また一般の高校から、または大学・短大・専門学校へ進学してから鉄道業界へ就職する者も少なくない。
鉄道ファンの使う道具
時刻表
鉄道ファンにとって時刻表とは、単に時刻を調べるための道具にとどまらず、様々な使用法がなされる。主なものは以下のとおり。
- 時刻表を見て、架空の旅行計画を立てる(机上旅行) - 沖縄県を除いた46都道府県(沖縄都市モノレールが2003年開業したので航空機を入れてここを含めて全部にする者もいる)の都道府県庁所在地をいかに早く周るかや、いかにJR最南端の西大山駅から最北端の稚内駅まで行くか等がある。
- 時刻表を見て、ダイヤグラムを推測する - 列車の行き違い箇所、追い抜き箇所、折り返しの運用などを推測する。
- 古い時刻表を見て、当時の列車状況などを調べる - 時刻表は当時の鉄道を知る「資料」となるため、明治時代から昭和時代まで、大掛かりなダイヤ改正があった時期などを中心にいくつかの古い時刻表を復刻した「復刻版時刻表」が販売されることもある。ただし、国鉄は詳細な記録がまとめられているが、私鉄は巻末に大雑把にしか掲載されていない。そのため、各社から個別の時刻表が発売されたり、広報誌が発行されるなど利用客向けの広報体制が整う時代(大まかに1980年代頃)よりも前のダイヤを調査することは、困難な場合が多い。当然ながら、過去の時刻表には現在は廃止されてしまった路線や列車のダイヤが載っているので、現在では実現不可能な鉄道旅行を空想する楽しみ方もできる。
旅行の際、大判の時刻表を持っていくのはかさばるからと携帯版の時刻表を持っていく者も増えているが、それでも大型時刻表を持っていく者も存在する。その理由として、複雑な旅行計画を組む鉄道ファンにとって、旅行中に万が一ダイヤが乱れた際行程を立て直すためにはどうしても情報量の多い大型時刻表が要ること、また、列車の中や待ち合わせ時間に暇な際に情報量の多い大型時刻表を見るなどして時間つぶしをすることなどが挙げられる。人によっては、大判時刻表の必要な部分だけをちぎったり、コピーする者もいる。
大型時刻表の発行元は交通新聞社とJTBパブリッシングの2社に現在では集約されたため、好みが大きく別れる。前者の「JR時刻表」はJR化以後の公式時刻表であり、優等列車が赤色表示なので分かりやすいこと、入線時刻や発車番線などの情報量が多いこと、後者の「JTB時刻表」は、国鉄時代において公式時刻表「国鉄監修交通公社の時刻表」として長い歴史があり、ページ割りも国鉄時代とほとんど同じであること、大都市近辺詳細図のページが会社別色別で見やすいこと、「グッたいむ」といった読者投稿コラムが載っていることなどを、それぞれ利点として挙げている。
紀行作家の宮脇俊三は「時刻表2万キロ」において、自分の国鉄全線完乗を『「列車に乗る」のではなく「時刻表に乗る」』と評している。
最近は(社)鉄道貨物協会発行の「貨物時刻表」が貨物列車を撮影する鉄道ファンの必需品となりつつある。[いつ?]
カメラ
鉄道趣味、特に鉄道写真においてはカメラは欠かすことのできない道具である。望遠から広角まで様々な種類のレンズが必要になるため、一眼レフが好んで用いられる。特に一本限りの臨時列車など、一発勝負でミスできない撮影のために、プロ並みに複数のカメラを同時に準備する例もある。通勤中などに不意に変わった車両や変わった運用を目撃したときのため、小型軽量で携行の容易なコンパクトカメラを欠かさず携帯する鉄道ファンもいる。ただしカメラ付き携帯電話の普及で、これで代用するケースも増えている。
そのほかに脚立と三脚も使うと便利である場合があり、有名な撮影ポイントやプラットホームの先端部分では三脚を立てたファンが集い、熾烈な場所取り合戦を展開することもある。ただし、混雑したり幅が狭いプラットホームにおいて三脚を立てるのはマナーの悪い行為とされる。このため、鉄道会社側でも駅での三脚・脚立の使用自粛を求める動きが強まっている。駅でなくても、線路沿いの交通量の多い道路などで脚立を使うのは、迷惑行為であると同時に危険行為でもある。
鉄道写真を趣味とする鉄道ファンはカメラメーカーのよい「お得意様」である。そのため、カメラメーカーが鉄道ファンを支援することもある。例えば富士写真フイルムは、「いい旅チャレンジ2万キロ」を後援していた時期もあり、キヤノンは、ファン雑誌でのコンテストを協賛している。鉄道趣味誌にカメラメーカーが広告を掲載することは現在でも多い。
鉄道ファンの概要
日本の鉄道ファンの構成・特徴
大多数が男性である。かつて(1990年代以前)は女性は皆無に近かったが、現在は女性ファン、若い年齢層の女性のファンも増す一方で、まとまった数がいる。年代層は青少年から高齢者まで幅広い。
幼年期の子供は、多くが鉄道などの乗り物に興味を示すが、徐々に他の多様な対象に関心を移していく人々も多い。しかし、一部の人々は乗り物の中でも鉄道に対する興味を特に深めていき、「鉄道趣味」と呼ばれる趣味を楽しむようになる。なお、鉄道ファンが父親・母親となった場合にも、子供にこの趣味を教え込むこともある。新ジャンルとして「ママ鉄」と言うジャンルがある。
日本における呼称について
日本における「鉄道ファン」に対する呼称は一様ではなく、時代や文脈によってさまざまに分かれている。以下、呼称について各呼称ごとにその由来・時代変遷を述べる。
- 「鉄道ファン」
- 最も一般的かつ無難な呼称。後述するように昭和30年代頃までは「鉄道マニア」が通常呼称であったが[要出典]、「マニア」という言葉が次第に嫌われるようになり、代わりに使用が広まった。
- 英語でも鉄道趣味人のことは「railfan」といい、日本語でも「レールファン」という表現が用いられることがある。
- なお、「鉄道ファン」は同名の雑誌を発行する交友社が商標登録しているが、「雑誌、新聞」というジャンルに限った呼称の登録であるため、一般的な使用や、「雑誌、新聞」以外のジャンルでの商業的使用にはまったく問題がない。
- 「鉄ちゃん」
- 「…ちゃん」という愛称形をとっているため、親しみを込めた文脈から差別的な文脈まで広く用いられ、ファン自身が卑称扱いで自称することもある。発生時期は明確でないが昭和40年代頃とみられ、元は卑称・蔑称であったともいわれる。これに対し女性の場合は、「みっちゃん」と呼ばれる。これは、「鉄道」の「道」から発生したものである[3]。
- 「鉄」
- 2000年代以降中立的名称として広く使用が認められる語。「てつ」・「テツ」と仮名表記することもある。アクセントは「て」に置く場合がほとんどで、物質としての「鉄」と区別される(関西での物質としての「鉄」と同じ発音)。
- シンプルなため造語性が高く、列車に乗ることを趣味とする人(駅の周りを探索するいわゆるぶらり途中下車の旅を含む場合もある)を「乗り鉄」、列車の撮影を趣味とする人を「撮り鉄」、走行音または発車メロディなどを録音、または走行中の列車を録画する「録り鉄」(とりてつ)、廃止直前の路線・列車や廃車間近の車両を趣味の対象とする人(またはその行為)を「葬式鉄」(悪い意味合いで使われることが多い)のように呼ぶ。
- さらに派生語として、鉄道に関する情熱の度合いを「鉄分」と表現し[要出典]、鉄道ファンでない人を「非鉄」と鉄道ファンが呼ぶこともある。また、漫画『鉄子の旅』の影響で、女性の鉄道ファンを「鉄子」と呼ぶ習慣もできつつある[4][5]。
- 「鉄道趣味者」「鉄道趣味人」「鉄道愛好者」「鉄道愛好家」
- 「鉄道ファン」の和訳とでも称するべき呼称。一部で用いられるが、日本語として据わりが悪いためかあまり一般的な言葉ではない。
- 「鉄キチ」
- 「鉄道キチガイ」の略。類語として「汽車キチ」などもある。現代では差別的と見られるものであるが、文脈上は必ずしも明確な差別意識を持って用いられるとは限らない(実際、『汽車キチ昭和史 車窓からみた日本の50年』(中村薫著、1987年)という鉄道の書物がある)。「○○キチ(カーキチ、釣りキチなど)」という呼び方は、昭和40年代頃広く用いられた用語であるが、鉄キチも含め現在は廃れている。
- 「鉄道マニア」
- 昭和30年代頃までは普通に鉄道ファンを指す呼称として用いられており、ファン自身が通常の言葉として用いている例も多い。先述の通り、少なくとも当時は「鉄道ファン」よりも一般的な用語であった。しかし後述するようなファンの質の低下により「マニア」の語が持つ差別性がクローズアップされ、次第に蔑称的なものとして認識されるようになった。
- 現在も、特に他者に対して差別意識なしにこの語を使用する人も多く、必ずしも「蔑称」とは言い切れない面があるが、否定的な文脈での使用例が多いのも事実であるため、こう呼ばれることを好まない鉄道ファンも多い。
- なお英語の「Railway Mania」は日本語でいう「鉄道マニア」のことではなく、鉄道の創成期に鉄道敷設や鉄道会社への投機に熱中した「鉄道狂時代」のことを指し、鉄道趣味とは関係ない。
- 「鉄道オタク」「鉄道ヲタク」
- 卑称・蔑称のうち、最近広く用いられているもの。
- 「オタク」「ヲタク」という語の浸透とともに起こったもので、「一般人にはよく分からないディープな世界」である鉄道趣味の性質をいわゆる「オタク」と混同して作られた語である。[6]。
- ただし、さまざまな分野においてオタクと言う言葉自体が近年一般化されているので一般の間ではこちらの言葉がメジャーになってきている[要出典]。
- 「鉄オタ」「鉄ヲタ」「オタ・テツ」
- 卑称・蔑称のうち最も卑下・軽蔑の意図がこもった呼称。元は「鉄道オタク」「鉄道ヲタク」の略称であるが、特定の傾向を持つ集団を指す意図で用いられる。
日本国外の鉄道への興味
日本の鉄道ファンは、その対象を日本国内の鉄道のみとしている人が多く、日本国外の鉄道を趣味の対象としている人は多くはない。
その理由としては、次のようなものが挙げられる。
- (一般論として)日本の鉄道が世界でかなり進んでいるため、日本国内で満足していることが多い
- 特に乗車を趣味としているファンにとって、乗車は「日本独特の旅情」を楽しむ側面を併せ持っており、国外の鉄道ではこの「日本の旅情」を楽しむことができない(日本領だった時代がある台湾や樺太では、日本のファンがこれら地域に残された日本らしさを発見するという楽しみ方をされることもある)
- 日本が島国であり、色々な意味で国外の鉄道に接触する機会が少なく、鉄道自体も他の国との物理的接点を持たない
- 戦後(特に高度経済成長期以後)の日本の鉄道が、世界の鉄道とは違った独自の発展(例えば動力分散方式など)を遂げたことで、技術や運営の面などで、世界の鉄道から「ガラパゴス化」している
- いわゆる「言語の壁」、すなわち語学力の問題
かつては「鉄道雑誌以外に、日本国外の鉄道の情報を得る手段がないから」と言われたこともあった。しかし現在では、インターネットの発達により、以前に比べて情報量や即時性の面で劇的に改善されているため、(語学力の問題はあるが)「情報の少なさ」という理由は以前に比べ緩和されていると言える。
(定量的なデータではなく、あくまで定性的なものであるが)日本の鉄道ファンが、日本国外の鉄道に興味を示さない傾向が強いのは、鉄道雑誌において「日本国外の鉄道を特集に取り上げると、売り上げが落ちる」「日本国外の記事はいつも人気がない」と言われていることからも窺い知れる[7]。
日本の鉄道ファンが日本国外の鉄道を趣味の対象とする場合でも、その対象はヨーロッパ(特にフランスやドイツ)、あるいは日本統治の歴史があり地理的に隣接している台湾や韓国、樺太など、きわめて少数の国・地域に偏っている傾向がある。さらに、高速鉄道や観光鉄道など、日本で露出度が高い鉄道だけを趣味の対象としている場合も少なくない。
ただ2000年代に入ってからは、日本の鉄道の近代化・合理化が進んだこと、ローカル線の縮小が進んでいることなどの理由で、きわめて少数ではあるが、現在の日本の鉄道に興味を失い、日本以外の鉄道に関心を抱く向きも存在する。また、かつて日本で運用された車両が国外の鉄道事業者に譲渡されるようになったことや、格安航空券の普及で日本国外への旅行にハードルの高さを感じなくなったことにより、日本国外の鉄道へのハードルは下がっている。長年鉄道ファンを続けてきたリタイア層が、金銭的な余裕も持ち合わせていることにより、日本の鉄道のみならず国外の鉄道を見聞するために旅行するといった現象も起きている。こういった層をターゲットとした旅行商品も用意されるようになり、一般観光旅行より高額にも関わらず、多くの参加者を集めるという現象も起きるようになった。
各国の鉄道ファン
欧米では保存鉄道や保存車両の運営、維持にボランティア活動や資金カンパなどを行っている鉄道ファンが存在する。保存鉄道は、イギリスやフランスなどで特に盛んである。アメリカでは廃車された車両を修繕し展示や運転を行うグループが存在する。国や地域によって、ファンの活動にも温度差がある。南欧や東欧方面では、法律によって鉄道施設の撮影などが制限されているところもある。
インドやブラジルなどの「新興経済国」では、さまざまな要因により鉄道趣味への制約が存在し、発展途上国に至っては「鉄道趣味」という概念自体が存在しないことも少なくない。
欧米では「鉄道オタク」・「鉄道マニア」を意味するスラングが存在する。英語圏では、一般的な「マニア」を意味するGeek、Nerd、アメリカで用いられるFoamer、イギリスで用いられるTrainspotter、Anorak、Crank、Grizzer、Gricer、オーストラリアで用いられるGunzel(きわめて強い侮蔑を含む)などがある。これらは侮蔑的な意味を含む。いずれも、鉄道に対して過度に熱中し、あるいは、見境なく暴走、はては迷惑行為を行い、社会的適応力に欠ける鉄道ファンを揶揄する言葉である。
2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、アメリカでは列車撮影目的の鉄道ファンが警察官からの尋問を受ける事例も生じている。
各国での楽しみ方
- 日本以外の国・地域のファンも日本と同様、旅行、写真、模型、コレクションなどを楽しんでいる。
- 欧米では、鉄道事業者の協力の下で、保存鉄道や保存車による貸切列車が、大々的に運転されることもある。
- 欧州
- 欧州の独特の趣味として「車両を見る(トレイン・スポッティング)」という趣味がある。駅などのホーム端部で行き来する列車の車両番号をノートに記録、または車両を見ながら車両番号を読み上げそれを録音する。これは地続きのヨーロッパにおいては、一つの列車に複数の国・地域の車両が連結されていることも多く、ファンの心をくすぐるためである。「トレイン・スポッティングをする人」を意味するTrainspotterは、侮蔑的な意味を含むため注意が必要である。
- また、実際の営業路線で動態保存の蒸気機関車や列車を、団体臨時列車・イベント列車として走らせるグループ・組織や、実際に列車運転を体験できる鉄道もあり、その楽しみ方は多彩である。
- 北米
- 国土が広大で、貨物列車主体の鉄道であるため列車のスケジュールは一定ではなく、列車を撮影する際には無線機を携帯し、列車無線を聞いて列車の現在位置を把握することが多い。単に目撃した機関車の番号を記録するだけのファンもいる。
- 国情を反映して非常に裕福なファンも存在し、個人で列車を借り切ることもある。また、アムトラックの路線上を走行可能なように整備された寝台車やプライベートカーが存在し、それらの車両をアムトラックなどの定期列車に併結させることもある。
- 旅客輸送の全盛期の備品のコレクションが盛んである。なかでも、「レイルウェイ・チャイナ」と呼ばれる食堂車で使われた高級食器の収集は他地域ではあまり見られない。また、鉄道会社の発行する株券にはそれぞれの鉄道会社の特徴を表すイラストが載っていることが多いため、株券を収集するファンも存在し、消滅した鉄道会社の株券を売買するコレクター・ショップも存在する。
- 自宅の庭に大型の鉄道模型である「庭園鉄道」を敷設するファンも存在する。
- 共産圏
- 共産圏は資本主義諸国に比べて鉄道撮影に対する制約が強い。中国では、21世紀になってから列車を撮影するファンが僅かではあるが現れはじめている。また、主に外国人を対象として、鉄道事業者が蒸気機関車の体験運転を実施する例もある。
- 台湾
- 台湾では1987年まで戒厳令が施行されていたため、鉄道施設・車両に対する撮影に制限があったが、近年徐々にファンが増えてきている。特に台北捷運・台湾高速鉄道の開通後は増え方が加速している。鉄道研究会がある大学もある。1995年に鉄道愛好者の団体である「鉄道文化協会」(鐵道文化協會)が結成され、鉄道趣味雑誌鐵道情報が発行されている。
- 韓国
- 準戦時体制下にある韓国では、鉄道は軍事上重要な位置を占めており、鉄道施設・車両に対する撮影には制限がある。鉄道を趣味とする人は少ないため、情報発信は韓国に在住、あるいは韓国を訪問した外国人によるものが多い。近年は、以前よりも撮影規制などが緩和傾向にある。しかし韓国では、鉄道は「嫌悪施設」という概念が強く、東海南部線や京義線・ソウル郊外線で蒸気機関車による観光列車が走ったことがあるが、いずれも長続きしていない(「ムグンファ号」の項目参照)。しかし最近は、豪華寝台列車「ヘラン」号や海列車、旌善線などの廃線跡を活用したレールバイクの運行など、鉄道ファンを増やす試みも見られる。
- インドネシア
- 鉄道オタクはオランダの植民地時代から存在し、インドネシア語で狂人を意味するエダン(edan)とオランダ語で鉄道を意味するスポール(sepur)をあわせてエダンスポール(edan sepur)と呼ばれる。英語風にレールファン(railfan)と呼ばれることもある。2009年にインドネシア・エダンスポール・クラブが設立され、鉄道専門店の「プラサスティ」でグッズなどの展開を行っている。ジャカルタの鉄道は8000系など日本から譲渡された車両も多いため、プラサスティには日本からのファンも訪れるという。
- モンゴル
- モンゴルは、民主化後は鉄道施設・車輌に対する撮影の制限が緩和されている。だが、モンゴルの鉄道ファンは少なく(2011年の時点で「鉄道趣味」という概念が鉄道従業員に浸透どころか認知していなかった)、日本人でも近隣諸国の中で「モンゴル鉄道」訪問する人は多くない(日本人作家による鉄道紀行文などではモンゴルが「東北アジア」では一番とりあげられておらず、台湾、韓国、サハリンの順番に多い)。そのため、在モ日本人、あるいはモンゴルを訪問した日本人の鉄道ホームページなど資料・情報は意外と少ない。
- 中国、 ロシア
- 中国は、撮影マナーに関して非常に厳しい。駅の入場時間に制限が設けられていたり、撮影しようとして拘束されるケースなどがある。ロシアも同様である。ただし、観光名所となっているモスクワの地下鉄など大都市では緩和されている。
鉄道ファンによる迷惑・犯罪行為
鉄道趣味に関する活動の中でマナーをわきまえず、迷惑行為を繰り返す者もいる。車内や駅構内で他の乗客の迷惑も顧みずに撮影や録音等をする、駅構内で大音声で罵声を上げる、三脚や脚立を持って走り回る、撮影のために他人の土地に無断侵入する、撮影地でゴミを持ち帰らずに放置したり、移動のために用いる自家用車やバイクを駐車禁止区域に駐車したりするなどのほか、鉄道会社の展示物や備品を盗むという犯罪すら発生している。これら、悪質なファンの行動を原因とする一般の乗客や鉄道沿線の近隣住民とのトラブルも少なくない。また、一部の鉄道会社ではこれらの迷惑行為を考慮してファンサービスの企画(動態保存車両の特別運転や車両基地の一般公開など)を縮小、もしくは、一切行わない会社も出てきている。
日本でこのような迷惑行為が増加したのは、1970年代の蒸気機関車全廃に伴う「SLブーム」でファンが著しく広がり、それに続く「ブルートレインブーム」で若年層がより流入したことが原因であると考えられている。この時代、列車撮影が盛んになるとともに、撮影名所での場所取り・不法侵入・危険な区域への突入・破壊窃盗行為・列車妨害等々の無法な行為や、過熱した鉄道ファンが沿線で夜行列車撮影のために深夜徘徊することが問題になった[8]。なお、現在では中高年のマナーの悪さもみられ、世代のみの問題ではないといえる。
鉄道ファンは、自動車ファンなどと異なって、趣味対象を直接所有することはきわめて難しい。鉄道関係のイベントで解体された車両の備品などを購入できたり、車両そのものを譲渡あるいは寄贈してもらったり(斎藤茂太など)するケースはあるが、後者には相応の資金力やコネクションが要求される[9]。こうしたためもあってか、保存車両や鉄道敷地内の備品が盗まれることがある。[10]イベント列車などの運転、路線の新設あるいは廃止の時などでファンが集まる際、上記の如くマナーに欠ける者の迷惑行為により、鉄道ファンに対する世間の評価を低下させているのが現状である。
以下は迷惑行為の例である。
- 犯罪・法令違反
- 鉄道車両や施設の部品・備品等の窃盗・破壊[11][12][13](「盗り鉄」。と称される[14])
- 立入が禁止されている鉄道用地などへの無断侵入[15][16]
- 鉄道用地にドローンを飛ばす行為
- 鉄道車両への落書き・汚損
- 撮影目的での私有地への無断侵入
- 沿線での違法駐車
- 沿線の草や木を勝手に切る行為(撮影の際、草や木が視界を遮ることがあるため。場合によっては倒木による運転見合わせの恐れあり。)
- 駅や車内での「各表記ステッカー、優先席シール、広告」などの窃盗・剥離・廃棄
- 第1種踏切で遮断中の踏切を強行突破して撮影する行為や、第3種と第4種踏切で通過中の列車に近寄り撮影する行為
- 沿線金網によじ登り、金網を破損させる行為
- 撮影地へのゴミ・吸殻などの投棄
- 鉄道員の制服を詐取する行為[17]
- 乗務員室への侵入(鉄道営業法第33条により罰せられる。)
- 迷惑行為・マナー違反(犯罪・法令違反以外。なお程度の度合いにより、殺人罪、暴行罪、傷害罪、威力業務妨害罪、公務執行妨害罪、往来危険罪等の刑罰の適用を受ける場合あり)
- ホーム白線からはみ出た位置(ホーム縁)での写真撮影(冒頭写真を参考)
- 線路敷地内へはみ出した機器による撮影。
- 走行している列車に向かってのフラッシュ撮影 - 運転士の視界を損なったり、信号確認などに悪影響を及ぼすおそれがあり危険である。
- ホームや車内通路などにおける脚立・三脚の使用による、他一般利用客への迷惑行為。
- 車両の保存や列車の廃止反対といった、鉄道会社に対する無理な要望。前者については保存の経費や土地などを出さず、要求だけすることも多く見られる[18]。
- 鉄道車両やサービスに対して、個人の好みに合わない[19]もしくは特定の鉄道事業者の方針を絶対視し、それと異なる方針の事業者を批判・中傷する行為[20]。
- 「撮影時フレーム内に入る」などの理由で、駅員や一般乗客、他の鉄道ファン、さらには沿線住民などに罵声を浴びせたり、暴行・傷害を加えるなど、時にはそれを咎めた鉄道警察や、警備員との争い。
- 本人の承諾を得ずに鉄道員を勝手に撮影する。また、(撮影の承諾を得たものを含め)その画像をネット上で公開する。
- 記念運転やイベント時の、ファン同士のトラブル。
2007年にJR東日本千葉支社でのD51形運転の時に、立入禁止区域である鉄道施設に複数が侵入し、中には単に「蒸気機関車が走る」という珍しさから立入禁止区域での撮影を試みた者もいた。また、碓氷峠鉄道文化むらでは、転売目的で保存車の部品が盗まれた。 また、2008年にJR東日本千葉支社でのC57形運転の時にも上記のような鉄道運行妨害があった。
2009年12月5日に行われた常磐緩行線207系900番台のさよなら運転では、沿線で撮影していた鉄道ファンとみられる者らが線路内に立ち入り、二度にわたって緩行線・快速線の営業列車もろとも緊急停止させるという事態を発生させた。2010年1月24日の京浜東北線・根岸線209系電車最終運行では、先頭車は大声で騒ぐ鉄道マニアで異常に混雑し遅れが発生。また、そのような専用車両の設定は無いにも関わらず勝手に悪ふざけで「鉄ヲタ専用車両です」と一般の乗客に向けて自称するなどの行為があった[21]。
また、平城遷都1300年記念事業の一環として、2010年5月9日に運行した臨時特急列車「まほろば」撮影のために線路内にカメラの三脚を置いたため、一部列車を部分運休、最大16分の遅延を発生させたとして、奈良県警察は西日本旅客鉄道(JR西日本)からの被害届は出ていないが、6月3日に鉄道営業法違反の疑いで書類送検する事態になった[22][23]。
関西本線運行妨害事件
2010年2月14日、JR西日本関西本線(大和路線)三郷駅 - 河内堅上駅間および、河内堅上駅 - 高井田駅間の2か所で、カメラを持った鉄道ファン数名が線路内に侵入したため一時運転を見合わせ、上下線計19本が運休、計26本が最大約40分遅れ、約1万3千人に影響した[24]。
当日は団体貸切列車として和式車両「あすか」が運転され、撮影目的の鉄道ファン約50人が沿線に集まっていた。現場に停止した列車の運転士などJRの社員が退出を求めるが、応じない者もおり、警察官が出動する事態になった[25]。なお、逮捕者はいなかった。
この事件でJR西日本は大阪府警察に被害届の提出を検討。17日に行われた定例社長会見で被害届の提出を見送ることを表明した後[26]、最終的には被害届を提出し22日に捜査が行われた[27]。当初は、威力業務妨害や列車往来危険での容疑を検討していたが、列車を止める意図はなかったとして鉄道営業法違反に絞って捜査が行われている[28]。なお、JR西日本広報部によれば、「鉄道ファンの立ち入りで被害を申告したケースは記憶にない」とのことである[29]。
なお、「あすか」の運転による事件は2月20日にもあり、東海道本線(琵琶湖線)草津駅 - 南草津駅間で、線路脇に三脚を持った不審者がいたために他の営業列車が緊急停止するという事態が発生している[30]。
相次ぐ鉄道ファンのマナー違反事件を受け、交友社が刊行する鉄道雑誌『鉄道ファン』でも公式サイト上でマナー遵守を求める声明と警告を発表する事態になった[31][29]。
2010年4月に鉄道敷地内に入り込んでいた鉄道ファン数名を撮影した写真が一部の報道機関や大阪府警に送付されていたことが明らかとなり、警察側ではこの情報などを元に侵入したグループの特定を進めている[32]。
日本における鉄道趣味の市場規模と将来
野村総合研究所オタク市場予測チーム による「オタク市場の研究」(東洋経済新報社)によると、鉄道ファンは約3 - 5万人、市場規模は40億円と推定されている。趣味の分野によってつぎ込む金額は異なるが、模型、コレクションの分野では支出額が大きくなると分析されている。
2007年には、ドラマ「特急田中3号」、アニメ「鉄子の旅」、鉄道趣味を取り上げたテレビ番組が放送されるようになり、また団塊の世代の定年退職後に鉄道ファンとなる人など、市場の拡大を期待しているケースもある。
ただし、同研究所の報告では、鉄道趣味は「販売数・利用者数の減少による商品供給の鈍化」「新規利用者が減少」により、「安定・衰退期」にある趣味と分析しており、市場規模は今後は縮小、良くて横這いになると分析している[33]。
日本における鉄道趣味の歴史
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黎明期 - 戦前
鉄道を趣味の対象とする行為の歴史は古く、鉄道の歴史とともに始まったといわれる。ただし明確な「鉄道趣味人」の登場までには少しばかり時間がかかったようだ。詩人・童話作家の宮沢賢治は鉄道に関心を持ち、自作の中に多くの鉄道を用いた描写があるが、現代的な意味での「マニア」とはいささか異なる。
明確に「鉄道を職業とは異なるレベルで探求する」という人物は1902年から1907年にかけて全国の鉄道写真を撮影して回った岩崎輝彌 (1887 - 1956) と渡邉四郎 (1880 - 1921) をもって嚆矢とするといわれる。この2人が写真家の小川一真に依頼して撮影した膨大な写真は、「岩崎・渡邉コレクション」として鉄道博物館に所蔵されている。
この両名のように広く名前が知られることはなかったものの、鉄道に関心を示し、個人的に探求を行った人物が他に存在する可能性も指摘されており、たとえば横浜で酒屋を経営していた田島貞次(1889 - 1957)は明治30年代以降に京浜間を走っていた蒸気機関車を詳細に観察して晩年にその証言を残したという[34]。
鉄道創世期からにおける「鉄道マニア」は経済的に裕福な層が中心となっている。岩崎輝彌は三菱財閥創始者の岩崎家の一員であり、渡邉四郎は渡邉銀行創立者の一族である。また、大正時代にすでに機関車や一等車を趣味で乗り比べていた内田百閒は陸海軍の学校や大学で語学を教える教授だった。
当時の一般庶民の生活水準を考えると、鉄道趣味を含めた、今日的な趣味を行うだけの余裕はなかった。一般庶民のなかに鉄道趣味が浸透するのは、さらに時代が下ってから(一般的には1970年代以降)になる。
昭和初期には「鉄道」(1929年)「鉄道趣味」(1933年)「カメラと機関車」(1938年)といった鉄道趣味を専門とした雑誌や書籍も発行されるようになった。もっとも、これらは流通機構に乗って発売されていたわけではなく、発行部数も読者数もきわめて僅少であった。この頃から活躍していた鉄道趣味人としては西尾克三郎、高松吉太郎、亀井一男、本島三良、宮松金次郎、杵屋栄二らが挙げられる。彼らは鉄道写真の大家としても成し、膨大な写真コレクションの数々は今でも十分活用されている。
しかし、昭和10年代になり、国内が次第に軍国主義に傾いていくと、鉄道の軍事的側面が重視されるようになり、軍事機密保護上の理由で高所からの撮影が禁止となるなど、鉄道趣味に対する制約が厳しくなっていった。また戦時体制により用紙の統制が進んだこともあって、「鉄道」「鉄道趣味」は1937年-1938年に相次いで廃刊に追い込まれた。その後、関東・関西で趣味者の同人会が立ち上げられ、1940年に関東では「つばめ」、関西では「古典ロコ」という会員制の同人誌が発行されたが、これらも翌1941年に終刊となり、以後は太平洋戦争の終結まで鉄道趣味活動は事実上、不可能となったのである。
だが、一部の鉄道趣味者は、厳しい看視の目をかいくぐり、涙ぐましい努力と危険を冒しながら趣味活動を続行していた。公共機関の輸送力は軍事機密であったため、駅構内などで鉄道車両に直接カメラを向けたり、車両番号をノートに書き留めたりする行為は完全に禁止(不可能)となった[35]。もし見つかれば、スパイ容疑による厳しい取調べが待ち受けていた。当局の許可を得てようやく撮影した写真も、検閲により容赦なく葬り去られるなど、鉄道趣味の暗黒時代であったが、周囲の目をごまかすため、数学の教科書の行間に車両番号を書き留めたというエピソードはよく知られている。
また、戦争による影響はこうした趣味活動の面のみにとどまらず、戦前に趣味者が蓄積・収集した写真などの記録や各種資料が空襲により焼失したり[36]、終戦直後の外地からの引き揚げの際にやむなく放棄されたりして多数失われている。
戦後
終戦後は国内情勢が混乱していたとはいえ、鉄道撮影に関する制約が少なくなったため、戦後間もない頃でも多くの鉄道写真が一部の趣味者により撮影されている。また、進駐軍が持ち込んだカラーフィルムの一部が日本人向け市場に流れ、鉄道趣味者の手に渡ってカラー写真による鉄道の記録が残されるようになるのもこの頃である。当時のカラーフィルムは高価で品質や性能も良くなく、感度が低く光線漏れが起こりやすい上に経年により退色しやすかったため良質のカラー写真は数が少ないが、近年ではコンピュータによる画像補正技術の進歩と普及により、劣悪であった当時の写真が貴重な記録として日の目を見るケースも多くなっている。
1946年頃からは関東・関西を中心に趣味者の同人会が立ち上げられ、同人誌が発行されるようになった。
1947年には戦後初の鉄道趣味雑誌として「鉄道模型趣味」が創刊されている。これは本来は鉄道模型の専門誌であるが、実物の鉄道車両に関する記事も掲載されていた。1951年、はじめて一般流通機構に乗った鉄道趣味雑誌「鉄道ピクトリアル」が創刊された。また、内田百閒が1950年から発表した『阿房列車』シリーズは、鉄道紀行文学の先駆といわれる。
1953年には日本初の全国規模の鉄道愛好団体である鉄道友の会が設立された。また、旧華族で昭和天皇の皇女・孝宮と結婚した鷹司平通(乗り物通として知られていた)が交通博物館の館長になったりもした。交通博物館が秋葉原に近い神田にできたことで鉄道マニアが集結する場所は秋葉原が拠点となり、他の全くジャンルの違うマニアにも秋葉原の集結の影響を少なからず与えた。現在でも鉄道趣味の情報発信基地は秋葉原と言われることも少なくない。
1960年代
1960年代に入り、高度経済成長の中、東海道新幹線の開業や、鉄道車両・設備の更新が急速に進められ、秀逸な車両が次々と投入される。だがそれは同時に古い車両の淘汰が進められることと表裏一体であった。またこの時代、道路網の整備とバス路線の拡充により、全国各地の地方私鉄が廃業に追い込まれていった。このような時代背景の中、鉄道趣味といえば鉄道車両・列車とそれに伴う鉄道撮影が主体であった。切符収集などもあったが、少数派であった。
鉄道趣味雑誌としては「鉄道ピクトリアル」に続き、1961年には「鉄道ファン」、1967年には「鉄道ジャーナル」が創刊された。これらも記事の中心は鉄道車両や列車であった。1962年からは「鉄道ピクトリアル」誌上に廃線に関する記事も掲載され、廃線跡趣味の嚆矢ともなった。
1970年代
1970年、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まった。1970年代に入ると蒸気機関車の減少が社会的関心事となり、多くの人々が蒸気機関車の見物や撮影を行うようになった。いわゆる「SLブーム」である。これに乗じた形で1972年に新たな鉄道趣味雑誌「SLダイヤ情報」(1976年に「鉄道ダイヤ情報」に改題)が創刊された。同年には、日本の鉄道開業100周年を記念して、日本初の蒸気機関車動態保存施設「梅小路蒸気機関車館」が、京都市の梅小路機関区の扇形庫を利用して開設され、日本の近代型蒸気機関車16形式17両が同館に収められた。
1976年に蒸気機関車が全廃されると、今度は現在では減少が進む客車寝台特急列車(ブルートレイン)を撮影する人々が増えた。いわゆる「ブルートレインブーム」であった。このSLブームとブルートレインブームにより低年齢層を中心に鉄道ファンが急増したが、反面、鉄道ファンの質的低下を問題視する声も出るようになった。もっとも団塊世代が趣味の中心だったSLブームと違って、ブルートレインブームは趣味人の中心が小学生・中学生であったためか、休日や休日前日の深夜の駅での撮影など風紀上の問題はあったが、マナーの問題はさほど出なかった。さらに1978年10月のダイヤ改正で国鉄の特急電車に絵入りヘッドマークが採用されると、そちらも人気を集め、多数の特急が発着する上野駅のホームでは休日となると、撮影に訪れたたくさんの少年ファンで賑うようになった。
1980年代
1978年に宮脇俊三が国鉄全線完乗を達成し、その過程を綴った『時刻表2万キロ』を発表した。さらに国鉄が「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンを実施したことや、宮脇のほかに種村直樹の執筆活動もあって、鉄道旅行が鉄道趣味の一分野として定着してきた。
また当時は国鉄分割民営化という、当時としては世界にも類を見ない巨大事業が進められていたことや、川島令三などの執筆活動の影響により、独自の理論を構築する鉄道ファンも増加した。
1990年代
鉄道に関する書籍も様々な視野からのものが発行されるようになったことや、情報技術(IT)が普及し、ニフティサーブの鉄道フォーラムやネットニュースのfj.rec.railなどによって情報発信・閲覧が容易になったことなどから、次々と新しいタイプの趣味が生まれ、鉄道趣味の多様化が進んだ。1995年頃からWindows95の発売などもあって個人で鉄道趣味に関するウェブサイトや電子掲示板を開設する愛好者も増加していった。
この時代の特徴として、新幹線が鉄道趣味として一躍メジャーになったことがあげられる。これは新規路線の開業が相次いだこと、JR各社が用途に応じた新型車両や改造車を次々に導入したことにより車両のバリエーションが一気に豊かになったことが理由である。
2000年代以降
インターネットのさらなる普及により、1990年代後半以降に見られた趣味者による個人ホームページ・電子掲示板の開設がますます進んだ。また、画像や音声のデジタル化技術の進歩やYouTubeやニコニコ動画などをはじめとした動画投稿サイトが台頭してきたこともあって、撮影した鉄道画像や録音した鉄道音声の公開・投稿が盛んに行われるようになった。さらには鉄道趣味専門のポータルサイトや電子掲示板サイトを運営する者も現れた。これらによって情報が即時に鉄道ファン同士で交換できる環境が整い、素早く鉄道情報が入手できるようになった。また、103系、113系、485系、24系等、鉄道ファンに特に人気のある国鉄形車両の廃車が相次いだことにより、これらの国鉄型車両のファンも増えている。
鉄道雑誌
鉄道ファン向けの雑誌も多数刊行されている。日本国外でも鉄道雑誌は発行されている。ただし日本と異なり、国によっては数多くの雑誌が発行されており、また、「都市鉄道」「路面電車」「庭園鉄道」など、特定の分野に特化した雑誌が多い。
- 日本
- 鉄道ピクトリアル(電気車研究会)…1951年創刊。実物が対象の雑誌としては現存最古の鉄道趣味雑誌。綿密な調査に基づく精緻な論文的記事に強みがある。
- 鉄道ファン(交友社)…1961年創刊。鉄道趣味全般を取り扱う。大手カメラメーカーであるキヤノンの協力で読者からの写真コンテストを開催するなど写真関連で強みがある。
- 鉄道ジャーナル(鉄道ジャーナル社)…1967年創刊。「鉄道の将来を考える専門情報誌」を標榜する。
- 鉄道ダイヤ情報(交通新聞社)…1972年創刊。「JR時刻表」の出版元として、時刻表情報に強みを持つ。
- レイルマガジン (ネコ・パブリッシング)…1983年創刊。マイナーな車両、廃止・廃車の近い車両、廃線等の話題に強みを持つ。
- また、鉄道模型をもっぱら取り扱う『鉄道模型趣味』(機芸出版社)や『とれいん』(エリエイ)、『RM MODELS』(ネコ・パブリッシング)といった雑誌もある。
- イギリス
- The Railway Magazine:1897年創刊の歴史ある雑誌
- Modern Railways
- Railways Illustrated
- Tramways & Urban Transit:路面電車専門の雑誌
- Railway Gazette International:趣味誌ではなく、日本的に言えば「業界誌」であるが、世界の鉄道の情報を知ることができる
- International Railway Journal:Railway Gazette International同様の「業界誌」であるが、こちらも世界の鉄道の情報を知ることができる
- フランス
- Revue Generale des Chemins de Fer
- La Vie du Rail
- Rail & Public Transport
- ドイツ
- Eisenbahn Kurier:ドイツの鉄道趣味雑誌では、Eisenbahn Journalと並ぶ双璧
- Eisenbahn Journal
- Eisenbahn Magazin
- オランダ
- Op de rail
- アメリカ
- Trains:アメリカで最も有名な鉄道雑誌
- Railway Age:1876年創刊
- Railfan and Railroad
- 台湾
- 鐵道情報:1989年創刊
- 韓国
- Railers:2009年創刊
脚注
- ^ 神奈川県高鉄連
- ^ 関東学鉄連公式ブログより
- ^ 「てっちゃん」「みっちゃん」ともに、アクセントは「ちゃ」の場所にある。なお、「鉄ちゃん」の語は、一般のゲームプレイヤーにも人気を博した鉄道運転ゲーム『電車でGO!』のナビゲーション役キャラクターの名前としても用いられている。
- ^ なお、山口よしのぶの漫画『名物!たびてつ友の会』単行本の、読者からの手紙を紹介するページにすでに「鉄子」の語が見えることから、1990年代にすでに「鉄子」の語があったことがうかがえる。
- ^ 2007年4月から同年6月までTBS系で放送されていたテレビドラマ「特急田中3号」では主に「テツ」の愛称を用いていた。
- ^ (内容のほとんどは鉄道とは関係ない)オタク文化を扱うテレビ番組において「鉄道オタク」という言葉が使われ(実際はそうでないにもかかわらず)鉄道趣味者は全員「オタク」であるかのような解説がなされていることや、鉄道ファンにオタク文化の代表である二次元や萌えアニメを好む人が多いことも、この語を浸透させる要因にもなっている。
- ^ 。例えば、『鉄道ジャーナル』1997年3月号において、ヨーロッパの鉄道に関する特集を約50ページにわたって特集したが、当該月号の読者の人気投票では、日本国内の記事が軒並み上位に入り、日本国外の記事はいずれも不人気だった、という事例がある。
- ^ エスカレートしすぎたゆえに、1976年には小学生が写真撮影のために線路敷内に侵入し、列車に轢かれて死亡する事故(→「京阪100年号」事故)が発生し、大都市近辺における蒸気機関車の保存運転が事実上不可能になる(事故防止の沿線の警備にコストが掛かりすぎるため)など、結果としてファン自身の不利益になるような事態もある。
- ^ 車両自体は無償譲渡の場合が多い(鉄道会社にしてみれば、本来必要な解体費用がかからないため)が、仮に車両そのものは無償譲渡であったとしても、鉄道車両ともなると、保存・保管のための用地の準備、輸送・補修などに相応のコストがかかる。特に屋外保管となれば、塗装や錆止め、変形防止など補修に相当なコストや労力がかかることは言うまでもない。
- ^ こうした行為は俗に撮り鉄に引っ掛けて盗り鉄などと言われている。無論、それが犯罪行為であることは言うまでも無い。
- ^ “ワル鉄”暗躍? 廃線間近な三木鉄道で盗難相次ぐ[リンク切れ] 産経新聞 2008年3月19日
- ^ 寄せ書きノート9冊なくなる 「秘境」で人気のJR坪尻駅(三好)[リンク切れ] 徳島新聞 2009年4月24日
- ^ 不可解な旅…土讃線坪尻駅で盗難のスタンプ青森に[リンク切れ] 読売新聞 2010年4月25日
- ^ 新語時事用語辞典『盗り鉄』 - Weblio
- ^ 『「撮り鉄」侵入でJRに遅れ 関西線の線路脇に三脚』 - 共同通信 2010年5月9日
- ^ 「秘境駅」撮影、線路に入った会社員を書類送検 読売新聞 2012年2月21日
- ^ 詐欺事件:鉄子と呼ばれる鉄道好きの女、JR西制服を詐取容疑 毎日新聞 20132年2月26日
- ^ 「鉄道ファン」1986年11月号,p132
- ^ 「鉄道ファン」1994年6月号,P135
- ^ こうした批判行為は、とりわけ川島令三や原武史の著作からの影響が多く見られる。
- ^ 『【衝撃事件の核心】「鉄ヲタ専用車両でーす」暴走する一部鉄道ファンの行き着く果ては…』 - 産経新聞 2010年2月6日
- ^ 『「撮り鉄」会社員を書類送検=線路内に三脚、JRに遅れ-「警鐘も目的」と奈良県警』 - 時事通信 2010年6月4日
- ^ 『異例“撮り鉄”を立件 被害届なくても「警鐘」書類送検』[リンク切れ] - 産経新聞 2010年6月4日
- ^ 『「撮り鉄」線路に侵入 快速電車、30分間立ち往生』[リンク切れ] - 朝日新聞 2010年2月14日
- ^ 『「撮り鉄」快速止める 線路侵入、説得30分…JR関西線』[リンク切れ] - 読売新聞 2010年2月15日
- ^ 『鉄道ファン立ち入りに被害届出さず』[リンク切れ] - 日刊スポーツ 2010年2月17日
- ^ 『鉄道マニア:線路内立ち入りで大阪府警が実況見分』[リンク切れ] - 毎日新聞 2010年2月22日
- ^ 『「撮り鉄」捜査 ルール守れ! 進入「10人」特定へ』 - 朝日新聞 2010年2月23日
- ^ a b 『線路侵入騒動:「撮り鉄」の心理とは…』[リンク切れ] - 毎日新聞 2010年2月27日
- ^ 『また「あすか」目当ての「撮り鉄」? 滋賀で緊急停止』 - 朝日新聞 2010年2月21日
- ^ 『「鉄道ファン」編集部から読者のみなさまへのお願いとお知らせ』 - 交友社『鉄道ファン』・railf.jp 2010年2月17日
- ^ 『無法「撮り鉄」大阪府警、人物特定へ JR関西線侵入』[リンク切れ] - 産経新聞 2010年4月20日
- ^ 『NRIニュースレターVol.38 データ潮流:延べ172万人、4110億円規模の「オタク」市場』 - 株式会社野村総合研究所広報部 2005年10月20日 (PDF)
- ^ 伊藤一郎「鉄道趣味のあゆみ」『鉄道ジャーナル』1972年10月号、P76
- ^ 「鉄道省令第17号 国有鉄道軍用資源秘密保護規則」『官報』1939年9月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 杵屋栄二も戦災にあいコレクションを失っている
参考文献
- 日下部みどり子『鉄道ファン生態学』JTBパブリッシング・マイロネBOOKS、2002年、 ISBN 4533043372
- 野田隆『素晴らしき哉、鉄道人生』ポプラ社、2005年、ISBN 4591085988
- 野田隆『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』光文社新書、2006年、ISBN 4334033520
- 「ユリイカ」2004年6月号、特集「鉄道と日本人 線路はつづくよ」
- 『現代用語の基礎知識』(自由国民社)2006年版、pp1634-1635「魅惑の"鉄"ワールド」の解説、ISBN 4426101247
関連項目
- 駅百選 - 関東の駅百選、中部の駅百選、近畿の駅百選、ほか
- カメラ小僧
- バスファン
- 航空ファン
- カーマニア
- 月館の殺人 - 鉄道ファンを題材にしたミステリー漫画
- 鉄子の旅 - 鉄道ファンを題材にしたノンフィクション漫画。
- 特急田中3号 - TBSで2007年4月から6月に放送されたテレビドラマ
- 僕達急行 A列車で行こう - 2012年公開の日本映画。鉄道ファンが主人公のコメディ。
- レール7 - テレビ東京の番組
- タモリ倶楽部 - テレビ朝日の番組で鉄道に関する企画を不定期に放送
- 列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜 - NHKで放送されたドキュメンタリー番組。これ以外にも同シリーズの番組がある