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松村邦洋

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松村 邦洋
本名 松村 邦洋
ニックネーム まっちゃん
バウバウ
生年月日 (1967-08-11) 1967年8月11日(57歳)[1]
出身地 日本の旗 日本山口県熊毛郡田布施町[2]
血液型 A型[1]
身長 164cm
言語 日本語
方言 共通語山口弁
最終学歴 九州産業大学中退
芸風 ものまね
事務所 太田プロダクション
活動時期 1988年 -
同期 爆笑問題
さまぁ〜ず
など
現在の代表番組 高田文夫のラジオビバリー昼ズ
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
過去の代表番組 進め!電波少年
スーパージョッキー
弟子 みつまJAPAN'(旧芸名:美妻隆盛、唯一の弟子)
受賞歴
1992年 第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞
1994年 第32回ゴールデン・アロー賞芸能賞
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松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年8月11日[1] - )は日本お笑いタレントものまねタレント。日本史上の人物・タレント・プロ野球選手・政治家など幅広くものまねをしている[2]。愛称はまっちゃんバウバウ。東京都中野区中野新橋在住。 太田プロダクション所属[1]

略歴

山口県熊毛郡田布施町出身[2]河本育之は中学時代の同級生。「河本と野球部でバッテリーを組んでいた」とよく言われるが松村は野球部ではなかったので[3]事実ではない。

山口県立田布施農工高等学校卒業[2]。高校時代は1980年代前半に大流行した「ツッパリブーム」に影響され、”ヤンキー”だった。ただし松村は、同じ”ピン芸人”の土田 晃之のような”一般的な元ヤンキーたち”のように、”過去に自分がヤンキーだった頃の写真”を”テレビ番組で見せびらかす”等の、卑小な言動はしていない。高校時代から、山口や広島県のテレビ・ラジオ番組に出演。中国放送サテライトNo.1』でアルバイトADをしていたことがあり、得意のものまねを披露し人気者となり、番組レギュラーにもなった。卒業後の進路としてお笑い芸人の道を本気で目指していたと言い、学校の視聴覚室で教師にビデオを回してもらい、得意のものまねを収録したテープを吉本興業に送付したことがあるという。また、高校2年時に8科目が赤点となり、1年留年修学旅行に二回行ったという[4]。高校時代に1年間留年し、高校を4年かけて卒業し、九州産業大学に進学した。

大学在学中に『発表!日本ものまね大賞』に出演、ビートたけしをはじめ石橋貴明古舘伊知郎らのものまねを披露し、チャンピオンとなるも、この時点で芸能界デビューはならなかった。その後、テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをしていた時、番組を見ていた片岡鶴太郎に見出され、1988年に大学を中退し上京。当時片岡は『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局を訪れていた。

鶴太郎の在籍する太田プロから芸能界デビュー。当時所属していた爆笑問題太田光代らと下積みを重ねながら、『ものまね王座決定戦』の常連として、ビートたけしや掛布雅之のものまねで茶の間を沸かせるようになる。

林家ブー」や「バウバウ」で高田文夫に気に入られ師弟関係になる。1992年4月から『たまにはキンゴロー』など一連のTV番組への出演を経て、1993年秋からは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』金曜日のレギュラー。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(1992年1月、第8回)の「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」にて披露した、高田文夫のものまね「バウバウ」でブレイクする。この回での活躍により番組の常連となり、ダチョウ倶楽部出川哲朗らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。同年7月からは松本明子とともに『進め!電波少年』で司会を務め「アポ無し取材」で人気を博す。

1992年には、第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年にも第32回の同賞で芸能賞を受賞した。

1993年から1999年にかけて『松村邦洋のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。一旦はパーソナリティを降板したが3ヶ月後に復帰。トータルで約6年に渡る長寿番組であった。

1990年代には俳優としても活躍(『STATION』では吉田栄作に次ぐ準主役、『ハンサムマン』では長野博とのW主演)。1995年には『君を忘れない』で、当時若手として伸び盛りだった木村拓哉反町隆史らとともに名を連ねている。

an・an』の「抱かれたくない男性タレント」の上位に出川哲朗とともにランキングしていたことでも有名。

1997年に『電波少年』を降板させられた(進め!電波少年#松村降板騒動)ものの、2000年から2013年9月まで『探偵!ナイトスクープ』のレギュラーを務めるなど、テレビ番組やラジオ番組のレギュラー出演を続けている。

2013年7月に『アメトーーク!』で「本当はスゴイ!!松村邦洋」が放送される。また同年下半期は堺雅人がブレイクしたので堺の物真似をしている松村の仕事も増加した[5]

人物

3人兄弟の長男。生家は農家だが元々は江戸時代から商取引をしていて一方で戦前までは質屋をしていた[6]

身長は164cm。上京した頃の体重は75kg程だったが更に太り最大141kgになった。「2017年現在の体重は108kg=煩悩の数」と述べている。

野球選手の似顔絵を描くことで知られ、2008年に母校九州産業大学で展覧会を開き[7]、2015年東京美術倶楽部チャリティー企画にアクリル絵3作品を出品した[8]

ダイエット

ダイエットを決意したきっかけは主に2つあり、あるテレビ特番で人間ドックを受けた際、「このままでは長生きできない」と宣告されたことと、石塚英彦伊集院光内山信二・松村らで作られる「デブの健康組合」で「みんな一緒にやせればバレない。一緒に5キロずつやせよう!」と決せられたが、松村だけ逆に10キロ増え「まっちゃん、そのまま行くと死ぬよ」と身を案じて言われたことだった[9]

中でも成果を上げたものはCanCamダイエット」なるもので、これは、『CanCam』を読みながら夜道をウォーキングするというものである。歩いている途中で辛くなった時にCanCam(特に蛯原友里押切もえ山田優が写っているページ)を見ると、モデルが「がんばって松ちゃん」「先輩頑張って」(蛯原は九州産業大学の後輩)などと励ましてくれる感じがして、よりダイエットが捗ったという。その成果あって、2006年の時点で30キロ超減って110キロ台になっていた[9]

下記の東京マラソンでの心肺停止事件をキッカケに自身の健康管理のため、2016年末にライザップを始め減量に取り組んでいる。

マラソン

ダイエットを通じてマラソンに興味を持つようになり、和田アキ子から「走ってこい!」と言われ、2007年7月1日の「ゴールドコーストマラソン」に参加し、フルマラソンに挑んだ。このマラソンは7時間10分以内にゴールしないと完走と認められないが、松村は諦めずに9時間9分6秒かけて走りぬいた。時間オーバーのため記録には残らないが、主催者側の心遣いで、松村にもメダルが贈られた。森脇健児と、トレーニング方法について綿密にメールで連絡し合っていたという。

続いて、『TokYo,Boy』の企画でも、マラソンに挑戦することになり、2008年2月17日の「東京マラソン2008」に出場するが、35km地点で時間切れとなり完走はならなかった。

同年7月6日の「ゴールドコーストマラソン2008」に出場し、6時間51分40秒で完走。初めて制限時間内にゴールした。

2009年3月22日、『TokYo, Boy』の企画として再び「東京マラソン2009」に参加したが、スタート地点から約15kmの港区高輪2丁目付近で急性心筋梗塞による心室細動で倒れ、一時心肺停止状態となる。丁度付近で取材していた右松健太が救急車を即座に呼んだ他[10]、伴走していた国士舘大学の救護班がAEDを使用したり、医師団の処置により意識を回復、入院して順調に回復した[11]。その後、入院から12日で退院。「復帰の際には蛯原友里安倍晋三から祝福のコメントが寄せられ、入院中に安否を心配する関係者や芸人仲間などから合計486通ものメールが携帯に届いていた」と述べている。また、松村の退院の模様は通常の報道番組でも取り上げられた。

2011年10月1日放送の「オールスター感謝祭'11秋 芸能界No.1決定戦SP」では、心肺停止以来控えていた「赤坂5丁目ミニマラソン」に久々に参加した。

健康関連のイベントに呼ばれて心肺停止状態の経験談を語ることがある[12]

趣味・嗜好

歴史・大河ドラマ・高校野球手・プロ野球に詳しいことで知られている[2]

野球

熱狂的な阪神タイガースファンである父親に影響され自身も大変な野球好きである。

自身も野球をするようになり、高校時代(軟式野球部)にキャッチャーを務めるが1試合で27盗塁を許した経験を持つ弱肩で「デブ = キャッチャーという固定観念で決められた」などと述べている[4][13]

デイリースポーツ』(同紙の特命応援団長に任命されている)でも連載を持ち、過去に『週刊ベースボール』ではカラーグラビア見開きで自ら選手の絵も描いていた(#芸術の項を参照)。

ドラフトで阪神に入団が決まった選手がいると、選手の実家に「阪神入団おめでとう 松村」と書かれた大きな花を贈る。しかも阪神側が頼んでいる訳ではなく、自分の意志により自腹で贈っている。選手も、その花が届く事で「阪神に入団したんだ」と実感するらしい[14]

また、阪神以外の球団、また高校野球大学野球に関する知識も相当なもので、阪神以外の球団の試合や春季キャンプにも駆けつけることが多くある。ファイターズスタジアムには特に足を運んでいる。地元山口に里帰りした際には、由宇球場にも足を運んでいる。かつては、中山秀征率いる草野球チームに初代キャッチャーとして所属していた。また、竜兵会の草野球にも参加している。

正月に実家へ帰省する際、知り合いの現役やOBの野球選手を自腹で呼び、近所の子供を集め、無償で野球教室を開いている[14]

プロ野球再編問題で球界が揺れていた頃、プロ野球ファンの集会に参加し、12球団、2リーグ制の維持を訴えた。登壇した松村は1リーグ制推進論者だった渡邉恒雄を名指しで批判。「プロ野球は皆のもの。渡邉のものではありません」と発言し、その模様はテレビでも放送された。

進ぬ!電波少年の企画において、北米独立リーグフロンティアリーグロンドン・ウェアウルブズの試合に代打として出場。公式記録[15]として残されている。

好角家

野球界のみならず、相撲界にも人脈を持つ。上京した際の中野区の居住先の近くに二子山部屋(現・貴乃花部屋)があり交流を持つようになった。現在でも、貴乃花親方と交流があり、貴乃花部屋の朝稽古を見学したり、ちゃんこを御馳走になることもある。また貴闘力大嶽親方)とは特に親しくしており、断髪式でも鋏を入れた1人である。この2名のほか、振分親方のものまねも得意としている。

テレビっ子

少年時代にはまだビデオデッキが普及していなかったのでラジカセをテレビに近付けて音声のみを録音し、それを繰り返し聞いていたという。中でも『3年B組金八先生』シリーズと『スクール☆ウォーズ』などの大映ドラマに詳しく、台詞を一言一句覚えているという。また、『金八先生』パート4では、北に「廊下を走らない!」と注意される生徒役でエキストラ出演していた。天野ひろゆきに並ぶ『金八先生』ファンであり、特に直江喜一の他、松村雄基木村拓哉の熱狂的なファンであり、最初にやったモノマネも加藤優で、後に直江本人から演技指導の依頼が来た。

1970年代から1980年代のアイドルにも詳しく、松本明子大沢逸美といったマイナーアイドルも詳しい。

日本史

戦国大名毛利元就中国地方を征服して”中国の覇者”になったが、毛利元就以前の中国地方は戦国大名・大内氏尼子氏が”二大勢力”だった。松村の先祖は”大内氏の家臣”である。その影響で松村は、1997年NHK大河ドラマ・『毛利元就』(主演・中村橋之助)の大ファンとなり、毎週ビデオに録画して見ていて、NHK大河ドラマがきっかけで”大の日本史好き”になり、DJ日本史など歴史関連番組や企画に多数出演。全国の歴史に関するイベントにもパネラーとして参加している[16][17]。自宅の本棚には多数の”歴史の本”がずらりと揃えられている。

描画

高田文夫の勧めで阪神タイガースの歴代選手を題材にした絵画製作にも力を注いでいる。デイリースポーツや週刊ベースボールではコラムとともに紹介され、2000年には1冊の本にまとめた画集『愛しの虎 松村邦洋の阪神タイガース応援日記』(太田出版)、2004年にはカレンダー『松村邦洋・阪神タイガース画集 2004年度カレンダー』を発表している。

ものまね

ものまねに関しては「似てる・似てないは関係なく、その人を好きになることが大事」と語っている[18][19]堺雅人など全く逆の声質の有名人のモノマネが出来る。きっかけは糸井重里とのトーク番組中に糸井が提案し、イベント『ほぼ日刊イトイ新聞・ニッポン放送 presents 「ほぼ織田信長のオールナイトニッポン ~本能寺の変スペシャル~」』を開催した[20]。有名人である古舘伊知郎のモノマネであっても、一般には無名な人物(業界人)の葬儀での弔辞を切り取るなど、結果としてマニアックな内容になってしまうこともある。

ものまねの対象とする有名人にはお中元とお歳暮をよく贈るという。津川雅彦西田敏行に違いを指摘され、その為にお中元を贈った所、本家が松村に合わせるという本末転倒なことになった。中尾彬のモノマネをやるにあたり、事前に中尾にお中元を贈った所、中尾は「松村のモノマネが一番似てるねぇ、志乃」と言っている。野村克也が「松村が出ているなら行く」と出演依頼を快諾したこともあったという。また、ビートたけしは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』のロケの時に、リアクションが上手く取れなかった松村をホテルの自室に呼び出し、リアクションの取り方をマンツーマン指導したことがあり、「バイク事故を起こした時の顔」のものまねをした時には、「表情が左右逆だ」と指摘をしたこともあった[21]。なお、渡部陽一は北野武とビートたけしを演じ分けるモノマネについて「右に出る者はない」と評している。

笑点出演時に、自身のモノマネ25年の歴史を披露している。

アウトレイジ ビヨンドのDVD発売のCMでは、出演者全員の声をアテレコし、緊迫したシーンに松村がそっくりのモノマネで宣伝していくという松村にしか出来ないCMで話題を呼んだ。本人と間違われないためにワイプで松村が出演している。

ものまねレパートリー

注釈なきものは事務所の公式プロフィール[1]に掲載されているもの。オビスポ森光子など、ビバリー昼ズでのみ披露するレパートリーもある[22]

レパートリーは約150。(「お願い!ランキング」2012年2月11日「最新のランキングより)。

出演

テレビ番組

レギュラーおよびゲスト出演の多い番組
過去に出演・終了した番組

ラジオ番組

現在出演中の番組
過去に出演した番組

テレビドラマ

映画

Vシネマ

インターネット配信番組

Webドラマ

テレビアニメ

  • ヤッターマン 第26話「歴代三悪オールスター勢揃いだコロン!」(2008年12月1日、読売テレビ) - 本人、コーコーキュージ 役(2役)

CM

MV

ビデオ教材

作品

著書
画集
個展
  • 松村邦洋似顔絵展(2007年12月12日 - 2008年2月3日、筆の里工房
  • 九州産業大学OB 松村邦洋似顔絵展 -可能性へのメッセージ-(2008年9月8日 - 2008年11月3日、九州産業大学美術館)
  • 高田文夫プロデュース 松村名人会(2011年7月29日 - 8月7日、GALLERY工)

CD

シングル
  • ピロピロダンス(1993年)
  • 冬場のI LOVE YOU(1995年)明星食品「一平ちゃん」CM曲。「一平ちゃんとれいこちゃん」としてかとうれいことデュエット。
  • 負ける気せんね 〜野村阪神応援ヴァージョン〜(1999年)森たけしとデュエット。
  • 嵐は西から(2003年)「Tigers Freaks Band」として。
アルバム

ゲームソフト

脚注

  1. ^ a b c d e 松村邦洋 太田プロダクション
  2. ^ a b c d e 山口県/広報広聴課/インタビュー「山口ゆかりの人々」第6回松村邦洋さん (2013年2月14日掲載)
  3. ^ スペシャルインタビュー「夢破れて、お笑いあり 〜ボクたちのフィールド・オブ・ドリームス〜」”. 太田プロダクション公式サイト. 2014年5月5日閲覧。
  4. ^ a b 松村邦洋の恋バナ暴露に宮本和知氏焦る!「そんなことどうでもいいじゃないですか」”. 芸能ニュースラウンジ (2012年11月9日). 2014年5月5日閲覧。
  5. ^ 堺雅人の温かい一言に松村邦洋が感激。「セリフが多くて御迷惑をお掛けしてませんか?」”. エンタがビタミン♪ (2013年12月17日). 2014年1月2日閲覧。
  6. ^ 「マツムラ」(自著)第1章・青雲篇 より。
  7. ^ 近藤耕平 意外な才能にビックリ! 松村邦洋の似顔絵展が開催 福岡ウォーカー 2008年8月29日 15時38分 配信
  8. ^ 松村邦洋が阪神藤浪らを描いた絵を出品 2015年7月8日11時45分 日刊スポーツ
  9. ^ a b 松村邦洋、脱デブタレ宣言…31キロ減に成功”. 夕刊フジ ZAKZAK (2006年6月12日). 2014年5月5日閲覧。
  10. ^ 当日の真相報道 バンキシャ!でもこの事項が伝えられた。
  11. ^ “松村邦洋、東京マラソンで一時心肺停止”. nikkannsports.com. (2009年3月23日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090323-474214.html 2010年5月6日閲覧。 
  12. ^ ふれあい健康フェスティバル”. 名古屋徳洲会総合病院 (2016年10月31日). 2106年11月11日閲覧。
  13. ^ 松村邦洋さんが柳井市の国体イベントに出演![8月11日]”. 山口県公式サイト. 2014年5月5日閲覧。
  14. ^ a b 「アメトーーク!」 2013年7月11日(木)放送内容”. 価格.com (2013年7月11日). 2014年5月5日閲覧。
  15. ^ Kunihiro Matsumura Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-refernce.com. 2014年9月13日閲覧。
  16. ^ 松江城天守国宝指定記念シンポジウム『松江城再発見~天守・城・城下町~』【大阪会場】”. 島根県 (2015年12月8日). 2016年11月11日閲覧。
  17. ^ 福知山城天守閣再建30周年記念「丹波福知山明智光秀サミット」を開催します”. 福知山市 (2016年4月13日). 2016年11月11日閲覧。
  18. ^ ラジ魂!!掲示板(HBCラジオ、2010年5月9日)
  19. ^ 松浦亜弥のオールナイトニッポン 番組オフィシャルサイト(ニッポン放送、2007年10月18日)
  20. ^ ほぼ織田信長のオールナイトニッポン(ほぼ日刊イトイ新聞 2005年6月10日)
  21. ^ 【エンタがビタミン♪】野村克也氏やビートたけしも。松村邦洋が大物たちの心を動かす理由。(Techinsight 2014年1月9日)
  22. ^ 高田文夫のラジオビバリー昼ズ” (2010年6月4日). 2015年9月5日閲覧。
  23. ^ a b c d e f TVでた蔵「2016年5月6日放送 金曜プレミアム 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」
  24. ^ 愛之助、ライバル局で半沢秘話明かす「黒崎さんは真面目」(スポーツニッポン 2013年9月23日)
  25. ^ a b 【エンタがビタミン♪】<松村邦洋インタビュー>阪神愛の根源語る。マイブームは「竹中直人と寺尾聰」。目標体重は70キロ。(Techinsight 2014年12月7日)
  26. ^ a b 土曜スタジオパーク 2013年6月8日(gooテレビ)
  27. ^ 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ「魂ラジレポート 緊急出演!松村邦洋さん」(2010年6月8日)
  28. ^ TVでた蔵「2014年5月29日放送 とんねるずのみなさんのおかげでした」
  29. ^ 松村邦洋さんご来館!!(黒川温泉青年部オフィシャルホームページ)
  30. ^ 【松村邦洋「猛虎8年ぶりV!」】野村=信長、星野=秀吉…和田監督は「ただの人」だから優勝!
  31. ^ “110kgの松村邦洋、RIZAPに挑戦「命あっての物まね」”. Smartザテレビジョン. (2016年12月30日). https://thetv.jp/news/detail/96986/ 2017年1月6日閲覧。 
  32. ^ 松村邦洋、声なし物まねでコウベリーズMV出演”. 日刊スポーツ (2016年2月10日). 2016年2月10日閲覧。

外部リンク