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古谷三敏

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古谷 三敏
本名 古谷 三敏
生誕 (1936-08-11) 1936年8月11日(88歳)[1]
満洲国の旗 満洲国(現・中華人民共和国奉天市[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1955年[1]
ジャンル ギャグ漫画少女漫画、家庭漫画、
蘊蓄漫画
代表作ダメおやじ
ぐうたらママ
減点パパ
BARレモン・ハート』他
受賞 第24回小学館漫画賞
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古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日[1])は、日本漫画家満州奉天生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年に合併で神栖市に)出身[2]薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。

経歴・人物

1955年、『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー[1]1958年手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫アシスタントになる。

1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画家として人気を博し、同作で第24回(1978年小学館漫画賞を受賞した。当時はフジオプロの大黒柱とまで呼ばれた。

その後、フジオプロから独立し、1974年9月に芳谷圭児と共に『ファミリー企画』を設立。以後は青年誌を中心に活動を続け、薀蓄を交え、サラリーマンのユーモラスな日常生活を描いた「減点パパ」をはじめ、酒の世界と人間ドラマを織り込んだ「BARレモン・ハート」、落語と噺家の人生を描いた「寄席芸人伝」など数多くの作品を世に送り出している。

1975年から現在まで毎日新聞「日曜くらぶ」に「ぐうたらママ」を連載し約40年の長期連載となっている。

漫画家以外の活動では、日本テレビおはよう!こどもショー』内でイラスト講座を担当したことがある。

大泉学園駅にて漫画と同名の「BARレモンハート」の経営者でもある。阿佐ヶ谷でも「Beer Bar レモンハート」を経営し孫が勤めていたが閉店、その孫は現在「BARレモンハート」のチーフバーテンダーとなっている。その孫はゴールデンボンバーにとして所属していたこともある。当時の名前は鶏和酢 里紅だった。

作品

漫画以外でイラストを描いた作品

  • まりちゃんズ「ひがみブルース/尾崎家の祖母」シングルジャケット
  • 公共広告機構(現=ACジャパン)「言葉が、凶器になる」(1979年度・家庭教育キャンペーン)
  • 公共広告機構(現=ACジャパン)「言葉が、励みになる」(1980年度・家庭教育キャンペーン)
  • 公共広告機構(現=ACジャパン)「お父さんは、ケチじゃないッ」(1980年度・家庭教育キャンペーン)
  • 公共広告機構(現=ACジャパン)「川柳シリーズ」(1983年度・家庭教育キャンペーン)
  • ACジャパン「3つのヘン」(2014年度・日本脳卒中協会支援キャンペーン)

書籍

  • 落語うんちく高座 -実録・寄席芸人伝-(廣済堂出版、1984年)
  • 落語うんちく学 -噺家たちの夢芝居-(廣済堂出版、1985年)
  • 古谷三敏・ウンチク大全・酒(大和書房、1985年)
  • 男の酒と肴ウンチク学(廣済堂出版、1985年)
  • 「男の手前みそ」 -ウンチク手作り事典食の巻-(徳間書店、1986年)
  • 面白うんちく新学説 -ユーモラスな104のウンチク集-(廣済堂出版、1987年)
  • 続 面白うんちく新学説 -奇説・新説・知識の宝庫-(廣済堂出版、1990年)
  • BAR レモン・ハート・カクテル大事典(双葉社、2002年)
  • BARで飲みたい31の名酒-(双葉社、2017年)共同著作・古谷三敏、古谷陸


関連人物

外部リンク

出典

参考文献

  • 『BARで飲みたい31の名酒 著者・古谷三敏、古谷陸』双葉社、2017年6月。ISBN 9784575312607 
  • 『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月。ISBN 4-8169-1760-8