歩容解析
歩容解析(ほようかいせき、英: gait analysis)とは、体の動作・身体構造・筋肉活動を計測装置で記録し、動物(特に人間)の歩行を視覚的に分析する、系統的な研究[1]。歩容解析は整形外科やリハビリテーションといった医療分野はもとより、スポーツ選手のフォーム矯正などでも活用され、個人を識別できる生体識別技術としても研究が進められている。
歩容解析は、対象の歩行パターンを定量化して、解釈する、というプロセスを経る。前者は、歩行に関する計測可能なパラメタを設定して分析するということである。後者は、その歩行パターンから対象の健康状態、年齢、体格、素早さなどについて様々な情報を引き出すということである。
プロセスと設備
被験者は体の様々な決まった位置(例えば、骨盤の上前腸骨棘、踝、膝頭)にマーカーを配置したり、半身に一連のマーカーを配置したりする。被験者は通路やトレッドミルを歩き、コンピュータが各マーカーの三次元的な軌跡を計算する。そして計算モデルに従って体内の骨の動きが計算される。これにより、各関節の動きが完全に分かることになる。よく使われるのは、下半身に全15個のマーカーをとりつける、ヘレン・ヘイズ病院のマーカー・セットである[2]。
歴史
科学的な歩容解析の嚆矢はアリストテレスの『動物運動論』であり[3]、かなり下って1680年にジョヴァンニ・ボレリが著した『動物運動論』(I・II巻)がある。1890年代にドイツの解剖学者クリスティアン・ヴィルヘルム・ブラウネとオットー・フィッシャーは、荷重をかけた場合・かけなかった場合の人間の歩行に関する生体力学的な研究論文をいくつか発表した[4]。
1970年代から1980年代にかけて先進的なコンピュータを使った解析システムが様々な病院の施設で個別に開発され、その一部は航空宇宙産業と共同開発された[5]。
要素とパラメタ
歩容解析は様々な要素によって調整・修正されるものであり、ノーマルな歩行パターンにおける変化は一時的だったり恒久的だったりする。解析要素として様々なものをとり得る。
歩容解析で考慮されるパラメタには次のようなものがある。
- 歩幅(左か右、一歩分)
- 歩幅(二歩分)
- リズム
- 速度
- 力学的基盤
- 進行方向
- 足の角度
- 腰の角度
- しゃがむ能力[6]
技法
歩容解析には測定が伴うものであり[7]、そこにおいて各パラメタが導入・分析・解釈され、対象に関する(健康状態、年齢、サイズ、体重、速度などの)解析結果が引き出される。ここで言う解析とは、次のようなものの計測である。
運動学 (Kinematics)
- クロノフォトグラフィーは動作を記録する最も基本的な手法である。一枚の写真で歩行動作を分析しやすくするため、ストロボ光をあらかじめ決まった間隔で発光させるという手法がかつて使われた[8]。
- 自分で発光せず反射光を利用するマーカー(一般的に鏡面状の球)を使ったシステムは、複数のカメラ(一般的に5〜12台)を同時に使って被験者の動作を正確に計測できる。これらのカメラは強力なストロボ(一般的に赤色から赤外線にかけての波長)を利用し、体に取り付けたマーカーからの反射光を、特定の波長のみ透過させるフィルタ越しに記録する。マーカーは、解剖学的に要点となる部位に配置される。光源と反射マーカーとの角度および時間推移に基づき、そのマーカーの空間における三角測量が可能になる。そしてソフトウェアが、それぞれの部位に割り当てられたマーカーから、三次元的な軌跡を割り出し、さらにコンピュータ・モデルに従って関節の角度を計算する[9]。この手法は映画制作におけるモーションキャプチャでも使われている[10]。
- 発信式マーカーを使ったシステムは、反射式のそれと似ているが、それらのマーカーは赤外線のシグナルに反応してそれぞれが信号を発する。この信号によって、各マーカーの位置が三角測量で求められる。反射式に比べた長所として、それぞれのマーカーがあらかじめ割り振られた波長を発信するため、それで各マーカーを識別できることである。[11]
- MEMS による慣性センサー、生体力学モデル、センサー・フュージョン・アルゴリズムに基づいた(カメラ無しの)システムがある。全身あるいは体の一部に対応したこうしたシステムは、照明条件に関係なく屋内・屋外で使用できる[12][13]。
- マーカーを使わないマーカーレス・システムは、一つもしくは複数の2.5次元深度のセンサーを使い、一続きの画像から関節の位置を直接計算する。マーカーレス・システムは自然な環境で非侵襲的な人間の歩容解析を可能にする。マーカーを使わないことは、歩容計測と解析技術の応用範囲を拡大し、計測の準備時間を大きく短縮させ、あらゆる場面で能率的で正確な動作評価を可能にする。現在、主なマーカーレス・システムは、一つもしくは複数のカメラを備えたスタジオで撮影した動画を元にモーションキャプチャするというものである[14]。また今日では、深度センサーをもとにした医療用の歩容解析が広まりつつある。深度センサーは深度情報を計測可能で、2.5次元深度の画像が得られるため、前景/背景の識別を効果的に簡略化でき、単眼カメラであっても被験者のポーズを明確に捉えられる[15]。
時間的 / 空間的
これには速度、リズムの長さ、ピッチ、などが含まれる。
応用
歩容解析は人間や動物の歩行能力の解析に使われるため、この技術は次のような分野で応用されている。
医療診断
「病的な歩容」は何らかの病理の代償作用を反映したものであるか、それ自身に症状を引き起こす原因がある。
カイロプラクティックと整骨での利用
カイロプラクティックやオステオパシーのドクターは、骨盤の傾きを見分けるために歩容を観察し、のびのびとした歩行動作を取り戻せるよう様々な施術を行う。カイロプラクティックでの骨盤矯正は歩行動作の回復法として流行であり[18][19]、オステオパシック・マニピュレイト・セオリー (OMT) も同様である[20][21]。
生体識別と犯罪科学
歩き方の些細な癖は、個人を識別する生体識別情報として使える[22]。パラメタとしては、時間・空間的なもの(歩幅、歩行速度、歩調)と、運動学的なもの(腰・膝・足首の関節の回転、それらの関節の平均的な角度、太腿・胴体・足の角度)に分けられる。歩幅と身長には高い相関関係がある[23][24]。
これらのアプローチは、あらかじめ決まったモデルを基盤としている。別の手法として、白黒二色の歩行シルエットを時間順に並べて個人を識別する、外観に基づいたアプローチもある。
脚注
- ^ Levine DF, Richards J, Whittle M. (2012). Whittle's Gait Analysis. Elsevier Health Sciences. ISBN 978-0702042652 2017年2月15日閲覧。
- ^ Kadaba, M. P.; Ramakrishnan, H. K.; Wootten, M. E. (May 1990). “Measurement of lower extremity kinematics during level walking”. Journal of Orthopaedic Research 8 (3): 383–392. doi:10.1002/jor.1100080310.
- ^ Aristotle (2004). On the Gait of Animals. Kessinger Publishing. ISBN 1-4191-3867-7
- ^ Fischer, Otto; Braune, Wilhelm (1895) (German). Der Gang des Menschen: Versuche am unbelasteten und belasteten Menschen, Band 1.. Hirzel Verlag
- ^ Sutherland, DH. (2002). The evolution of clinical gait analysis: Part II Kinematics Gait & Posture. 16: 159-179.
- ^ “What is a gait analysis?”. IdealRun. 2017年2月15日閲覧。
- ^ U. Tasch, P. Moubarak, W. Tang, L. Zhu, R.M. Lovering, J. Roche, R. J. Bloch. (2008). An Instrument that Simultaneously Measures Spatiotemporal Gait Parameters and Ground Reaction Forces in Locomoting Rats, in Proceeding of 9th Biennial ASME conference on Engineering Systems Design & Analysis, ESDA ‘08. Haifa, Israel, pp. 45–49.
- ^ エティエンヌ=ジュール・マレー、エドワード・マイブリッジも参照
- ^ RB Davis, S Õunpuu, D Tyburski, JR Gage (1991). A gait analysis data collection and reduction technique. Human Movement Science 10:575-587.
- ^ Robertson DGE, et al. (2004). Research Methods in Biomechanics. Champaign IL:Human Kinetics Pubs..
- ^ Best, Russell; Begg, Rezaul (2006). “Overview of Movement Analysis and Gait Features”. In Begg, Rezaul; Palaniswami, Marimuthu. Computational Intelligence for Movement Sciences: Neural Networks and Other Emerging Techniques. Idea Group. 2006-03-30. pp. 11–18. ISBN 978-1-59140-836-9
- ^ “Ambulatory inertial gait analysis”. 2017年2月15日閲覧。
- ^ “Digital Motion Analysis Systems”. 2017年2月15日閲覧。
- ^ X. Zhang, M. Ding, G. Fan (2016) Video-based Human Walking Estimation by Using Joint Gait and Pose Manifolds, IEEE Transactions on Circuits and Systems for Video Technology, 2016
- ^ https://sites.google.com/site/mengdingosu/home/research
- ^ Piérard, S.; Azrour, S.; Phan-Ba, R.; Van Droogenbroeck, M. (October 2013). “GAIMS: A reliable non-intrusive gait measuring system”. ERCIM News 95: 26–27 .
- ^ “The GAIMS project”. 2017年2月15日閲覧。
- ^ Herzog, W (1988). “Quantifying the effects of spinal manipulations on gait using patients with low back pain.”. Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics 11 (3): 151–157 .
- ^ RO, Robinson; W, Herzog; BM, Nigg (1987-08-01). “Use of force platform variables to quantify the effects of chiropractic manipulation on gait symmetry.”. Journal of manipulative and physiological therapeutics 10 (4). ISSN 0161-4754 .
- ^ MR, Wells; S, Giantinoto; D, D'Agate; RD, Areman; EA, Fazzini; D, Dowling; A, Bosak (1999-02-01). “Standard osteopathic manipulative treatment acutely improves gait performance in patients with Parkinson's disease.”. The Journal of the American Osteopathic Association 99 (2). doi:10.7556/jaoa.1999.99.2.92. ISSN 0098-6151 .
- ^ Vismara, Luca; Cimolin, Veronica; Galli, Manuela; Grugni, Graziano; Ancillao, Andrea; Capodaglio, Paolo (March 2016). “Osteopathic Manipulative Treatment improves gait pattern and posture in adult patients with Prader–Willi syndrome”. International Journal of Osteopathic Medicine 19: 35–43. doi:10.1016/j.ijosm.2015.09.001 .
- ^ Damaševičius, R.; Maskeliūnas, R.; Venčkauskas, A.; Woźniak, M.. “Smartphone User Identity Verification Using Gait Characteristics”. 2017年2月15日閲覧。, Symmetry 2016, 8, 100.
- ^ “journalsip.astm.org/JOURNALS/FORENSIC/PAGES/4706.htm”. 2017年2月15日閲覧。
- ^ “geradts.com/html/Documents/gait.htm”. 2017年2月15日閲覧。