スラップ
スラップ(英: SLAPP、strategic lawsuit against public participation、恫喝訴訟、威圧訴訟、批判的言論威嚇目的訴訟[1])とは、訴訟の形態の一つで、社会的にみて「比較強者」(社会的地位の高い政治家、大企業および役員など)が、社会的にみて「比較弱者」(社会的地位の低い個人・市民・被害者など、公の場での発言や政府・自治体などへの対応を求める行動が起こせない者)を相手取り、恫喝・発言封じなどの威圧的、恫喝的あるいは報復的な目的で起こすものをいう。
平手打ち(英:slap)にも通じる表現でもある。
概説
スラップは、社会的地位や経済的な余裕のある比較強者が原告となり、比較弱者を被告とすることで恫喝的に訴訟を提起することが多い。
実際に比較強者が訴訟を提起した場合、被告側たる比較弱者には、法廷準備費用や時間的拘束[2]などの負担を強いられるため、訴えられた本人だけでなく、訴えられることを恐れ、被告以外の市民・被害者やメディアの言論や行動等の委縮、さらには被害者の泣き寝入りを誘発すること、証人の確保さえ難しくなる。したがって原告は、仮に敗訴してもスラップの主目的たる嫌がらせを容易に達成できる。
スラップにおいては、原告よりも経済力の劣る個人が標的になるが、あえて批判するメディアを訴えず、取材対象者である市民を訴える例もある。そのため、欧米を中心に、表現の自由を揺るがす行為として問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。
アメリカ合衆国カリフォルニア州では、「反SLAPP法」という州法に基づき、被告側が原告側の提訴をスラップであると反論して認められれば公訴は棄却され、訴訟費用の負担義務は原告側に課される[3]。
日本国内での動き
日本でも、2000年頃から企業が「業務妨害」や「名誉毀損」などを口実とした訴訟の形式をとり、企業・団体と、その問題性を告発する市民や被害者、支援団体、弁護士、ジャーナリストらを相手取り、高額な損害賠償を求める民事訴訟が乱発されるようになった。市民・被害者側、ジャーナリスト側でこれらの形態の訴訟の社会問題性が認識されるようになり、このスラップという概念を浸透させる動きが見られているが、日本の用語としては定着途上の段階である。
実際の訴訟においてスラップが成立し得る基準(後述)は存在するものの、日本国内ではあまり知られておらず、実際に訴訟を提起した場合、被告側が原告側に対し「これはスラップ訴訟だ」と反論するのみにとどまっている。
成立しうる基準
共にデンバー大学教授のジョージ・W・プリングとペネロペ・キャナンは、スラップが成立し得る基準として以下の4要素が含まれることを挙げている[4]。
- 提訴や告発など、政府・自治体などが権力を発動するよう働きかけること
- 働きかけが民事訴訟の形を取ること
- 巨大企業・政府・地方公共団体が原告になり、個人や民間団体を被告として提訴されること
- 公共の利益や社会的意義にかかわる重要な問題を争点としていること
実例
スラップであると報じられた実例。
日本
- 幸福の科学事件[5][6][7]
- 2011年6月、甘利明が週刊ニュース新書に対し取材記者、キャスター、プロデューサーを名誉毀損で提訴した[8]。
- オリコン・烏賀陽裁判
- 2012年、明治大学教授野中郁江の学術論文などに対し、関連投資ファンドの経営陣が5500万円の損害賠償を求めた名誉毀損訴訟[9]。
- 弁護士澤藤統一郎からブログで批判されたことに対し、DHCと会長吉田嘉明が名誉毀損であるとして、損害賠償を求めて提訴したが、請求を棄却した事例[10]。
- 2012年、大渕愛子対My News Japan記事削除仮処分申請事件。原告が訴訟を、被告が記事をそれぞれ取り下げたことで和解が成立した[11]。
- ユニクロ(ファーストリテイリング)がユニクロの過酷な労働環境を告発した文藝春秋社『ユニクロ帝国の光と影』(横田増生著)に対し、2億2千万円の損害賠償、出版差し止め、発行済み書籍の回収を求めた裁判[12][13]。一審、二審、最高裁全て「真実」「真実相当性がある」としてユニクロの全面敗訴。
- 読売新聞が押し紙の問題を載せた週刊新潮とジャーナリストに対して行った訴訟[14]。
- NHK受信料支払い拒否問題に関連して、日本放送協会に対して裁判を起こすようアドバイスした「NHKから国民を守る党」に対して日本放送協会が起こした訴訟[15]
- 参議院議員の音喜多駿と小西洋之
関連文献
- 記事『「訴訟天国」に歯止めをかける「アンチ・スラップ法」が米国で広がる理由 訴訟好きな宗教団体や有名人が嫌がらせで法に訴えることを阻止する法律が登場』、THEMIS、1996-11
- 綿貫芳源「アメリカ法曹便り アメリカにおけるSLAPP訴訟の動向」(1)-(3)『法律のひろば』、ぎょうせい、1997-04,05,06
- 関根孝道「権利のための闘争から訴訟へ--訴訟における自然享有権の主張を理由とした不法行為責任の追求〔ママ〕といわゆるSLAPP訴訟の成否について」Journal of policy studies 35 関西学院大学総合政策学部研究会 [編] 2010-07
- 烏賀陽弘道「言論封殺のSLAPPは、民主主義の破壊行為」(特集 憲法をとりまく情況)『マスコミ市民』480号、2009-01
- 「アウトルック スラップ訴訟 『反社会的な行為』という認識を広めることが重要」『週刊東洋経済』6242号、2010-01-23
- 烏賀陽弘道「『SLAPP』とは何か--『公的意見表明の妨害を狙って提訴される民事訴訟』被害防止のために」『法律時報』2010-06
- 烏賀陽弘道「SLAPP(スラップ)とたたかう人たち--市民への口封じ訴訟」『週刊金曜日』2010-08-27
- 烏賀陽弘道「SLAPPとたたかう人たち(上)沖縄県・高江『米軍ヘリ演習場』」『週刊金曜日』2010-11-19 「SLAPPとたたかう人たち(下)山口県・上関町『原子力発電所』建設予定地」『週刊金曜日』2010-12-10
- 烏賀陽弘道, 西岡研介著『俺たち訴えられました! : SLAPP裁判との闘い』河出書房新社 2010
関連項目
脚注
- ^ 英語を直訳した場合、「市民参加を排除するための戦略的訴訟」というのが語感に近い。
- ^ 行政機関および裁判所は土・日・祝日の業務(年中無休)を義務付けていないため、平日に休みを取らなければならなくなる。
- ^ 【コレって、どうなの?】Vol.85 ユニクロ「ブラック企業」問題を機に知った、野放しの「スラップ」 エフエム東京『TIME LINE』
- ^ プリングとキャナン「SLAPPs:Getting Sued for Speaking Out」Temple University Press
- ^ “「批判的言論威嚇」幸福の科学側が敗訴 100万円賠償命令/東京地裁”. 読売新聞東京夕刊 (読売新聞社): p. 27. (2001年6月29日)
- ^ “弁護士「8億円提訴は威嚇」、「幸福の科学」に100万円賠償命令--東京地裁”. 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 15. (2001年6月29日)
- ^ “「幸福の科学」に賠償命令「提訴は言論威嚇目的」 東京地裁”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 27. (2001年6月29日)
- ^ 甘利明元大臣、テレ東取材を中断し提訴「日本は終わりだ。もう私の知ったことではない」ビジネスジャーナル
- ^ “ファンド経営者ら研究者を高額賠償提訴 支援者「学問の自由守れ」”. しんぶん赤旗 (日本共産党). (2013年6月14日) 2013年7月9日閲覧。
- ^ DHCスラップ訴訟 ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」
- ^ 渡邉正裕 (2016年8月3日). “やっと悪事が報道された大渕愛子、知っていて使い続けた日テレの罪”. My News Japan (株式会社MyNewsJapan) 2016年8月3日閲覧。
- ^ “ユニクロ、ブラック批判裁判で全面敗訴 過酷労働が認定、高額賠償請求で恫喝体質露呈”. ビジネスジャーナル (サイゾー). (2014年12月19日) 2016年9月23日閲覧。
- ^ “ユニクロ全面敗訴に『ブラック企業』著者 「私への脅しについて謝罪してほしい」”. キャリコネニュース (キャリコネ). (2014年12月25日) 2016年9月23日閲覧。
- ^ 【押し紙裁判会見】新潮社・黒藪氏敗訴「プライドがあるなら言論で主張すべき」 BLOGOS 2011年5月30日配信分(2017年9月17日閲覧)
- ^ NHKが起こしたスラップ裁判、被告「NHKから国民を守る党」に対して 損害賠償命令 MEDIA KOKUSYO 2017年7月21日配信分(2017年9月19日閲覧)
外部リンク
- スラップ訴訟情報センター
- 批判したら訴えられた…言論封じ「スラップ訴訟」相次ぐ (朝日新聞2016年3月7日、千葉雄高記者)