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団十郎朝顔

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団十郎朝顔(だんじゅうろうあさがお)は、茶色の花を咲かせるアサガオに付けられる品種名である。

歌舞伎役者市川団十郎の名にちなんだ名称である。歌舞伎十八番「」の素袍柿色を用いた事から名付けられた。[注釈 1][4][5]

歴史

江戸後期から明治中期まで活躍した朝顔師・山崎留次郎(やまざきとめじろう、文化8年(1811年) - 明治24年(1891年))(屋号:成田屋)[6][7]が売り出していた花だと日本画家で朝顔にも造詣が深かった岡不崩の書いた記録に残っている。[注釈 2][要出典][8]

江戸時代に団十郎と呼ばれた朝顔が存在したという明確な典拠は今のところ発見されていない。[注釈 3]

明治中期、九代目市川団十郎が一世を風靡していた。その影響はいろいろな面に現れ、その一端として団十郎朝顔が普及した。[9]

現在確認できる最も古い文献は明治24年(1891年)東京朝日新聞の記事である。入谷朝顔市での様子が「朝顔大名」という題で、狂言風に大名と太郎冠者の問答として書いた記事が掲載されている[4][10]

大名「なか〱此虑こヽぢやさてたぞおびただしいひとぢやヤアーさいたぞさてもさても美事みごとさいことぞアノあかしろとのあひだにある一鉢ひとはちめづらしいはなぢやなんと申すぞ 「これでござりまするかこれだんらうと申して近年きんねん此花このはなつくつたと申すことでことでござります 大名「シテ何故なにゆゑだんらうと申すのでおりやるぞ 「これハ此色このいろぞく柿色かきいろと申しだんらうが十八ばんいへげいしばらくの素袍すはういろおないろぢやによつてだんらうなづけたとえまする (一部引用、変体仮名𛂞はハに改めた)

この頃の団十郎朝顔がどのような特徴を持っていたのかは詳しくは不明であるが、明治27年(1894年)8月に発行された『朝顔銘鑑』(東京・百草園丸新 鈴木新次郎発行)には「常葉極大輪咲之部」内に「斑入葉極濃キ柿覆輪、一名團十郎」[8][11]と記されている。また、明治33年(1900年)12月10日に発行された『朝顔画報』第7号(宇治朝顔園発行)の「花名録」には丸咲きの部として「成田屋 黄州浜葉渋茶白覆輪大輪」と記されている[8]。また明治22年(1889年)8月発行の成田屋、丸新他、入谷の植木屋が連名で発行した朝顔名鑑には無名だが「州濱葉部」に「斑入葉柿覆輪」の品種がある。明治27年発行の朝顔名鑑の団十郎と特徴が似ており、これが「団十郎」と呼ばれていた可能性がある[12]

朝顔研究家の渡辺好孝は「現在、朝顔愛好家が栽培している「団十郎」とは異なっているが、もしかすると茶系統で覆輪の花が「団十郎」なのかもしれない。」と述べている[8]


当時の様子を正岡子規河東碧梧桐が句に残している。

子規

  • 朝霧や團十郎の二三輪 (明治30年)
  • 朝顏や團十郎の名を憎む (明治31年)
  • 咲て見れば團十郎でなかりけり (明治32年)

碧梧桐

  • 団十郎朝顔の名にいかめしき (明治31年)[13]


俳人の村上鬼城ホトトギス誌上にて団十郎朝顔を栽培していた事を記している[14][15]

私は朝顏を栽培つくり初めて廿年にもなる、其間、シヤツ一枚で、炎熱と戰て、船頭見たいになつちまツた。  最初は、團十郞だの、浴後の美人だのツて朝顏やつ栽培つくつた、ラツパ咲の、釣瓶を取る性質たちのだ、其の時分は朝顏の趣味は、野趣に在るものとばかり思つてゐたから、從て一重咲の瀟洒あつさりしたものを愛した。

また、アメリカのジャーナリストエリザ・シドモアが「The Wonderful Morning-Glories of Japan(素晴らしい日本の朝顔)」という記事をThe Century Magazineに寄稿しており、その中で団十郎色の朝顔について触れている[5][8]

The whole family of dull grayish pink, or old rose, known as shibu (persimmon-juice) or kake (persimmon) color, are lately classed as Danjiro colors, from the shibu-colored robe worn by that great actor in a favorite role.
渋色柿渋の色)または柿色として知られている、くすんだ灰色がかったピンク、またはオールドローズ(訳注:英語圏の色名の一種、灰色がかった落ち着いた赤色で英国ヴィクトリア朝時代に流行した)の品種群は、かの大役者が得意演目で渋色の衣装を着ていた事から、最近団十郎色と分類されるようになった。

その後、九代目市川団十郎の死と宅地化(都市化)による入谷朝顔市の衰退と消滅(大正2年に「植松」が廃業し戦前の入谷朝顔市は途絶えた)に伴い、団十郎朝顔は次第に人々から忘れ去られていった。[16][17][7][9]

大正から昭和にかけての朝顔書や会報には「団十郎」という名が散見される[8]

現在、「正式」な団十郎と呼ばれている品種は戦前、吉田柳吉氏が「花王」から分離選出したものを京都の伊藤穣士郎氏が保存維持したと伝えられる。[1][2][18]

花は海老茶無地で日輪抜、葉は黄蝉葉である。これは大輪朝顔の愛好会の品種である。

戦後、入谷朝顔市が復活し、団十郎朝顔も復活した。しかし、これが「正式」な団十郎朝顔では無いという指摘が出るようになり[注釈 4][8]、2010年代以降、「正式」な団十郎を入谷朝顔市に復活させようとする動きが起こり、東京都農林総合研究センター江戸川分場が試験栽培を行い、その後入谷朝顔市で販売が行われるようになった。[19]

「正式」な団十郎朝顔とは

渡辺[8]は茶系統なら葉色が青葉でも黄葉でも、葉型が常葉・千鳥葉・須浜葉・恵比寿葉でも、また花が覆輪でも無地でも「団十郎」と命名して特に問題なかったと述べている。

インターネット上では「偽物」の団十郎、「本物」の団十郎等の議論があるが、明治時代入谷朝顔市で一世を風靡した団十郎を正統とするならば、それは途絶えてしまっており、今「正式」な団十郎と呼ばれている物は別物である。

よって、朝顔愛好家が栽培している品種こそが正統であり、戦後入谷朝顔市で団十郎と称して販売されていた朝顔が偽物と言う根拠にはならない。


また「団十郎」は栽培や採種が難しいため、近年「団十郎」の生産が激減していた[19]、故に「幻の朝顔」と言われた[20]等の説明がされる事があるが、いわゆる「正式」な団十郎朝顔と呼ばれている物は朝顔愛好家が作成し維持してきたものであり(明治時代半ばに蝉葉の大輪朝顔はまだなかった)。大輪朝顔愛好会の品種のため、以前は市販されることもなかった。故にこれらの説明は適切とは言えない。

なお、いわゆる「正式」な団十郎は近年(2010年代以降)は大手種苗会社[21]、入谷をはじめとした各地の朝顔市、ネットオークション等で販売されており、入手は容易となっている。

脚注

注釈

  1. ^ この品種名の由来に「『二代目』市川団十郎が」、「江戸時代に団十郎色として人気を博し」等の補足説明が加わる事が多いが(例えば文献[1]、文献[2])、これが江戸時代から団十郎という朝顔があったという表現では無い事に注意が必要である。二代目市川団十郎の活躍した時代は文化文政期第一次朝顔ブーム以前であり、単純な変化朝顔が出始めの時代である。茶色の朝顔も当時の文献には現れない。[3]
  2. ^ 岡不崩の書いた記録の出典が示されていないので、引用には注意が必要である。
  3. ^ 文献[2]には「江戸時代から茶色無地や茶覆輪花を『団十郎』と命名したこともあったらしい」とあるが、典拠も示されておらず、はなはだ曖昧である。引用元と思われる文献[1]では「朝顔でも古くから茶色無地や茶覆輪花を『団十郎』と命名してきたらしい」という記述であり、さらにその引用元であると思われる文献[8]では「無地でも覆輪でも『団十郎』と呼んでいた。」と記述しているに過ぎず、江戸時代から存在するとは主張していない。また、団十郎を売り出したという山崎(成田屋)留次郎が江戸時代に刊行した「三都一朝」「都鄙秋興」にも団十郎の名は見えず、江戸時代に発行された他の図譜も同様である。そもそも江戸時代は変化朝顔の全盛期であり、単純な茶色無地や茶覆輪花を「団十郎」としてもてはやすことは考えにくい。
  4. ^ 2000年代以降、ブログやSNS、掲示板等で活発に指摘が行われるようになった(具体的なサイト名等は差し控える)。文献[8]には「入谷の朝顔市に行くと、『団十郎』という花に人気があるが、売り子は、ただ茶色の花なら『団十郎』といっているにすぎない。」とある。これはこの筆者の歴史的経緯として茶色の花なら「団十郎」と命名して問題なかったという主張と矛盾するが、1990年代には大輪朝顔愛好家の栽培している団十郎こそが正統であると言う意識があったことが窺える。この意識が、2000年代以降ネット上で大きく現れていく事になる。

出典

  1. ^ a b c 米田芳秋 (2006年5月). 色分け花図鑑 朝顔. 学習研究社 
  2. ^ a b c 朝顔百科編集委員会 (2012年3月). 朝顔百科. 誠文堂新光社 
  3. ^ 三村森軒 著、小笠原亮 編 (2012年3月(享保8年(1723年)版の復刻)). 朝顔明鑑鈔 影印と翻刻. 思文閣 
  4. ^ a b “朝顔大名”. 東京朝日新聞. (明治24年(1891年)7月26日). 
  5. ^ a b Eliza Ruhamah Scidmore (December 1897). “The Wonderful Morning-Glories of Japan”. The Century Magazine: pp. 281-289. 
  6. ^ 杉田逢川野夫 (明治22年(1889年)). “成田屋のこと”. 日本園藝学会誌 第6号. 
  7. ^ a b 環境文化研究所 (1986年1月). 緑の都市文化としての入谷朝顔市. 環境文化研究所 
  8. ^ a b c d e f g h i j 渡辺好孝 (1996年7月). 江戸の変わり咲き朝顔. 平凡社 
  9. ^ a b 柴田宵曲 (1971). 明治風物誌. 有峰書店 
  10. ^ 森銑三 (1969). 明治東京逸聞史 1. 平凡社 
  11. ^ 賀集久太郎 編 (1899年(明治32年)4月). 朝顔培養全書. 朝陽園出版部 
  12. ^ 伊藤圭介編著. 植物図説雑纂 第180巻 
  13. ^ 碧梧桐全句集. 蝸牛社. (1992年4月) 
  14. ^ 村上鬼城 (明治44年(1911年)9月). “第二年目”. ホトトギス 14巻14号. 
  15. ^ 村上鬼城の基礎的研究. 桜楓社. (1985年3月) 
  16. ^ 明治教育社 編 (大正3年(1914年)12月). 下谷繁昌記. 明治教育社出版部 
  17. ^ 森銑三 (1969). 明治東京逸聞史 2. 平凡社 
  18. ^ 大輪朝顔”. mg.biology.kyushu-u.ac.jp. 2018年6月24日閲覧。
  19. ^ a b いよっ!アサガオ「団十郎」が復活~「スポーツ祭東京2013」を彩ります~”. 2020年5月31日閲覧。
  20. ^ 農総研だより第17号”. 2020年6月17日閲覧。
  21. ^ 朝顔苗 団十郎(黄蝉葉・斑無葉 花は濃茶色無地 日輪抜け) 1株: 草花苗|種(タネ),球根,苗の通販ならサカタのタネっと”. sakata-tanet.com. 2020年5月31日閲覧。