守谷絢子
絢子女王 | |
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守谷家 | |
続柄 | 高円宮憲仁親王第3女子 |
全名 | 守谷 絢子(もりや あやこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
お印 | 葛 |
出生 |
1990年9月15日(34歳) 日本・東京都港区 愛育病院 |
配偶者 | 守谷慧 |
父親 | 高円宮憲仁親王 |
母親 | 高円宮妃久子 |
栄典 |
宝冠牡丹章 |
役職 | 日加協会名誉総裁 |
守谷 絢子(もりや あやこ、1990年〈平成2年〉9月15日 - )は、日本の元皇族。栄典は宝冠牡丹章。
皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。お印は葛であった。
高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子[1]。第123代・大正天皇の曾孫、第126代天皇・徳仁のはとこにあたる。姉に承子女王、千家典子(典子女王)がいる。修士(福祉社会・城西国際大学)の学位を有する。
略歴
生い立ち
高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子として、1990年(平成2年)9月15日に社会福祉法人恩賜財団母子愛育会総合母子保健センターの愛育病院で誕生した。同年11月12日の即位礼正殿の儀の際には、平成時代最初に誕生した皇族で、当時まだ乳児であった絢子女王も、高円宮夫妻と3姉妹の一家全員の記念写真に収まった[2]。
松濤幼稚園に通園し、学習院初等科、女子中等科を経て、2009年(平成21年)3月に学習院女子高等科を卒業した。この間、2002年(平成14年)、絢子女王が11歳の時に父高円宮憲仁親王と死別した。
福祉分野に関心があったことから、同年4月に千葉県東金市の城西国際大学福祉総合学部に進学した。子ども福祉コースを選択、東京都港区の赤坂御用地の敷地内にある高円宮邸を離れ、城西国際大学から近距離にある東金市内の住宅で共同生活をした[3]。また、サッカー部のマネージャーを務めた[4]。
成年皇族として
大学卒業後は保育士の資格と社会福祉士の資格を取得。在学中にはカナダに海外研修に行き、カナダの福祉を学習するために現地の高齢者施設やチャイルドケア施設を見学した。カナダは、父高円宮が青年期に留学し、帰国後は日加協会の名誉総裁を長年務めていた縁がある。また、2011年(平成23年)12月、東金市立東金幼稚園の園児40人をキャンパスに招いて「子どもクリスマスパーティー2011」を開催し寸劇にも参加した。
2013年(平成25年)3月、城西国際大学福祉総合学部を卒業。学部代表として学長より学位記を授与され、またサッカー部のマネージャーとしての活動が評価され理事長特別表彰も授与された。4月からは同大学大学院福祉総合研究科へ進学した。2016年(平成28年)3月、同大学院を修了し修士(福祉社会)の学位を授与され、またその修士論文は優秀賞として表彰された[5]。2017年(平成29年)6月1日付で城西国際大学福祉総合学部の研究員に就任した[6]。
2017年(平成29年)12月、日本郵船社員でNPO法人「国境なき子どもたち」理事[7]の守谷慧と出会う。福祉を学んできた絢子女王のため、途上国での支援活動を行っている守谷慧との交流により今後の福祉活動の勉強になればとの思いから、慧の両親と知己であった久子妃の紹介による。
2018年(平成30年)1月15日、母久子妃が日加協会名誉総裁を退任し、翌日付で絢子女王が名誉総裁に就任した[8]。
結婚による皇籍離脱
2018年(平成30年)4月、守谷慧から求婚を受け、受諾した。同年6月26日に宮内庁は、絢子女王が守谷慧と婚約すると発表し、7月2日に正式に内定した。納采の儀が8月12日に、9月19日に告期の儀が、それぞれ高円宮邸で行われた。絢子女王が告期の儀で着用した橙色のワンピースは、両親の婚約会見の際に久子妃が着ていたものである[9]。10月26日には参内の上、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、朝見の儀に臨んだ。
結婚式は同年10月29日に明治神宮で行われた[10]。宮中三殿と明治神宮での儀式には、祖母の三笠宮妃百合子が義母の貞明皇后(大正天皇后)から贈られたもので、次姉の典子女王(現:千家典子)も着用した小袿と長袴で臨んだ[11]。
同日午後に宮内庁職員が婚姻届を提出することに伴い降嫁(皇籍離脱)し[12]、民間人の「守谷絢子」となった[13]。10月30日にはホテルニューオータニ本館「アッザレーア」にて、皇太子徳仁親王・同妃雅子を主賓に三権の長など約70人を招いた結婚披露晩餐会が催された。
2019年(令和元年)11月17日、宮内庁の発表で同日午前6時59分に東京都港区の愛育病院で第1子となる男児を出産したと発表した[14] 。
系譜
絢子女王 | 父: 憲仁親王(高円宮) |
祖父: 崇仁親王(三笠宮) |
曾祖父: 大正天皇 |
曾祖母: 貞明皇后 | |||
祖母: 百合子 |
曾祖父: 高木正得 | ||
曾祖母: 高木邦子 | |||
母: 久子 |
祖父: 鳥取滋治郎 |
曾祖父: 鳥取為三郎[15] | |
曾祖母: 鳥取久壽[15](或は久嘉[16]) | |||
祖母: 鳥取二三子 |
曾祖父: 友田二郎 | ||
曾祖母: 友田盛子 |
脚注
- ^ 高円宮家、宮内庁、2016年5月10日閲覧。
- ^ 『宮さまとの思い出』(扶桑社、2003年) ISBN 4594042481の最初の表紙の写真
- ^ MSN産経 「絢子さま、城西国際大にご入学」
- ^ 城西国際大学サッカー部 - チーム紹介
- ^ 高円宮家・絢子さま、大学院修了 「ほっとしています」(2016年3月16日)、朝日新聞デジタル、2016年3月16日閲覧。
- ^ http://www.nikkei.com/article/DGXLZO16652240Z10C17A5CR8000/
- ^ 国境なき子どもたち公式ホームページ - 2018年6月27日閲覧。
- ^ 2018年1月16日 産経ニュース「高円宮妃久子さま、2団体の名誉総裁職をご退任 承子さま、絢子さまがご就任」[1](2019年1月27日閲覧)
- ^ 『皇室』平成31年冬 第81号(扶桑社)、p.29
- ^ “高円宮絢子さま婚約へ=会社員守谷さんと、10月挙式-宮内庁:時事ドットコム” (日本語). 時事ドットコム 2018年6月26日閲覧。
- ^ 2018年10月26日 東京新聞夕刊「絢子さま、宮中三殿を参拝 装束姿で結婚報告」
- ^ 絢子さま、29日ご結婚 明治神宮で挙式 - 産経ニュース 2018年10月28日
- ^ 絢子さまと守谷慧さんの結婚式 東京 明治神宮 - NHKニュース 2018年10月29日
- ^ “高円宮家の三女、守谷絢子さんが男児出産 母子とも健やか” (日本語). 時事ドットコム 2019年11月18日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録. 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』香川五
- ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ト一〇一