コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

多川静志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年2月10日 (木) 05:16; Attaraiina (会話 | 投稿記録) による版 (家族・親族)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

多川 静志(たがわ せいし、1900年明治33年)8月[1] - 没年不明)は、日本実業家

人物

[編集]

広島県賀茂郡阿賀町(現呉市)出身。多川熊次郎の三男[1][2][3]。多川一治の弟[1][2]1923年長崎高商を卒業する[2]1940年分家する[1][2]。桜井大二郎商店支配人[1]、同参事[4]、桜井化学興業専務、桜井本部専務理事、桜井加工紙、朝鮮、満州、台湾各桜井興業取締役を歴任[3]。趣味は読書、運動[1][2][3]。宗教は仏教[1][2][3]。住所は東京都文京区原町[3]

家族・親族

[編集]
多川家

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』タ82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 下』タ80 - 81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 下』タ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月9日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第46版』東京タの部280頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月9日閲覧。
  5. ^ (中国語) 人事興信錄. 人事興信所. (2005). https://books.google.com/books?id=o0Q0AQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP174&dq=%E5%A4%9A%E5%B7%9D%E9%9D%99%E5%BF%97&hl=ja 

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。