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カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス
K. Quinctius L.f. Cn.n. Claudus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 クィンクティウス氏族
官職 執政官(紀元前271年)
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カエソ・クィンクティウス・クラウドゥスまたはガイウス・クィンクティウス・クラウドゥスラテン語: Kaeso Quinctius Claudus, Gaius Quinctius Claudus、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前271年執政官(コンスル)を務めた。

出自

パトリキ(貴族)であるクィンクティウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はグナエウスであるが、他のクィンクティウス氏族の人物との関係は不明である。カエソというプラエノーメン(第一名、個人名)も珍しく、氏族の中では紀元前5世紀の伝説的な人物であるルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスの息子が使っている程度である[1]ティトゥス・リウィウスは、他に紀元前217年にコンコルディア神殿に関わったカエソ・クィンクティウス・フラミニヌスの名前をあげている[2]

経歴

紀元前271年、クラウドゥスは執政官に就任。同僚執政官はルキウス・ゲヌキウス・クレプシナであった[3]。リウィウスの要約ではこの年に、レギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)のカンパニア兵が反乱したが鎮圧され、またピケンティアと平和条約が結ばれたとするが、クラウドゥスの役割は不明である[4]。但し、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、レギウムの反乱は翌紀元前270年の出来事としている[5]

脚注

  1. ^ リウィウスローマ建国史』、 III, 11,6-14,2.
  2. ^ リウィウス『ローマ建国史』、 XXii, 33,7 f
  3. ^ カピトリヌスのファスティ
  4. ^ リウィウス『ローマ建国史』、 XV(要約)
  5. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、XX, 16

参考文献

関連項目

公職
先代
ルキウス・パピリウス・クルソル II
スプリウス・カルウィリウス・マクシムス II
執政官
同僚:ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ
紀元前271年
次代
ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ II
グナエウス・コルネリウス・ブラシオ I
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