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垂井源右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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垂井 源右衛門(たるい げんえもん、生没年不詳)は日本戦国時代に存在した人物。摂津国垂井氏の末裔とされる。

林羅山の『本朝神社考』にて、の母親を持つ人物として紹介されている。

概要

本朝神社考』は、垂井源右衛門の出生について以下の記述を残している。

天文年間(1532年1555年)、摂津国垂井氏の男が、大蔵谷(現在の兵庫県明石市大蔵海岸付近か)で美女と出会い、結婚し1人の子が生まれた。妻が粧鏡を開き化粧をしているとき、子が背後から鏡を覗き込むと、母親ではなく狐の姿が映っていた。子が驚き叫ぶと、母親は狐の姿となり、どこかへ逃げてしまった。残された子は、成長するとよく謡を唱うようになった。これが垂井源右衛門であるという[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 林羅山『本朝神社考[1]』下之六、玉藻前