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松尾広吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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松尾広吉
まつお こうきち
まつお ひろきち
生年月日 1867年1月8日
出生地 日本の旗 日本 肥前国松浦郡伊万里町
(現・佐賀県伊万里市
没年月日 (1937-01-16) 1937年1月16日(70歳没)
前職 実業家
現職 実業家
所属政党 研究会
称号 勲四等瑞宝章

在任期間 1911年9月29日 - 1918年9月28日

在任期間 1921年8月 - 1925年1月

西松浦郡会議員

伊万里町会議員
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松尾 広吉(松尾 廣吉、まつお こうきち[1] / ひろきち[2]1867年1月8日慶応2年12月3日[1][3]〉- 1937年昭和12年〉1月16日[2])は、日本の実業家政治家貴族院多額納税者議員佐賀県西松浦郡伊万里町長

経歴

肥前国松浦郡伊万里町(現佐賀県伊万里市伊万里町)で、素封家・松尾貞吉の長男[注釈 1]として生まれる[1][4]。漢学を修める[2]

1904年明治37年)、陸海軍の諸機械器具製造を行う松尾鉄工所を設立[1]。家業をたばこ専売のほかに郡内の「煙草元売捌所」を開業して拡大[1]。その他、伊万里銀行監査役、伊万里鉄道監査役、魚市 (名) 社長、東洋油脂工業取締役などを務めた[2][4]

政界では、伊万里町会議員、西松浦郡会議員などを務め、1911年(明治44年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[5]、一期務めて1918年大正7年)9月28日まで在任した[2]。在任中は研究会に所属した[6]。また、1921年(大正10年)8月から1925年(大正14年)1月まで伊万里町長を務めた[7]。町長退任後は、工場経営に専念した[8]

栄典

脚注

注釈

  1. ^ 『伊万里市史 正編』620コマには二男とある[3]

出典

  1. ^ a b c d e 『佐賀県大百科事典』764頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』221頁。
  3. ^ a b 伊万里市史 正編 620コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 『人事興信録』第5版、ま36頁。
  5. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  6. ^ 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 127コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 伊万里案内 40コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ a b 伊万里市史 正編 621コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。
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