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法清寺 (大阪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かしく寺から転送)
法清寺
所在地 大阪府大阪市北区曾根崎1丁目2-19
位置 北緯34度41分55.2秒 東経135度30分9.9秒 / 北緯34.698667度 東経135.502750度 / 34.698667; 135.502750座標: 北緯34度41分55.2秒 東経135度30分9.9秒 / 北緯34.698667度 東経135.502750度 / 34.698667; 135.502750
山号 光智山
宗派 日蓮宗
創建年 不明
正式名 光智山 法清寺
法人番号 9120005001634 ウィキデータを編集
法清寺の位置(大阪市内)
法清寺
法清寺
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かしくの墓

法清寺(ほうせいじ)は、大阪府大阪市北区曾根崎に位置する日蓮宗寺院である。山号は光智山。旧本山は京都本満寺、莚師法縁(隆源会)。通称はかしく寺

歴史

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創建は不明。1911年明治44年)に再建された伽藍は戦災をまぬがれ現存している[1]

境内には江戸時代中期の遊女・かしくの墓所がある。

遊女かしくは大坂堂島蔵屋敷のとある侍に身請けされ、老松町に住んだ。

座敷に出ていた時分から酒癖が悪かったが、堅気になっても酒乱は治らず、1749年寛延2年)、兄に酒をやめるように意見されて逆上し、包丁で刺殺。捕縛されたかしくは死罪を申し渡され、大阪市中を引き回された上、千日前で処刑された。なお、引き回しの直前、牢役人に最期の願いとして油揚げを所望し、その油で乱れた髪をなでつけてから裸馬に乗ったという。それが市中の評判となり、かしくの登場する浄瑠璃や歌舞伎などもつくられて注目を集めた。

かしくの死後、墓はゆかりの法清寺に立てられた。かしくが処刑の直前、「死して後も、酒で苦しむ人々の守り神たらん」との誓願を立てたと言い伝わっていたこともあり、いつもころからか「かしくの墓石をかき取り、煎じて飲めば酒乱が治る」との噂が立ち、禁酒・断酒を願う者たちが大勢参拝するようになった。墓石はあまりにも頻繁に削り取られたために細く小さくなり、現在では鞘堂に収められている。そして、その鞘堂を覆う形で小堂が建てられている。

なお、法清寺では、かしくの祥月命日である毎年3月18日には、「かしく祭」を催行している。参拝者は誰でも参加できるので、浪花の春の風物詩として広く親しまれている。

正午から法要が厳修され、終了次第、上方舞や邦楽などの芸能奉納が行われる。

芸能奉納の世話人は上方文化評論家の福井栄一が務めている。

交通

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脚注

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  1. ^ かしく寺(法清寺)(ほうせい)”. 大阪市 (2009年3月16日). 2017-917閲覧。

外部リンク

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