志高ユートピア
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(しだかユートピアから転送)
志高ユートピア | |
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施設情報 | |
キャッチコピー | レジャースポーツの総合デパート[1] |
管理運営 | 別府国際観光[1] |
面積 | 50万平米[1] |
開園 | 1968年(昭和43年)7月21日[1] |
閉園 | 2003年(平成15年)10月27日 |
所在地 | 大分県別府市東山東野526-1[2]。 |
志高ユートピア(しだかユートピア)は、大分県別府市の志高湖畔にかつて存在した遊園地である。1968年(昭和43年)に開園し、2003年(平成15年)10月27日に休園した[3]。
概要
[編集]全長500m、最大直線長90mの西日本唯一の本格的なレーシングカートコース[4]が名物で、近隣のラクテンチに比べてやや高い年齢層を対象としていた。 また、巨大迷路「ランズボローメイズ」や、スペースコースターなどのアトラクションが設けられ、園内ではフラミンゴも飼育されていた。約4km離れたラクテンチとの間は、リフト及びロープウェイで結ばれていた[5]。
跡地には、民間企業によって出力27MWの大規模な太陽光発電所が建設され、2018年(平成30年)11月22日に稼働している[6]。
なお、志高湖の湖畔にある志高湖野営場(レストハウス、バーベキューコーナー、キャンプ場、ボート)は、1933年(昭和8年)10月20日に開設された[7]別府市が運営する施設であり、当園の休園後も営業を続けている[8][9]。
2008年(平成20年)7月10日にメディアボーイから発行された『メディアボーイMOOK・廃墟シリーズ 幻想遊園地(レジャーランド・テーマパーク・遊技場編)』では、廃墟として閉園後の姿を見ることができる。[要出典]
沿革
[編集]- 1962年(昭和37年)3月1日 - ラクテンチ・立石山間のリフトが開通[10]。
- 1968年(昭和43年)7月19日 - 志高ユートピア開園[3][注 1]。
- 1982年(昭和57年)11月17日 - 志高ユートピア・船岡山間のリフトが開通(11月11日完成)[7]。
- 1984年(昭和59年)8月12日 - 立石山と船原山の間にロープウェイが開通し、ラクテンチと志高ユートピアがリフト及びロープウェイで結ばれる[10]。
- 1998年(平成10年) - リフト及びロープウェイ廃止[10]。
- 2003年(平成15年)10月27日 - 志高ユートピア休園[3]。
主な施設
[編集]- ユートピア本館(3階建)[1]
- 大食堂
- 休憩室
- 室内娯楽センター
- 屋内遊戯施設
- 会議室
- 座敷
- 芝生グラウンド(6千平米2面・5千平米1面)[1]
- 自然動物園[1]
- ちびっこ動物園[1]
- キャンプ場[1]
- ゴーカート場[1]
- 野外ステージ[1]
所在地
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 地域別レジャーランドの経営資料 志高ユートピア - 全国レジャーランドの経営実例と事業計画資料集1970年版(日本エコノミストセンター)
- ^ “志高ユートピア”. iナビ大分. 大分放送. 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b c “しだかユートピア休園 写真で振り返る平成と大分 47”. 大分合同新聞. (2018年11月28日) 2019年2月2日閲覧。
- ^ “ヤマハニュース 1976年5月号” (PDF). ヤマハ発動機株式会社 (1976年5月1日). 2019年2月2日閲覧。
- ^ “ラクテンチの80年を振り返る”. 別府新聞. (2008年8月27日). オリジナルの2008年9月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “太陽光発電所が完成 独企業と辻田建機開発 別府「しだかユートピア」跡地”. 大分合同新聞. (2018年11月23日) 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b c “別府歴史年表 5 昭和時代”. 別府歴史資料デジタルアーカイブ. 2019年2月2日閲覧。
- ^ “志高湖野営場”. 別府市. 2019年2月2日閲覧。
- ^ “志高湖キャンプ場”. 別府市綜合振興センター. 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b c “ラクテンチの歴史”. 別府ラクテンチ. 2023年4月11日閲覧。