ダイラケのびっくり捕物帖
びっくり捕物帳 | |
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ジャンル | コメディ番組 |
脚本 | 香住春吾 |
演出 |
信太正行 澤田隆治 |
出演者 |
中田ダイマル・ラケット 藤田まこと 森光子 |
製作 | |
製作総指揮 | 吉村繁雄(制作) |
プロデューサー | 吉村繁雄 |
制作 | 大阪テレビ → 朝日放送 大阪テレビ → 朝日放送 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
第1回 - 第6回 | |
放送期間 | 1957年4月22日 - 5月27日 |
放送時間 | 月曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
第7回 - 第161回 | |
放送期間 | 1957年6月9日 - 1960年5月22日 |
放送時間 | 日曜 12:15 - 12:45 |
放送分 | 30分 |
特記事項: 第8回からは日本テレビで放送。読売テレビの開局後はラジオ東京テレビで放送した。 |
『びっくり捕物帳』(びっくりとりものちょう)は、1957年4月22日から1960年5月22日まで放送されたコメディ番組。大阪テレビ、朝日放送 大阪テレビ、朝日放送がそれぞれ制作した。全161回。関西有機化学工業[1][2]の一社提供。
概要
[編集]目明しの天満の五郎長、びっくり勘太のコンビと大坂町奉行 与力の来島仙之助、仙之助の妹・お妙が事件を推理して解決に導くまでを描いた時代劇。中田ダイマル・ラケットの二人が主演、藤田まことと森光子がレギュラー出演した。当番組は藤田のデビュー作であり、森の出世作となった。
森は第110回(1959年5月31日)で降板。「東京に活動拠点を移すため」と発表したが、TBSテレビ ディレクター(当時)の岡本愛彦と交際が進展しており、関係者に「結婚のために降板する」と申し入れていた[3]。第111回より、お妙の妹・おすみが初登場。第161回(最終回)まで登場した。
現在に至る上方お笑い番組の元祖とされるテレビ番組で、日本の民放テレビ局による上方コメディ初の全国ネット番組である。
番組は前後編で構成[4]され、前編で事件が発生。五郎長と勘太が捜査を開始して、後編で事件が解決する生放送のコメディ番組。大阪テレビ、朝日放送は初の時代劇でセットの構築に腐心した。
あらすじ
[編集]舞台は江戸時代の大坂天満。目明し・天満の五郎長(中田ダイマル)とびっくり勘太(中田ラケット)の二人は大坂町奉行 与力の来島仙之助(藤田まこと)の指示で事件の捜査を開始する。犯人を見つけて捕縛となるが実は弱虫の二人は犯人を前に尻込みする。二人は「お妙さーん!」と一声叫ぶと仙之助の妹・お妙(森光子)が登場。お妙は武術の名手で小刀を振るい、二人の危機を救いつつ犯人を捕まえ、快刀乱麻の活躍をする。
出演者
[編集]- 天満の五郎長:中田ダイマル
- びっくり勘太:中田ラケット
- 来島仙之助:藤田まこと
- お妙:森光子(第1 - 110回)
スタッフ
[編集]放送時間・放送局について
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
第6回までは大阪テレビのみで放送する近畿ローカル番組で、毎週月曜日 19時00分 - 19時30分[5]に放送。その後、日本テレビへネットする事が決定。第7回から放送時間を毎週日曜日 12時15分 - 12時45分へ変更して、第8回から日本テレビで放送を開始した[6]。
1958年8月28日、読売テレビが日本テレビ系列の準キー局として開局。大阪テレビはラジオ東京テレビと系列ネットワークを締結。関東地区のネット局を変更した。ネット局変更に伴い、放送時間は変更せずにKRT系の全国ネットで放送した。
- 制作局は大阪テレビ、朝日放送 大阪テレビ、朝日放送の順で変遷した。
- 日本テレビ - 同時ネット、1957年6月16日 - 1958年10月5日[7]
- ラジオ東京テレビ - 同時ネット、1958年10月12日 - 1960年5月22日[8]
- 中部日本放送
- 北海道放送 - 同時ネット、1957年6月16日 - 1960年5月22日
- ラジオ新潟テレビ(現:新潟放送、1958年12月開局から同時ネット)[9]
- 西日本放送 - 同時ネット、1958年7月6日 - 10月5日
- 山陽放送 - 同時ネット、1958年6月1日 - 1960年5月22日
- テレビ西日本 - 同時ネット、1958年8月31日 - 10月5日
- RKB毎日放送 - 同時ネット、1958年10月12日 - 1960年5月22日
脚注
[編集]- ^ 番組は自社製品ブランドのモナ化粧品で提供。番組内で森光子が出演した モナ化粧品のCMを放送した。世界思想社『テレビ・コマーシャルの考古学 昭和30年代のメディアと文化』ISBN 978-4-7907-1483-5 217頁
- ^ 後に日本ジョセフィン社(現・アンズコーポレーション)に吸収合併された。世界思想社『テレビ・コマーシャルの考古学 昭和30年代のメディアと文化』ISBN 978-4-7907-1483-5 226頁
- ^ 澤田隆治『上方芸能・笑いの放送史』日本放送出版協会 1994年、132頁
- ^ 第141回(1960年1月3日)を除く。同回は1時間の特別編として放送した。
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』ISBN 978-4-86249-271-5 2016年 115頁、118頁
- ^ 澤田隆治『上方芸能・笑いの放送史』日本放送出版協会、1994年、115頁。
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』ISBN 978-4-86249-271-5 2016年、364頁
- ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』ISBN 978-4-86249-271-5 2016年、365頁
- ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)69頁「テレビ初期のプログラム(復元)1959年(昭34)2月」より。
外部リンク
[編集]日本テレビ系列 日曜 12:15 - 12:45 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
びっくり捕物帳
(1957年6月16日 - 1958年10月5日) |
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KRT系列 日曜 12:15 - 12:45 | ||
びっくり捕物帳
(1958年10月12日 - 1960年5月22日) |
どろん秘帖
(1960年5月29日 - 1961年2月26日) |