アウグスト・フェルディナント・メビウス
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アウグスト・フェルディナント・メビウス | |
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生誕 |
1790年11月17日 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領 シュールプフォルテ |
死没 |
1868年9月26日(77歳没) 北ドイツ連邦 ザクセン王国 ライプツィヒ |
研究分野 | 数学 |
出身校 |
ライプツィヒ大学 ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク |
指導教員 |
カール・フリードリヒ・ガウス カール・モルワイデ |
主な指導学生 | ヘルマン・ハンケル |
主な業績 |
メビウスの帯 メビウス変換 メビウス関数 |
プロジェクト:人物伝 |
アウグスト・フェルディナント・メビウス(August Ferdinand Möbius、1790年11月17日 - 1868年9月26日)は、ドイツの数学者(専門はトポロジー、整数論など)、理論天文学者。
ザクセン=アンハルト地方生まれ。ライプツィヒ大学教授。カール・フリードリヒ・ガウスに師事した。
業績
[編集]「メビウスの帯」(Möbius band、メビウスの輪ともいう)の発見で有名。実際にはドイツのフランクフルトの数学者ヨハン・ベネディクト・リスティング(de:Johann Benedict Listing)も同時期に発見している。論文の出版はリスティングのほうが4年早く、メビウスはリスティングの論文を引用して紹介している[要出典]。
また彼の名をとったメビウス関数は、数論の重要な関数のひとつである。
世界で初めて四色問題を提出したといわれることがあるが、誤りである。メビウスが1840年に提出したのは「5つの国が互いに隣り合うことができるか?」という趣旨のパズルで、これは四色問題よりもはるかに易しい。四色問題の定式化は、1852年にフランシス・ガスリーが行った[1]。
彼の名をとった小惑星もある(28516 Möbius)[2]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ フォーベルほか 1995, pp. 16–17
- ^ “(28516) Mobius = 2000 DQ3 = 2000 AA137”. MPC. 2021年9月3日閲覧。
参考文献
[編集]- ジョン・フォーベル ほか 著、山下純一 訳『メビウスの遺産 数学と天文学』現代数学社、1995年2月。ISBN 978-4-7687-0312-0。
外部リンク
[編集]- 『メビウス』 - コトバンク
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “August Ferdinand Möbius”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.