アジア無線
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 東京都千代田区外神田一丁目11-9 |
設立 | 1974年12月(1963年創業[1]) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 家電製品販売 |
代表者 | 岸 豊(代表取締役社長) |
資本金 | 1,000万円 |
売上高 | 30億3,000万円 |
従業員数 | 26人 |
決算期 | 毎年10月 |
特記事項:上記は1993年10月期時点の情報[2] |
アジア無線株式会社(アジアむせん)は、かつて存在した日本の家電量販店である。2005年に破産。
概説・沿革
[編集]アジア無線は1963年に創業[1]、1974年12月に株式会社に改組した、東京・秋葉原に本拠を置く中堅家電量販店である。最盛期の1985年10月期の売上高は48億円、店舗は秋葉原以外にもスーパー飯田百貨店のテナントに入るなどして[3]、都内7箇所、朝霞市、川口市、市川市などに展開していた[4]。
しかし、その後の家電不況[5]で業績が低迷、銀行借り入れに頼った拡張路線がここで裏目に出て経営不振に陥った[6]。経営合理化策を打ち出す余力も残っていなかったアジア無線を救済するため、同社メインバンクの要請で、1991年11月に同業大手のラオックスが商品の委託販売契約を締結して支援に乗り出した[7]。これにより事実上ラオックスの傘下となり、同社支援の下で立て直しを行っていく[8]はずであったが、秋葉原に3店舗あったアジア無線の店舗も1993年に閉店し[7]、秋葉原での家電販売から撤退した。その後、実質休眠状態になっていたが、2005年6月29日に東京地方裁判所より破産手続開始決定を受けた[9]。
創業者
[編集]創業者の岸豊は福井県出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年、電設資材商社の因幡電機産業株式会社に入社。薬局の有美産業株式会社(東京・千代田区)に転じた後、1963年にアジア無線を創業。1974年に株式会社に改組して代表取締役社長に就任した[1]。
アジア無線を中堅家電量販店に急成長させたものの経営不振を招いた要因について、日経流通新聞の取材に対し岸は、「経営不振の最大要因は先行投資負担。店頭での商売のやり方も知らぬうちにおかしくなっていた。すべて私の指導力不足のせいだ」と語っている[10]。
店舗展開
[編集]- 東京都
- 秋葉原1号店 - 千代田区外神田一丁目11-9 第2中栄ビル[11]。1985年頃にナカウラ工具センター跡に開店[注 1]、本社事務所も同ビルに移転した[注 2]。1993年6月に閉店[6]、その後ソフマップ秋葉原13号店[注 3]、そして秋葉館となり、現在は買取販売市場ムーランAKIBA中央通り店。
- 秋葉原2号店 - 千代田区外神田一丁目15-6のミツウロコビル[注 4]1階[16][注 5]。現在はエスパス日拓秋葉原駅前店。
- 秋葉原3号店 - 千代田区外神田四丁目5-4 亀松ビル[注 6]内にあった[18][注 7]。1970年代中期に開店した[注 8]。
- その他 - 秋葉原以外に4店舗。
- なお、1953年から1970年代初頭にかけて、秋葉原ラジオ会館別館に「アジア無線」の屋号の電器店が入居していた[21][22]が、本項のアジア無線との関係性は不明である。
- 埼玉県
- 朝霞市
- 川口市
- 浦和市
- 千葉県
- 市川市
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1984年発行の住宅地図[12]には「電気のナカウラ」、1986年発行[13]では「アジア無線」の表記がある。
- ^ 『帝国銀行会社年鑑』によれば、本社住所は設立から1984年7月時点までは千代田区外神田四丁目5-4[14]、1985年7月時点は外神田一丁目11-9[15]。
- ^ ソフマップ秋葉原13号店は第2中栄ビルから外神田三丁目11-6に移転している。
- ^ ミツウロコビルは2010年に解体。跡地にはエスパス日拓秋葉原ビルが建設された
- ^ 1970年代から営業していた。1978年発行の住宅地図で、ミツウロコビルの別記[17]にアジア無線が記載されている。
- ^ 当時の亀松ビルは2005年に解体。現在の亀松ビルは2007年に竣工。
- ^ 1978年発行の住宅地図[17]で、亀松ビルの別記にアジア無線が記載されている。
- ^ 1973年発行の住宅地図での亀松ビルの別記に掲載はない[19]が、1976年のものには掲載がある[20]。
出典
[編集]- ^ a b c 『帝国会社役員知名人名鑑 : 関東版. 1985』帝国データバンク、1985年、1603頁。全国書誌番号:86001585。
- ^ 『帝国銀行会社年鑑. 第74版(1994)』 東日本、帝国データバンク、東京、1993年10月、(東京) 28頁頁。全国書誌番号:94013191。
- ^ “アジア無線・飯田百貨店の思い出”. ぶっちぎりの青春・【山形長井食彩館】 (2009年9月16日). 2011年2月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『帝国銀行会社年鑑. 第67版(1987)』 東日本、帝国データバンク、東京、1986年10月、(東京) 19頁頁。全国書誌番号:87021102。
- ^ “【第六章~バブル経済の隆盛と崩壊、そしてマルチメディア社会の到来(昭和60年代~平成8年)~】”. 秋葉原の歴史. 秋葉原電気街振興会 (2001年). 2011年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月15日閲覧。
- ^ a b “リストラ待ったなし家電流通 (1) 変貌する秋葉原――巨大なショールームに”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1993年9月27日)
- ^ a b “秋葉原再編、揺らぐ家電専業、中堅老舗が脱落――シントク・広瀬以外にも苦戦”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 1. (1993年10月28日)
- ^ “首都圏の地盤強化 ラオックス、アジア無線を傘下に 事業再編や合理化支援”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 13. (1991年12月23日)
- ^ 「アジア無線(家電製品販売)、破産手続き開始決定受ける、負債約9億円、競合激化」『日刊帝国ニュース』No.11613 (2005年7月13日)、帝国データバンク、東京、10頁、全国書誌番号:00077054。
- ^ “2大電気街、神話消える――東京・秋葉原、不況で再編劇加速(家電流通を切る)”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 1. (1992年5月21日)
- ^ 松本新 (1989)、38-40頁。
- ^ 千代田区 (Map) (1984年 ed.). 縮尺不定. ゼンリンの住宅地図. 東京都. ゼンリン. April 1984. p. 9. 全国書誌番号:20522200。
- ^ 千代田区 (Map) (1986年 ed.). 縮尺不定. ゼンリンの住宅地図. 東京都. ゼンリン. March 1986. p. 9. 全国書誌番号:20522202。
- ^ 『帝国銀行会社要録. 第65版(1985)』 東日本、帝国データバンク、東京、1984年12月、(東京) 17頁頁。全国書誌番号:86014070。
- ^ 『帝国銀行会社要録. 第66版(1986)』 東日本、帝国データバンク、東京、1985年12月、(東京) 18頁頁。全国書誌番号:86029535。
- ^ 松本新 (1989)、117頁。
- ^ a b 千代田区 (Map) (1978年 ed.). 縮尺不定. ゼンリンの住宅地図. 東京都. 日本住宅地図出版. November 1978. p. 別記7. 全国書誌番号:20522194。
- ^ 松本新 (1989)、56-57頁。
- ^ 千代田区 (Map) (1973年 ed.). 縮尺不定. ゼンリンの住宅地図. 東京都. 日本住宅地図出版. January 1973. 全国書誌番号:20522189。
- ^ 千代田区 (Map) (1976年 ed.). 縮尺不定. ゼンリンの住宅地図. 東京都. 日本住宅地図出版. 1976年. 全国書誌番号:20522193。
- ^ 「電気街と共に歩んだ秋葉原ラジオ会館の歴史を振り返る Vol.1」『ラジ館』2012 February、株式会社ラジオ会館、17頁。
- ^ 「電気街と共に歩んだ秋葉原ラジオ会館の歴史を振り返る Vol.3」『ラジ館』2012 June、株式会社ラジオ会館、22頁。
参考文献
[編集]- 松本新『秋葉原・電気街でとことん得する本 : 全店マップ&データ380』ロングセラーズ、東京〈ムックの本〉、1989年1月。ISBN 4-8454-0276-9。