アナトーリイ・ドニェプロフ
アナトーリイ・ドニェプロフ(ロシア語:Анато́лий Днепро́в;ラテン翻字例:Anatoliy Dnyeprov, 1919年11月17日 - 1975年)はソヴィエト連邦の軍人、最終階級は大佐、退役後はSF作家として活動する。
略歴
[編集]本名、アナートリイ・ペトローヴィチ・ミツケーヴィチ(Анато́лий Петро́вич Мицке́вич)。ウクライナのドニプロペトロウシクで生まれた。1941年にモスクワ大学の物理学部を卒業。第二次世界大戦早期に志願兵として軍に入隊した。1942年2月から1943年7月にかけてはスタヴロポリの基地で外国語を学んだ。1943年8月からGRUに勤め、1944年8月からはイタリア侵攻に従軍し負傷、1945年からはイギリス、占領下のドイツにスパイとして行動し、ドイツの降伏文書の際、ゲオルギー・ジューコフの英語通訳兼上級中尉として同行する。1956年6月に退役後は物理学者兼SF作家として活動する。1975年、モスクワで没。
作品と作風
[編集]第一作は1958年に発表された[1]。作品はSFの中・短編が主体である[1]。ドニェプロフは、科学上の仮説を基にしたアイディアものや、現役の科学者らしい問題意識(科学者の倫理・責任、科学の発展の社会的影響など)に基づくテーマの作品を得意とした[1]。作風は時にユーモラスで、風刺的(反軍事的)な傾向を持った[1][2]。ユーゴスラヴィア出身のSF批評家ダルコ・スーヴィン(Darko Suvin)は、彼を「エフレーモフ、ストルガツキーと共に現代ソ連SFの開拓者の一人である。」([2]より引用)と位置づけている。
"Уравнение Максвелла (1960)"(マックスウェル方程式)、"Формула бессмертия (1963)"(不死の公式)[注 1]、"Пурпурная мумия (1965)"(赤紫のミイラ)[注 2]、"Пророки (1971)"(預言者たち)など複数の個人短編集があるが、まとまった形での日本語訳はなされていない。アンソロジーや雑誌に収録された既訳作品としては、クローンを扱った「規格人間生産工場」、自己複製機械の暴走を通して科学者倫理を問う「蟹が島を行く」、モデル実験を通じて資本主義を否定する「私が消えた」など十数編がある。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 飯田規和編『世界SF全集33 - 世界のSF(短編集)ソ連東欧編』(早川書房、1971年初版)巻末解説
- ^ a b スーヴィン編『遥かな世界 果しなき海』(深見弾・関口時正訳、早川書房、1979年〈原書1970年〉)242頁
外部リンク
[編集]- 翻訳作品集成>アナトリイ・ドニェプロフ(Anatolij Dneprov) - 日本語訳された作品の書誌情報