コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アパトゥ (フランス領ギアナ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Apatou
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) フランス領ギアナ(ギュイヤンヌ)
(département) ギュイヤンヌ
(arrondissement) サン=ローラン=デュ=マロニ郡
INSEEコード 97360
郵便番号 97317
市長任期 Moïse Edwin[1]
2021年-2026年
自治体間連合 (fr) Communauté de communes de l'Ouest guyanais
人口動態
人口 9,818人
2021年
人口密度 4.9人/km2
地理
標高 平均:m
最低:3 m
最高:513 m
面積 2,020km2
テンプレートを表示
フランス領ギアナにおけるアパトゥの位置。

アパトゥ(Apatou、[apatu])は、南アメリカに位置するフランス海外県であるフランス領ギアナコミューン。アパトゥには、マルーンと総称される、アルク英語版パラマカン英語版ンデュカ英語版サラマカ英語版などの部族が居住している[2]

歴史

[編集]

アパトゥの町は、1882年ムテンデ (Moutendé) という名で創設された[2]。その後、この町はアルクの族長であったアパトゥ英語版にちなんで改名した[3]。アパトゥは、19世紀後半に、探検家ジュール・クレヴォー英語版のガイドを務めた。1885年9月7日、ジュール・ブルネッティ (Jules Brunetti) は、当地にカトリックの宣教所を設けた[4]1891年、アパトゥは境界線問題を抱えていたフランスとオランダ領ギアナ(スリナム)の仲介をし、アルクたちをフランスと同盟させた[3]。彼はまた、フランス側についたすべての部族を統率した[2]

1969年まで、アパトゥはイニニ英語版の領域の一部であったが、マルーンの各部族は明確な境界線設定はないまま部族的な自治と自給自足が容認されていた[5]。コミューンの新設によって、統治機構の整備やフランチャイズ化がおこなわれた。最も重要だったのは、これによって、より大きな集落への人口の集中が起こり、小さな集落がほとんど放棄されるに等しい状況が生じたことであった[5]

1976年11月12日、アパトゥのコミューンが正式に創設されて、グラン=サンティ=パパイシュトン (Grand-Santi-Papaichton) のコミューンから切り離され、残された部分はグラン=サンティ英語版と改称された[2]

人口

[編集]
人口推移
人口±% p.a.
1967 318—    
1974 453+5.18%
1982 618+3.96%
1990 2,451+18.79%
1999 3,628+4.45%
2007 6,357+7.26%
2012 7,257+2.68%
2017 9,241+4.95%
Source: INSEE[6]

交通

[編集]
アパトゥのタクシー・カヌー。

このコミューン内の各集落には、マロニ川沿いに船で辿り着かなければならない[2]2010年に、アパトゥとサン=ローラン=デュ=マロニを結ぶ国道が開通し、フランス領ギアナの道路網に繋がることになった。開通の際には、自転車ロードレースツール・ド・ギアナ英語版が開催された[7]。この国道は、マリパスラ英語版まで延伸される予定である。パパイシュトン英語版の工区における工事は、2021年から開始される予定となっていた[8]

スポーツ

[編集]

アパトゥは、サッカーチームであるASCアグアド英語版のホームであり、このチームはスタド・ド・ムテンデ英語版を本拠地としている[9]

脚注

[編集]
  1. ^ Répertoire national des élus: les maires” (フランス語). data.gouv.fr, Plateforme ouverte des données publiques françaises (4 May 2022). 2024年12月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e Guide Apatou” (フランス語). Petit Futé. 6 June 2020閲覧。
  3. ^ a b “The explorer as hero: 'Le Fidèle Apatou' in the French wilderness”. New West Indian Guide / Nieuwe West-Indische Gids 78 (3–4): 197–227. (1 January 2004). doi:10.1163/13822373-90002512. https://brill.com/view/journals/nwig/78/3-4/article-p197_1.xml?lang=en 6 June 2020閲覧。. 
  4. ^ Moomou, Jean (2009) (フランス語). La mission du père Brunetti chez les Boni de la Guyane française à la fin du xixe siècle. Histoire et missions chrétiennes. 12. pp. 115–144. https://www.cairn.info/revue-histoire-monde-et-cultures-religieuses1-2009-4-page-115.htm?contenu=article. 
  5. ^ a b The Aluku and the Communes in French Guiana”. Cultural Survival. 6 June 2020閲覧。
  6. ^ Population en historique depuis 1968, INSEE
  7. ^ “La route d'Apatou raccommodée” (フランス語). https://la1ere.francetvinfo.fr/guyane/2015/08/19/la-route-d-apatou-raccommodee-279615.html 6 June 2020閲覧。 
  8. ^ “Route Maripasoula-Papaichton : 1 million d'euros par kilomètre” (フランス語). https://www.franceguyane.fr/regions/haut-maroni/route-maripasoula-papaichton-1-million-d-euros-par-kilometre-471560.php 10 August 2020閲覧。 
  9. ^ ASC Agouado”. Soccer Way. 5 September 2020閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]