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アリー・アフマド・ジャラーリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリー・アフマド・ジャラーリー
علی احمد جلالی
生年月日 1940年(83 - 84歳)
出生地 アフガニスタン王国カーブル

在任期間 2003年1月28日 - 2005年9月27日
大統領 ハーミド・カルザイ

在任期間 2017年1月5日 - 2018年10月31日
大統領 アシュラフ・ガニー
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アリー・アフマド・ジャラーリーパシュトー語: علي احمد جلالي‎、Ali Ahmad Jalali、1940年 - )は、アフガニスタンの政治家、軍人。大佐。元内務大臣。

経歴

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カーブル出身[1]パシュトゥーン人。グラーム・ジャイラーニー・ジャラーリーの息子[2]

1961年カーブル軍事大学を卒業。1966年、カーブル参謀大学で軍事学修士号取得[1]

1967年、イギリス参謀大学(British Staff College)を卒業し、アメリカソ連トルコの軍事教育施設で研修を受けた。1978年の革命までアフガン陸軍に勤務し、大佐まで昇進した。

1979年、ムジャーヒディーンに参加し、1980年~1982年、パキスタンで軍事行動の計画立案に従事した。

1982年、アメリカに移民し、1987年に市民権を取得[1]。1988年~1997年、ボイス・オブ・アメリカパシュトゥー語局長。1997年~2003年1月中旬、同ラジオ局のダリー語局長。在米時にハーミド・カルザイと知り合う。

2003年1月29日、内務大臣代行。2004年12月~2005年9月、内務大臣。

2005年9月、研究活動に戻ると称して、内務相を突如辞任した。アメリカに戻った後、アメリカ国防大学附属近東・南アジア戦略研究センターの教授。2007年、アフガニスタンに帰国。

2009年1月、アメリカを訪問した際、「バラク・オバマは、カルザイの4人の後継者を面接した。彼はその1人だ」と評された。

パーソナル

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ダリー語、パシュトゥー語、英語を話す。ワシントン大学の政治学学士。アフガン戦争に関する3冊の著作がある。

脚注

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  1. ^ a b c The Hon. Dr. Ali Ahmad Jalal”. Institute for Cultural Diplomacy. 2012年11月27日閲覧。
  2. ^ Decree By the President of the Islamic Republic of Afghanistan Press Release”. The Embassy of Afghanistan, Tokyo (2004年12月23日). 2012年11月27日閲覧。
先代
タージ・ムハンマド・ワルダク
アフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン・イスラム共和国
内務大臣
2003年 - 2005年
次代
アフマド・ムクビル